artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
吉岡専造「眼と感情」
会期:2017/02/28~2017/03/26
JCIIフォトサロン[東京都]
吉岡専造(1916-2005)は、1939年に東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)を卒業後、朝日新聞社東京本社に入社し、以後、同社写真部のカメラマンとして1971年の定年退職まで勤めた。とはいえ、戦後はフリーの立場で仕事をすることも増え、『アサヒカメラ』などのカメラ雑誌にも次々に作品を発表して、大束元、船山克とともに、「朝日の三羽烏」と呼ばれることもあった。今回の展覧会には、遺族からJCIIに寄贈されたオリジナル・プリントのなかから、「生前に吉岡さん自身が選び、まとめていた」という代表作約60点が展示されていた。
むろん、フォトジャーナリストとしての意識が強い写真なのだが、そこには吉岡自身の被写体に対する感情もまた、色濃く滲み出ているように感じる。彼は「私の作画精神」(『アサヒカメラ』1953年4月号)という文章で、自分には「心の眼」と「写真のメカニズムの眼」の「二つの眼」があると書いている。撮影に際しては、「写真のメカニズムの眼」に従わなければならないのだが、それはあくまでも「心の中にあるカメラの仮の姿」にすぎない。そんな彼の写真家としての信念が、実際の作品にもきちんとあらわれていた。
特に、『アサヒカメラ』に1952年5月号から57年12月号まで69回にわたって連載され、そのうち吉岡が27回分を担当した「現代の感情」は注目すべき連作である。「傍聴席」(『アサヒカメラ』1952年5月号)、「運命の子ら」(同1952年6月号)、「鳩山退場」(同1957年3月号)などの名作を見ると、ヒューマニスティックな感情を基点にしつつ、カメラのメカニズムを巧みにコントロールしてその場の状況を的確に描き出していく、彼の「心の眼」の動きがいきいきと伝わってくる。
2017/03/01(水)(飯沢耕太郎)
普後均「肉体と鉄棒」
会期:2017/02/15~2017/02/25
ときの忘れもの[東京都]
「肉体と鉄棒」というのはなかなか面白いタイトルだ。ある日突然、普後均にそのタイトルが「降りてきた」のだという。すぐに近くの鉄工所に赴き、「高さも幅も2mほどの組み立て式の鉄棒を作ってもらった」。タイトルが先に決まるというのは、特に珍しいことではないが、そこから作品に落とし込んでいくときには、周到で注意深い操作が必要になる。普後は、まず新品の鉄棒を数年間自宅の外に放置して錆びさせ、2003年頃からようやく撮影にとりかかった。それから10年以上をかけて、少しずつ数を増やしていったのがこの「肉体と鉄棒」のシリーズである。会場には深みのあるトーンのモノクローム印画、17点が展示されていた。
鉄棒にはさまざまなものが乗ったり、ぶら下がったりしている。ヌードの女性もいるし、バレーシューズを履いた脚、猿、蛇、カタツムリなどの生きもの、氷や医療用器具まである。それらの取り合わせは、当たり前のようでいて、そうではないぎりぎりの選択がされており、ピンと張り詰めた緊張感を覚える。とはいいながら、融通無碍で、どこかユーモラスでもあるのが面白い。ほぼ同時期に撮影していた、貯水槽の丸い蓋の上にさまざまな人物たちを配置する『ON THE CIRCLE』(赤々舎、2012)のシリーズでもそうなのだが、普後は演劇的なシチュエーションを緻密に構築していくことに、独特の才能を発揮しつつあるようだ。このシリーズもぜひ写真集にまとめてほしい。同時に、彼が次にどんな写真の舞台を設定するのかが、とても楽しみになってきた。
2017/02/23(木)(飯沢耕太郎)
田淵三菜『into the forest』
発行日:2017年2月7日
期せずして、ビジュアルアーツアワードを受け継ぐようなかたちで、入江泰吉記念奈良市写真美術館が主催する入江泰吉記念写真賞が、第2回目にあたる今回からグランプリ受賞者の写真集を刊行することになった。「写真集をつくる」ということが、日本の写真家たちの大きな目標になってきたことは間違いないが、特に若い写真家たちにとっては、経済的な理由なども含めてハードルが高い。このような企画の存在意義は、すぐにはあらわれてこないかもしれない。だが、長い目で見れば、クオリティの高い写真集が残っていくことの意味は、計り知れないほど大きいのではないだろうか。
今回、101点の応募のなかから受賞作に選ばれたのは、1989年生まれの田淵三菜の「into the forest」だった。1年間、群馬県北軽井沢、浅間山の麓の森の近くにある山小屋に住みついて撮影した写真を、ひと月ずつ区切って並べている。冬から春、夏、秋を経て、再び冬へ、季節の移り変わりとともに次々に目の前にあらわれてくる森の植物や生きものたちの姿を、光や風とともに、文字通り全身で受けとめて投げ返した、みずみずしい写真群だ。これまた新世代の手による、まったく新しい発想と方法論の「自然写真」の芽生えを感じさせる作品といえるだろう。
写真集の造本は町口覚。マット系の用紙の選択、折り返しの写真ページを巧みに使ったレイアウトが鮮やかに決まった。『Daido Moriyama: Odasaku』もそうだが、このところの町口のデザインワークは水際立っている。なお、入江泰吉記念奈良市写真美術館では、2月7日~4月9日に受賞作品展として田淵三菜「into the forest」が開催される。
2017/02/21(火)(飯沢耕太郎)
増田貴大『NOZOMI』
発行日:2017年1月20日
専門学校ビジュアルアーツグループが主催するビジュアルアーツフォトアワードの第14回受賞作品集である。ページを開いた読者は、最初はやや戸惑うのではないだろうか。路上や建物の中など、さまざまな状況にいる人たちが写り込んでいる。仕事をしている人、散歩をしている人、遊んでいる人、所在なげに佇む人、自転車を押して歩くカップルもいれば、墓地でお葬式の最中らしい人たちもいる。じつはこれらのスナップ写真はすべて、山陽新幹線の「のぞみ」の車中から、カメラを振りながらシャッターを切る「流し撮り」の手法で撮影されたものなのだ。
作者の増田貴大は、仕事の関係で一日2往復6時間、新大阪─広島間を「のぞみ」で移動していたのだという。このシリーズは、そのあいだに撮影した膨大な写真群からセレクトされた。写真を見ていると、偶然に垣間見られた光景にもかかわらず、そこに現代日本の「いま」がありありと写り込んでいることに驚かされる。一見平和な眺めなのだが、孤独や不安がじわじわと滲み出てくるようなものもある。写真が、社会の無意識をあぶり出す機能を備えたメディアであることを、あらためて思い起こさせる作品といえる。従来のドキュメンタリー写真の発想と手法とを更新する「ニュー・ドキュメンタリー」の誕生といえるのではないだろうか。
ところで、2003年にスタートしたビジュアルアーツ・フォトアワードは、今回の第14回で終了することになった。木村伊兵衛写真賞を受賞とした下薗詠子、日本写真協会賞新人賞を受賞した石塚元太良と小栗昌子、キヤノン新世紀グランプリ受賞の赤鹿麻耶、伊奈信男賞を受賞した藤岡亜弥など、いい写真家を輩出してきただけに、ここで終わるのはとても残念だ。
2017/02/20(月)(飯沢耕太郎)
森山大道「Odasaku」
会期:2017/02/15~2017/03/05
POETIC SCAPE[東京都]
森山大道は1938年、大阪・池田市生まれ。ということは、大阪は文字通り彼の生まれ故郷ということになる。ただ、父親の仕事の関係で、子供の頃は日本各地を転々としており、森山が大阪に深く関わるのは、1950年代半ばに夜間高校を中退して商業デザインの仕事を始めてからだ。その後、1959年に岩宮武二のアシスタントとして写真の世界入り込むことで、大阪の街は別の意味を持って彼の前に立ち現われてくることになった。兄弟子の井上青龍のあとをついて街を歩くことで路上スナップの面白さに目覚めた彼にとって、大阪は文字通りの原風景となったのだ。森山の大阪のスナップ写真は、例えば新宿のそれとは微妙に異なる、生々しい質感を備えているように思える。
今回、町口覚が企画・デザインして刊行した写真集『Daido Moriyama: Odasaku』(match and company)は、その森山の大阪の写真(主に月曜社から2016年に出版された写真集『Osaka[大阪]』に収録されているもの)に、織田作之助の短編小説「競馬」(1946)の文章をカップリングしたものだ。町口と森山のコンビによる「近代文学+写真」のシリーズは、太宰治、寺山修司に続いてこれが3作目だが、今回が一番うまくいっているのではないだろうか。おそらく2人の表現者の体質と、ヴィジュアルへの志向性が共通しているということだろう。テキストと写真とのスリリングな絡み合いが、見事な造本で構築されていた。
POETIC SCAPEでの展覧会も、単なる写真集のお披露目とは程遠いものだった。写真集の入稿原稿のプリントに加えて、それらを複写してシルクスクリーンで印刷し、町口がその上にピンク色の文字をレイアウトした図版も展示している。シルクスクリーンの粗い網目が、逆に大阪の街のざらついた質感をヴィヴィッドに引き出し、定着しているように見える。特製のシルクスクリーン10枚セットも、写真集とはまったく異なる味わいを醸し出していた。
2017/02/19(日)(飯沢耕太郎)