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五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

東日本大震災:いわき市、いわき市久之浜、いわき市小名浜、日立市、日立市河原子町ほか

会期:2011/06/15

[福島県、茨城県]

常磐線に乗って、いわき、久ノ浜、小名浜、日立、河原子町などをまわった。茨城も津波は襲っているが、岩手や宮城に比べると被害が少ないこともあり、メディアではほとんど報道されていない。また津波よりも相対的に地震の被害が目立つ。数カ所の被災地を見て、すべてをわかった気にならないよう、北は青森、南は千葉まで歩いたが、身体で日本列島をスキャンするような作業に、東日本大震災の被害の広域さを思い知らされる。

2011/06/15(水)(五十嵐太郎)

「驚くべき学びの世界」展

会期:2011/04/23~2011/07/31

ワタリウム美術館[東京都]

デザインの視点から見たとき、北イタリアの小さな町において、なんという自由で創造性のある教育が行なわれているのかと感心させられる。これを経験した子どもはどんな大人になるのだろうか。ぐるぐると大きなリボンを巻いたような、平田晃久の会場デザインは実に彼らしい空間になっている。鑑賞者は、立体的に展開する一筆書きの面を追いかけ、ときにはそれが生みだす内部に入り、空間を体験していく。低コストでも充分に展示の場をつくるデザインだ。地下では、平田による建築模型展も同時開催されていた。

2011/06/14(火)(五十嵐太郎)

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八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』

発行日:2011年4月23日

これは労作である。狙いも明快だ。突然変異ではなく、戦時下からの国家の歴史を背負い、メタボリズムが登場したことを位置づけている。建築論は個人の作品と思想に偏りがちだが、八束はじめは政治家や官僚の関わる都市計画・国土計画という社会的な問題と見事に接合させながら、大きな物語として20世紀半ばの日本建築史を描く。

2011/06/13(月)(五十嵐太郎)

「こどもの情景──戦争とこどもたち」展/「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」展/「世界報道写真展2011」展

東京都写真美術館[東京都]

3つの写真展が開催されていたが、いずれも非常時をテーマにしていた。「こどもの情景──戦争とこどもたち」展は意外におもしろく、社会が起す過酷な状況において、社会経験の少ない子どもがどう反応するかを考えさせられる。「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」展は、街が闘争の場となる歴史的な事件の貴重な現場写真だが、パネルの画質が粗く、もっと良いクオリティで見たかった。「世界報道写真展2011」展は、世界各地の悲惨な出来事を記録している。今はどうしても日本の悲劇に目を奪われがちだが、世界にはわれわれが知らなかった事件や災害があまりにも多い。その後、初台に移動し、ホンマタカシの「ニュー・ドキュメンタリー」展を見たが、金沢21世紀美術館とは逆の順番で構成されていた。ベタなドキュメンタリーとは一線を画する世界の切りとり方である。

2011/06/12(日)(五十嵐太郎)

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東北大学五十嵐研究室学生編集『ねもは』2号

発行日:2011年6月

文学フリマにあわせて、五十嵐研の学生らによる建築同人誌『ねもは』2号が完成した。完全版ではないとはいえ、300ページ以上のヴォリュームで500円。特集は、建築コンペやプレゼンテーションであり、分厚い資料編は、90年代の『建築思潮』を思い出す。加茂井新蔵の挑発的なアイデア・コンペ/擬似建築論(相変わらず読みにくい)、服部一晃のSANAA人間論、ゼロ年代シーンを歴史的に論じる市川紘司など、20代半ばによる論考を収録している。コンペ有名人のアンケートやインタビューも、20代の新人を強く意識した内容だ。震災によって東北大の研究室が使えず、図書館もろくに入れない状況で、よくこれだけの密度が濃い雑誌を制作できたものだと感心する(筆者の知るかぎり、被災しなかったエリアの建築系同人誌で、これより言説が充実したものは刊行されていない)。
『ねもは』1号からも設計思想が変更・発展し、『エディフィカーレ』を超え、『ラウンド・アバウト・ジャーナル』以来の最大の衝撃だ。これは歴史に残る。建築に閉じているという批判がいかにも出そうだが、社会に惑わされず、まずは建築を考えてよいと思う。

2011/06/11(土)(五十嵐太郎)