2020年06月01日号
次回6月15日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

きたまり/KIKIKIKIKIKI グスタフ・マーラー交響曲第2番ハ短調「復活」

会期:2019/09/20~2019/09/22

THEATER E9 KYOTO[京都府]

「マーラーの全交響曲を振り付ける」という壮大なプロジェクトに挑む、ダンサー・振付家のきたまり。シリーズ第4弾となる本作は、マーラーの交響曲第2番「復活」が使用された。過去の3作品が上演された京都のアトリエ劇研は、2017年に惜しまれつつ閉館。同劇場のディレクターだった演出家・劇作家のあごうさとしを中心に新たに立ち上げた劇場「THEATER E9 KYOTO」のオープニングプログラムのひとつである本作は、「劇場の復活」という意味でも示唆的だ。舞踏出身の山田せつ子、バレエを基礎に持つ斉藤綾子という異なる出自を持つダンサーを共演者に迎えた本作は、それぞれの身体性の相違に加え、それを際立たせるソロ→デュオ→トリオという構成の流れ、扉の開放のタイミング、背後のスクリーンを染め上げるライブペインティングによる音と視覚の相乗効果など、演出力の高さが際立っていた。

冒頭から約30分ほどは、山田せつ子のソロが続く。変幻自在に展開し、掴みどころのないマーラーの楽曲に抗うように、陶酔とカタルシスの彼方へ押し流そうとする力に拮抗するように、ミニマルな微動に徹し、時に痙攣的に身を震わせる山田。音楽に支配されるのではなく、音楽を含むその場すべてを支配しようとする強い意志がみなぎる。重厚に張りつめた空気は、だが、山田が退場とともに開け放った扉から、外気と夕暮れの風景が流れ込んでくることで一新される。続けて、きたと斉藤のデュオが展開されるが、左右対称を保ったユニゾンの厳密性は、むしろ両者の身体性の違いを際立たせる。



[撮影:中谷利明]


きた、斉藤のソロを挟んで、3者が揃った後半のトリオは圧巻だ。腰を落とし気味に頭を左右にリズミカルに振り、マーラー(とその背後にある「ヨーロッパ」)を異化するようなきたの動き。両手を広げて天を仰ぎ、永遠に終わらない恍惚あるいは拷問のように、倒れるまで回転し続ける斉藤。毅然さを保ち、かと思うと2人を挑発するように撹拌的な動きを繰り広げる山田。重厚なコーラスが響き、仙石彬人によるOHPを用いたライブペインティングの投影が、無彩色からマーブル状に混じり合った鮮烈な色彩に背後の壁を染め上げていく。細胞の増殖、あるいは燃え上がる炎、極彩色に開く花びら、沸騰する赤い血潮。「なぜマーラーなのか」という問いを吹き飛ばす、「踊り続ける、なぜなら生まれてきてしまったから」とただ主張する強い3つの身体がそこにあった。



[撮影:中谷利明]


2019/09/22(日)(高嶋慈)

Art Project KOBE 2019:TRANS-

会期:2019/09/14~2019/11/10

新開地、兵庫港、新長田[兵庫県]

今秋、新たに開催された「Art Project KOBE 2019:TRANS- 」(以下「TRANS-」と略記)は、いくつかの点で、神戸ビエンナーレ(2007~2015)、港都KOBE芸術祭(2017)と続いてきた神戸のアートシーンの流れに一石を投じるものだった。まず、「ビエンナーレ」「芸術祭」という文言を外したこと。作家数を2名に絞ったこと。「美術館+まちなかの周辺会場」というテンプレからの脱却。そして、アクセスしやすい商業・消費の中心エリアから、より周縁部への移動。

こうした制度設計の方針転換に加え、内容面でも深化がうかがえる。「神戸ビエンナーレ」は、現代美術展に加え、いけばな、書道、創作玩具、コミックイラスト、大道芸、児童絵画などのコンペも多数含み、総花的で市民文化祭的な性格が強かった。打ち切りを経て、神戸開港150年を記念して2年後に開催された「港都KOBE芸術祭」は、神戸港の港湾に設置された作品をクルーズ船から鑑賞する試みを実施。詩人たちの詩句が記されたフレーム越しに現在の神戸を海上から眺め、近代都市の発展、戦災、震災などの記憶を現在の風景と重ね合わせる古巻和芳の作品や、戦前に台湾から神戸へ嫁いだ女性(たち)の語りを起点に、時代、国籍、状況の異なる女性たちの生を「窓からの眼差し」と「歌」によって共振させる川村麻純の作品が目を引いた。

一方、「TRANS-」の会場となるのは、近代に開港した神戸港より古く、日宋貿易の拠点として平清盛が拓いた歴史を持つ「兵庫港」、明治~昭和に歓楽街として栄えた「新開地」、マッチ、ゴム、ケミカルシューズなど地場産業で栄えた下町であり、外国人労働者も多く根付く「新長田」という港湾部~西部の3エリアである。都市機能の東進化、産業構造の変化、阪神・淡路大震災の打撃などにより、活気を失い寂れつつある。

参加作家のひとり、やなぎみわは、出身地である神戸市兵庫区の港を舞台に、移動舞台トレーラーでの野外劇『日輪の翼』を再演予定。従って美術展としては、もうひとりの参加作家、グレゴール・シュナイダーによる実質上の個展といえる。シュナイダーの《美術館の終焉―12の道行き》は、言わば「ディープな神戸ツアー」。かつての歓楽街や高度経済成長を支えた労働者街に点在する複数スポットを巡礼のように辿る仕掛けにより、華やかで祝祭的な「芸術祭」が抑圧しがちな歴史の暗がりを立体的に浮かび上がらせた。

各スポットは「第1留~第12留」まで番号が振られており、タイトルの「12の道行き」はキリストの受難の道を指す。既存の建築や施設に残る痕跡をなぞり、時に大胆に介入の手を加えつつ、パラレルワールドや悪夢のような光景を出現させる。特に印象深いのは、第3留、第4留、第8留、第9留、第12留だ。《消えた現実》と題された「第3留:旧兵庫県立健康生活科学研究所」は、感染症や食品衛生などの検査や研究を行なっていた施設である。床、壁、天井、柱などすべてが真っ白に塗られた室内空間は、脅迫的な衛生観念や管理権力の浸透を、その暴力的な白さでもって体現する。一方、無残に荒らされて物品が散らかった研究室は、バイオハザードの事故現場に足を踏み入れたような錯覚をもたらす。その想像に実体的な恐怖感の輪郭を与えるのは、「動物試験室」と掲げられた部屋、動物用と思われるタイルの洗い場、そして場違いなまでにカラフルな原色で塗られた檻など、かつて営まれていた現実の痕跡とシュナイダーによる介入が相乗効果をもたらすからだ。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第3留:旧兵庫県立健康生活科学研究所 《消えた現実》
[写真:表恒匡]


「第4留」の《条件付け》は、100m以上続く地下通路に設置された通路状の構造物である。見かけは地下通路とそっくり同じ壁と柱が連続するが、扉を開けて中に入ると、白い浴室、真っ暗な部屋、浴室、真っ暗な部屋……が交互に続き、無限回廊か醒めない悪夢にはまり込んだかのようだ。また、《白の拷問》と題された「第9留」は、同じく地下鉄の長い地下通路に設置した作品だが、扉の先には、左右対称に扉が並ぶ白い廊下が出現する。これは、アメリカ軍がキューバに秘密裡に設けたグアンタナモ湾収容キャンプ内の施設を、収監者の証言を元に再現したものだ。「白」という色が帯びる排他性、均質性、幾何学的な規則性に支配された空間は、「究極的に合理的であることは、非人間的である」ことをまさに体感させるとともに、管理権力が「日常」のすぐ傍に遍在していることを示唆する。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第9留:神戸市営地下鉄海岸線・駒ヶ林駅 コンコース 《白の拷問》
[写真:表恒匡]


一方、「人の生活の痕跡」に目を向けるのが、「第8留」と「第12留」。《住居の暗部》と名付けられた「第8留:神戸市立兵庫荘」は、低所得の男性勤労者のための一時宿泊施設として、港湾労働者の多い居住区に1950年に開設され、昨年まで利用されてきた。だが内部は、廊下、二段ベッドの並ぶ居室、食堂、トイレなどすべてが真っ黒に塗りつぶされ、鑑賞者はライトを手に暗闇を彷徨う。文字通り、闇に葬られたかのような黒化した空間だが、目を凝らせば、ベッド上に放置されたタオルや散乱したゴミが認められ、「不在」と「痕跡」を同時に突き付ける。また、最後の「第12留:丸五市場」は、震災で奇跡的に火災を免れ、細い路地が迷路のように続く古い商店街である。「第1留」と連動しており、「第1留」で3Dスキャンされた高齢者たちのアバターが、スマホのアプリを通して画面内に出現するという仕掛けだ。不条理、暴力性、痕跡の抹消、不在や空白といったモメントを辿ってきた最後に、(亡霊的な仮象であっても)人の存在を蘇らせたいというかすかな希求が感じられた。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第12留:丸五市場 《死にゆくこと、生きながらえること》
[撮影:筆者]


ただし、空き家を会場に日時限定のパフォーマンスが行なわれる「第6留」は、ステレオタイプなジェンダーの再生産という点で疑問が残った。一階の浴室では、曇りガラスの向こうで、長い黒髪の女性がシャワーを浴びている。二階では、雑然と散らかった部屋で、引きこもり状態の男性が観客に背を向けて横たわる。「引きこもり=男性」というステレオタイプなジェンダー観。窃視的な視線の対象となり、「服を脱ぐ」のはなぜ「女性」なのか。ここには、ステレオタイプや既存の権力構造の再生産にアートが与してしまうことに対する自覚的な反省は見られない。画期的な企画であっただけに惜しまれる。


追記:主催者側によると、シュナイダーはパフォーマー募集にあたり、 「階のジェンダー指定はないが、男女両方を入れること」を望んでいたという。筆者の見た日はたまたま1階が女性、2階が男性パフォーマーであり、別の鑑賞日には、逆パターンや両階とも同性の場合もあった。

公式サイト:http://trans-kobe.jp/

関連レビュー

港都KOBE芸術祭|高嶋慈:artscapeレビュー

2019/09/13(金)(高嶋慈)

裵相順「Layers of time」

会期:2019/09/07~2019/11/03

LEE & BAE[韓国、釜山]

20世紀初頭、朝鮮半島における鉄道建設の中継地として日本人が作った街、大田(テジョン)のリサーチを元に作品を制作している裵相順(ベ・サンスン)。大田で生まれ育ち、引き揚げ後は日本国内での差別から自らの出自を語らずに生きてきた高齢者たちを取材し、映像作品を制作している。また、彼女がこれまで手掛けてきた絵画作品の主要なモチーフであり、多義的なメタファーを持つ「糸」を用いた写真作品も発表している。絡まりもつれ合ったカラフルな糸は、「大田生まれの日本人」というアイデンティティの複雑さ、解きほぐし難く絡まった日韓関係、伸び行く線路や人々の行き交った軌跡の交差、そして髪の毛や血管、心臓など人体の一部にも見え、さまざまな読み取りを誘う。近現代史のリサーチやオーラルヒストリーの収集などの手法を用いて制作する作家は増えているが、アートの可能性は、単なるドキュメンタリーではなく、より複雑な意味を持たせて見る者の想像力を刺激し、能動的に考えさせることができる点にある。

今回、釜山のギャラリーで開催された個展では、植民地期の釜山で暮らした日本人の痕跡に焦点を当てた新作が発表された。釜山は、1876年の開港以降、日本人が多く入植し、港湾部の開発や日本風の市街地が形成された。裵が着目したのは、かつて日本人街だった地区に今も残る1本の街路樹だ。現存するのはこの1本だけだというが、裵は、撮影した樹の画像をデジタル合成で重ね合わせ、鬱蒼と生い茂る森のようなイメージを出現させた。それは、黒いベルベットの下地に極細の面相筆で白い描線を描き重ね、気の遠くなる緻密な線の連なりが吸い込まれそうな深度を持つ絵画作品と、「レイヤー構造」の点で響き合うとともに、「過去と現在」が錯綜し、安定したパースペクティブを消失した眩暈のような感覚をもたらす。



会場風景


また、《Stone Rose》と題された、カラフルな樹脂でできた板状の立体作品もある。その表面は、ひび割れた大地のような複雑な凹凸を持つ。これは、釜山の龍頭山公園の石垣の表面を型取りしてつくったものだ。現在は、港を見下ろせる丘の上に釜山タワーが建ち、観光地として人気の龍頭山公園だが、李氏朝鮮時代(江戸期)から日本統治時代の間は神社が建てられていた。敗戦後は引き揚げを待つ日本人の、朝鮮戦争勃発後は戦火を逃れてきた避難民の避難場所となったが、度重なる火事に見舞われた。石垣の表面が爆発で割れたような跡は、火の強さを物語る。この石垣の痕跡が、「バラの花のように見えた」と言う裵は、ピンクやオレンジ色の樹脂を用いて作品化した。同時にそれは、皺の寄った皮膚のようにも見え、矛盾した感覚を見る者に与える。石という硬いものであると同時に、花びらや皮膚のように柔らかく有機的なものであること。冷たく死んだものであり、血の通ったものでもあること。アートは矛盾を抱え込むことを許容する領域であり、作品は矛盾した言葉を語ることができる。それは、一元的で排他的な断定の言葉に抗う術となる。



《Stone Rose》2019, Crystal resin


裵の作品は、歴史的痕跡に対し、糸や樹脂を用いてメディウムを変換することで、人体組織を思わせる有機的なものとして差し出す。それは、言語による歴史記述よりもより微妙で複雑な方法で、現在と過去は断絶ではなく繋がっていること、近代史を考えることは現在を考えることであること、そして現在の状況の複雑さの根は近代にあることを示している。



《Layers of stone i, ii, iii, iiii》2019, Face-mounted archival pigment prints


関連レビュー

裵相順「月虹 Moon-bow」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年02月01日号)
KG+ SELECT 2019 裵相順「月虹」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年05月15日号)

2019/09/07(土)(高嶋慈)

We are bound to meet: Chapter 1. Many wounded walk out of the monitor, they turn a blind eye and brush past me.

会期:2019/08/09~2019/09/08

Alternative Space LOOP[韓国、ソウル]

「歴史的トラウマの傷」をテーマにした若手作家のグループ展。「We are bound to meet」というタイトルには、「自己と他者」という対立軸ではなく、「私とあなた」を共に含む「We」という単位によって歴史を考えることで、傷の本質に近づく端緒が開ける、という思いが込められている。日本の植民地支配の歴史を「we」の問題として考えるために、同じトラウマを共有する韓国と台湾の作家の作品を集め、多角的な検証を行なっている。本展は3部構想で計画されており、その第1章が開催された。

台湾と韓国それぞれにおける象徴的な建築物を通して、国家と国家、国家のナラティブと個人の記憶の関係を見つめる点で共通性と対称性を示していたのが、Liang-Pin TsaoとChung Jaeyeonの作品である。Liang-Pin Tsaoは、台北にある忠烈祠(辛亥革命など中華民国建国や日中戦争での戦没者を祀る祠)が、植民地期は護国神社であった史実に着目。ライトボックスに仕立てた写真は片側がカラーによる現在の忠烈祠、反対側がモノクロで撮られた護国神社の写真資料で構成され、「国家的イデオロギーへの奉仕」という点で両者が表裏一体であることを示す。鳥居を背にした軍服姿の男性や整列した女学生の集合写真。一方、カラフルな中華風の門と観光客の群れ、現存する神社をフォトジェニックなロケ地と見なしてコスプレや結婚式の記念撮影に興じる若者たちのスナップは、「(負の)歴史遺産のロマンティックな消費」「文化的アイデンティティのハイブリッド性」について問いかける。

一方、「国家的イデオロギーの象徴としての建築」をより個人的な経験のレベルから問うのが、Chung Jaeyeonの映像作品《A Sketch for a Foundation》。記録映像と現在の光景を織り交ぜながら彼女が静かに語り始めるのは、かつて朝鮮総督府だった建築をめぐる幼少期の記憶である。朝鮮総督府の建物は、日本の敗戦後、アメリカ軍の接収、政府庁舎を経て国立中央博物館に転用されたが、その歴史を知らずに博物館を訪れた幼い頃の彼女にとっては「宮殿のような美しい場所」であり、1995年に爆破解体のニュース映像が流れた時には悲しみを覚えたという。政治的、歴史的、集合的な記憶と個人的な記憶との断層を見つめる語りは、「歴史の消去」という企ての愚かしさ、国家的な単一のナラティブを多面的に解体すること、「過去」を当時生きた人々とは異なる視線で眼差す可能性、「真正な文化的アイデンティティ」への疑義をめぐる省察へと昇華されていく。

このように、歴史的トラウマを、(直接的には体験していない世代による)「現在」の視線で見つめ直し、冷静かつ多面的な視点から検証し、思考の共有地を開くような展覧会こそ、現在の日本に最も必要なのではないか。

2019/09/05(木)(高嶋慈)

韓国国立現代美術館 清州館

[韓国 清州市]

日韓交流展「2019韓日藝術通信」のオープニングトークに招かれ、韓国中部の都市、清州を初めて訪れた。清州は地方都市だが、市立美術館は本館に加えて2つの分館があり(今回の日韓交流展の会場はそのうちの1つ)、レジデンス施設も別に設けられている。レジデンス施設は26名まで収容可能であり、スタジオの他に宿泊場所、ギャラリー、過去の滞在作家の資料のアーカイブスペースもあり、制作に集中できる環境が整備されている。手厚い文化予算の韓国と日本の差を強く感じた。



韓国国立現代美術館 清州館


また清州には、国立現代美術館の分館「清州館」もある。2018年に開館した清州館では、「Open Storage(見える収蔵庫)」というコンセプトの下、国立現代美術館や美術銀行の所蔵品を、収蔵した状態で公開している。コンテナや棚に置かれた彫刻や立体作品、収蔵棚に掛けられた平面作品を、直に、あるいはガラス越しに見ることができる。まず来場者を出迎えるメインの1階では、大型の立体や彫刻作品がずらりと並び、圧巻だ。ナムジュン・パイク、李禹煥、イ・ブル、ス・ドホ、ユン・ソクナム、イ・スギョンといった韓国人作家に加え、アンソニー・カロ、ニキ・ド・サンファル、トニー・クラッグ、キキ・スミスらが並ぶ。奥の収蔵棚には、より小振りのブロンズや石の彫刻が二段、三段で収蔵され、森のなかを彷徨うようだ。「サイズ」「素材」「具象/抽象」のゆるやかな分類はあるものの、雑然さを感じさせないのは、洗練された棚のデザインの力が大きい。また、3階では、韓国人作家の作品を、平面作品(建築/ポートレートの主題別)、工芸、彫刻、メディアアートのジャンル別に展示している。加えて、「修復」の紹介スペースもあり、修復に使うさまざまな道具や和紙などの素材、プロセスを実物や写真、映像で展示している。




「見える収蔵庫」というアイデアは、単に目新しさだけでなく、「普段は表に出にくい美術館の基幹部分を可視化する」という意味で意義深い。それは、「保存修復」とともに、コレクションが美術館の根幹的な機能であることに改めて光を当てる。また、「地方分館」というシステムは、「文化の(首都への)一極集中を防ぐ」という意義も合わせ持つ。こうした国立施設が無料で開放されている点も日本との大きな差だ。私が訪れた日は、社会見学と思われる児童の団体でにぎわっており、さまざまな面でうらやましく感じられた。



公式サイト:韓国国立現代美術館 清州館https://www.mmca.go.kr/jpn/contents.do?menuId=5050011541

2019/09/03(火)(高嶋慈)

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