artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

蔵真墨「Men are Beautiful」

会期:2016/12/10~2017/01/28

nap gallery[東京都]

明らかにゲイリー・ウィノグランドの名作『Women are Beautiful』(1975)を意識したタイトル。だが蔵真墨のこのシリーズは、路上スナップということ以外にはあまり共通性がない。アメリカの、白人の、魅力的な若い女性、つまりウィノグランド本人の性的な嗜好を、ぬけぬけと打ち出して撮影した『Women are Beautiful』に対して、蔵の「Men are Beautiful」は、たしかに彼女にとっての異性を被写体に選んではいるが、その選択の幅はかなり広い。いわゆる「イケメン」だけではなく、中年の男性や少年を含み、撮影場所も東京が中心だが、パリやニューヨークやメキシコ・シティーの写真もある。撮り方も、モノクロームのスナップショットの美学を隅々まで貫くウィノグランドに対して、かなり場当たり的でいい加減だ。肝心の「男」がどこに写っているのかほとんどわからないようなロングショットもある。
となると、蔵がどんな基準で「男」を選んでいるかが気になってくる。展覧会にあわせてクラウドファンディングで刊行されたという同名の写真集(Urgent Press)で、彼女はそのことについて「異性としての魅力だけでない何か人としてのきらめき」と書いている。これだけでは曖昧でよくわからないが、写真と照らし合わせてみると、少しずつ彼女なりの尺度が見えてくる。「人としてのきらめき」というのは、生命体そのものから発するオーラのようなものではないだろうか。国籍や年齢や顔立ちや体型を超えた(別に無視するというわけではないが)「何か」を路上で感じとったときに、蔵は躊躇なくシャッターを切っているということだ。「男」という縛りは、逆にそののびやかで自由なスナップショットへの向き合い方を確保するために設定されているように思える。
写真集の出版で一応の区切りはついたようだが、味わい深いシリーズとして育ちつつあるので、もう少しこの先を見てみたい。

2016/12/16(金)(飯沢耕太郎)

エレナ・トゥタッチコワ「In Summer, Apples, Fossils and the Book」

会期:2016/12/09~2016/12/29

POST[東京都]

ロシア・モスクワ出身で、現在東京藝術大学大学院美術研究科で学んでいるエレナ・トゥタッチコワの「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」のシリーズも厚みを増してきた。今回のPOSTでの個展は、torch pressから同名の写真集が刊行されたのにあわせてのもので、同時に渋谷区富ヶ谷のnaniでも映像作品を中心にした「In Summer, With My Dinosaurs」展が開催された。
これまでは、彼女の少女時代の記憶を、ロシアの夏の別荘、ダーチャで撮影した写真と重ね合わせてきた。だが今回の作品では、彼女自身は一歩距離を置いて、モスクワ郊外の川の近くに住む3人の兄妹、トーリャ、アーニャ、サーシャの夏の日々にカメラを向けている。もちろん、彼らがエレナの分身であることに違いはないのだが、父親と化石や「恐竜の骨」を拾いに行ったり、水の中で「サメ」に出合ったりするそれぞれの体験が、写真だけでなく文章でもいきいきと浮かび上がるように構成されていた。以前よりも、物語的な要素がより強まっていることは注目してよい。化石と水の流れ、炎、部屋の中に置かれた水槽などの象徴的なイメージも効果的に使われている。
写真展の会場の壁には、エレナの手書きの字で、テキストの一部が記されていた。それらを読むと、あらためてその日本語能力の高さに驚かされる。
「──林檎が木から落ちた、それだけのこと。木にいたときも誰の目にも触れず、落ちても草の中に隠れたままの小さな林檎。その音だけがいつまでも記憶に残った。アーニャが11歳になった年の夏の終わり。彼女の髪の毛が一番長く伸びた8月のことだった」。
こうなると、これまでのように写真(映像)が主で、文章が従という関係だけでなく、その逆もありえるのではないだろうか。われわれは、日本語で書くロシア人の小説家の誕生前夜に立ち会っているのかもしれない。

2016/12/16(金)(飯沢耕太郎)

操上和美「ロンサム・デイ・ブルース」

会期:2016/11/25~2017/01/16

キヤノンギャラリーS[東京都]

以前、操上和美から「日々、目の鍛錬をしている」と聞いたことがある。仕事で撮影する写真とは別に、つねにカメラ(カメラ付き携帯電話を含めて)を持ち歩き、目につくものをスナップ撮影しているということだ。今回キヤノンギャラリーSで開催された「ロンサム・デイ・ブルース」展の出品作も、その「鍛錬」の成果といえそうだ。
操上が撮影したのは「人々の欲望を呑み込んで、ダイナミックに変貌し続ける渋谷」の夏の光景である。とはいえ、ランドマークが写り込んでいる数枚の写真を除いては、それらが渋谷で撮られた写真と気づく人は少ないのではないだろうか。主に広角系のレンズで切り取られた眺めは、むしろ無国籍的な様相を示している。いま世界各地に蔓延しつつある、グローバルな「都市的なるもの」のあり方が、的確に浮かび上がってくるのだ。操上の反応は、視覚的というよりはどちらかといえば触覚的だ。ブルーシート、割れたガラス、ひび割れたコンクリート、そして女性のカーリングした髪の毛などの“異物”が、皮膚感覚的にコレクションされている。雑多な色味の眺めを、モノクロームの画像に還元することによって、都市風景を触覚的に再構築しようという意図がより強調される。横位置の大判のプリントを、黒い壁(一面だけが白)に一列に並べた会場構成も、すっきりと決まっていた。
操上は1936年生まれ。ということは、今年80歳を迎えたということだ。スナップショットの写真家としての、しなやかで、敏捷な身体的反応をキープし続けているのは、それもまた「鍛錬」の賜物といえるだろう。

2016/12/12(月)(飯沢耕太郎)

幻の響写真館 井手傳次郎

会期:2016/12/07~2016/12/27

Kanzan Gallery[東京都]

井手傳次郎(1891~1962)は長崎県佐世保に生まれ、16歳で上京した。画家を志して太平洋画会研究所で学ぶが、夢は果たせず、長崎に帰って写真家の道に進んだ。上野彦馬の弟子筋にあたる渡瀬守太郎に入門して肖像写真撮影の技術を身につけ、1925年に長崎市舟大工町で写真館を開業する。1928年には同市片淵に移って、響写真館という名前で営業を開始した。今回の展覧会は、傳次郎の孫にあたる根本千絵(次女・夏木の娘。父は美術批評家の針生一郎)が上梓した『長崎・響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語』(昭和堂)の刊行にあわせたもので、傳次郎の残した約1300枚の乾板から、あらためてプリントした写真を中心に、アルバムや資料が展示されていた。
長崎という土地柄もあるのだろうか、蔦の絡まる煉瓦造りの西洋館の前で撮影された家族の写真などを見ていると、どこかエキゾチックな雰囲気が目につく。傳次郎の作風も、当時としてはかなりモダンなもので、特に光と影の処理の巧みさ、ソフトフォーカスの効果をうまく使った画面構成に、独特のセンスを感じる。背景に植物の影のパターンを写し込む手法を得意としており、ロマンチックな女性ポートレートには、画家としての素養が活かされている。自ら編集・構成した写真アルバム『長崎』(1927)、『島原・雲仙』(1930)を見ても、写真家としての力量が群を抜いていたことがわかる。
今回は展示されていなかったが、傳次郎には原爆投下後の長崎の被災の状況を撮影した写真もある。もう少し大きな会場で、その全体像が浮かび上がる展示を見てみたい。このところ、埋もれていた写真家たちの業績に光を当てていく取り組みが目につく。地道な掘り起こしの作業を、着実に展示や出版に結びつけていってほしい。

2016/12/11(日)(飯沢耕太郎)

正岡絵理子「羽撃く間にも渇く水」

会期:2016/12/07~2016/12/18

TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY 72 Gallery[東京都]

毎年夏に東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催されている「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」も、2016年度で5回目を迎えた。今回のグランプリ受賞者は、現在奈良県在住の正岡絵理子。その受賞記念展として本展が開催された。
受賞作の「羽撃く間にも渇く水」は、正岡がビジュアルアーツ専門学校・大阪在学中から10年余り撮り続けてきた息の長い連作である。彼女の身辺を撮影したモノクロームの日常スナップだが、一枚一枚の写真の強度、緊張感がただ事ではない。一言でいえば、アニミズム的な世界観というべきだろうか。ヒトも、動物も、モノも、自然も、人工物も、彼女の目に写るすべてのものが生命体として生気を発し、分裂・生成を繰り返している。つかの間の一瞬を捉えた写真の集積にもかかわらず、そこには「46億年続く歴史の中で水溜りの中の一滴のような私たち」を見通す視点がある。そのスケールの大きな作品世界は、だが、さらに飛躍していく時期に来ているのかもしれない。
「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」の時点では、100点以上あった「羽撃く間にも渇く水」のシリーズは、70点ほどに整理され、今回の展覧会にはそのうち16点が展示されていた。止めどなく溢れ出そうとする写真たちを、塞き止め、明確な形にしていこうという意志が芽生えつつある。それだけでなく、デジタルカメラを使った新作も撮り始めているという。結婚し、子供が生まれ、奈良に移住するという人生の変わり目を迎えて、彼女の写真がどんなふうに変わっていくのかが楽しみだ。

2016/12/09(金)(飯沢耕太郎)