artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

東日本大震災:南相馬市

会期:2011/06/02

[福島県]

はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんから依頼された、仮設住宅地での集会所のプロジェクトの敷地を見学するために、研究室の吉川彰布くん、村越怜くんとともに、南相馬市を訪れる。津波に襲われ、水平になった風景が、小高い丘を挟みながら断続的に出現する様子は、岩手のリアス式海岸や仙台の平野とは違う。研究室の石井くんの実家は無事だったらしいが、その近郊は壊滅的な被害だった。その後、原発事故の立ち入り禁止区域ぎりぎりまで南下すると、本当に人影がなくなる。原発からの距離によって見えない境界線が引かれていた。

2011/06/02(木)(五十嵐太郎)

賢治の童話の間取りと建築模型展

会期:2011/05/02~2011/05/29

もりおか啄木・賢治青春館[岩手県]

有名な漫画やアニメに登場する住宅や建築の間取りを本にまとめた影山明仁が、宮沢賢治の作品に挑戦した展覧会。『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』など、有名な文学が建築の図面によって再現され、さらに模型も制作されている。空間の形式だけを具象化すると文学的な香りが蒸発し、味気ないのだが、文学と建築の違いを考えるきっかけにもなり、興味深い。

2011/05/29(日)(五十嵐太郎)

東日本大震災:岩手

会期:2011/05/28~2011/05/29

釜石、大槌町、宮古市、田老町、津軽石、山田町[岩手県]

岩手県の被災地をまわる。釜石は、気仙沼の風景と似ている。驚かされたのは、400m以上の長さがあるエヌエスオカムラ工場が、途中でばっさりともぎとられていたこと。そして魚市場横に乗り上げた巨大なアジア・シンフォニー号である。北上すると、鵜住居あたりは、津波が川を逆流し、直接海が見えないエリアに甚大な被害をもたらし、一部のRC造以外はことごとく消えていた。大槌町は、自衛隊が多かったこともあるが、焼け跡の廃墟になっており、戦場のような風景だった。大槌川を渡る山田線の橋梁と橋脚が、街のあちこちに転がる。要塞に守られたはずの赤浜も浸水し、モニュメントとして残すことも検討されていた民宿の屋根に乗っていた船、はまゆりはちょうど解体中だった。大槌町は、女川、陸前高田に匹敵するひどい建物破壊である。宮古や山田町も防潮堤に守られ、海があまり見えない街だったが、街が激しくやられていた。そして田老町でも、津波が有名なスーパー堤防を突破している。海辺では堤防が崩れ、散乱した巨大なコンクリートの塊に海鳥が集う風景は、終末を描くSFのシーンのようだ。いずれの町も堤防やサインなどによって、宮城県や福島県以上に津波の対策を行なっていたが、防御できなかったことを知る。

2011/05/28(土)~29(日)(五十嵐太郎)

【帰心の会】東北みらいプロジェクト特別セミナー「復興のデザインを考える」

会期:2011/05/27

せんだいメディアテーク 1Fオープンスクエア[宮城県]

伊東塾で開催された帰心の会の第二弾。序盤のトークは東京とほとんど同じだったが、その後の議論では、釜石のワークショップを経た伊東が、われわれは美しいものをつくることで人々の心をなごます、山本が既存のシステムをすぐに変えられなくても、異なる価値の空間を足すことができるのではないか、といったことが新しく語られた。もっとも違っていたのは聴衆である。せんだいメディアテークでは、建築の関係者以外に多くの一般人が参加していた。おそらく、そうした市民は、有名建築家が訪れるから、普通の高台移転案とは異なる、斬新な街のヴィジョンが発表されると期待していたのではないかと思うが、帰心の会の考えをどう受け止めたのかが興味深い。

2011/05/27(金)(五十嵐太郎)

五十嵐淳 展 状態の構築

会期:2011/05/13~2011/07/09

ギャラリー・間[東京都]

五十嵐淳展は、どスレートな「建築」模型で勝負する。それゆえ、のぞき込むと、室内の空間や光の状態も感じさせる1/10のスケールだ。模型は建築部分だけを制作しており、まわりの敷地を一切表現していなかったが、ヴォリュームの独特のプロポーションからは東京とは違う、周囲の「敷地」を想像することができて興味深い。

2011/05/26(木)(五十嵐太郎)

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