artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
生誕120年「木村荘八 展」
会期:2013/03/23~2013/05/19
東京ステーションギャラリー[東京都]
木村荘八は牛鍋屋いろはの第8支店に生まれ、浅草の第10支店の帳場を担当しながら絵を描く。初期のころは岸田劉生によく似ているなと思ったら、大正時代に劉生らとともにフュウザン会や草土社の結成に参加した仲間だった。しかし1920年前後からモチーフも画風も大きく変わり、自分が働いていた《牛肉店帳場》をはじめ、《浅草寺の春》《新宿駅》といった身近な生活風俗を描くようになる。これらは正確に再現しているわけではないそうだが、戦前の東京という街の空気を知るには貴重な記録といえる。また舞台を描いた一連の作品は、絵画という虚構のなかに演劇という虚構を設定した「画中劇」として興味深い。ただし人の顔など描写が雑で、絵としての魅力に欠けるのが残念。ちなみに兄の荘太、異母弟の荘十、荘十二らはいずれも作家や映画監督で、荘八もゴッホやミケランジェロなどの翻訳をはじめ著作が多く、文学的才能にも恵まれていた。まあ、古きよき時代の芸術家ですね。
2013/05/02(木)(村田真)
レ・ジラフ「キリンたちのオペレッタ」
会期:2013/04/29
六本木ヒルズアリーナ+けやき坂[東京都]
午後うちのムスコがけやき坂の路上に落書きした後、麻布十番で食事してたら開演時間がすぎてしまったので戻ってみると、すでに高さ8メートルの赤いキリンが9頭、けやき坂の落書きの上を練り歩いていた。ほかに歌姫やサーカス団の団長などが歌ったり叫んだりしているが、そんなのはどうでもよくて、目はキリンに釘づけ。胴体の前後にふたり入り、竹馬みたいな高い脚に乗って動かしているのだが、プロポーションもバランスも悪いのにカッコいいのだ。長ーい首は前の人が操作するのだが、その手が丸見え。胴体を支える支柱も丸見え。なのに違和感がない。必要なものは無理に隠そうとせず堂々と表に出す。アートはこうでなくちゃ。しかし既視感を抱いたのも事実で、横浜の「開国博Y150」のとき登場した機械仕掛けの巨大クモとよく似ているのだ。巨大クモはラ・マシン、キリンはカンパニーオフと製作者は違うけど、どちらもフランス製。さすが、納得。
2013/04/29(月)(村田真)
「貴婦人と一角獣」展
会期:2013/04/24~2013/07/15
国立新美術館[東京都]
カルチエラタンの一角を占めるクリュニー中世美術館は、パリのど真ん中にもかかわらず外界から遮断され、千年ほど時計を巻き戻したような閑静なたたずまいが気分いいので、中世美術にはあまり関心はないけど2.3回訪れたことがある。そこの至宝ともいうべきタピスリー《貴婦人と一角獣》がやってきた。パリではぼんやりながめるだけだったが、今回初めて解説を読みながらじっくり見ることができていろんな発見があった。まずこのタピスリー、6点からなる連作で、うち5面が「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」の5感を表わし、残る1面が「我が唯一の望み」と呼ばれている。なぜ5感を表わしていることがわかるのかといえば、たとえば鏡(視覚)とかオルガン(聴覚)とか、各面に5感のひとつを表わすモチーフが織り込まれているからだ(「我が唯一の望み」はその言葉が編み込まれており、5感とは峻別される)。で、感心したのは、各面ともそれぞれの感覚を強調するかのようにモチーフが繰り返されていること。「視覚」は貴婦人が差し出した鏡に一角獣の姿が映し出されているのだが、その周囲にいるウサギと犬たちも見つめ合うことで鏡の性質を強調しているし、「聴覚」は貴婦人の奏でるオルガンの音に一角獣と獅子が聞き入っているが、そのオルガンの上に小さな一角獣と獅子の像をのせて繰り返している。「嗅覚」は貴婦人が花冠づくりを、「味覚」は貴婦人が砂糖菓子をオウムにやろうとしているが、どちらもかたわらにいるサルがその真似をすることでモチーフを増幅させている。「触覚」は貴婦人が左手で一角獣の角を触っているが、右手は角とアナロジカルな旗のポールを握りしめているのだ。このようなモチーフの繰り返しやアナロジー表現は近代以前には珍しいことではなかったが、いまあらためて目の当たりにするととても新しく感じる。展示は巨大なギャラリーの中央部に大きなホールを設け、6面のタピスリーをゆったりと飾っている。閉館後、ここをパーティー会場に貸し出したら儲かるだろうに。
2013/04/29(月)(村田真)
富山妙子「現代への黙示──9.11と3.11」
会期:2013/04/11~2013/05/19
東京アートミュージアム[東京都]
富山さんの文章は読んだことあるけど、作品をまとめて見るのはこれが初めてのこと。もう90歳を超えているんですね。炭坑問題をはじめ、従軍慰安婦、戦争責任、9.11同時多発テロ、そして3.11大震災による原発事故まで、一貫して社会問題をテーマに描いてきた。「蛭子と傀儡子・旅芸人の物語」シリーズは、9.11に端を発する戦争と劇場型社会を批判した油彩やコラージュ。とくに油彩は魚やクラゲの漂う海中のイメージで、そこにエビスさまや中国の仮面などが顔をのぞかせなんとも不気味。ちょっとジブリのアニメを思わせるシュールな世界だ。「現代の黙示・震災と原発」シリーズは3.11以降の騒動を表わしたもの。ここでは風神雷神やIC回路を比喩的に用いるほか、上半分が吹き飛んだ原子炉建屋をキーファーばりに描いた油彩もある。ほかにもチリの軍事クーデターや光州事件を扱ったシリーズも出ていたが、年代が近いのか山下菊二の「ルポルタージュ絵画」を彷彿させる作品もあった。もともとシュルレアリスムの影響が強いようだが、それを社会的テーマに結びつけることで独自のスタイルを生み出したのだろう。いま見れば、キッチュでアナクロなその画風がとても新鮮に映る。それにしてもコンクリート打ちっぱなしのこの「アートミュージアム」、こうした作品展示にはまったくふさわしくない。
2013/04/26(金)(村田真)
LOVE展──アートにみる愛のかたち
会期:2013/04/26~2013/09/01
森美術館[東京都]
地下鉄日比谷線の吊り広告にジェフ・クーンズのパクリを発見! と思ったら、六本木ヒルズ10周年の広告で、その記念として開かれる森美術館の「LOVE展」の出品作品、つまりホンモノだった。広告をアートに採り込んだジェフくんの作品を再び広告に利用するとは、さすが森美術館もしたたかっつーか、なんかタヌキとキツネの化かし合いのような気がしないでもない。さて、「ラヴ」といえば恋愛から家族愛、郷土愛、人類愛、そしてセックス、心中、別れまで含めてこれまでつくられた美術品の大半、とはいわないまでも2~3割は「愛」がテーマだといえるのではないか。極端な話なんでも「愛」に結びつけることができるし。だから第1章では広告にも使われたジェフ・クーンズをはじめ、デミアン・ハースト、ジム・ダインらのハート形の作品や、ロバート・インディアナやバーバラ・クルーガーらの「LOVE」の文字を使った作品を集めて、いかにも「LOVE」らしさを強調しなければならなかったのだ。まあテーマなんかどうでもいいわけで、問題はどれだけいい作品と出会えるかだ。おとぎ話に秘められたエロスを刺繍で表現したチャン・エンツー、白人女に迫られコンドームを手にする日本男児を浮世絵風に描いた寺岡政美の《1,000個のコンドームの物語/メイツ》、ラブドールを使ったローリー・シモンズの写真などは優れた選択だと思うし、ジョン・コンスタブル、デ・キリコ、フランシス・ピカビア、フリーダ・カーロ、デイヴィッド・ホックニーらの「古典的絵画」もこんなところで見られるとは思わなかった。別れた男に復讐するTANYの映像《昔の男に捧げる》を見ていたら、横に主演の会田誠が立っていたのも森美術館のオープニングならではのこと。さて、開館記念展が「HAPINESS」、10周年が「LOVE」と来たら、20周年は「PEACE」か、それとも「DEATH」か。まあそれまで美術館が存続していることを祈りたい。ぼくもそれまで生きていたいデス。
2013/04/25(木)(村田真)