artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ランドマーク・プロジェクトV──関本幸治

会期:2014/08/01~2014/11/03

関内周辺[神奈川県]

BankARTが企画したヨコトリの連携プログラムで、横浜市内の歴史的建造物や忘れられた場所にアートを挿入する試み。全部で8カ所あるが、今日見たのは馬車道のレトロなビルの壁に展示した関本幸治の肖像写真。和服を着た庇髪の4人の女性像だが、じつはこれ、フィギュアにキモノを着せて撮ったもので、すべて手づくりだという。これは手が込んでいる。約150年前の幕末、馬車道で下岡蓮杖が日本で最初の写真館を開いたというから、蓮杖へのオマージュにもなっている。でも風景に溶け込んでいて、注意しなければ写真作品だと気づく人は少ないんじゃないか。ましてそれがフィギュアであるなどとは。

2014/08/04(月)(村田真)

加瀬才子──ドローイング展

会期:2014/05/17~2014/08/02

美術待合室[東京都]

尾山台の医院の待合室に作品を展示。10点足らずのドローイングながら1点1点緻密に描かれてることもあって、中身は濃い。画面を細かく埋めていくところは一見アウトサイダーアート風だが、狂人にはなりきれず、かといって天才にもなれず、不安定ながらもかろうじてバランスを保っているような絵。このような不穏なものを医院に飾っていいのか? 医院です。

2014/08/02(土)(村田真)

画廊からの発言──新世代への視点2014

会期:2014/07/21~2014/08/02

ギャラリーなつか+コバヤシ画廊+ギャラリイK+ギャラリー現+ギャルリー東京ユマニテ+藍画廊+なびす画廊+ギャラリーQ+ギャラリー58+ギャルリーSOL+gallery21yo-j+ギャラリー川船[東京都]

真夏の炎天下、銀座・京橋の画廊を見て歩く。自由が丘のギャラリー21yo-jを含め、全12画廊のうち10画廊が女性作家に占められている。作品は版画や水墨画も含めて絵画が過半数を占めるが、よしあしは別にして“正統的なペインティング”といえるのは、コバヤシ画廊の朝倉優佳の具象的抽象画(いや抽象的具象画?)か。よくあるといえばよくある絵なのだが、けっこう大胆に、でもしっかり緻密に塗りたくられた画面は、まさにペインティングの醍醐味にあふれている。藍画廊の立原真理子は絵画と呼べるかどうか微妙だが、アルミサッシの網戸に糸で刺繍し風景を立ち上げている。網戸だから向こうが透けて見えるため、何点かは壁掛けではなく天井から吊っている。サッシを額縁に見立てれば、窓と絵画のアナロジーは明らかだ。東京ユマニテの佐竹真紀子は布や木にさまざまな色の絵具を塗り重ね、表面を削って色の層を見せている。技法としては珍しくないけれど、支持体が棺桶や神棚や引出しなど強い象徴性を持つものばかり。これが身近な人の死に触発されて制作したものだと聞いたとたん、地下2階のホワイトキューブのこのギャラリーが霊安室に見えてきた。ゾーン。以下省略。


「朝倉優佳 展」


「立原真理子 展──庭と川」


「佐竹真紀子 展──記憶する皮膚」

2014/08/01(金)(村田真)

ヨコハマトリエンナーレ2014

会期:2014/08/01~2014/11/03

横浜美術館+新港ピア[神奈川県]

美術館前にはゴシック趣味の装飾過剰な、それゆえ霊柩車を想起させるヴィム・デルボアのトレーラー型の彫刻が鎮座し、エントランスを入ると正面にマイケル・ランディの透明な巨大ゴミ箱が置かれ、底にまだ少ないとはいえ美術作品(のできそこない)が捨てられている。なかなか趣味のいい導入だ。アーティスティック・ディレクター森村泰昌の設定したテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というもの。忘れられたものや役に立たないものに目を向けさせるのが芸術の力だ、ということらしい。このテーマに沿って計65作家の作品が序章も含め12話の挿話に仕立てられている。第1話「沈黙とささやきに耳をかたむける」にはマレーヴィチ、ジョン・ケージ、アグネス・マーティン、村上友晴らの作品が並ぶが、これらをミニマルとかコンセプチュアルとかにカテゴライズせず、「沈黙とささやき」として耳を傾けようというのだ。ベルイマンの映画を思い出させるサブタイトルも含めて、70年代を知る者には涙がちょちょぎれる展示。この1室だけ見ても、これまでの国際展とは違ったものをつくろうとしていることが理解できる。
さらに第2話、3話……と見ていくと、キーンホルツやボエッティ、ジョセフ・コーネル、ピエール・モリニエ、中平卓馬、福岡道雄ら懐メロ作家が多数を占めるなか、タリン・サイモンや毛利悠子ら若手が顔を出すかと思えば、戦時中に大政翼賛的だった文学者たちの書籍を集めた大谷芳久コレクションや、「抵抗の画家」として知られた松本竣介の書簡も公開するなど、かなりはっきりと色を出している。それがどんな色であれ、鑑賞者に解釈を委ねるといって明確な態度を示さない職業キュレーターに比べれば、よほどスリリングだ。もうひとつの会場、新港ピアのほうは会場がバカでかいうえ、ブースで囲われた映像作品が多いのでガランとしている。目立つのは、やなぎみわのドハデな移動舞台車と、ガラクタを寄せ集め煙を噴く大竹伸朗の《網膜屋/記憶濾過小屋》あたり。でも「華氏451の芸術」にふさわしいのは、第2次大戦中に美術品を避難させて空っぽになったエルミタージュ美術館を映像で再現しようとしたメルヴィン・モティの《ノー・ショー》と、みずからの被爆体験に基づき廃棄物を焼いて固めた殿敷侃のオブジェではないかしら。どちらも目立たないし、楽しめるもんではないけれど、心に染み入る作品だ。
ひととおり見て、テーマに関してはともかく、未知のアーティストの興味深い作品に出会えたのはよかった。キャンバスを型取りしたなかに絵具を塗り重ねていったカルメロ・ベルメホの疑似タブロー、マットレスや箱などとるにたらないものばかり描くザン・エンリの絵画、自分の噛んだガムのカスで彫刻をつくって撮影したアリーナ・シャボツニコフの写真などがそうだ。また、木村浩、福岡道雄、殿敷侃、林剛と中塚裕子、釜ヶ崎芸術大学など、忘れられかけた作家や関西ローカルなプロジェクトを紹介したのも意義深い。展覧会はていねいにつくり込まれているし、森村色が明快に出ていて好感がもてた。よくも悪くも展覧会全体が森村の作品になっている。とはいえ、たとえば冒頭のマレーヴィチは森村のストーリーづくりに欠かせない素材だったかもしれないが、出品されたのが素描と版画集ではものたりない。名前より作品で選んでほしかった。もうひとつ、同じようなことだが、国際展というものが内外の新しいアーティストや美術の現在を紹介するものだとすれば(という考え自体もはや時代遅れかもしれないが)、今回は国際展というより、森村をゲストキュレーターに招いた横浜美術館の大型企画展というべきものだ。まさに「モリエンナーレ」。


ヴィム・デルボア《低床トレーラー》


やなぎみわ 演劇公演『日輪の翼』のための移動舞台車

2014/07/31(木)(村田真)

「楽園としての芸術」展

会期:2014/07/26~2014/10/08

東京都美術館[東京都]

三重と東京に拠点をもつアトリエ・エレマン・プレザンと鹿児島のしょうぶ学園で制作された、おもに知的障害者による作品展。こうしたいわゆるアウトサイダーアートには、たとえば人や車や数字などひとつのかたちを執拗なまでに繰り返し描いたり、終わりのない物語を延々と何十年も描き続けたり、こちらの拠って立つ「コモンセンス」を足下から揺るがしかねない恐るべき表現がしばしば混じってるものだが、今回は比較的穏健な作品が多く、肩すかしを食らった。多いのはペインタリーな抽象で、具象表現がほとんどないのも特徴だ。施設の指導方針もあるんだろうか。だいたいこの程度の抽象だったらよく見かけるし、東京オペラシティでやってる「絵画の在りか」と比べても見劣りする。比べるもんでもないが、しかし比ぶべくもないアウトサイダーアートというのも存在する。

2014/07/19(土)(村田真)

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