artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
北九州国際ビエンナーレ2009 「移民」
会期:2009/10/10~2009/11/15
旧JR九州本社ビルほか[福岡県]
福岡県北九州市の門司港で開催された国際展。会場は1回目の2007年と同じ旧JR九州本社ビルで、参加アーティストも、シンガポールのチャールズ・リム以外、前回と同じ面々でそろえられた5組。ただ前回と大きく異なっているのは、出品作品が映像だけで占められており、しかもその形式もほとんど同じだったこと。都市の街並みやそこで労働する人びとを収めた静止画像をわずかに動かしながらゆっくりとクローズアップする映像を、いっさいの音声もなく、ただ延々とループ状に反復させた。映像の形式が統一されているせいか、それぞれのアーティストの個性が打ち消され、集団的な制作活動なのではないかと思えるほど、その内容も同じように見えたが、これが独創的なアーティストという神話を打ち砕く野心的な試みであることはまちがいない。けれども、こうした挑戦的な手法が「移民」という今回のテーマに対応しているのかどうかは甚だ疑問である。画一的に均質化された映像が「世界標準」の名の下に世界の凹凸を平らにならしていく現在のグローバリズムのメタファーとして考えられなくもないが、ではそこからあふれ出し、逃げ出し、移動し続ける「移民」はいったいどこにいるのだろうか。その謎を問いかけたという意味では成功なのかもしれない。けれども、映像を見る快楽をこれほどまで否定する禁欲的な映像が、どこまで問いを問いとして持続させることができるのか、きわめて疑わしい。
2009/11/14(福住廉)
アジア現代美術展──「ただいま」
会期:2009/09/05~2009/11/23
ギャラリーアートリエ[福岡県]
第4回福岡トリエンナーレと同時期に同建物内で催された展覧会。九州大学文学部の後小路雅弘教授の研究室で学ぶ学生たちが企画した。彼らに選び出されたアーティストは、同トリエンナーレの選考からもれたアジアのアーティストたちから選び出された6人と、日本人のアーティスト2人を加えた、合計8人。狭い空間とはいえ、それぞれ力のある作品が展示された。おおかたの作品に通底しているのは、日々の凡庸な日常にたいする鋭い意識。凡庸な日常風景を切り取った断片を短い映像で淡々と見せる鈴木淳は、彼のライフワークともいえる《だけなんなん/so what?》を、角田奈々は実母の生き様を写真に収めた《狭間》を、それぞれ発表した。なかでもひときわ際立っていたのが、マレーシアから参加したクリス・チョン・チャン・フイ。その映像作品《B棟》はクアラルンプール郊外の団地を一日中ワンカットで延々と撮影し続けたもの。視覚的には共同の廊下や階段を行き交う人びとが小さく見えるだけだが、聴覚的には彼らが交わす言葉や音楽、あらゆる類の生活音などが建物の内外から聞こえてくるので、そこでじつに多様な人びとが暮らしていることがリアルに伝わってくる。日中は主婦たちの世間話や子どもたちの歓声が多いが、夜になると扉を華やかに彩る電飾や廊下から打ち上げられる花火に驚かされ、恋人たちが愛の言葉を囁きあい、やがて鈴虫の音色が夜の空気にこだまする。日常に否定的に介入するのでもなく、安易に肯定するのでもなく、ただ日常そのものを即物的に記録した映像でありながら、じつに豊かな人間の営みを浮き彫りにしてみせた傑作である。
2009/11/13(福住廉)
さかぎしよしおう展
会期:2009/11/03~2009/11/21
ギャラリエ アンドウ[東京都]
美術家・さかぎしよしおうの新作展。陶土を溶いた水をスポイトから垂らして手のひらサイズの造形物を創り出すことで知られているが、今回その超絶技巧は今までにない展開を見せた。球体と球体を直線状に積み上げるのではなく、球体と球体のはざまに球体を落とし、ちょうどレンガ状に積み上げる構造に変化したのだ。だからだろうか、造形物の表面はよりいっそう密度が増し、強固で堅牢な印象を強く醸し出していた。同じ技を駆使しながらも、ちがう作品として提示してくるところに、つねに新しさを見せ続けるアーティストとしての揺るぎない矜持を見た。
2009/11/12(福住廉)
群馬の美術 1941-2009
会期:2009/09/19~2009/11/15
群馬県立近代美術館[群馬県]
戦後の群馬の美術の歩みを振り返る展覧会。戦前の1941年に結成された群馬美術協会にはじまり、県美術展の制度化、60年代半ばに「群馬アンデパンダン展」を開催していたNOMOグループ、74年に開館した群馬県立近代美術館など歴史的な時間軸を中心にしながら、日本画・洋画・立体・工芸・インスタレーションなど、さまざまな表現形式による作品160点あまりが展示されている。いわゆる団体展系の作品が多いことはたしかだが、それにしても福沢一郎や山口薫、鶴岡政男など、群馬に縁のある絵描きが多いことに驚かされる。なかでもひときわ際立っていたのが、おそらく出品作家のなかでもっとも若い、八木隆行の《B2プロジェクト 足尾》。小さな湯船を背負って山奥まで歩いていき、そこでお湯を沸かしてビールを呑みながら屋外での即席入浴を楽しむというプロジェクトだ。地形図に記された八木の足跡はストイックな求道者を連想させるが、じっさいの光景を写した写真を見ると、じつにのどかで楽しそうである。地方における美術の制作活動がますます困難を向かえている昨今、八木のプロジェクトは「地方でもひとりでも十分にやっていける」というたくましさを高らかにアピールしていたように見えた。
2009/11/10(福住廉)
写真の現在・過去・未来─昭和から今日まで
会期:2009/10/09~2009/10/28
横浜市民ギャラリー[神奈川県]
横浜開港150周年事業のひとつとして催された写真展。タイトルに示されているように、現在と過去と未来をそれぞれ振り分けて展示を構成することで、写真を貫く時間軸を浮き彫りにしようとしたようだ。じっさい、横浜市民ギャラリーと横浜美術館が所蔵するコレクションから選んだ「昭和の写真」、市民参加型のプロジェクト「未来に残したいヨコハマの風景」、そして池田昌紀、進藤万里子、原美樹子の3人のフォトグラファーによる「現代の写真表現」を順番に見ていくと、写真にまつわる直線的な時間の流れをじつに明快に理解することができる。けれども、大きな疑問だったのは、市民が撮影した写真を「未来」に位置づけていたこと。当然のように、横浜の代名詞ともいえる「山の手」を写した写真が大半を占め、結果的にどれも変わり映えのしない凡庸な展示になってしまっていたが、これはむしろ横浜の「現在」をテーマとしたほうが、よりバラエティに富んだ写真が集まっていたのではないだろうか。人工的で無機的、あるいは潔癖症的な「みなとみらい」と灰色の空気が立ち込める「寿町」のように、横浜の現在は両極端な街並みと人びとによって構成されているからだ。あらゆるアプローチによってリアリティを追求する写真が、その両端をおさえないで、はたして写真といえるのだろうか。
2009/10/28(福住廉)