artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
ポコラート全国公募展vol.6─作品は、どこから来たのか。作品は、どこへ行くのか。
会期:2016/07/16~2016/08/08
アーツ千代田3331メインギャラリー[東京都]
応募作品1632点のなかから選ばれた入選作品154点を展示している。倍率は10倍以上、日展より狭き門だ。ポコラートとは「障がいのある人、ない人、アーティストによる自由な表現」のことらしい。ここからいえることは、まず、障がいのある人にプライオリティがあること、それからアーティストは「障がいのある人」でも「ない人」でもない「第3の人」であること、そして合わせれば全人類に適用できることだ。すると、審査基準はアーティストでも障害のない人でもなく、「障がいのある人」に合わせているんだろうか。いまひとつわかりにくい。そのせいか、作品の落差もハンパない。A4程度の紙切れ1枚に色鉛筆でサラッと描いただけの頼りない絵もあれば(けっこうあった)、天井から床まで届く長い紙10枚に絵を描き、幅10メートルにわたって壁を占拠した猛者もいる。また、同じ「なぐり描き」でも、額装したものと、そのままピンで止めたようなものでは見え方がまるで違う。不思議なことにポコラートの場合、額装したものより、ペラ1枚そのままのほうがスゴミを感じさせるのだ。さて、勝手に村田真賞は、田村貴明の《好きな人の絵》と《私の願い》のセット。《好きな人の絵》のほうは大島優子、大久保悠、武田祐子、加藤綾子という4人のタレントの似顔絵を並べたものだが、恐ろしいことに4人とも同じ顔をしているのだ。《私の願い》のほうは「私の名前は田村貴明です」で始まり、「コンサート、見に、行きましょう。行けたらいいですね」で終わる、彼女たちに宛てた手紙形式の文章なのだが、彼女たちの名前以外はすべて同じ文面、同じ書体で書かれているのだ。これを本人たちに送ったりしたら犯罪になりかねないが、このように「ポコラート」として公開すれば、すごい、すごいといってホメるヤツもいるのだから世の中は楽しい。
2016/07/29(金)(村田真)
美術評論家連盟主催 2016年度シンポジウム「美術と表現の自由」
会期:2016/07/24
東京都美術館講堂[東京都]
最初に美術評論家連盟主催のシンポジウムを聞いたのは、たしか1980年代初めのこと。テーマも場所もパネリストも忘れたけれど、司会の岡田隆彦に促され、会場にいた斎藤義重が戦前の日本の構成主義について語ったことは覚えている。つーか、それしか覚えてない。とにかくなんでいま構成主義の話なんかするんだろう、美術評論家たちは時代を超越しているなあと感心したものだ。あ、もうひとつ思い出した。客席がガラガラだったこと。……あれから約35年、シンポジウムは毎年のように開かれているようだが、聞きに行くのは今回が2度目。おそらく毎回空席が目立ったのだろう、案内には「申込不要・当日先着順」と記されていたが、結果的に230席のところに約300人が押しかけるという大盛況だった。これだけ関心が高いということは、それだけ表現の自由に危機感を覚えている人が多いということでもある。ひょっとしたら美術評論家連盟始まって以来、初の時宜を得た企画かもしれない。と無駄話を書いてるうちに字数が少なくなってきた。
まず事例報告として、自分の性器の3Dデータを配布したろくでなし子がわいせつ物陳列罪などに問われた事件、東京都現代美術館の「ここはだれの場所?」展で問題化した会田家の作品撤去騒ぎ、愛知県美術館の「これからの写真」展でクレームがついた鷹野隆大の写真に対する対応、そして、昭和天皇の肖像を使った大浦信行の作品を巡る富山県立近代美術館の迷走などが挙げられた。パネリストは美術評論家の林道郎と土屋誠一、愛知県美の中村史子、栃木県立美術館の小勝禮子、川村記念美術館(元富山近美)の光田由里の面々。30年前に起きた富山を除けばここ1、2年の問題なので、みんな切実感がある。以下、議論を簡潔にまとめる能力がないので、耳に残った言葉を列挙しておく。林「『美術かワイセツか』ではなく『美術だからワイセツではない』でもなく、表現の問題として考えるべき」、土屋「現政権より現天皇のほうがリベラル」、中村「学芸員が作家に対して規制することもあるが、それは学芸員の務めであり、検閲との境は曖昧」「表現は絶対的善ではなく、暴力性がつきまとう」、小勝「図書館は『知る自由』を掲げているが、美術館も見習うべき」、(会場から)ろくでなし子「アメリカやカナダでは英雄扱いされたが、そうなると表現することがなくなる。抑圧されたほうが表現ができる」。表現の自由は、無制限にではないけれど、最大限守られなければならない。そこに美術評論家連盟の果たすべき社会的役割も見出せるだろう。
2016/07/24(日)(村田真)
ライアン・ガンダー「In practice simplicity has never been a problem」
会期:2016/07/01~2016/07/30
TARO NASU gallery[東京都]
隣のタロウナスへ。壁を一周するように高さ1メートルくらいの位置に棚を設け、その上にカラフルなフィギュアを並べている。その数500個。このフィギュアはレゴと並んで世界的に人気のあるプレイモビルで、頭、顔、上半身、手、足など各パーツが異なる色彩とデザインになっていて、おそらく500個すべて異なる組み合わせだろう。人類の多様性を示しているともいえるし、逆に均質性を表わしているのかもしれない。解説を読むと、5体だけプレイモビルを模した銅像が混じってるそうだ。それは気がつかなかった。
2016/07/23(土)(村田真)
トランス/リアル─非実体的美術の可能性vol.3 末永史尚・八重樫ゆい
会期:2016/07/16~2016/08/27
ギャラリーαM[東京都]
東神田のαMへ。梅津元企画「トランス/リアル─非実体的美術の可能性」の3回目は、末永史尚と八重樫ゆいの2人展。末永は5点ほどの《絵》を壁に掛けずに立て掛けている。表に描かれた格子はキャンバスの木枠。とすれば、裏面が絵でいう表になり、それぞれ異なる単色で塗られている。格子模様の抽象画ともいえるし、キャンバスを原寸で描いた具象画ともいえる。見逃せないのは側面に絵具の滴りが残されていることで、これによって絵画らしさが強調されている。八重樫は小さなキャンバスに水平または垂直方向にストライプを描き、別方向から別の色彩のストライプを描いて画面を埋めていく。例えば《chart》は幅広い刷毛を使ったため、色面抽象のような画面ができあがり、《フィルバート》は穂先の丸いフィルバートという筆で描いたため、塗り始めが丸くなっている。ふたりとも「絵画」をテーマにした絵画といえる。
2016/07/23(土)(村田真)
三越アートキューブ
会期:2016/07/20~2016/07/25
日本橋三越本店新館7階催物会場[東京都]
日本橋三越に寄る。会場には日本画も洋画も現代美術も、若手もベテランも物故作家も、玉石混淆の200点が展示されている。総じて日本画は洋画より価格が高めで、片岡球子《富士》の2千万円を筆頭に1千万円以上がごろごろある。対して洋画は1、2ケタ少ないのが大半。例外は白髪一雄と草間彌生で、どちらも3千万円以上だが、これらは洋画というより現代美術か。そんなことはどうでもいい。ぼくがここに来たのは久松知子の作品が見たかったから。デビュー作《日本の美術を埋葬する》をはじめ、新作、旧作そろえている。肝腎のお値段は、幅5メートル近い超大作《日本の美術を埋葬する》でも200万円に満たない。無理すりゃぼくでも買えないことはないけど、買わないのは金がないからというより、置く場所がないからだ。
2016/07/23(土)(村田真)