2019年08月01日号
次回9月2日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

カメラが写した80年前の中国──京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真

会期:2019/02/13~2019/04/14

京都大学総合博物館[京都府]

「華北交通」とは、日中戦争勃発直後の1937年8月に南満州鉄道株式会社(満鉄)の北支事務局として天津で発足し、日本軍による華北の軍事占領と鉄道接収後、39年4月に設立された交通・運輸会社である。傀儡政権として樹立された中華民国臨時政府の特殊会社で、満鉄と同じく日本の国策会社であり、北京、天津、青島などの大都市を含む華北占領地と内モンゴルの一部を営業範囲としていた。旅客や資源の輸送のほか、経済調査、学校や病院経営、警護組織の訓練なども担っていた。また満鉄と同様、弘報(広報)活動にも力を入れ、内地に向けて「平和」「融和」をアピールし、日本人技術者や労働者を中国北部に誘致するため、日本語のグラフ雑誌『北支』『華北』の編集や弘報写真の配信を行ない、線路開発、沿線の資源や産業、遺跡や仏閣、風土や生活風景、年中行事、学校教育などを撮影し、膨大にストックしていた。日本の敗戦後、華北交通は解散するが、35,000点あまりの写真が京都大学人文科学研究所に保管されており、近年、調査や研究が進められ、2019年2月にはデジタル・アーカイブも公開された。本展は、2016年の東京展に続き、2回目の展示となる。

展示構成は、写真を保存・整理するために作成された「旧分類表」に基づき、「華北交通(会社)」「資源」「産業」「生活・文化」「各路線」のテーマ別のほか、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所が行なった雲岡石窟調査の写真も含む(調査費の半額を華北交通が援助した)。また、旧分類とは別に設定された「鉄道・列車」「民族」「教育」「日本人社会」「娯楽」「検閲印付写真」のテーマによる紹介は、華北交通写真のプロパガンダとしての性格に迫るものであり、興味深い。鉄道へのゲリラ攻撃を防ぐために、インフラの警備組織を沿線住民に担わせようとした「愛路」工作。一方、検閲で不許可とされた写真には、列車事故現場が生々しく写る。ロシアからの移住者、モンゴル人の各部族、ユダヤ教徒や回教徒(イスラム教徒)など、沿線範囲に住む民族の多様性。イスラム教徒の子どもにアラビア文字を教える教育場面や、「愛路婦女隊」のたすき掛けをした農村の女性に日本語や料理、看護を教える授業風景。「新民体操」と呼ばれたラジオ体操にはげむ子どもたち。グラフ雑誌『北支』の表紙には、優雅な民族衣装に身を包んだ若い女性、無邪気に笑う子ども、雄大な遺跡や仏閣の写真が並ぶ。これらは「帝国によって守られるべき」かつエキゾチシズムの対象であり、山岳に残る史跡を背に煙を上げて進む機関車を写した写真は、「前近代的時間」/「進歩・技術・近代」の対比を視覚的に切り取ってみせる。いずれも典型的な植民地プロパガンダの表象だ。


会場風景


会場風景

ほぼ同時期に、「満洲」で展開された写真表現を検証する展覧会として、2017年に名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展がある。同展で紹介された、満鉄が発行したグラフ雑誌『満洲グラフ』の写真は、モダニズム写真の実験性とプロパガンダとしての質が危うい拮抗を保って展開されていたことが分かる。本展もまた、写真とプロパガンダの関係のみならず、中国現代史、植民地教育史、民俗学、仏教美術研究など幅広い射程の研究に資する内容をもつ。

ただ惜しむらくは、展示の大半が引き伸ばした複製パネルで構成されており、現物のプリントはガラスケース内にわずかしか展示されていなかったことだ。元のプリントの鮮明さに引き込まれる体験に加え、70年以上の時間を経た紙焼き写真の質感、台紙の紙質や反り具合、キャプション情報や撮影メモの手書き文字、スタンプの刻印や打ち消し線などの情報のレイヤーといった、アーカイブのもつ「感覚的体験」「触覚的な質」が削がれた「資料展」然だったことが惜しまれる。


会場風景

また、展示構成のなかで、ウェブ上で全写真データが公開されている「華北交通アーカイブ」に触れられていても良かったのではないか。「華北交通アーカイブ」では、膨大な写真を撮影年や駅名別に検索できるほか、「機械タグ」のワードリストも載っている。ただ、画像自動認識による即物的なタグ付けで、アーカイブの潜在的な豊かさを開くことにどこまで貢献できるだろうかという疑問が残る。中立性の担保よりも、むしろ個別的な眼差しの痕跡を積み上げて可視化していくような試みが、ウェブ上のデジタル・アーカイブという場でできないだろうか。例えば、ユーザーがそれぞれの関心に従って「検索タグ」を多言語で追加できたり、その検索結果であるイメージの集合体を公開履歴として蓄積できるような機能。とりわけ、民族衣装をまとった中国人・モンゴル人女性や「愛路婦女隊」、「大日本国防婦人会」のたすき掛けをした和装の日本人女性など、ジェンダーやエスニシティの表象は、撮影者である「日本人男性」すなわち帝国の眼差しの反映であり、それらを多言語かつ複数の眼差しで読み解き、積み重ねていくことで、支配者の眼差しをズラし、相対化していくことにつながる。その時アーカイブは、複眼的かつ生産的な批評の営みの場となる。

華北交通アーカイブ:http://codh.rois.ac.jp/north-china-railway/

関連レビュー

異郷のモダニズム─満洲写真全史─|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

2019/03/02(土)(高嶋慈)

増山士郎「Self Sufficient Life」

会期:2019/02/15~2019/03/10

京都場[京都府]

アイルランド、ペルー、モンゴルの3ヵ国にて、現地の人々の協力と家畜から毛の提供を受け、伝統的な技術を用いて動物繊維加工品をつくる増山士郎のプロジェクトを集大成的に見せる個展。資本主義の発達したアイルランドで失われつつある伝統的な羊毛産業に着目した《毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む》(2012)、ペルーの高山地帯で放牧を営む家族の協力のもと制作された続編《毛を刈ったアルパカのために、そのアルパカの毛でマフラーを織る》(2014)、そしてモンゴルの遊牧民の協力のもと制作した完結編《毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍をつくる》(2015)の3作品が展示された。毛を刈り、梳き、糸車で紡ぎ、紡いだ糸を手編みや織機で布に仕立てるまでを現地の人々に教わる様子を記録した映像と、すべて手作業でつくられたセーターやマフラー、鞍、そしてそれらを身に着けた動物たちの写真でそれぞれ構成されている。セーターやマフラーは野趣あふれる佇まいながら、化学染料で染められていない優しく繊細な色合いが魅力的だ。


[撮影:曽我高明]


増山の3つのプロジェクトは、飄々としたユーモアをはらみつつ、資本主義社会や産業化と「コミュニティ・アート」、双方への批評的なアプローチを含む点に意義がある。牧畜や遊牧を営む「遠い」土地に赴き、家畜の毛を刈り、貨幣で代価を支払う代わりに、セーターやマフラーを編んでプレゼントする。伝統的なスローな技術を用い、生産と加工を同じ場で連続的に行なう振る舞いは、近代産業化や大量生産に対する批判的応答である。

また、生産物を相手に「贈与」する振る舞いは、「アーティストがコミュニティに入り、現地の素材や技術を用いて、現地の人々とともに作品をつくる」昨今の流行に対し、「アートによる一方的な搾取ではないか」という批判がなされることへの応答でもある。さらに増山の「贈与」の相手が、現地の人々ですらなく「(毛の提供者すなわち二重の「搾取」の対象である)動物」である点に、ユーモアに秘められたラディカルさがある。


[撮影:曽我高明]

2019/03/02(土)(高嶋慈)

「仮留(かす)める、仮想(かさ)ねる 津波に流された写真の行方」展

会期:2019/02/23~2019/02/24

ららぽーとEXPOCITY 光の広場[大阪府]

宮城県亘理郡山元町において、東日本大震災による津波に流された写真約80万枚を洗浄、デジタル・データベース化し、持ち主に返していくプロジェクト「思い出サルベージ」。被災写真救済活動のひとつのモデルをつくったこの活動から派生的に展開している「LOST&FOUND」プロジェクトは、損傷が激しく持ち主の判別が難しいと判断された写真を譲り受け、国内外の美術館やギャラリーでの展示を行なってきた。

「思い出サルベージ」と大阪大学の共同主催による本展では、持ち主への返却が難しい被災写真約8,000枚が展示された。企画者は、「関西災害アーカイブ研究会」のメンバーである3人の研究者(岡部美香(大阪大学人間科学研究科准教授)、溝口佑爾(関西大学社会学部助教)、高森順子(愛知淑徳大学コミュニティ・コラボレーションセンター助教))。これまでの「LOST&FOUND」の展示活動と異なり、本展の最大の特徴かつ挑発的な点は、開催場所がホワイトキューブではなく、あえて「ショッピングモール」という商業空間を選択したことだ。それは、いくつもの矛盾や裂け目がせめぎ合い、反発し合いながら、無数の意味の層と問いを連鎖的に生み出していくような場をつくり出していた。



会場風景

休日の買い物客でにぎわうショッピングモール。通路の交差する中央の吹き抜け空間。通常はライブやトークショーなどの華やかなイベントが開催されているであろうその広い空間に、約1m四方の正方形の低い台が並べられ、50枚ほどの写真がびっしりと敷き詰められている。そのほとんどはL判の家庭用プリントだが、激しい引っ掻き傷のように、あるいは焼け焦げた跡のように、画像は白く消え失せ、マーブル状に混じり合ったインクが画面を覆っている。一枚一枚に目を凝らすと、旅行先や結婚式、宴会、子どものスナップ、卒業式や運動会などの行事を写したと分かる写真もあれば、ほとんど真っ白に消失し、何が写っていたのか定かではない写真もある。

これらは「二重の痕跡」を刻印された写真である。被写体の人々の(多くは人生のかけがえのない瞬間の)記憶の断片であり、かつ津波を受けた痕跡を有すること。そして第二の「痕跡」が第一の「痕跡」を上書きし、かき消そうとしていくさまは、(被写体の多くが「人物」であるからこそ)彼らの身体に無残にも付けられた「傷」を否応なく想起させる。それは、「写真」であると理解しつつも、悪寒のように襲ってくる直感的な想像である。

ここに、写真(紙焼き写真)が写真であることの本質的な矛盾が顔を出す。それは、誰かの記憶が焼き付けられたイメージであり、時に本人の存在と等価にまで近づき、同時に物質でもある。ほぼ真っ白になった写真であっても、洗浄と保管の対象となる。被写体が何か/誰であるかにかかわらず、ただ「写真である(あった)」という一点のみが、これら無数の被災写真の「救済」を等しく支えている。

また、一枚一枚の写真に目を通していくうちに、「被写体の人物の顔が消去されている」という共通点に気づく。「持ち主への返却が難しい」理由のひとつはここにある。それは、「固有の顔貌の消去」という暴力的な事態を想起させる一方で、「写真を見る者が自身の記憶をそこに投影し、代入できる想像的余白」としても働く。



会場風景

同時にそこには、「傷、トラウマ、時制(の混乱)」をめぐるメタフォリカルな事態を読み込むこともできる。写真の表面を覆う津波の痕跡は、過去に起きた出来事の傷痕でありつつ、写された人々は今も渦巻く水に飲み込まれ、炎に包まれているように見える。それは、「受難の瞬間を凍結された現在」という矛盾した時制を生き続ける。

一方で、これらの被災写真が美の観想のための場ではなく、「ショッピングモール」という空間に置かれることで、さらなる意味の層が輻輳的に発生する。ポジティブな側面としては、展示目的でない通りがかりの来場者も巻き込み、ホワイトキューブにおける「展示」が暗黙のうちに要請する「厳粛な気持ちで見なければならない」という倫理的要請や心理的バリアを解除し、あるいは「美的なものとして眼差してしまう」罪悪感を和らげるだろう(例えばホワイトキューブでの展示は、絵具の飛沫が飛び散ったような被災写真を、ゲルハルト・リヒターの《オーバー・ペインテッド・フォト》に重ねる視線を誘発しうる)。その一方、「ショッピングモール」という消費資本主義の象徴空間に異物として置かれることで、これらの写真は、「消費の快楽と忘却、不快なものの排除」という消費資本主義空間の暴力性に晒されてもいる。館内アナウンス、各店舗から流れる大音量のBGM、買い物客のざわめき、子どもの歓声……。周囲のノイズが絶えず観想を妨げ、音響が剥き出しの暴力として襲ってくる。それは、「ショッピングモール」という具体的な場のみならず、東京オリンピックと大阪万博へと向かう日本社会全体を覆い尽くそうとする明るくも暴力的な力であり、その意味でこれらの写真は「津波」に続く「二度目の暴力」に今まさに晒されているのだ。

「写真を元の持ち主に返す」目的で出発し、個人の宛先を想定した活動の過程で、持ち主不明となった写真が次第に集合体を形成し、保管や展示の対象となり、一種の公共財として次第にアーカイブ的な性質を帯びること。「個人的な思い出」として完結していた存在が、公共空間での展示により、上述のような複数の意味の層を発生させ、問題提起し始めること。アーカイブは静的な場ではなく、読み取る視線によってこそ活性化し、内部で変容を遂げていくのだ。

この点において本展は、通行人をも注視する眼差しに変える、いくつかの秀逸な仕掛けを用意していた。まず、壁によって境界画定された場ではなく、出入り自由なオープンな場に、水平の平台を仮設的に設置したこと。台の「低さ」も意図的な選択だ。近づいてよく見ようとする者は、必然的に屈みこまねばならない。「屈みこむ」という身体的なアクションが、注視の姿勢へと誘う。「低さ、見にくさ」というハードルは、むしろ見る者の能動的な関与を引き出す触媒として作用する。そして、鑑賞者は、「気に入った(気になった)写真を1枚だけ選び、ポラロイドカメラで撮影し、現像を待つ間、スケッチブックにコメントを書き込む」ように勧められる。ポラロイドカメラの手軽さ、記念撮影的な楽しさ、写真を貼るマスキングテープやカラフルなペンも用意され、参加する人も多かった。それぞれの視線で切り取られた展示の記録と言葉が、スケッチブックに蓄積されていく。


「1枚だけ選んでよい」という仕掛けも秀逸だ。自分の記憶と重なるような写真、感情的に揺さぶられた写真、色合いが「美しい」と感じられた写真……。自分にとって何かを訴えかける写真を選ぼうと一枚一枚に目を凝らす鑑賞者は、「流された写真を探す」被災者の目線を擬似的にトレースし、追体験するようになる。それは、「他人の撮ったアマチュア写真を見る」という経験につきまとうバリア(無関心や退屈さ、他人のプライベートを覗き見する気まずさ、倫理性、被災者/非当事者という距離)をゆるやかに解除し、元のアルバムから引き剥がされて「津波の被害を被った写真」としていったん一般化・集合化されたものを、再び個別的な唯一無二の存在へと回帰させていくのだ。また、「ポラロイドカメラで複写する」行為は、「記憶に留めたいものを写真に撮ることで、イメージの世界に結晶化させる」、すなわち自らの手中に留められないものを永遠化するために写真を撮るというささやかな欲望が、これらの膨大な写真を撮った人々と同様、自身の内にも内在することを再確認するだろう。

「災害の記憶の保存と継承」から出発し、写真論的な観点(写真の抱え込む複数の矛盾の開示)、アーカイブの機能、展示装置、社会批判、記憶の分有の可能性といった幅広いトピックスについて示唆的な問いを投げかける、極めて意義深い企画だった。

2019/02/24(日)(高嶋慈)

DANCE PJ REVO『STUMP PUMP』

会期:2019/02/23~2019/02/24

ArtTheater dB KOBE[兵庫県]

NPO法人DANCE BOXが今年度より新たに開始した「アソシエイト・アーティスト/カンパニー制度」。ダンサーやカンパニーと3年間にわたって協働し、作品づくりを継続的にサポートする事業である。アソシエイト・カンパニー枠では公募を行ない、田村興一郎が主宰するDANCE PJ REVOが選出された。

客入れの段階で既に、男女7名のダンサーが行き交いながら個々の身振りを立ち上げようとしている。動きの萌芽を探ろうとするような、身体をほぐそうとするような、何かを地面から持ち上げるような身振りが、雑踏のざわめきのように現われては消えていく。ノコギリで木を切るようなノイズと、黒ずくめの服装に黒手袋といういで立ちが、肉体労働の現場のような印象を与える。



[撮影:岩本順平]

前半は、ノコギリの音とトラックの走行音が響き続けるなか、彼らは淡々と、「何かを持ち上げる」「運ぶ」「上へ上へと積み上げる」という動作に従事し続ける。だが彼らのいる世界は秩序の建設と同時に崩壊の力に支配されており、作業を遂行中の彼らは突然空気を抜かれた風船のように、力なく床に倒れこむ。横たわった身体に、別の仲間が手を差し伸べると、見えない磁力に引っ張られるように、手が直接触れることなく、倒れた身体が起き上がる。あるいは、倒れた身体は、丸太を転がすように、足の裏でゴロゴロと転がして運ばれていく。モノに働きかける身体と、モノのように扱われる身体。機械的な作業にただ従事し続ける自動化された身体と、物体に還元された身体。その両極を行き来し続けるダンサーたちは、全員がユニフォーム的に統一された衣装を着用していることも相まって、男女の性差を消去され、個性を剥奪された匿名的な身体の様相を帯びてくる。

作業に従事するロボット化した身体と、モノ化した身体との両極が際立つのが、中盤だ。バックヤードの扉が開けられ、段ボール箱が続々と舞台上に運び込まれていく。林立するビル群のように、あるいは視界を塞ぐ壁のように、積み上げては次々と組み換えられていく段ボール箱。電池の切れた機械のようにフリーズしたダンサーの頭上にも、段ボール箱は容赦なく積み上げられていく。危ういバランスで積まれた段ボールのタワーが崩れると、呼応するかのようにダンサーの身体も倒れ込む。あるいは、自ら段ボール箱を頭にかぶり、倒れ込んで機能を停止させる者も現われる。スピードの加速がリズムを生み、交通と運動のベクトルが錯綜するほどに、無機的な「作業」が「ダンス」へと接近していく。その様相を眺める楽しさとともに、ここには、巨大な機構の一部と化した身体/建設と(自己)崩壊を繰り返すタワーや壁/耐えきれず自ら機能停止する身体、といった現代社会批判のメタファーも読み込める。



[撮影:岩本順平]

ただ、後半はやや失速した感があった。通常は照明や音響など裏方の作業ブースを「舞台の一部」として用い、螺旋階段の柱を数人で儀式のように叩く、赤い天狗のお面をかぶった者が現われるといったシーンが展開されたが、アイデアの提示段階に留まり、作品全体との有機的な結びつきや説得力が弱いように感じられた。当日パンフレットによれば、新作のリサーチのため、昨年夏の台風災害の被害を受けた京都北部の鞍馬に行き、倒木が線路や民家に倒れた被害状況や撤収・伐木作業を目の当たりにしたという。天狗のお面は「鞍馬」からの発想だろう。

また田村は、「当事者ではないという倫理的な葛藤を抱えつつ、社会問題と結びついたダンス作品を作りたい」「倒れても何度でも立ち上がる、前向きな思い」について当日パンフに書いている。「倒れても何度でも立ち上がる」、それを肉体への負荷として提示した作品として、例えば、昨年11月に上演されたMuDA『立ち上がり続けること』が想起される。私見では、MuDAの場合、「身体的な負荷によって逆説的に輝き出す身体」とか、「倒れても倒れても立ち上がり続ける生命の力強さ」といった物語をあえて排除することで、「身体」が、スポーツ観戦や災害復興に顕著な(資本や国家、共同体の)物語へと回収され、搾取されることに対して「抵抗」を示していた。物語性を排除するか、社会的意味を積極的に付与しようとするか、どちらの態度が良い/悪いというのではない。ただ田村作品の場合、「コンセプト」として書かれた文章(の「正しさ」)と実際の作品から受ける印象との齟齬や、説明がなくても感取される段階にまで身体が追いついているか? という疑問が残った。「アソシエイト・カンパニー制度」はあと2年続く。次回、同じ劇場でより進化した姿を見たい。

関連レビュー

MuDA『立ち上がり続けること』|高嶋慈:artscapeレビュー

2019/02/23(土)(高嶋慈)

共創の舞踊劇『だんだんたんぼに夜明かしカエル』

会期:2019/02/17

ジーベックホール[兵庫県]

奈良市を拠点に、障害のある人の表現活動を支援している一般財団法人たんぽぽの家。2004年には、たんぽぽの家アートセンターHANAがオープン。制作のためのスタジオ、展示ギャラリー、カフェやショップも備えたコミュニティ・アートセンターであり、約60名の障害のある人が、絵画、手織り、書、陶芸、パフォーマンスなどに取り組む。2011年からは、ジャワ舞踊家の佐久間新を招き、月2回の「ひるのダンス」を行なっている。90分間、すべて即興ですすむ「ひるのダンス」には、障害の内容、年齢、性別もさまざまなメンバーやスタッフが参加するとともに、福祉関係者、学生、アーティストなども見学に訪れる。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、障害者による芸術文化活動への支援体制が整備されるなか、文化庁の事業に採択され、今回初めて「舞台作品」としての発表が行なわれた。



[撮影:草本利枝]

客席と段差がなくフラットな舞台上には、大・中・小3つのフロアマットが敷かれ、ピアノとガムランのブースが設えられている。冒頭、アドバイザーであるダンサー・振付家の砂連尾理が登場し、挨拶と出演者の紹介を行なう。その傍らで既に、ゆらゆらと手を振る中年男性の動きを、向き合う佐久間が鏡合わせのようにマネし、ダンスの時間が立ち上がり始めている。いや、それは既存の「ダンス」というよりも、全身、声、表情を使った濃密な身体的コミュニケーションの時間であり、(他人に見せるためのダンスや決まった振付の習得ではなく)相手との関係性をつくる、その場にいることを肯定する、非中心的かつ多中心的な場の生成に向けた時間である。相手の動きの断片を拾ってマネし、投げ返す。キャッチボールのような交通が生まれると、とことん没入してみる、少し距離を取って眺めてみる、さらに別の動きにどういけるか探ってみる……。

「声」「言葉」も重要な表現要素だ。例えば「シッチャカメッチャカ」と誰かが発すると、口々に発声が連鎖的に広がり、音の連想が「カムチャッカ」という言葉に展開する。「シッチャカメッチャカ、カムチャッカ」と言い合うリズムにノる身体たち。

あるいは、佐久間がカエルのように飛び跳ねると、たちまちカエルの群れが発生し、「グワッ」「ココココ」「シャウシャウ」といったカエル語が口々に飛び交う。インドネシアのバリ島で行なわれる「ケチャ」を模したものであり、ガムランやケチャ、中盤には影絵芝居のシーンもあるなど、インドネシアの伝統芸能のエッセンスが取り入れられていた。また、自主保育グループの子どもたちがゲスト出演するシーンもあった。



[撮影:草本利枝]

このように、たんぽぽの家アートセンターHANAのメンバー(以下、たんぽぽメンバー)と佐久間の活動を紹介するという点では意義深い公演だが、いくつかの疑問も残る。
1)「ディレクションの介在」の必要性。違和感の一例を挙げると、何回か発せられた「やめてほしー」という言葉。その場で自然発生したアドリブではなく、(数回は)外部から参加した健常者のダンサーが発声していた。おそらく、普段の現場で、苦手な音や状況に反応したたんぽぽメンバーが発した言葉を拾い、「タイミングを図って発声する」演出上の指示があったものと思われる。だが他の言葉と違い、言葉遊び的に変換されず(例えば「ほしー」→「ほししいたけ」とか)、「膠着した空気を変える」強制力としての機能を担わされていた。「障害のある人と共につくる」作品が「ポジティブさ」を前景化する傾向に陥りがちななか、唯一否定的な異義申し立ての声として異質さが際立っていただけに、出演者のたんぽぽメンバーがその場で実感したことの表出ではなく、「演出」の一環であったことに疑問が残る。この疑問はさらに、普段のワークショップでやっていること(の豊かさ)をシンプルに見せるという方法をなぜ取らなかったのか、「作品」としてパッケージングすることの必要性への問いへとつながる。

2)「ポジティブさ」の肯定や前景化。例えば、「掌で水を掬い、相手の手に手渡す」動きのシークエンス。中盤では、白いシーツのような布をはためかせ、身体に巻き付け合う。それは赤ん坊をくるむ布とともに死骸を包む布も想起させ、「命の誕生と終わりを包む布にみんな等しく包まれている」というメッセージを提示する。そこに、一人ひとりが生まれた月日、時刻、病院名、出生時の状況(未熟児、肌が紫色だったなど)が読み上げられ、母親に「産んでくれてありがとう」と言う詩の朗読が重なる(ただしこの詩は後半、「なぜ母親と同じような(子どもを産める)身体ではなかったのか」という内容に変わるのだが)。もちろん、「命の肯定」というメッセージは重要だが、「ポジティブな要素しか(作品として)表に出さない」傾向は、その背後にある排除と表裏一体である。

3)「劇場」「作品」という制度。上述の1)とも関連するが、「普段のワークショップでやっていること」を、「作品」という枠組みで見せることにどこまでの必然性があるのか。「普段のワークショップ」と「観客に見せること」の隔たりを、ディレクションでカバーし、「作品」としての強度を高める方向に振り切るのか。あるいは、(弛緩した時間のリスクを背負ってでも)なるべく普段に近い状態で見せる、そのために必要な設えや配慮を突き詰めるのか(いわば影に徹したディレクションの要請)。神戸公演では車イスの観客も多く、上演中に客席から言葉にならないさまざまな「声」が漏れていた。その「声」にどこまで反応するのか。「劇場」という場は、「舞台」と「客席」を切り分け、ノイズを排除してしまう。普段の活動を「作品」として「劇場」に持ち込んだ時に不可避的に被る変容に対して、「演出家」としてどう対応するのかが問われている。

「障害のある人」「子ども」「インドネシアの古典芸能(舞踊、語り、音楽、儀礼の複合的な結びつき)」「カエル(動物化)」など、「コンテンポラリーダンス」にとっての「外部」がそれぞれ異質なレイヤーとして持ち込まれているが、ディレクションしようとして空中分解している印象を受けた。意義とともに、「劇場」という制度や助成金を含め、今後のあり方を考える上で肯定的な課題を浮上させた公演だったと思う。

2019/02/17(日)(高嶋慈)

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