artscapeレビュー

木村覚のレビュー/プレビュー

ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(The Show Must Go On)

会期:2011/011/12~2011/11/13

彩の国さいたま芸術劇場大ホール[埼玉県]

始めから終わりまでポップソングが流れ続け、曲のタイトルにちなんだ行為を曲毎にパフォーマーたちが一斉に行なうというきわめてミニマル(アート)な作品。真っ黒な舞台空間の真ん中に曲のタイトルを表示する白いバーがある様子は、フランク・ステラの「ブラック・ペインティング」を連想させる。この作家がかなりコンサヴァティヴなモダニストだと憶測せずにはいられなくなる。淡々と曲が変わり、その度に情景が変化する。そうしてつながる展開は、いわゆる物語ぬきに、場面をドラマティックにする。「Let's Dance」がかかればパフォーマーたちは踊り出し、「Into My Arms」がかかれば抱き合う。「Private Dancer」は音響スタッフひとりが舞台で踊ることをうながし、「Killing Me Softly」は全員が静かに倒れゆくシーンを牽引する。うまい。観客も仕掛けに乗せられ、ときおり手拍子が起こる。「曲のタイトルに動機づけられ行為が決められる」という自己言及的なルールは、道理があり無駄がない、故に説得力がある。ただし、それだけか、という気にもさせられる。「ミニマル・アート」によくある空虚感に似ているとでもいおうか。できたら、どこか狂気じみていてほしいと思う。とても優等生的で、いやらしい。日本で集めた多様な出自のパフォーマーたちはただルールを遂行する「駒」でしかなく、どう自分勝手に踊ってみてもそれは「〈踊る〉というルールの具現化」としか映らない。どんなルールも実行しないわけにはいかない存在故のかわいさをパフォーマーから感じることはあるにしても。

ザ・ショー・マスト・ゴー・オン

2011/11/13(日)(木村覚)

チョイ・カファイ『ノーション:ダンス・フィクション』

会期:2011/011/07~2011/11/08

シアターグリーン BOX in BOX THEATER[東京都]

シンガポール出身のマルチ・クリエイター、チョイ・カファイによる、工学的デモンストレーションにしてパフォーマンス作品。筋肉の動きを、電極を介してデータ化し、データをダンサーに「インプラント」するというチョイ・カファイのアイディアは、プレゼンテーションを聞いているだけでもわくわくさせると同時に「眉唾」な気持ちにもさせられる。とりわけ、デモンストレーターとして参加している北欧のダンサーが電極を体中に付けて、その刺激によって20世紀の代表的なダンスを踊るという場面に「そんなことができたらすごいことだ」と思わされてしまうのだけれど、デモンストレーターの踊りが、電極によって踊らされているのか、自分で踊ってしまっているのかが判然とせず(いや、明らかに後者に見えてしまい)、信用がもてない(タイトルに「フィクション」とあるのだから、弁解ずみと見るべきか)。それでも、パフォーマンスとして面白く見てしまったのは、そもそも「科学」と「奇術」は近接していたはずだし、19世紀から20世紀にかけて娯楽の殿堂ではしばしば、ダンサーを介した科学的奇術が行なわれていたわけで、そんないにしえのショーを思い起こさせられたからだ。いや、こうしたシステムが実現する未来はそう遠くないのかもしれない。「そのときダンスは一体どうなるのだろう」などと空想を喚起する力こそ本作の魅力のはずで、科学は奇術だったと嘆息させられたというよりは、奇術が科学になる可能性を垣間見せられたパフォーマンスだった。

ノーション:ダンス・フィクション

2011/11/07(月)(木村覚)

加藤翼「11.3project」

会期:2011/011/03~2011/11/03

福島県いわき市平豊間兎渡路[福島県]

この土地のシンボルと思われる塩屋崎灯台が遠くで屹立するなか、その1/2スケールの構造物が、ゆっくりとバランスをとりながら引き興されていった。ロープを引く200人ほどの参加者に加藤翼は「せーの」と何度も声をかける。参加者はその声とともにひとつになった。感動的な光景だった。これまでも、参加者が一丸となってロープを引っぱり、構造体を引き倒したり引き興したりするパフォーマンスを加藤は行なってきた。ただし、それは基本的に芸術的な行為であり、それ以外ではなかった。今回のこれは違う。メインイベントの前座にあたる、地元の歌手による歌謡ショーは1時間以上続いた。演歌や懐メロが高らかに鳴り響き、歌手の冗談が笑いを誘う、その声は地震と津波の猛威の爪痕がいたるところに残る場所を癒していた。当地の人々にとって、これはたんなる芸術活動ではない。久しぶりに顔を合わせた人々、笑い顔の影で、いたるところで涙が流れていた。当地でボランティア活動を続けてきた加藤が、その思いを自分の芸術的な方法をとおして表現した。文化の力で「11.3」という日に「3.11」をひっくり返す。社会のなかへ介入し、加藤の作品にひとつの社会的な意味が生まれた。さて、その成果をどう芸術の問題として展開してゆくことになるのか、その点から今後の加藤の活動に注目していきたい。

2011/11/03(木)(木村覚)

バナナ学園純情乙女組『バナ学☆★バトル熱血スポ魂秋の大運動会』

会期:2011/010/26~2011/11/01

グリーンシアター BIG TREE THEATER[東京都]

秋葉原的なもののみならず、モー娘。やらAKB48やらZONEやらオザケンまでもがみじん切りにされ、数十名の出演者たちは歌い踊りながら観客に噛みつき、キスし、ポンポンを投げ、ヤジを飛ばし飛ばされながら、舞台という鍋のなかでぐつぐつ煮込まれる。観客は、爆音のなか、本物の水や豆腐やわかめ(!)が飛ぶなか、出演者たちにおびえ、ヤジを飛ばされ飛ばし返しながら、ひたすらそのカオティックな煮物を鑑賞するというより浴びるのだ。若さという武器が、無意味な、たんなるカロリー消費としてしか使えない現実にいらだちつつも、なりふりかまわず振り回してみる。アゲかサゲしかない青春という名の地獄がここにある。「カオス」という意味では、この「鍋」状態は「カオス*イグザイル」を何十倍か凌駕し、観客にヲタ芸をやらせる巻き込み力は、観客に旗を振らせたロメオ・カステルッチのうながしを何十倍か凌駕する。雨合羽を着た観客が瞬間瞬間の出来事におびえ爆笑するその60分の地獄めぐりは、劇団OM-2を微かに彷彿とさせるものの、圧倒的なへたれ感はあまりに現代的であまりに日本的で「パフォーマンス」なるものの枠から激しく逸脱している。なにも記憶に残らず、ただ体の火照りだけがいつまでも消えない。この感覚こそ彼らが観客の内に刻みつけようとしているものなのだろう。これが演劇なのかダンスなのかアートなのかなんなのかは、さしあたりどうでもいいことだ。すべての価値がフラット化し、ゆえにすべてが限りなく無価値になってゆく焦土と化した世界。そこで灰に火をつけるかのような表現が若い女性作家の手によって遂行されているという事実。そこに未来を感じたい。

★バナナ学園★×F/T=フェスティバナナ!!!!

2011/10/31(月)(木村覚)

プレビュー:クリウィムバアニー『がムだムどムどム』

会期:2011/11/25~2011/11/27

シアタートラム[東京都]

フェスティバル/トーキョー関連など、今月も上演作品が盛りだくさんです。そのなかで期待したいのは、クリウィムバアニーの新作公演『がムだムどムどム』(2011年11月25日~27日@シアタートラム)。イデビアン・クルーで活躍するダンサー菅尾なぎさが振付・演出を行なうダンスグループは、女の子が女の子のフェティッシュな魅力を見出し、採集した女の子性をダンス作品として上演するといったスタイルで、これまでも話題を集めてきた。今回は「歩き回ってみていただく、遊覧型ぱふぉーまんす!!どうじたはつで、こんぜんいったい」だそうで、会いに行けるグループアイドルが国民的人気を獲得する昨今、日本のコンテンポラリーダンスの側にいる者として彼女たちがどんな仕掛けを用意しているのか、期待して待ちたい。

2011/10/31(月)(木村覚)