artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

大巻伸嗣 絶景

会期:2009/08/01~2009/11/08

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

大巻伸嗣の個展。「環境とゴミ」をテーマにリサーチを重ね、ゴミを焼却処分された後に生成される「溶解スラグ」を用いた新作など、3点を発表した。《真空のゆらぎ スカイライン》は、1階に富士山のような円錐型の山塊を置き、その上部にあたる2階をまるごと溶解スラグで埋め尽くしたもの。物質の形体を整えて美的な効果を狙うアーティストが多いなか、大巻はむしろ物資の膨大な量で鑑賞者を圧倒する。映像インスタレーションの《言葉の無い予言》も、溶解スラグで造成した「黒い砂浜」で湾岸の映像を見せる作品だが、これは都市の環境問題を鋭く告発することはもちろん、「黒い砂浜」の物質的な強度を見せつけることによって、形式美を追及するアートが快適で心地よい「白い砂浜」を上書きしているにすぎないことを批判的に暴き立てているように見えた。どちらが社会的に有意義であるかは、一目瞭然だろう。

2009/09/25(金)(福住廉)

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動物園にエイゾウがやってきた!

会期:2009/08/29~2009/11/29

横浜市立野毛山動物園[神奈川県]

10月末日から催される「ヨコハマ国際映像祭2009」のサテライト企画。動物園の園内で、泉太郎、野村誠+野村幸弘、SHIRABROSの3組のアーティストがそれぞれ作品を発表した。鍵盤ハーモニカ奏者の野村誠は、檻のなかの動物たちに向けて演奏してまわり、その様子を撮影した野村幸弘による映像を、園内に設置された古いバスのなかで発表した。動物という人類にとって完全な他者を相手にしたコミュニケーションのほとんどは当然成就することはないが、楽器に興味を示した動物と協演しているように見える瞬間がないわけではない。けれども、そのような期待を込めて動物の一挙一動を見守るということじたいが、動物の「生」をいつも以上に丁寧に観察することになっていることに気づかされる。音楽という手段が動物園という目的にかなうことを実証した作品だといってもいい。一方、動物園という目的とはまったく無関係に作品を発表したのが、泉太郎。「シロクマの家」を全面的に使った映像インスタレーションで、ふだん観客がシロクマを鑑賞するための舞台はもちろん、その外周に掘られたプールの底からバックステージや檻の中まで、ふんだんに空間を使い込んだ展示で、じつにおもしろい。先ごろ群馬県立近代美術館で発表された《貝コロ》と同じ発想でつくられた新作は、サイコロを振って出た目の指示に従いながら、さまざまなコマを進めていく遊びだが、撮影されたシロクマのステージと同じ場所で見せられ、かつコマの残骸が現場にそのまま残されているため、映像の中と外がリンクしているのがわかる。ただ、コマとして使ったプラスティック製のキャラクターをガムテープでぐるぐる巻きにしたり、絵の具をぶっかけたり、動物園に期待されている子どもの情操教育にとってはあまり歓迎されないような作品も多い。その意味では動物園という場にはまったくそぐわないが、しかし、そうした破壊的な行為が子どものリアルな心情に訴えかけることもまた事実である。野村と泉の作品は、それぞれ異なるアプローチで、動物園という場にアートを持ち込むことに成功した。

2009/09/23(水)(福住廉)

第1回所沢ビエンナーレ美術展 引込線

会期:2009/08/28~2009/09/23

西武鉄道旧所沢車両工場[埼玉県]

昨年の「所沢ビエンナーレ・プレ美術展」に続いて、同じ時期に同じ会場で催された美術展。前回と同じコンセプトにもとづきながらも、参加作家を大幅に増やし、展示スペースも増床して、かなり大規模な展覧会となった。ベテランから中堅、新進のアーティストまで37名による作品を3つの会場に分けて展示していたが、なかでもすぐれていたのが前回では使われていなかった第3会場。直線の線路に沿った細長い空間だが、その空間的な特性を巧みに利用した秀作が多かった。トーチカなど戦争の遺構を撮るシリーズで知られる写真家の下道基行は、戦争で使用されていた滑走路の現在の写真と、その現場を記す地形図をあわせて発表したが、写真と地図のなかの滑走路と会場の床に敷かれたレールをパラレルにあわせることで、写真と地図に閉じ込められた空間的な奥行き感に、よりいっそうの拡がりをもたらしていた。巨大な織物を2枚、空間に垂れ下げた手塚愛子も同じようなセンスが伺えるが、そうしたセンスとはまったく無関係に、この会場でひときわ異彩を放っていたのが増山士郎。会期中の全般にわたって、夜間は運送業のアルバイトに出掛け、日中は会場内に設置した小屋で睡眠をとるというパフォーマンスをおこない、その面接の様子を記録した音声と映像のほか、履歴書や業務契約書、バスの時刻表など細々とした書類も一挙に発表した。契約していた海外のコマーシャル画廊がつぶれ、なくなく日本に帰ってきた増山を待っていたのは、住む場所も働く場所もない、まさに貧困問題だったが、増山の作品がすぐれているのはそうしたリアルな問題をまざまざと見せつけると同時に、おのずと問題への対策をも提示しているからだ。面接で「自分の性格を一言でいうと?」と聞かれ、さんざん迷った挙句「……体力です」と答えた増山には、貧困を乗り越えていくたくましさがある。

2009/09/22(火)(福住廉)

鎌田紀子「torotorotoro…」

会期:2009/09/20~2009/10/12

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

岩手県在住のアーティスト、鎌田紀子の個展。布製の人形やドローイングなどを発表した。肌色のメリヤスなどを縫い合わせた人形たちが天井から吊られながら辛うじて自立し、椅子に力なく腰掛け、階段にゴロンと横たわる異様な光景に圧倒される。いずれも頭髪はなく、肌着を素材としているせいか、ひょろひょろの身体の肌質が妙に生々しい。こぼれ落ちそうなほど大きな眼は焦点が合っておらず、虚空を見つめているようだし、わずかに開いた口の奥に垣間見えるギサギザの歯が秘めた凶暴性を物語っているようでもある。ふつう人形といえば、人間との親密性を体現するものだが、鎌田の人形たちには、人間を受け入れながらも、どこかで突き放し、拒絶する、頑なな意思が垣間見えるのだ。その隠された半身の闇が、見る者にどうしょうもない居心地の悪さを与えているのかもしれない。だが、人間のコミュニケーションとは、どんなに深く理解しあったとしても、そうした裏切りの可能性が残されているのだすれば、じつは鎌田の人形は、ほんとうの意味で人間の精神を宿しているといえるのではないだろうか。

2009/09/20(日)(福住廉)

平沢豊/ポール・ヴァン・リール写真展

会期:2009/09/01~2009/09/14

新宿 Nikon Salon[東京都]

1969年の東大全共闘とアムステルダム大学占拠をそれぞれとらえた写真展。モノクロであわせて70点あまりが展示された。同時期に生まれた若者の叛乱を収めた写真を見比べてみると、いかにもフランス的、日本的としかいいようがない、差異に気づく。あちらが乾いた気候でおしゃれにのんびりと大学を占拠しているのにたいして、こちらでは湿った風土のなかで必死にがっつきながら闘っているとでもいえようか。このちがいは歴然としているが、昨今の新しい運動形態は、このあいだの距離を双方から縮めているように思われる。いま、同じような発想で写真を撮り比べてみたら、どうなるのか、興味深い。

2009/09/14(月)(福住廉)