artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
wah document÷てんとうむしプロジェクト「tightrope walking?てんとうむしのつなわたり」
会期:2011/03/08~2011/03/27
京都芸術センター[京都府]
小学校の建物を改装した芸術センターの廊下に黒い帯状のロープが張られている。たどっていくとギャラリーに行きつき、綱渡りのドキュメント映像が流れている。中庭には2階の窓から向かいの2階の窓にもロープが張られ、そこでも綱渡りが行なわれたらしい。これも震災直後のため実現か中止かで激論が交わされ、いったんは中止の決定が下されたというが、それをくつがえしたのは16年前の阪神大震災のときに痛感した「芸術の無力さ」だったという。中止するのは簡単だが、それでは芸術の無力さを認めてしまうことになるという判断だ。でも綱渡りは「芸術」か? もし事故が起きたら? 実現か中止かの判断もまさに「つなわたり」だったようだ。
2011/03/27(日)(村田真)
風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから
会期:2011/03/08~2011/06/05
国立国際美術館[大阪府]
かーちゃんが子どもを連れて京都にトンヅラこいて1週間、とーちゃんが愛想を尽かされたこともあるが、なにより地震と放射能を避けての疎開だ。迎えにいくついでに、まずは大阪に寄って国立国際へ。サブタイトルのようにアジアのコンセプチュアル系の作品を集めたもの。だいたいコンセプチュアルというとモダニズムの芯だけ残ったダシガラというか、ストイックで退屈なイメージが強いが、幸か不幸かモダニズムが十分に浸透しなかったアジアではお笑いに走るゆるいコンセプチュアルアートが散見される。なかでもいちばん笑えたのが島袋道浩の《箱》。展示室の片隅に段ボール箱が置いてあり、なかから話し声が聞こえてくる。耳を澄ますと、「おれ、箱やねんけど、けっこうおもろいで」みたいな関西弁のつぶやきが。どこがコンセプチュアルやねん、とも思うけど、これこそコンセプチュアルかもと思い直す。なにしろ箱と声だけだから、ジャッドもコスースも真っ青。ちなみに島袋は生きたカメも出品していたが、こちらはひょっとして生きた馬を展示したことのあるヤニス・クネリスのパロディか。西洋の馬に対し、アジアを代表する動物がカメだとすればいかにもどんくさそうな気がするが、ウサギとカメじゃないけど最後はカメが勝つという教訓かも。もうひとつ笑えたのは、タイの農民たちにマネやゴッホらの絵(複製)を見せ、その反応を収録したアラヤー・ラートチャムルーンスックによる映像。アジアの農村風景のなかに置かれた西洋絵画という組み合わせ、正面を向く絵画と背中を向ける(絵を見てる)村民たちの対比、漫才のような彼らのパタフィジックなやりとりなど、笑えるだけでなく文化人類学的にも興味深い。その後、隣接する大阪市立近代美術館の建設予定地で、「おおさかカンヴァスプロジェクト」の一環として計画されていた西野達の作品を見に行ったら中止だと。自動車やら家電やらカップラーメンやらを大型クレーンで吊るす計画だったが、震災後なので危険がアブナイと判断したらしい。残念。
2011/03/27(日)(村田真)
ソーシャルダイブ──探検する想像
会期:2011/03/18~2011/04/11
3331アーツ千代田[東京都]
ジャガイモとともにアフリカ大陸を横断したり(小鷹拓郎)、ルーマニアまで行って社会主義者を胴上げしたり(丹羽良徳)、愛の国への出入国管理を行なう「愛の大使館」を設けたり(マルクス清水)……。社会と密接に関わる若いアーティストたちの表現活動を紹介している。いや、彼らの多くは作品をつくる「アーティスト」というより、さまざまなコミュニティのなかに飛び込んで関係性を構築したり更新したりする「アクティヴィスト」と呼ぶべきかもしれない。だからこうした展覧会では彼らの活動をその場で体現することはかなわず、写真や映像、記録資料などでその一端を知るしかないのだが、実際これらのドキュメントを見て活動に興味をもつことがあっても、作品として楽しめるものは少ない。その意味では、実物は展示できないので設計図やマケットから全体を読みとるしかない建築展に近いといえる。例外は、交番の前などに貼られている指名手配者の顔写真を描き移した竹内公太の肖像画。これは絵画として(も)楽しむことができる唯一の作品だった。
2011/03/25(金)(村田真)
日野之彦──そこにあるもの
会期:2011/03/14~2011/03/30
上野の森美術館[東京都]
日野のトレードマークともいうべき目をむく人物は影をひそめ、かわりに皮を剥いだ動物の頭や内臓や肉塊やカツラや宝石や花を、またはカツラをかぶせた肉塊といった組み合わせを、達者な技法で描いている。一見モチーフは拡散しているように見えるが、アルチンボルドのだまし絵のような重層化したイメージへと進化しつつあるようにも感じられる。これからどのように変化するのか、楽しみになってきた。
2011/03/25(金)(村田真)
VOCA展2011
会期:2011/03/14~2011/03/30
上野の森美術館[東京都]
震災後、初めて展覧会に足を運ぶ。2週間も展覧会を見なかったのは、この連載が始まって以来(もう15年になるが)初めてじゃないかしら。自慢じゃない、自嘲だ。あまり見たいとも思わなかったし、見たくても開いてないところが多かったし。「VOCA」展も初日こそ開いたものの翌日から数日間お休みしたそうだ。今日、平日の午前中だというのにそこそこ人が入っているのは、みんな気持ちに余裕が出てきたせいかもしれない。さて、今年は昨年に続き、VOCA賞の中山玲佳をはじめ6人の受賞者はすべて女性。それはいいのだが、気になるのは、受賞作品の大半が人物や動物を中心にさまざまなイメージをコラージュした物語性の強い具象画で占められていること。こうした傾向は今年に限ったことではないし、また、それらのなかにもさまざまな傾向が見られるのも事実だが、もっともっと多様な作品が出てきてほしいと思う。一時に比べ写真が激減したのも気になるところ。そんななか、とくに目を引いたのが小池真奈美と青山悟のふたりだ。小池の作品は、落語のストーリーをみずから江戸町人に扮して描いたもので、物語性の強い具象画という点ではまさに「VOCA調」といえるが、アナクロな題材(推薦人の山下裕二氏いわく、21世紀に復活した「近世初期風俗画」)と卓越した技法で際立つ。一方、青山の作品は、まず第1に21×29センチの画面が2点というサイズの小ささにおいて逆に目立ち、第2に絵画ではなく刺繍という手法において異彩を放ち、そして第3に絵画の審査を揶揄するような内容において「VOCA」そのものに揺さぶりをかけていた。今回最大の震源地といえよう。全体としてもうひとつ気になったのは、大作の場合2~4枚のキャンヴァスないしパネルをつないで1点の作品とする例が多いこと。これは制作スペースの制約によるものだろうが、つなぎ目の線がとても気になる。その点、4つのイメージを4枚のキャンヴァスに描いて1点の作品とした中山玲佳の分割法は納得できるが、最善の方法は青山のように小さな作品を出す勇気を持つことだ。
2011/03/25(金)(村田真)