artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

3.11後の若者の行動から社会・文化を考える(「をちこちMagazine」公開収録イベント)

会期:2011/05/26

国際交流基金 JFICホール[さくら][東京都]

宮台真司×津田大介×五十嵐によるトークイベント。ともにtwitterで積極的に動いた宮台と津田は、震災後に旧来のメディアが失墜し、受け身ではなく、人々の自主的な思考と行動が増えることに期待を語った。筆者は、一時の熱狂で終わることなく、災害が持続的な文化の記憶として、いかに残っていくかという関心を述べる。3.11以降というべき、将来も語りつがれるすぐれた文化的な作品が登場することは重要だろう。

2011/05/26(木)(五十嵐太郎)

思想地図β vol.2 緊急出版 東日本大震災と思想の言葉シンポジウム「東日本大震災とこれからの思想」

会期:2011/05/21

せんだいメディアテーク 1Fオープンスクエア[宮城県]

朝に仙台駅で思想地図のメンバーを出迎え、彼らとともに市内の被災地をまわる。卸町のエリアは、津波が届かず、純粋な地震の被害によるもので、完全倒壊や部分破損の倉庫やオフィスなどが目につく。東浩紀は、見えるものをすべて読む習性のせいか、街の風景の「がんばろう東北」の文字があまりに多いことに驚いていた。多賀城や仙台港のエリアは一カ月半前に比べ、だいぶクルマが片付いている。蒲生の廃墟は門や塀だけが残り、ポンペイのような風景だった。まわりから見ると、唯一高台の中野小学校と荒浜小学校を訪れる。いずれも二階まで浸水し、体育館は避難場所として機能していない。構造は大丈夫だったが、人がいない街の学校になっている。
さて、思想地図のシンポジウムだが、東は福島の小学校で目撃した時間の断絶、瀬名秀明は被災地と東京の距離や情報過多への戸惑い、石垣のり子は非常時に刻々と変動したラジオの役割と状況、鈴木謙介は経済では計算できない失われた時間の流れなどについて話す。東は、今回の一連の出来事を記録し、海外でも読まれるために翻訳を出すという。終了後、せんだいスクール・オブ・デザインの『S-meme』2号の特集「文化被災」のために、東浩紀にインタビューを行なう。もともと作品の強度を失いながらも、コミュニケーションのネタとして盛り上がりを持続していたアニメを代表とするオタク・サブカルチャーが、3.11以降は厳しい状況になるだろうとの見解を示す。

2011/05/21(土)(五十嵐太郎)

日台新鋭建築家交流展 自然系建築展

会期:2012/04/14~2012/08/26

府都 KIANTIOK[台湾 台南市]

ドイツから台南に移動し、府都という建設会社のギャラリーの「日台新鋭建築家交流展 自然系建築」展へ(会期は8/26まで)。謝宗哲がキュレーションを行ない、筆者はアドバイザー的に関わったものである。日本からは藤本壮介、平田晃久、大西麻貴、台湾からは劉國滄(あいちトリエンナーレ2013に参加)、曾瑋、莊志遠が参加した。藤本、平田、大西の三名は1/1で空間を体感できる大型のインスタレーションを制作し、とくに二重螺旋の家は、空間を一部再現する大がかりなものである。劉は自作の軌跡、曾は身体性の強い作品を紹介していた。また莊は大学修士を卒業したばかりの最若手で、日本の影響を強く受けている。全体としてギャラリー間の2回分くらいの規模と密度はあるだろう。5月19日は、大西麻貴のレクチャーと、台湾のリトルピールアーキテクツのメンバーも参加して建築家創作交流(Pecha Kucha Party)が行なわれた。これで台湾でも大西人気に火がついたのではないか。

写真:左上=藤本壮介、右上=平田晃久、左下=大西麻貴、右下=台湾

2011/05/19(土)(五十嵐太郎)

赤レンガ卒業設計展2011

会期:2011/05/13~2011/05/16

横浜赤レンガ倉庫 1号館2階[神奈川県]

震災で延期していた赤レンガ卒業設計展が、二カ月遅れで開催にこぎつけた。審査員は、ヨコミゾマコト、藤村龍至、谷尻誠、中山英之、五十嵐ら。午前の審査で3つの作品を推薦した。隙間に充填されたコンクリートの壁がインフラとして残り続ける東京都市大学の矢野健太「都市の型枠」、私の空間を追求した日大の石原愛美「わがスーパースターの家」、そして地図を変異させるプログラムを提案した前橋工科大の神田大紀「東京bug:model」である。審査員に評価軸を提示することを要求する卒計イベントの風潮に、違和感を覚えていることもあり、あえてまったく共通項のない、ばらばらの作品群を選んだ。そして全体討議の結果、矢野の案が最優秀賞となる。講評を経て、五十嵐賞は、魅力的な敷地と産業遺産に絡めて、詩的な風景を創造する稲垣志聞「タネの図書館」に出す。
後半は「建築の方向性に関するシンポジウム」だった。それぞれの審査員が学生時に影響を受けたもの、いまどきの学生観、そして震災以降の建築を語る。筆者としては、今回のテーマが「directions」と複数形になっていたように、震災だからといって、みなが同じ方角に向く必要はないと思う。価値観はばらばらでかまわない。

2011/05/15(日)(五十嵐太郎)

JIA東北「建築家フォーラム2011」

会期:2011/05/14

山形県郷土館「文翔館」議事堂[山形県]

いつもはせんだいメディアテークが会場となるイベントだが、今年は震災とは関係なく、文翔館に決まっており、山形でJIA東北建築家フォーラムが開催された。かつては議場だった、すぐれた近代建築でのイベントは気持ちがよい。第五回JIA東北住宅大賞2010の表彰式の後、審査員をつとめた古谷誠章と筆者が作品の講評を行ない、大賞となった木曽善元によるレクチャーが続く。後半のシンポジウム「過去の復興が教えるまちづくりの未来」が予想以上に興味深い内容だった。阪神淡路大震災後の小島孜による芦屋西部地区の試み、名取の針生承一による木造仮設住宅、津波を受け入れる街論、福島の滑田らによる原発問題を受けた二地域居住のシステムなど、ぼんやりした話ではなく、地元の建築家によって、現場ならではの具体的な提案が紹介されたからである。

2011/05/14(土)(五十嵐太郎)