artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
作品は、ここにあった。──現代アートの考古学
会期:2011/12/1~2011/12/17
銀座ギャラリー女子美[東京都]
この展覧会らしからぬ展覧会名を聞いてなつかしいと思う人はもはやほとんどいないでしょうね。いまちょっと調べたら、1980年に神田ときわ画廊で開かれていた。展示内容はほとんど覚えていないが、たしか「インスタレーション」という言葉がデビューして間もないころであり、そうした仮設構築作品の検証を目的に企画されたのではなかったかと記憶する。はっきり覚えているのは企画の中心に北澤憲昭さんがいたこと。今回もその北澤さんが中心となって、おそらく30年前の企画を敷衍しようとしたのではないかしら(女子美の金を使って)。展覧会構成は、まず飯山由貴が会場内に非公開でインスタレーションをつくり、それを北澤、足立元、福住廉、暮沢剛巳の4人の批評家が記述し、同時にそれぞれ写真を撮る。作品は一部を残して解体され、批評家の文章と写真、動画などの記録が展示されるというもの。意外だったのは、4人の批評家による文章が作品の様態についての記述にとどまらず、それぞれの作品解釈や背景描写にまで踏み込んでいたこと(とくに暮沢の逸脱ぶりが激しい)。「発表されなかったインスタレーションの作家本人以外の者の手による記録のみを公開する、はたしてそのインスタレーション作品は本当に“不在”なのだろうか?」を問うならば、もっと作品の様態に関する徹底した客観的記述が求められると思ったのだが。ともあれ、この企画の効用は、飯山のオリジナル作品を見てみたいと思わせたことだ(じつは同展終了後にそのインスタレーションが再現されたが、火曜という変則的な休廊日に行ってしまい見られなかったヨーン)。
2011/12/05(月)(村田真)
松井紫朗「Like when you miss button your shirt」
会期:2011/11/11~2011/12/06
BLDギャラリー[東京都]
巨大なバルーンを使ったインスタレーションで知られる松井の平面作品。大きく分けて2種類あって、ひとつは、ランドアートのようなシュールなイメージを描いたペインティング。かたわらに人が小さく描かれていて少し説明的。もうひとつは、バルーンなどの立体作品を平面化してタブローにしたもの。ビニール状の平面をたわませたり、絵具をビニールみたいにべっとり塗ったり。こちらのほうがバルーン作品とベタにつながってる感じがする。ベタッとしているし。
2011/12/05(月)(村田真)
「ベルリン国立美術館展」記者発表会
会期:2012/06/13~2012/09/17
国立西洋美術館[東京都]
またフェルメールがやって来る。2012年6月13日から国立西洋美術館で始まる「ベルリン国立美術館展」で、《真珠の首飾りの少女》が本邦初公開されるのだ。ややこしいことに、同時期(6月30日から)同じ上野の東京都美術館には《真珠の耳飾りの少女》が来ることになっている。有名なのは「耳飾り」のほうだが、「首飾り」は初来日(「耳飾り」は今回で3度目)なので今年はこちらをひいきにしたい。それにしても、2011年の2回計4点に続き、2012年も2回計3点のフェルメールが来るのだから異常というほかない。まあ日本人の名画好きも、それを支える経済力もまだまだ健在とすればおめでたい限りだが。フェルメール以外の見どころは、同じ17世紀オランダのレンブラント派による《黄金の兜の男》。この作品、かつてレンブラントの代表作と見られていたのに、厳密な調査の結果「レンブラント派」の作品に格下げられてしまったのだが、そのことでかえって有名になったといういわくつきの作品なのだ。この目でとくと観察したい。ほかにもミケランジェロの素描、ドナテッロのレリーフ、クラーナハのヌード画などオールドマスターズを堪能できそう。
2011/12/05(月)(村田真)
黄金町の風景展
会期:2011/11/13~2011/12/04
高架下新スタジオ SiteA Gallery[神奈川県]
黄金町界隈でたまに顔を合わせる気のいいおっさんが、隣の初音町で豆菓子店を営む谷口商店の谷口安利さんの名前と一致したのは最近のこと。その谷口さんが、これも黄金町のギャラリーなどでたまに見かけ気になっていた風景画の作者であると判明したのは、つい2、3週間前、この個展の案内状を見てからだ。失礼ながらその風体からはとても絵を描く人とは思えなかったので、意外性に驚いた。絵は、さまざまな場所と視点から黄金町の風景を切り取った8号前後の小さなキャンヴァス画が30点ほど。けっして名人芸とはいえないけれど、ごちゃごちゃした雑踏を大づかみに処理する筆さばきは達者なもので、パリの下町を描いたユトリロの陳腐な風景画よりずっといいかも。なにより、生まれ育ち勝手知ったる街だけに、描く喜びと記録を残したいというモチベーションの高さが見る者に伝わってきて快い。
2011/12/04(日)(村田真)
第43回日展
会期:2011/10/28~2011/12/04
国立新美術館[東京都]
霜月の末日を飾るは晩秋恒例「日展」探検。といっても数が多いので日本画と洋画だけよ。それでも合わせて1,091点ある。日本画を漫然と見ていると1点に目が止まった。岩田壮平《白─03・11》。タイトルからも察せられるとおり東日本大震災をモチーフにしたもので、どういう技法か知らないけれど被災地の写真を画面に転写している。画像はモノクロームでしかもネガなので一見なんだろうと思ってしまうが、まぎれもない被災地の風景だ。そう、今年は大変な年だったんだ、と、この作品であらためて気づかされた。そう思ってもういちど見直してみたが、やはりというか残念ながらというか、日本画で直接震災に触れた作品はこれしかなかった。洋画はもう少しあった。ガレキの山を黒いペンで描いた西川誠一《溜まり》と、被災地の風景をバックにカボチャなどの静物を手前に描いた伊勢崎勝人《それでも大地は甦る》。また、渡辺雄彦《取り残された海》は震災とは関係なさそうな室内静物画だが、そこに描かれた舵輪やランプなどは津波に飲み込まれた作者の故郷に残された遺品だという。別に震災や原発事故をテーマにしなければならない義務はないが、しかしまるでそんな出来事などなかったかのようにエキゾチックな異国の情景を描いたり、ロココな衣装を着けた時代錯誤の女性像を描いたり、ましてや東北では壊滅状態に陥った漁村や漁港をのどかに描いた風景画(なぜか日展には多い)を見ていると、怒りを通り越して絶望的な無力感に襲われる。そう、日展とは時代や社会から目をそらせる美の王国であり、そこだけ時間の止まった竜宮城なのだ。
2011/11/30(水)(村田真)