artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

水森亜土 展~どうしてずっとアドちゃんが好きなの?~

会期:2010/10/01~2010/12/26

弥生美術館[東京都]

イラストレーター・水森亜土の回顧展。イラストレーターのみならず、歌手、女優、画家、タレントなど多才な活動を繰り広げる亜土ちゃんの全貌に、イラストレーションの原画やテレビ出演の映像、幼少時に影響を受けた視覚資料、雑誌の連載記事など、さまざまなアプローチから迫った。じっさい、「絵は天職、歌は本職、女優は内職」と語っているように、亜土ちゃんのクリエイションは多岐に渡っており、その多方向性が、イラストレーションの歴史から彼女を外す事態を招いているのかもしれない。挿絵や図解など、文字を説明するという補助的な役割からイラストレーションという自立的なジャンルとして成熟させるうえでは、そうした排除の政治学もあるいは必要なのだろう。けれども、亜土ちゃんのイラストが大衆に広く愛されてきたことは厳然たる事実であり、その事実を無視した「歴史」にはたして何の意味があるのか、よくわからない。むしろ、彼女のイラストが亜土ちゃんというキャラクターと不可分であることを考えれば、水森亜土は岡本太郎や草間彌生、石田徹也、山口晃などと並ぶ、「アイドル・アーティスト」として歴史化するのがふさわしい。

2010/10/17(日)(福住廉)

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今日の反戦反核展2010

会期:2010/09/11~2010/10/15

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

美術評論家の故・針生一郎が呼びかけてきた毎年恒例の企画展。池田龍雄をはじめ、坂口寛敏、前山忠、増山麗奈など、90名による作品が展示された。反戦反核のメッセージを文字によって表現する直接的な作品から色やかたちによって表現する抽象的な作品までさまざまだが、残念ながらいずれもひとつの作品として突出することがなく、全体的に横並びの印象が強い。それが作品の質に由来するのか、それとも「反戦反核」という文脈の質に起因するのか、わからない。けれども、ひとまず誰もが出品できるアンデパンダン形式を再考するべきではないだろうか。たとえば毎年、特定のキュレイターに特定のアーティストを選ばせるなど、個展やグループ展の形式によっても、「反戦反核」というメッセージに接続することは十分可能である。「反戦反核」という言葉の硬さをもみほぐすことができる若いアーティストはたくさんいるだけに、もったいなくてしょうがない。

2010/10/15(金)(福住廉)

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第3回写真「1_WALL」

会期:2010/09/21~2010/10/14

GUARDIAN GARDEN[東京都]

かつての「ひとつぼ展」をリニューアルした公募展。2回にわたるポートフォリオの審査をくぐり抜けた6名の写真家がそれぞれ作品を展示したが、会期中に催された公開審査でその中からグランプリが決定した。画期的だったのは、会場にその公開審査の様子を記録した映像が発表されていたこと。審査員による厳しい質問や突っ込み、写真家による応答や主張などのやりとりが生々しい。注目したのは、いしかわみちこ。痴漢の被害者になってしまった自分を題材にして、警察の取調べを文字で再現しながら、当時の状況を再現する写真などを発表した。ストロボによって闇夜に浮かぶ身体の部位、ブルーシートの上に置かれた衣服などが、事件の恐怖を物語っているように見える。けれども同時に、そこには被写体となったモノをモノとして突き放したような視線も垣間見られたので、もしかしたら写真というモノによって事件というコトを相対化しようとしていたのかもしれない。こうした暗い写真が90年代以後のガーリーな写真の文字どおりネガであることはまちがいないし、審美的なフィルターを通すことなくあくまでも即物的に日常をとらえ直すことを考えれば、暗闇の中に夢幻的な光景を写し出す、たとえば高木こずえや志賀理江子など昨今の写真とも異なる、いしかわならではの写真であることがわかる。残念ながらグランプリは逃したが、いしかわの作品こそ新しい写真として評価したい。ただし、会場の壁面に家の扉を設けるなど、空間インスタレーションとして見せたかったようだが、空間に制約のあるグループ展という性格上、その効果は半減してしまっていた。機会を改めて、空間を存分に使い倒した展示を見てみたい。

2010/10/14(木)(福住廉)

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窪田俊三 展

会期:2010/10/11~2010/10/16

コバヤシ画廊[東京都]

白い支持体に無数の黒い点。一見すると、よくある細密画のようだったが、目を凝らしてみると、一つひとつの点はじつは穴で、しかも小さな開口部の縁が所々めくれ上がっている。作家によれば、電動ドリルでひとつずつ穴を穿ったという。わずか数ミリの鋭い先端で何度も何度も平面を撃ち続ける身体の運動性。そこには「平面」にたいする激しい愛憎の念が感じられたが、その両義性を抱えつつも、最終的に「平面」として完成させている以上、やはり愛のほうが勝っているということなのだろう。

2010/10/14(木)(福住廉)

諸国畸人伝

会期:2010/09/04~2010/10/11

板橋区立美術館[東京都]

18~19世紀にかけて活躍した「畸人」たちによる絵を集めた企画展。曽我蕭白や白隠をはじめ、菅井梅関、林十江、佐竹蓬平、加藤信清、狩野一信、祗園井特、中村芳中、絵金の10人による作品48点が展示された。大きくいえば、いずれも辻惟雄がいう「奇想の系譜」に位置づけられる奇天烈な絵ばかりで、おもしろい。とくに、井特(せいとく)による太い眉毛の美人画や絵金の血みどろの芝居絵屏風、芳中(ほうちゅう)の丸みを帯びた独特の描線などに見応えがあった。ただ、それ以上に深く印象づけられたのは、信清と一信を除き、彼らはみな地方で制作していたという事実だ。作者の説明を記したキャプションにはわざわざ「陸奥」「常陸」「信濃」などと併記されていたから、企画者があえてこの点を強調しようとしていたことが伺える。制度的にも地政学的にも、畸人は中央よりもむしろ地方で育まれた。このことは、地方に在住しながら制作に勤しむ現在のアーティストたちにとっての希望の原理である。

2010/10/11(月)(福住廉)

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