2019年08月01日号
次回9月2日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

四國五郎展─シベリアからヒロシマへ─

会期:2019/04/26~2019/07/20

大阪大学総合学術博物館[大阪府]

ソーシャリー・エンゲージド・アートの世界的潮流、国内的には3.11以降の反核運動や、アートと社会運動の接近といった観点から、近年再評価の進む画家、四國五郎(1924-2014)。「シベリアからヒロシマへ」という副題が示すように、広島で生まれた四國は、シベリア抑留を経験し、帰郷後に弟の被爆死を知り、峠三吉らと反戦文化運動に詩画人として参加した。街頭でゲリラ的に展示した、詩と画からなる『辻詩』や、峠三吉の『原爆詩集』をはじめとする数々の書物やサークル誌、『絵本 おこりじぞう』などの表紙絵や挿絵を手がけるとともに、自身のシベリア抑留体験を元にした絵画や「ヒロシマ」を主題化した絵画を制作した。また、1974年にNHKが「市民が描いた原爆の絵」を募集した際には、自らの被爆体験を描くよう番組内で呼びかけを行なった。本展では、現存する『辻詩』8点すべてが展示されるとともに、油彩作品、表紙絵や挿絵の原画、それらを用いた書籍やサークル誌、シベリアから密かに持ち帰った極小の豆日記など各種資料が展示された。



会場風景

本展を通覧して、考察すべきポイントとして浮上したのは、1)「意図的な時空の混在」と主体性の回復の願望、2)「ヒロシマ」の表象とジェンダーの問題、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性、の3点である。

まず、1)異なる時空を意図的に混在させて描く絵画の「嘘」は、四國自身の「主体性」の位置付けや回復の願望と密接に関わっている。例えば、後年の1990年代になって描かれた、シベリア抑留体験を絵画化した作品群では、捕虜として連行される光景や埋葬者を運ぶ光景を「写生する私」が、同一画面内に描き込まれる。「写生する私」の周りには、同じくスケッチする者やカメラを構えた者、ただ眺める者も描かれており、約50年という時間的隔たりと歴史としての客観化を冷静に承認する。一方、そこには、西洋古典絵画において「絵筆とパレットを手にした自画像」を画中に描き込む操作が、画面全体の支配者として画家自身を特権的に位置付けるように、非人間的な状況から、「見る主体」としての(尊厳の)回復が企図されている。

一方、「ヒロシマ」の絵画群では、時空の撹乱の操作は別の意味を帯びてくる。例えば、《「ヒロシマ」写生する兄弟》では、川面に映る原爆ドームの反映像を背に、キャンバスに向かう四國と弟が並んで描かれる。弟は被爆時を示唆する国民服を着た若い青年像であり、彼の向かうキャンバス裏面には「1945.8.6」という日付が描かれている。対して四國は老年にさしかかっており、キャンバス裏には「1996」という制作年が描かれる。「1945.8.6」で静止したままの時間と、約50年後の「現在」とのありえない混在。それは、凍結した過去の時間をトラウマ的に抱えたまま生きる、サバイバーとしての事後の生の時間感覚を視覚化したものだと言える。

だが、弟を原爆で失ったとはいえ、四國自身は直接原爆を経験した訳ではない。そうした非当事者性の負い目を抱えつつ「ヒロシマ」を描くことのジレンマを表わしたのが、死者の「名札」に自らの名前を描き込むことで、「死者たちとともにある」ことを表明した絵画作品である。原爆資料館に展示された「被爆死した少年の制服」や、《ヒロシマの母子8月6日午前8時00分》において母と並ぶ幼い少年の胸に付けられた名札には、「四國五郎」と描かれており、彼は異なる年齢層の少年の姿を借りて、(絵画というフィクションのなかで)既に死者となり、あるいはわずか15分後には死者の世界に入るのだ。

だがここで、展示された「被爆死した少年の制服」の隣にはセーラー服の少女が立ち、幼い少年は弁当包みを抱えた母親と並ぶように、ジェンダーの対比構造が四國作品に通底することに注意しよう。「(固有名を与えられた実体的存在としての)犠牲者」として描かれる男性表象は、「(被爆死した)弟」と「(フィクションとしての)四國自身」に限定される一方、「匿名的な犠牲者」「平和への希求」として大多数を占めるのは、少女像(+鳩や折り鶴)と母子像である。匿名性や普遍化は、「無垢なる犠牲者」「ピエタの変奏としての犠牲のイメージ」と結びつき、2)「ヒロシマ」の絵画表象を駆動させるジェンダーの力学について再考を促す。



左:《広島原爆資料館》(1975)、右:《ヒロシマの母子8月6日午前8時00分》(1976)

最後に、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性について指摘したい。「実際には見ていない、実体験ではない」光景を、迫真のリアリズムでもって描き出し、見る者の心を揺さぶる―ここに、右/左、戦意高揚/反戦の方向性こそ正反対だが、戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性をみてとった時、震撼せざるをえない。四國の「再評価」にあたり、「ヒロシマ」の表象史を社会運動との関わりから捉え直す視座とともに、情動を動かすイメージの力が政治と結託するポリティクスと、そこに内包されたジェンダーの問題について、改めて問われるべきだろう。

2019/06/15(土)(高嶋慈)

第44回 木村伊兵衛写真賞受賞作品展
岩根愛「KIPUKA」

会期:2019/06/13~2019/06/19

ニコンプラザ大阪 THE GALLERY[大阪府]

写真集『KIPUKA』(青幻舎)で第44回木村伊兵衛写真賞を受賞した岩根愛の個展。ハワイの日系移民とそのルーツの福島県民、時間と故郷を離れて両者をつなぐ「盆踊り」を基軸に、日系移民の墓やポートレートなど厚みのある写真群が展示された。

2006年にハワイに行った岩根は、生い茂る熱帯の植物に埋もれた「移民墓地」を見たことをきっかけに、ハワイの日系文化に関心を持つようになったという。サトウキビ農業と砂糖産業に従事するため、戦前、多くの移民がハワイへ渡ったが、産業の衰退とともに廃れた居住区や墓地が残されている。一方、「相馬盆唄」がベースである「フクシマオンド」をはじめ、各地の盆唄と踊りは継承され、毎夏の盆祭りで「ボンダンス」として熱狂的に踊られている。墓地の場所、家族史、移民が当時使っていた撮影機材など、インタヴューやリサーチを重ねた岩根は、ハワイに通いながら12年間撮り続けた。



[©️AI IWANE]


その写真作品は、時間的/空間的に幾重ものオーバーラップで構成される。空間的なオーバーラップを見せるのは、パノラマ撮影された、ハワイの移民墓地と震災後の福島の光景。溶岩流の流れた大地や砂丘に建つ墓碑は、斜めに傾げたり、頭だけがかろうじて見え、津波に飲み込まれた瞬間のまま凝固したように見える。あるいは、草が生い茂り、荒れ果てた墓地の光景は、帰宅困難区域内のそれを否応なく連想させる。

一方、時間的なオーバーラップは、撮影機材や演出の操作によってもたらされる。上記のパノラマ写真は、当時の移民が葬儀の参列や行事を記念する集合写真などの際に実際に使っていた、大型のパノラマカメラを用いている。回転台に載った箱型カメラが360度回転し、2mのフィルムに焼き付けて撮影する。過去に彼らを写した装置で現在を写す、すなわち過去の「目」を通して現在を見る。この撮影手法を用いて、ハワイの「ボンダンス」と福島の盆踊り、それぞれが「乱舞する無数の手のイメージ」として切り取られた。また、かつて日系移民が働いていたサトウキビ畑に、モノクロの家族写真を夜間に投影して撮影した写真では、現在と過去の二重写しのうちに、亡霊のようなイメージが浮かび上がる。かつて彼らが働いていた場所に今も生い茂るサトウキビは、彼らの皮膚や衣服を美しい模様のように染め、イメージの皮膜に実体的な濃淡を与えつつ、その葉の重なり合いは、輪郭や目鼻立ちといった固有性をかき消していくのだ。



[©️AI IWANE]


地道なリサーチに基づき、当時の機材や古写真を用いつつ、フィクショナルな操作を加えてイメージとして具現化する。ここでは、イメージの「創造(捏造)」を通して、いかに(自分自身とは直接地続きではない)過去や他者の記憶に接近できるかが賭けられている。

ただ、上述の、ハワイの「ボンダンス」と福島の盆踊りを捉えた写真では、それぞれレンズにカラーフィルタを付けて撮影し、ハワイ=「赤」/福島=「青」という対照的な色に染め上げた演出に疑問が残った。ハワイの「ボンダンス」は、両手を合わせた形が祈りを思わせ、「赤」という色が彼らの奔出する熱気やエネルギーを強調する。一方、太鼓のバチを握った無数の手の蠢きとして切り取られた福島の盆踊りは、「青」に染められることで、「(震災の)死者を迎える、深い哀悼」という読み取りを誘う。両者のパノラマ写真は、背中合わせで吊られて展示された。



(パノラマ写真の一部)[©️AI IWANE]




(パノラマ写真の一部)[©️AI IWANE]


こうした「色分け」や対比性には分かりやすさの反面、ある種の暴力性を感じた。「移民」は、単純にカテゴライズされたアイデンティティからの逸脱や流動性をもつ存在だが、カラーリングによる「レッテル化」は、固定化の操作という点で暴力的であり、「こちら側/彼ら」を分断して見せてしまう。だが、どちらが「ハワイ」でどちらが「福島」なのか判別不可能なほどに、混在させて見せてもよかったのではないか。カラーリングや対比性の強調は、「私たち」と「彼ら」、「日本人」と「日系人」といった線引きの構造と密かに通底してしまう危険性を持っている。だが、歌や踊りとして身体化された記憶の継承や、故郷から(国家政策によって、あるいは災害によって)強制的に隔てられたという点では、両者は同質性を持ち、岩根の狙いもそこにあったはずだ。同質性の過度な強調、すなわち「同じ日本人の血やルーツだ」という本質主義に陥る危険性を回避しつつ、表象がどこまでも政治から逃れられないことを自覚的に引き受ける態度が要請されている。


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岩根愛「KIPUKA」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年11月01日号)

2019/06/13(木)(高嶋慈)

九条劇「エコー」

会期:2019/06/07~2019/06/08

九条湯[京都府]

浜辺ふうによるソロの演劇ユニット「九条劇」の第2回公演。在日コリアンが多く住む京都の東九条で幼い頃から朝鮮半島の伝統芸能文化に親しんで育った浜辺は、「日本人」としてはマジョリティに属するが、身体化された文化は朝鮮半島のそれであるという自身が抱える葛藤や日本社会への違和感を主題化している。自伝的要素が強かった1人芝居の第1回公演を経て、今回は2人芝居の形式を採用。人の移動や多文化のルーツを主題とする演劇ユニット「BRDG」の山口惠子を共演者に迎えた。



[撮影:中山和弘]

「エコー」の粗筋は、再会した小学校の同級生2人が、「この地域の語り部になってくれ」という恩師の言葉を「宿題」として引き受け、子供時代の回想、人情味溢れる地域の人々の言葉、ヘイトへの怒りを織り交ぜながら、地元の祭りで地域について紹介する「漫才」を披露するというものだ。劇中劇として「漫才」を設定しているように、随所に笑いを散りばめ、ノリとテンポのよい関西弁のやり取りで展開され、肩肘張らずに見られる。また、あちこちにある「フェンスで囲まれた空き地」は、「猛獣(のようなキャラの濃い人)を閉じ込める檻かと思った」というように、負の側面も笑いにくるんで昇華される。一方、「朝鮮半島の文化に理解のある『優しい日本人』」として見られることへの違和感や葛藤、「在日のアイデンティティは多様化しているのに、なぜ日本人のアイデンティティは更新されないのか」という怒り、「とってつけた多文化共生ではない」という誇りは、自身の経験に裏打ちされた真摯な叫びとして響く。


前回の公演と同様、自伝的要素の強い作品だが、演出的には大きく前進した。そこには、「元銭湯」という場所の力も大きく作用している。廃業した銭湯をレンタルスペースとして活用している「九条湯」は、唐破風の玄関に迎えられ、脱衣所の格天井、装飾豊かなタイル張りの浴室など、格式と歴史を感じる空間だ。とりわけ、演出面で戦略的に用いられたのは、男湯/女湯を分ける「壁」である。それは、子供時代の秘密基地ごっこの(簡単に乗り越えられた)壁、「日本人/在日」といった国籍や民族で分ける壁、劇中で歌われる「イムジン河」が示唆する北/南を分断する壁であり、さらに誰の心にもある心理的な境界線のメタファーとしても機能する。もしこの「壁」が、「舞台美術」として舞台上に作った仮設壁であれば、あくまでフィクションとしての人工的な作り物感に留まっただろう。だが、銭湯という、この地域の人々の生活のなかにあった、物としての存在感を感じながら、「壁」の持つ意味が何重にも多重化される観劇体験となった。また、脱衣所の鏡張りの壁は、しばしば俳優がそれに向き合って発話することで、「自分自身の反映像を見つめる」すなわち国籍、民族、(多)文化、地域といった自らのアイデンティティについて問うテーマを浮かび上がらせる。奥のタイル張りの風呂場から聴こえる声の反響(「エコー」)もまた、主題を音響的に補足する。

前回同様、自分自身について(しか)話さない、話せないという態度は作り手として誠実であり、とりわけ終盤での吐露は、演劇作品・フィクションであることを越えた切実さで胸に迫る。一方、「現代演劇」の観客には、愚直なまでの浜辺の態度は、ストレートすぎて「ベタ」だと映るだろう。この「分かりやすさ」は、「上演場所」「観客層」とも関係している。前回同様、上演会場は東九条の地域内に位置し、ブラックボックスの劇場ではない(カフェやコミュニティスペース)。「地域を扱った作品をその地域で上演する」という、地域密着や地産地消的なあり方は意義がある一方、観客とは(物理的にも心理的にも)距離が近い。前回の公演においても、客席の多くは地域住民か顔見知りと思われ、上演開始前から「第四の壁」を崩して客席にフランクに語りかける、歌や打楽器のリズムに合わせてかけ声や手拍子を要請する、客席から温かい声援がかかるなど、身内的な雰囲気に包まれた上演だった。



[撮影:中山和弘]

だが今後、浜辺のユニットが上演を重ねて成長していく過程で、「地域外」に出る段階を迎えることは必然だろう。東九条という地域について知らない観客や単に現代演劇のファンに向けて上演する──その時、笑いにくるみつつ「怒りと苦しさを分かってほしい」というストレートな訴えや自分語りから、どう「外」の目線を意識し、作品としての洗練度を高めていくのか。これからの課題を期待とともに記したい。


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九条劇『ウリハラボジ』|高嶋慈:artscapeレビュー

2019/06/08(土)(高嶋慈)

ジェン・ボー「Dao is in Weeds 道在稊稗/道(タオ)は雑草に在り」

会期:2019/06/01~2019/07/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

北京出身で、香港を拠点に活動し、ソーシャリー・エンゲージド・アートにおいて世界的に注目を集める作家、ジェン・ボーの個展。「植物、雑草」を基軸に、被差別部落、性的マイノリティ、植民地支配といった周縁化された事象に光を当てる作品群が展開された。


ジェンは本展に先立ち、京都市立芸術大学の移転予定地である崇仁地域で滞在調査を行なった。1階の展示室は寺子屋風の設えがなされ、かつて被差別部落であった崇仁地域の「歴史を学ぶ場」として、水路による「境界線」が描かれた古地図、文献資料、街歩きの写真などが閲覧できる。また、建築家、生態学者、文化人類学者、歴史学者、活動家、美術家などさまざまな専門分野の人々が参加したワークショップの成果物として、「水平社宣言」を「植物も含む全ての種の平等」に拡張して書き換えた宣言文も展示された(鑑賞者も「新たな宣言文の起草案」を書いて参加でき、「開かれた学びの場」が仮設されている)。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

一方、2階に展示された映像作品のシリーズ《Pteridophilia》(2016-)では、「植物」が、人間以外の生物種も含めて政治的意志決定の主体とみなす「生態熟議民主主義」の構成要員から、「性愛」のパートナーへと拡張される。作品タイトルは、「シダ」を意味する接頭辞「pterido-」と、「あるものに対する愛情または嗜好性」を意味する接尾辞「-philia」を組み合わせた造語。深い森のなかで、全裸の若い男性が、シダの葉を舌で愛撫し、葉の先端で自らの胸や性器を刺激し、激しい情交を交わす。シダが選ばれた理由は、受粉による受精やオス/メスの区別がなく、胞子による無性生殖を行なう「胞子体」が主体であるという特殊な生殖形態にある。《Pteridophilia》は、こうした「クィア」なシダ植物と「クィア」な人々との性愛を描くことで、ヘテロセクシャルという規範や人間/植物といった「種」の区別すら越境した、「新たな性愛のかたち」を提示した。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

だが、本作は、同じくシダを扱った《Survival Manual》(2015-16)と関連づけて見るならば、単にユートピア的なビジョンの提示に留まらない、別のさらなる政治性を帯びてくる。《Survival Manual》は、太平洋戦争末期の1945年3月に台湾で発行された日本語の本『台湾野生食用植物図譜』を、ジェンが手描きで模写した作品である。台湾でシダは、原住民に重要視された植物である一方、戦時中は日本軍が、終戦後には中国本土からの国民党が、食糧難に備えてシダを食用植物として用いた。こうした歴史を念頭において《Pteridophilia》を見るとき、オーガズムの高まりとともに口に含んだシダの葉を食いちぎり、噛みくだき、飲み込んで体内に取り込もうとする男性の姿は、植民地支配がまさにカニバリズム的な欲望の表出やレイプに他ならないこと、欲望のままに相手を食らい尽くす行為であることを突きつける。それはまた、植物、とりわけ無性生殖の胞子体であるシダを用いることで、支配者=男性/被支配者=女性という、単純化されたジェンダーの支配図式からも逃れることに成功している。


だが、極めて残念なことに、《Pteridophilia》の展示にあたっては、「日本の性表現規制に基づき」という文言とともに、映像の一部が暗転され、音声のみで展示されていた。近年国内で相次ぐ表現の規制や炎上を考慮し、「リスク回避」を優先させた処置だと思われる。背景にはホモフォビアもあるのではないか。問題は、「誰がその判断を下したのか」「作家側から異議や抗議はなかったのか」といった経緯や責任主体の所在が不透明化され、ブラックボックス化し、暗黙のうちに「決定事項」となっていることだ。「開かれた」作品を見せる(見せて民主主義的な場を演出する)ことよりも、表現規制があったことについての情報やプロセスの開示と「議論の場を開く」ことこそが問われているのではないか。

2019/06/02(日)(高嶋慈)

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緑のテーブル 2017

会期:2019/06/01

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)1階KIITOホール[兵庫県]

ドイツ表現主義舞踊の巨匠クルト・ヨースの『緑のテーブル』(1932)に想を得て、ダンサー、振付家の岡登志子が創作したダンス作品。ヨースの『緑のテーブル』や公演の経緯についてはプレビュー記事で紹介したので、詳述は省く。『緑のテーブル』は、ヨースが残した「舞踊譜」に基づき、現在まで上演され続けているが、「譜面通りに伝えることだけが「作品の継承」か?」という問題提起が岡の作品には含まれる。シーンの構成やタンツテアター色の強い「配役」は岡作品でもほぼ踏襲されているが、「反戦バレエ」と言われるヨース作品をアップデートするにあたって岡が試みたことのひとつは、ナチスが台頭し始めた1930年代の時代状況を、現代の日本社会に読み替える演出である。例えば、「兵士」は、銃の代わりに目に見えないスマホやPCを操作する、サラリーマンの機械化した身体として表現される。また、彼の背後にだらしなく掛かる日章旗は右傾化や戦前への回帰を暗示し、プラカードの表/裏に表裏一体として描かれた日の丸/星条旗が掲げられる。

だが、それ以上に戦略的に感じられたのは、固定的なジェンダーの枠組みに対する批判的な撹乱である。その試みは、一方では成功しつつ、他方では限界を露呈させてもいた。

ジェンダーの撹乱の操作がなされるのは、「政治家」と「娼婦」による2つの群舞のシーンである。ヨースによるオリジナルと同様、冒頭と終盤、会議の「テーブル」を囲んだ「政治家」たちは、同調と牽制の攻防の身振りを繰り広げる。揃いのネクタイ姿にサングラスというユニフォーム的統一性とユニゾンは、彼らの同質性(ホモソーシャルな連帯性)を強調する。この7人の「政治家」には、一人だけ女性ダンサーが混じっているが、「彼女」の存在は、ユニフォームと身振りの同質性のなかに回収されてしまう。また、中盤で享楽的なダンスを繰り広げる「娼婦」たちのシーンでは、華やかなワンピース姿の女性ダンサーのなかに、一人だけ男性ダンサーが混じる(しかも、黒人である「彼」は体格差もあってより目立ち、均質な集団のなかに「人種」という差異も付加される)。



[© Hidefumi Yoshii]


[© Hidefumi Yoshii]

「政治家」「娼婦」ともに「7名」という同数のうち、1名だけ異なる性別のダンサーが混じるという構成は、意図的な対称性を持たせたものだろう。それは、単に記号的操作の撹乱というだけでなく、女性政治家の進出や性産業に従事する男性など、実社会においてもイメージとしても少数派や可視化されにくい存在に言及するとともに、集団の同質性のなかに埋没してしまう事態についても触れている。

だが、ラストで「緑のテーブル」が出現する祝祭的なシーンには疑問を抱いた。政治家たちが囲むテーブルに、代わって登場したワンピース姿の「女性」たち(「娼婦」と、別に設定された「女たち」という配役が混ざる)によって、「緑に塗られた食器」が並べられ、平和の到来を思わせる「緑のテーブル」が出現するというシーンだ。ここでは、「平和」=「女性」という図式の反復に加え、食卓の配膳=女性たちにあてがわれた役割という点で、固定的なジェンダー観に対し、二重の反復と追従に陥っている(「平和」=「女性」という図式の虚構性については、例えば若桑みどりが指摘したように、戦時中も女性は表象と労働の双方においてさまざまな形で戦争遂行を担っていた)。

だが、彼女たちがテーブル/食卓に並べるものが、「プラスチック容器」「ペットボトル」「紙皿」であることに留意しよう。使い捨ての安価な素材でつくられたそれらは、「平和の到来」が、脆く永続しない、仮ごしらえの、チープなものであることを示唆する。であるならば、やはりそこには現代日本社会への批判的視線=80年以上前の作品を「現代」において上演することの同時代的根拠を読み取ることも可能だろう。



[© Hidefumi Yoshii]

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プレビュー:『緑のテーブル 2017』公開リハーサル|高嶋慈:artscapeレビュー

2019/06/01(土)(高嶋慈)

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