artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
獄中画の世界 25人のアウトサイダーアート展
会期:2010/09/10~2010/09/19
Gallery TEN[東京都]
「獄中画」とは牢獄で描かれた絵画のこと。帝銀事件の故平沢貞通をはじめ、元連合赤軍の重信房子や愛犬家殺人事件の風間博子、さらには映画監督の足立正生や匿名の獄中者など、25人による40点あまりの獄中画が展示された。使用できる画材が限定されているせいか、ボールペンだけで緻密に描きこんだ作品が多いが、モチーフは風景や動物、仏像など幅広い。企画者が「アウトサイダーアート」として位置づけているように、展示された獄中画は高度な技術を駆使しているわけではないし、美術史の先端に居場所を求める貪欲さとも無縁であり、描くことの純粋さにおいては、どんな著名な絵描きよりも勝っているといえる。ただ、逆にいえば、その純粋性は獄中で描かれたというサブ・ストーリーに大きく依存しているわけで、実際自由への渇望や死刑の恐怖を感じさせる絵には、獄中者の内面と描かれたモチーフがあまりにも直線的に結ばれているがゆえに、不自由な獄中で自らを内省しながら描いたという獄中画の物語に回収されてしまっているように思えた。しかし、そうしたクリシェを免れる絵がなかったわけではない。それが、元連合赤軍、永田洋子の絵だ。マンガのような描線で獄舎の日常を描いた絵にあるのは、獄中で暮らす自らを徹底して見つめるリアリズム。そこには、多くの獄中者が不自由な獄舎から自由な外界を夢見るのとは対照的に、いまある不自由さを直視する冷徹なまなざしが一貫している。柔らかな描線で子どものようなキャラクターを描いているだけに、その冷たく硬い意思がよりいっそう際立ち、恐ろしく感じられるといってもいい。「獄中画」というジャンルに内蔵された定型的な物語を撹乱しているという点で、永田洋子の絵は評価したい。
2010/09/15(水)(福住廉)
寺井絢香 展
会期:2010/09/13~2010/09/18
ギャルリー東京ユマニテ[東京都]
縦長の紙に鉛筆で描いた野菜や消耗品などの絵。部分的に色鉛筆を用いているようだが、基本的にはモノクロームで、キウイやメロンパン、鍵などをそれぞれの質感を一つひとつ丁寧に描き出している。それらがほぼ等間隔に立ち並んだ光景は壮観だが、手前から奥に向って拡がりのある構図と、ほとんど同じ大きさの支持体のおかげだろうか、展示の空間全体に生まれた奇妙なリズムが心地よい。会場の中央に立つと、まるでおびただしいモノが流れ込む滝壺にはまり込んでしまったかのようだ。紙と鉛筆という単純な道具で豊かな世界を創り出す、アートならではの魅力を存分に発揮した展観だった。
2010/09/15(水)(福住廉)
前衛★R70展
会期:2010/09/13~2010/10/02
Gallery-58[東京都]
70歳未満は出品不可という企画展。赤瀬川原平、秋山祐徳太子、池田龍雄、田中信太郎、中村宏、吉野辰海がそれぞれ新作を発表した。小品とはいえ、それぞれの芸風を存分に発揮した作品を展示していたので、たしかに見応えはある。けれども、同時に顔も名前も十分に広く知られた「前衛」作家たちであるという条件を抜きにして作品を客観的に見ることが難しいのも事実だ。彼らが「前衛」の花形、平たくいえばスターである以上、それは仕方がないことなのかもしれない。しかし、現在のぬるいアートシーンに喝を入れることができるのが、かつてのスター・アーティストたちだけだとしたら、それはまた別のぬるさを呼び込んでしまうことになりかねない。むしろ、顔も名前も知られないまま、70歳を超えてなお、制作活動に打ち込んでいる未知の老人による表現こそ、アートシーン全体を根底から震撼させることができるのではないだろうか。かねてからの自論だが、この際、金太郎飴のような似たり寄ったりの国際展や若者を吸い上げる公募展はもうやめにして、全国津々浦々、知られざる老人による表現行為や創作活動を一堂に会した「シルバー・ビエンナーレ」を開催してはどうだろうか。甘ったれた若造に焼きを入れるには、かつてのスターを召還するより、わけのわからない老人を結集させるのがいちばんである。その有象無象のカオスの中から、私たちの文化や社会福祉に貢献できるアートを探し出すことは、きっと楽しい。
2010/09/15(水)(福住廉)
カール・ハイド展
会期:2010/08/25~2010/09/15
ラフォーレミュージアム原宿[東京都]
UNDERWORLDのメンバーであり、TOMATOのメンバーでもあるカール・ハイドの個展。鉛筆で書き殴ったドローイングの上に色を塗って仕上げた平面作品などが展示された。会場にはライブ・ペインティングの記録映像のほかに、UNDERWORLDの楽曲などが流されていたように、音楽と絵画の重複から独自の芸術を手繰り寄せようとしていたようだ。しかし、その平面作品はどういうわけか「日本的」で、支持体に和紙を用いているからなのか、墨筆による円状の形が吉原治良を連想させるからなのか、とにかくやたら和風を意図したような作品が多い。それらとテクノの音が混ざり合った会場には、胸に「原宿」という漢字がプリントされたTシャツを嬉々として着ている外国人を目撃してしまったときに感ずるような、奇妙な空気が流れていた。もしかしたら、この違和感は外国人の視線によって外在的にとらえた「日本」のイメージを内側から見るというねじれた経験に由来しているのかもしれないが、逆にいえば、西洋から輸入して社会に定着させようとしてきた日本の「美術」のありようも、もしかしたら彼方から見れば同じような違和感とともに見られているのかもしれない。ようするに、ねじれたまま結びつけられているという点で、「お互いさま」なのだろう。
2010/09/14(火)(福住廉)
3331アンデパンダン
会期:2010/09/08~2010/09/19
3331 Arts Chiyoda[東京都]
東京に新たに生まれたアートセンター「3331 Arts Chiyoda」で催されたアンデパンダン展。3331の大きな特徴であるホワイトキューブに、全国から集まった200名以上の出品者による300点以上の作品が立ち並んだ展観はアンデパンダンならではの雑然とした熱気を放っていた。もちろん、それは玉石混交にはちがいないが、それにしてもそうした有象無象による表現への欲望を一カ所で受け入れる場が東京の中心に生まれたことの意味はかなり大きい。美術館や画廊が次々と乱立されていく一方で、そうした制度に乗らない表現は、基本的には野放しにされたままだったからだ。このアンデパンダン展によって、今後知られざるアーティストが新たに発見されることへの期待は高い。個人的に気になったのは、瀬戸内寂聴の言葉をただ抜き出した高屋聖子、既成の地形図をちぎって日の丸に再構成した井川優子、知的で難解な言葉の語感から、それらのイメージを妖怪として図像化した島本了多。とくに島本は、「ジェンダー」から筋肉ムキムキのマッチョな妖怪を、「ジャーゴン」からゴーヤのようなブツブツ感を、それぞれ連想するなどして、美術関係者にありがちな知的なスノビズムをけろりと批判してみせた。「スノビズム」や「アンデパンダン」はどんな妖怪になるのだろうか?
2010/09/12(日)(福住廉)