artscapeレビュー
高嶋慈のレビュー/プレビュー
呉夏枝「-仮想の島- grandmother island 第1章」
会期:2017/03/04~2017/03/25
MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w[京都府]
その出自と布や織物という扱う素材から、ディアスポラとフェミニズムの交差する地点に呉夏枝(お・はぢ)を位置づけることは難しくない。しかし彼女の作品は、図式的な理解に収まらない静謐な詩情を湛えている。
本個展では、「海に浮かぶ島」をモチーフとした染織作品が発表された。「島」のイメージの源泉には、祖母の出身地であり、呉自身も後年に訪れた韓国の済州島があるのだろう。だがよく見ると、織られた島のシルエットはそれぞれ異なり、単一の具体的な島の表現ではないようだ。織物自体が持つ、長い年月を経て受け継がれた古色のような風合いも相まって、それは遠い記憶の中で浮き沈みを繰り返す、おぼろげで到達できない地を思わせる。また、島と海に映る島影は、昼でも夜でもあるような境界の時間を生きているようだ。
「島」という言葉は、楽園的なイメージを持つ一方で、孤独や閉鎖性、非中心・周縁性といったイメージも想起させる。だが布に織られた島どうしは、空間を横切る何本もの糸でインスタレーションとして繋がり合い、閉じながらも半ばネットワーク状に開かれていることを示唆する。島から島への航路の軌跡や航海図を立体化したようにも見える。見る者の身体は、想像上の海の中を歩き回る。島から島へ、土地から土地への旅。垂れ下がった糸はまた、三つ編みのおさげ髪のように編まれ、女性の身体性(とその不在)も想起させる。織られた島は、不在の「彼女」の身体と繋がり、「彼女」の身体は確かに島の一部でもあるのだ。
本個展は、「grandmother island」という仮想の島の名を冠したプロジェクトの第1章として構想されている。本展の後、プロジェクトは、ワークショップや展覧会を重ねて、仮想の島やそこへつながる海路を見出していくという。これからの展開が非常に楽しみだ。
2017/03/25(土)(高嶋慈)
柳瀬安里 個展「光のない。」
会期:2017/03/07~2017/03/12
KUNST ARZT[京都府]
同ギャラリーで昨年12月に開催された「フクシマ美術」展で見て非常に気になっていた作家、柳瀬安里の初個展。「フクシマ美術」出品作の《線を引く(複雑かつ曖昧な世界と出会うための実践)》は、2015年夏、国会議事堂周辺の安保反対デモに集った群衆の中を歩きながら、道路に「白線を引いていく」パフォーマンスの記録映像である。「線を引く」シンプルな行為が、集団を撹拌し、人々の身体的な反応を引き起こし、擬似的な共同体の中に潜在するさまざまな境界線や差異を表出させてしまう。地震による亀裂という物理的な線、「原発20km圏内」や警察の規制線といった人工的な境界の恣意性、さらに当事者/非当事者の線引き、分断や排除の構造の可視化など、「線(境界線)」が孕む意味の多重性を提示する秀逸な作品だった。
今回の個展で発表された《光のない。》は、その発展形と言える作品。沖縄高江のヘリパッド建設工事のゲート前を、エルフリーデ・イェリネクの戯曲『光のない。』を暗唱しながら歩くパフォーマンスの記録映像である。イェリネクの戯曲は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故をきっかけに書かれたものだが、「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」による抽象的なモノローグという形式を採り、具体的な事故の描写はないものの、言葉遊びやメタファーが散りばめられている。また、「わたし/あなた」「わたし/わたしたち」という人称代名詞の多用も特徴だ。このテクストが、沖縄の高江でどのように響くのか。
柳瀬の作品《光のない。》では、現実から安全に切り離された劇場ではなく、現実の出来事が起きている路上で発話することで、抽象的で難解な印象のテクストが極めて生々しい意味を帯びて鮮やかに立ち現れてくる。「戯曲である」、つまり黙読ではなく、生身の身体によって「声」として発話されることで戯曲の言葉は受肉化され、初めて力を持つことが、十二分に示されていた。そこでは「白線」の代わりに、「わたし/あなた/わたしたち」という発話行為が、一人称/二人称、単数/複数の相違によって、風景の中に境界線を次々と浮かび上がらせる。「わたし」「あなた」「わたしたち」とは誰なのか? 指示内容の充填を待つ空白が、「歩行しながら暗唱する」柳瀬の身体的行為によって、さまざまな意味/主体が書き込まれては次の場面で更新され、絶えざる書き替えに晒されていく。
例えば、「わたしにはあなたの声がほとんど聞こえない」という台詞。「わたし(日本)にはあなた(沖縄)の声が聞こえない」と解釈可能だ。あるいは、柳瀬を無視し、無言で人間の壁をつくる機動隊員の姿が画面に映るとき、「わたし(機動隊員)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という二重性を帯びた発話となる。さらに、柳瀬の震える生身の声が、拡声器ごしのデモの演説や怒号、行き交う車両の騒音にかき消されるとき、「わたし(鑑賞者)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という三重の意味を帯びてそれは聴取されるだろう。また、伴奏をつとめる「第二ヴァイオリン」が「わたしはあなたに寄り添う」と告げるとき、「わたし(沖縄)はあなた(日本)に寄り添う」のか? 「わたし(日本)はあなた(米国)に寄り添う」のか? あるいは、柳瀬の後を無言で付き添う「わたし(機動隊員)はあなた(柳瀬)に寄り添う」のか? また、「異物はいつもわたしたちのなかにあった」という別の台詞がある。「わたしたち(日本)の中の異物(沖縄)」なのか、「わたしたち(沖縄)の中の異物(基地)」なのか?
ここでは、「暗唱しながら路上を歩く」柳瀬の身体的行為によって、戯曲の言葉と現実の風景が複数の層でリンクし、相互浸透し合うことで、解釈は常に多重的に揺れ動き、ひとつの位置に定位できない。さまよい歩く柳瀬の声は、イェリネクのテクストの多義性の発露を引き受けながら、いくつもの主体の間を憑依し続けるのであり、そこで露わになるのは、「わたし」という主体の固定の不可能性、「日本」という主体の曖昧さや不安定さである。そして「わたし/あなた」の決定不可能性は、分断と排除の論理が支配するあらゆる周縁化された場所/主体をめぐる名前と交換可能である。
このように本作は、書かれた戯曲のテクストが「声」によって受肉化され、現実の音や風景と物理的に「接触」することで、テクストに胚胎する意味をクリアに浮上/拡張させるとともに、現実の様々なレイヤーが複雑に揺れ動く界面を鋭く照射する。しかし一方で、受肉化された「声」は、現実(が立てる音)からの干渉を受けることで、ひとつの支配的な完全な声としては響かない。であるならば、対峙し耳をそばだてる者には、より慎重で繊細な聴取の態度が要請されている。
2017/03/12(日)(高嶋慈)
砂連尾理『猿とモルターレ』
会期:2017/03/10~2017/03/11
茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)センターホール[大阪府]
「身体を通じて震災の記憶に触れ、継承するプロジェクト」として、公演場所ごとに市民とのワークショップを通じて制作される本作。2013年に北九州で、2015年に仙台で上演され、今回の大阪公演は、市内の追手門学院高校演劇部とのワークショップを経て上演された。また、震災後の東北でメディアと記録活動に関わる作家の集団 NOOKとも協働。映像作家の小森はるかとユニットを組む画家で作家の瀬尾夏美は、「2031年」の想像上の陸前高田を春/夏/秋/冬の4つのシーンで描いた小説『二重のまち』を朗読した。また、映画監督の酒井耕は、自身も舞台に上がって時に群舞に加わり、出演者との距離を限りなくゼロに縮めながら舞台作品を記録した。
公演は、瀬尾を含む4人の女性出演者が「あの日」を振り返る雑談風のシーンで始まる。客席に向かってフランクに語りかけ、「第四の壁」の消失と観客の存在の肯定がなされるなか、背後ではスーツ姿の2人の男(ダンサーの砂連尾理と垣尾優)が黙々と、フラットな台を運び込み、積み上げていく。瀬尾の朗読が始まる。2031年春、「僕」が父親に連れられ、石碑の裏にある扉から地中に続く階段を降りると、そこは一面の花畑の中、消えかけた道路や家の土台が残る不思議な空間だった。それは、かさ上げ工事で埋め立てられる前の、震災の爪痕と生活の痕跡を残した「かつて」の町の姿だ。台を積み上げる男たちの姿が、かさ上げ工事とオーバーラップする。出来上がった「高台」の上にぶわっと被せられ、波のようにはためくブルーシート。本作はこうしたメタファーを随所に散りばめつつ、声と身体を駆使した圧倒的なパフォーマンスと反復の密度によって、構成の計算高さを吹き飛ばす強度を備えていた。
とりわけ何度も反復されるのが、向かい合った2人が握手して手をつなぎ、互いを強く求め合うゆえに、自分の方へ引き寄せようと引っ張る力が拮抗し、ギリギリのバランスが崩れた瞬間、手が離れて仰向けに倒れてしまうシークエンスだ。求め合う力が反発力に反転し、共倒れになる。このシークエンスが砂連尾と垣尾の2人のみならず、十数人の高校生たちが次々に行ない、地に横たわる死者たちへと擬態する。シークエンスの反復と、春から夏、秋から冬へと移りゆく時間。円陣の群舞が象徴する、円環的な時間。反復され、循環する時間と、二度と元に戻らない不可逆的な時間が交錯する。舞台を見ているうちに、時間軸が混乱をきたし、過去も遠い未来も渾然一体となった密度に飲み込まれそうになる。ここは遠い未来なのか、地底に埋もれた古層なのか。人間とも獣ともつかない、尾を引く不穏な声は、死者の嘆きなのか、生まれる前の赤ん坊の叫びなのか。
シークエンスの反復、時間の循環性と不可逆性に加えて、本作のもうひとつの特徴が、「声の憑依」と「発話の困難」である。砂連尾と垣尾はマイクを持ってテクストを朗読しようとするが、声は裏返り、かすれ、異物として喉から漏れる。相手の身体を背負って重みに耐えながら震え声で朗読するシーンは、「発話」の行為に負荷がかかり続けていることを文字通り体現する。また、圧巻なのが、舞台上の小舞台に銀色に輝く猫の仮装をした人間が立ち、その周囲をやぐらのように十数人が取り囲んで群舞する、後半のクライマックスだ。うめきとも泣き声ともつかない声で、絞り出すように朗読される小説の一節。よく見ると猫人間は口パクで、その背後から女性が操り人形の操者のように声を吹き込んでいる。召喚された死者の声のうめくような軋みと、憑依された者が声を発する苦痛。砂連尾と垣尾は仮面をつけ、高校生たちとともに盆踊りのような群舞が展開される。祭の狂乱に、「記録者」も身を投じる。(死者の)声の継承、声の憑依、仮面や仮装が象徴する人間ならざるものの到来、盆踊り=死者の魂を再び迎える儀式、共同体性、円環が象徴する時間の循環など、本作のキーワードが凝縮されたシーンである。
声の倍音的な重なりはまた、瀬尾のテクストの「一人称」の語りともリンクする。「私」「僕」は交換可能性に開かれており、その座は特定の固有名によって占められていないのだ。
この他にも、本作には忘れられない優れたシーンが数多くあった(くんずほぐれつしながら十数人が互いの「足裏マッサージ」を行なうシーン、孤独な独楽のように女性が回転し続けるシーンと、突然糸が切れたような中断など)。作り手の必然性を感じる、ものすごい密度の体験だったことは間違いない。「フィクションである(~のフリをする)、舞台上では誰も本当に死なない、ここに死者はいない」という前提と、「生きた身体が今ここにある」という身体的なリアルとの解消不可能な溝、つまり舞台・演劇のダブルバインドを「跳躍(サルト・モルターレ)」して架橋するという困難な試みに、本作は成功していたのではないか。
2017/03/11(土)(高嶋慈)
小田原のどか個展「STATUMANIA 彫像建立癖」
会期:2017/03/04~2017/03/19
ARTZONE[京都府]
「彫刻」と「台座」、「モニュメント」と具体的な場所との紐帯/切断といった問題を通じて、彫刻史や美学的な制度論への言及にとどまらず、戦後日本の潜在的な構造を批評的にあぶり出す、意欲的で秀逸な個展。小田原が近年、精力的に取り組んできた《↓》と、新作《空の台座》の2作品とともに、それぞれの作品制作にあたって文献資料のリサーチをまとめた論文2本も展示された。
展示会場に入ると、赤く光るネオン管でつくられた巨大な矢羽根がそそり立っている。壁面には、古い新聞写真や英字新聞を複写した写真が並べられ、そこに写った作品と同形の矢羽根には、「原子爆弾中心地」と書かれている。つまりこの矢羽根は、爆心地を「ここ」と即物的に指し示す記念標柱なのだ。小田原の作品《↓》は、長崎市松山町に1946年に建立され、48年に撤去された「矢羽根型記念標柱」を、原寸サイズで「再現」したものである。
モニュメントや建築の一部としてつくられた彫像が、台座すなわち特定の場所との紐帯を失ってノマド化し、ホワイトキューブ内に移行することで、「彫刻」としての自律性を保証されること。小田原の《↓》はひとまず、こうした近代彫刻史を批評的にトレースするものと見なすことができる。歴史的出来事の記念や人物の偉業を讃え、権威を可視化する装置としてのモニュメントは、事績と強く結びついた場所の固有性と切り離せないものであった。国家意識の醸成、帝国主義、啓蒙化が強まるなか、18世紀フランスの都市におけるモニュメントの氾濫状況に対して、近代史家のモーリス・アギュロンは「statue(彫像)」と「mania(熱狂、癖)」を組み合わせ、「statumania(彫像建立癖)」と名付けた(本個展のタイトルはこれに由来する)。ロザリンド・クラウスの「拡張された場における彫刻」によれば、こうしたモニュメントの論理は「共通の記憶の再現=表象(commemorative representation)」であり、台座は「現実の場所と再現=表象的な記号を媒介する」装置である。一方、ロダンの《地獄の門》と《バルザック像》のモニュメントとしての「失敗」──本来の場所に置かれず、各地の美術館に複製が収蔵されていること、ロダンの主観性の強い反映──が意味するのは、モニュメントの論理と台座の消失であり、場所との切断によってノマド化した彫刻の自律性を保証するのがホワイトキューブという制度的空間である。小田原の《↓》は、「ここ」を指し示す「矢羽根型記念標柱」を場所の固有性から切り離し、ネオン管の使用すなわち「ライト・アート」への美術史的接続も加味することで、これまで「彫刻」と見なされてこなかったものが「彫刻」へと転位する事態そのものを、パフォーマティブに自ら指し示す。
だが、本作について論じるべき点は、そうした彫刻史や制度への自己言及性だけだろうか。先ほど筆者は《↓》について、「矢羽根型記念標柱」の原寸サイズの「再現」と書いたが、「再現」という言い方には保留が必要だ。小田原は作品化にあたって2点の改変を加えており、この改変の操作こそが、戦後日本社会に対する批評性の射程の要となる。ネオン管の使用、そして「原子爆弾中心地」という文言の消去・空白化は、何を意味するのか。
「ネオン管」は、ホワイトキューブに持ち込まれればライト・アートへの美術史的参照に一役買うが、制度の外に出れば、繁華街を彩るネオンサインとしてありふれた存在だ。それは都市の繁栄と消費の象徴であり、それらは電力の安定した供給を前提に支えられている。つまり《↓》が体現するのは、消費社会の繁栄の中で原爆の記憶を忘却する戦後日本の姿であり、そこでは「原子爆弾中心地」という言葉は(何者かによって)いったん消去されつつも、まさにその消去と忘却によって、原爆(原子力)の炸裂が他の場所でも起こりうることを黙示録的に指し示しているのである。文言の消去と設置場所の代替可能性は、記憶の忘却であるとともに、「爆心地」の潜在的な遍在性をも指す。過去の忘却と、将来的な書き込みを待ち受ける空白とを同時に含み持つことが、本作の真に戦慄的な事態である。
一方、もうひとつの作品《空の台座》の展示空間も、ガラス管による「原寸サイズの再現」と、印刷物に掲載された古い写真の複写の併置という同様の構造を持つ。展示室中央にあるのは、赤い光で自らの存在を誇示する矢羽根とは対照的に、空間に溶け込むかのように、物質性の希薄なガラス管でつくられたフレーム状の構造体である。壁面には、北村西望《寺内元帥騎馬像》(1923)と菊池一雄《平和の群像》(1951)のモノクロ写真が掲示されている。東京の三宅坂に現在ある《平和の群像》は、三美神を意識した3人の女性の裸像だが、戦前は同じ台座の上に、軍人の騎馬像が建っていた(三宅坂一帯は帝国陸軍の拠点だった)。《寺内元帥騎馬像》は戦時中の金属回収によって撤去されたが、戦後、残された台座を再利用して設置されたのが《平和の群像》である。戦中/戦後のイデオロギー転換をまさに「彫像建立癖」によって体現する出来事であり、《平和の群像》は日本の公共空間における女性ヌード像の第一号であるという。
ここで興味深いのは、小田原が注目するのが、イデオロギー転換をめぐる像の交代劇ではなく、像=イデオロギーの交換を基底で支える「器」としての台座である点だ。私たちは、イデオロギーを可視化する装置としての彫像の交代劇には目を向けても、台座そのものは不可視になっていたのではないか。小田原の試みは、いかなる変更も受け入れる不変の器としての「台座」を前景化させる。それは物理的な彫像を支えるだけでなく、(戦意高揚であれ平和の称揚であれ)イデオロギーを柔軟に受け止める器であり、より象徴的なレベルでは日本社会の基底である。透明なガラス管でできたその「見えにくさ」は、意識から排除され、「空気」のように希薄化した常態をも指し示す。さらに、台座が「空(から)」であることは、《平和の群像》が下ろされ、別の彫像の設置を待ち受ける不穏な空白期間の可能性をも暗示する。もし、三度目の彫像交代劇が行なわれるとしたら、そこに鎮座するのは、いったいどのような「彫像」なのだろうか。
《空の台座》が提示するのは、台座(パレルゴン)を作品(エルゴン)化させる反転の身振りによって彫刻史や制度論への批評的接続に加えて、空白が暗示する予見的な未来の不穏さである。このように本個展は、「彫刻(史)」と接続しつつ、「戦後日本社会」の不気味さ(現在における忘却と潜在的な可能性)をあぶり出す点で、深い批評性の射程を持つ優れた内容だった。
2017/03/10(金)(高嶋慈)
村川拓也『Fools speak while wise men listen』
会期:2017/03/09~2017/03/12
アトリエ劇研[京都府]
気鋭の演出家、村川拓也による演劇作品『Fools speak while wise men listen』の再演(2016年9月の初演については、以下のレビューを参照)。本作は、日本人と中国人の「対話」計4組が、ほぼ同じ内容を4セット反復するという基本構造で構成される。同じ「対話」が発話の「間(ま)」や声・身振りのトーンを少しずつ変えて、「(演出家不在の)稽古風景」のように何度も繰り返されるなか、「対話」における不均衡な関係が露わになるとともに、「反復構造とズレ」によって「演劇(本物らしさ)と認知」の問題に言及し、モノローグ/ダイアローグという演劇の構造を鋭く照射する作品であった。
今回の再演では、初演と同じ2組に加えて、再演バージョンの2組の「対話」が新たに追加された。この変更は、「演劇と認知」「他者への想像力」という本作の2つの(根本的には同根の)主題に大きく関わるものであるため、以下では、再演での変更ポイントに焦点を当てて考察する。
『Fools speak while wise men listen』は、これまでの村川作品と同様、ごくシンプルな構造と舞台装置で成り立つ。床に白線テープで示された矩形のフレームの中で、日本人と中国人が対面し、マイクを手に持ち、初対面の挨拶と自己紹介に始まり、雑談めいた会話を日本語で行なう。話題は初演時の「結婚と国籍」「パンダ」に加え、「互いの国への好感度」「国歌」だ。ここで興味深いのは、再演で追加された「互いの国への好感度」について話す1組である。「日本社会はルールが多くて、圧力を感じる。でも、日本の大学の友達に中国の印象を聞くと、よく分からない、何か怖いってよく言われる」と話す中国人男性。日本人男性は、「時間をかければ分かり合えると思う。国家でなく個人どうしなら」と応答し、「日本、好きですか?」と問いかけるが、会話はそこでブツ切れになり、2人はマイクを置いて退場してしまう。この「対話」が真に興味深い様相を帯びるのは、後半の2セットだ。3セット目、中国人男性は退場するが、日本人男性はひとり、残された不在の空白に向かって、話し続けるのである。「やっぱり大事なのは想像力だと思う。生活は身体になじまないかもしれないけど、理解の手助けになるのは想像力だと思ってる」。そして4セット目は、中国人が不在のまま、同じ台詞がモノローグとして反復/再生されるのである。
ここにおいて、「コミュニケーション、意思疎通」をめぐる本作の2つの位相が重なり合う。1)表層的にはそれは、「日本人」と「中国人」の(しかも初対面という設定の)微妙な距離感、噛み合わなさ、よそよそしさ、気恥ずかしさ、遠慮やためらいである。2)構造的なレベルでは、「俳優を~(例えばハムレット)として見る」「ここに~があると仮構して見る」ように要請する、演劇の原理的構造への自己言及性である。対話相手が不在のまま、無人の空白に向けて「想像力の投企」について語る俳優は、他者と向き合う誠実な態度について語っているようで、「演劇(フリをすること)とは認知の問題である」ことそれ自体をパフォームしているのである。このとき床の白線のフレームは、二重性を帯びて立ち現われる。それは他者を国籍や民族でカテゴライズする思考のフレームであるとともに、演劇というフレームそれ自体をも指しているのだ。
このように村川は、徹底してフォーマリスティックな手つきで「演劇」それ自体を対象化する。本作について、「政治的なテーマを掘り下げていない」「日中関係について扱う必然性はどこにあるのか」といった批判があるだろう。そうした批判は、上述の2つのコミュニケーション(他者とのコミュニケーション/演劇的コミュニケーション)が重なるとき、つまり内容と形式が合致を見る一点で、解消する。だが、「想像力の投企」が他者理解の手助けになる一面で、むしろ逆に想像力が「(実体としては不在の)他者」を作り出す側面も否定できない。喋っていた「fools」はマイクを置き、フレームの外に立ち去った。彼らの会話を聞くだけだった私たちは、どうやって「観客」という役を降りればよいのか。
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