artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
路上と観察をめぐる表現史──考現学以後
会期:2013/01/26~2013/04/07
広島市現代美術館[広島県]
広島現代美術館の「路上と観察をめぐる表現史」展は、今和次郎の考現学を起点とし、美術と建築を横断する興味深い試みだった。TAU、コンペイトウ、アーバン・フロッタージュ、トマソン、都築響一、メイド・イン・トーキョー、大竹伸郎など、フィールドワーク的なプロジェクトの現資料や、それに付随して制作されたアート作品が並び、見るものを楽しませる。特にメイド・イン・トーキョーが初めて発表された1996年の建築展に関わっていたこともあり、これが歴史化されていくプロセスはなかなか感慨深い。
2013/03/24(日)(五十嵐太郎)
studio velocity《都市にひらいていく家》
[愛知県]
名古屋にて、studio velocityの新作《都市に開いていく家》を見学した。家を前後の二棟に分けて、その間を3つの細いブリッジがつなぐ。かといって住吉の長屋のように閉じた顔ではなく、道路側は透明なガラスのボックスである。木々に囲まれた中庭で、空中のブリッジを歩く経験は格別なものだ。思い切った家である。
2013/03/24(日)(五十嵐太郎)
「オープン・アーキテクチャー」プレイベント
[愛知県]
あいちトリエンナーレ2013の企画発表の翌日、名古屋にてオープン・アーキテクチャーの予行演習となるプレイベントを行なう。最初に吉村昭範+吉村真基/D.I.G Architectsの自邸兼オフィスを訪問した。サイディングの反転、螺旋状のスキップフロア、チムニーとしての中心吹抜けなどが面白い。午後は1932年に竣工した名古屋陶磁会館である。ここの事務局と店子からの解説は、この建物がどう使われ、どう愛されているかがよくわかるものだった。締めくくりは、女性二人組による名古屋渋ビル研究会の発表である。ポストモダン以前の60、70年代の渋いビルを愛でるもの。角丸や連続窓、アゴ庇などの開口+タイル+昭和的フォントのサインなど、ファサードの特徴からキャラ化する。
写真:左上・右上=D.I.G architects《The Garden 覚王山》、左下=鷹栖一英《名古屋陶磁会館》、右下=名古屋渋ビル手帖
2013/03/23(土)(五十嵐太郎)
U30 Young Architect Japan 多様な光のあるガラス建築展
会期:2013/03/08~2013/05/31
京橋のAGCスタジオにて、「U30 YOUNG ARCHITECT JAPAN」展を見る。指名7組によるガラス建築の設計競技を経て、名古屋の若手建築家、米澤隆の最優秀案を原寸スケールで置く。透明ガラスの鱗の集合体のような小さなパヴィリオンは、パネルだと森の中のイメージだった。こうしたロマンティックな感覚は、彼の世代に共有されているように思う。
2013/03/21(木)(五十嵐太郎)
建築卒業設計展 dipcolle 2013「ディプコレ座談会」
会期:2013/03/17
名古屋市立大学 千種キャンパス[愛知県]
名古屋の卒計イベント、dipcolle2013に藤村龍至、家成俊勝、遠藤幹子、米澤隆らとともにゲストとして参加した。新発見という案がなかったので、一番議論が展開できそうな金城拓也の大阪・空堀プロジェクトを推すことにしたが、個人賞は家成さんとかぶったので、現地リサーチが分厚い杉本卓哉のまちを紡ぐかべを選んだ。また鳥取砂丘を敷地に選んだことで、鈴木理咲子の案もよいと思った。さて、今回はイベントのデザインについて、いろいろと考えさせられた。50人程度の出展者なので、3時間半ぶっ通しだったが、その場にいた全員の学生の話を聞くことができた。これは巨大化したSDLには不可能なこと。参加者の満足度は高いはずだ。また一位を決めないシステムになっていることから、プレゼに進んだ8人の案をだんだん絞らないため、どの案にも時間をかけられる。またプレゼにもれた案も、最後にだいぶコメントの時間をとることができた。これもおそらく、参加者の満足度は高いと思われる。一方で審査員が衝突するバトルを見たい人には物足りないだろう。無理にでも、一位を決める形式をとることで、審査員を追い込み、価値観を競わせる場に誘導しないからだ。もちろん、一位を決めず、多くの案が語られるのと、一位を決めるのと、どちらの方法もありだろう。一方で、疑問に感じたこともある。例えば、8人のプレゼの前に各ゲスト賞を発表すること。通常はプレゼを聞いて、さらに理解が深まり、しばしば評価が変わるからだ。また聴衆にとっても、どれがゲスト賞になるかという楽しみがなくなるし、ゲスト賞からもれた学生にもかわいそう。そしてよくないと思ったのは、審査員と学生の投票を混ぜて、「大賞」を決めること。3年前に目撃したのと同様、明らかに地元の大学が有利になり、遠くからアウェイで参加した学生は疎外感を味わう(審査員も)。実際、5人中2人の審査員が投票した案ではなく、結局審査員が投票しない案が大賞に選ばれた。かといって、dipcolleの学生投票をやめるべきと言っているわけではない。審査員の票が影響をもたないなら、混ぜるなというのが主張である。なぜならば、審査員が投票したことで結果の権威づけをして、利用された感じがするからだ。またあえて一位を決めないイベントだから、「大賞」と呼ばない方がよいのではないだろうか。地元が簡単に有利になるシステムは、イベントが全国区に広がりにくい。SDLは最初の9年間で東北大学のファイナリストは確か計2名のみ、10年目に初めて日本一が出た。これが1年目から地元大の優勝が続いたら、今のようにはならなかっただろう。むろん、意識的にそういうイベントをデザインしているのであれば、地域限定でもよい。
2013/03/17(日)(五十嵐太郎)