artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

yang02「untitled2」

会期:2013/07/20~2013/10/20

中村キース・ヘリング美術館[東京都]

家族で小淵沢へ一泊旅行。ついでにキース・ヘリング美術館に寄ってみる。ここは2年前にも来たが、小規模とはいえ観光客相手のチャラい美術館とは違って、何人かいる学芸員がちゃんと企画を立てて展示活動を行っている希有な美術館だ。今回は「キュレーターズ・セレクション」の第6回としてyang02をピックアップ。長い通路の壁に張られたキャンバス布にエアゾルによるグラフィティが書かれている。ビデオを見ると、スプレー缶を左右からワイヤーで吊り、モーターで上下左右に動かしながらペイントしていく様子が映し出されている。“自動グラフィティ装置”を使って書いているのだ。たしかにグラフィティの線というのは人間離れしたストロークを理想とするので、機械にやらせたほうがいいという考え方もある。でもグラフィティライターは「人間離れしたストローク」を実現させたいから自分でやってるのであって、それを機械にやられちゃあ筋違いと考える人もいる。そのことを確認するためにも、言い換えれば「人はなぜグラフィティするのか」を再認識するためにも、この装置は有用なのかもしれない。

2013/07/21(日)(村田真)

ルーヴル美術館展──地中海 四千年のものがたり

会期:2013/07/20~2013/09/23

東京都美術館[東京都]

ルーヴル美術館の厖大なコレクションのなかから「地中海」をテーマに作品を選び、展覧会を組み立てたもの。地中海といえば古代エジプトやギリシャ・ローマ文明を育んだ地であり、また、ユダヤ教やキリスト教の発祥の地でもあり、ついでにいえば、ヨーロッパの語源であるエウロペ神話が生まれた地でもあり、つまりはヨーロッパの母体となった海なのだ。だが、地図を見れば明らかなように、地中海の文明・文化の中心となった地域は、現在の西洋文明の中心地より南東に位置している。このさらに東からイスラム勢力が押し寄せて北西部に追いやられたのが現在の「ヨーロッパ」というわけだ。そうして見ると、ここに展示されている古代の文物から近世のオリエンタリズム絵画まで、すべてが地中海への憧憬の念に貫かれているように感じられるのだ。ミロのヴィーナスもサモトラケのニケもないけど、西洋人の地中海に寄せる思いが伝わってくる展覧会。

2013/07/19(金)(村田真)

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モネ、風景をみる眼

会期:2013/07/13~2013/11/24

ポーラ美術館[東京都]

プレス関係者のため銀座からバスが出るというので乗ってみた。箱根町仙石原にあるポーラ美術館へは初訪問。こんな機会でもなければ行けないもんね。行ってみて少し驚いた。いわゆるリゾート地に建つ美術館のなかではマシなほうだとは思っていたが、建物もコレクションも学芸体制も予想以上にしっかりしていた。こんなリッパな美術館が活火山のカルデラ内にあることに驚いたのだ。そのせいか、建物は巨大な円形壕を掘って免震ゴムを設置した上に載せている。すごいぞポーラ。今回の「モネ展」は国立西洋美術館との初の共同企画。西洋美術コレクションでは日本を代表する国立美術館と肩を並べたわけだ。やったぜポーラ。展示はいきなり、西美の《舟遊び》とポーラの《バラ色のボート》との対決で幕を開ける。どちらも池に浮かべたボートにふたりの女性が乗っている絵で、右からボートが突き出している構図も同じだし、サイズも制作年も近い。もちろん違いもたくさんあるが、もっとも気になった違いは画面にガラスがはめられているかどうかだ。ポーラははめているが、西美ははめてない。そして、明らかにはめてないほうが美しく見える。先日見た「プーシキン美術館展」以来、ガラスの有無が気になってしかたがないのだ。その後の作品も、ポーラは入ってるけど、西美は入ってないものが多い。おそらく西美は鑑賞を優先してガラスを入れないのではなく、たんに予算がないだけなんだろうね。閑話休題。同展はモネだけでなく、コローからクールベ、ピサロ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソまで広げ、さらにロダンの彫刻やガレの花器なども出ていて、タイトルの「モネ、風景をみる眼」を踏み外してるんじゃないかと思うけど、たとえばシャヴァンヌの《貧しき漁夫》(西美)とピカソの《海辺の母子像》(ポーラ)みたいに、似たような主題・構図の絵を隣り合わせに並べるなど、見る喜びを刺激する工夫が随所に見られる。こういう「遊び」はコレクションが豊富でないとできないものだ。出品は計99点、うち西美48点、ポーラ51点。あらためてポーラの実力を再認識しました。

2013/07/17(水)(村田真)

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中村一美「聖(ひじり)」

会期:2013/07/08~2013/08/03

南天子画廊[東京都]

200号ほどの大作4点に、極端に縦長の小品8点の展示。ミニマリズムと表現主義を吸収し乗り越えてきた絵画といえるが、ケバいパールカラーや蛍光色を使ったり、絵具を塗り重ねて色彩を濁らせたり、人があまりやらないようなことをズンズン試み、こぎれいにまとめたりはしない。均質化したチャラい絵が蔓延するいまの美術界にあって、中村の作品はタイトルどおり清濁合わせ飲んだ「聖」といった趣だ。でもこれを時代錯誤のドン・キホーテと見る人もいるかもね。

2013/07/16(火)(村田真)

UN:KNOWNS──アート×クリティシズム2013

会期:2013/07/08~2013/07/20

ギャラリー零∞+ギャラリー現[東京都]

昨年に続き、東京造形大学の近藤昌美ゼミと慶応義塾大学の近藤幸夫ゼミがコラボした、ダブル近藤ゼミ展の2回目。昌美の学生が絵を展示し、幸夫の学生が各作品について批評を書いている。ちなみに昌美は男です。作品は具象もあれば抽象もありバラエティに富んでいて悪くないが、飛び抜けていいというものはない。どこか既視感があり、良くも悪くもはみ出したヤツがいない。これはもちろん彼らだけでなく近年の特徴で、ポストモダンの時代特性ともいえるのだが、むしろ突出することを避ける現代日本の学生気質によるところが大きいような気もする。それは批評のほうにさらに顕著で、文章はどれも手際よくまとめられてスラスラ読めるが、それだけに引っかかるものがなく、読み終えた後でほとんどなにも残らないのだ。彼らは造形大のアトリエに行き、作品を見、作者の話を聞いて書いてるのに、そのときの感動や生々しさがあまり伝わってこない。こぎれいに整えられた文章より、無骨でも熱のこもった文章や独自の視点を打ち出した批評が読みたい。

2013/07/16(火)(村田真)