artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

つくることは生きること 震災《明日の神話》

会期:2016/10/22~2017/01/09

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

東日本大震災から5年半が過ぎ、そろそろ「震災後」のアーティストたちの活動をしっかりと検証する時期に来ている。だが、美術館レベルでのこうした企画は意外に少ない。震災はすでに忘却の対象になりつつあるのだろうか。そんななかで、川崎市岡本太郎美術館で開催された「つくることは生きること 震災《明日の神話》」展は、そのテーマに真っ向から取り組んだ貴重な試みとなっていた。
会場の中央に、原爆と人類の運命とを重ね合わせた岡本太郎の《明日の神話》(1968)のエスキースと、彼が東北地方を1950~60年代に撮影した写真群を置き、9組(7人+2組)のアーティストたちの作品をその周囲に配している。「東北画は可能か?」(三瀬夏之助+鴻崎正武)、片平仁、安藤榮作、渡辺豊重、作間俊宏、平間至、大久保愉伊、岩井俊二、そして「アーツフォーホープ」(高橋雅子を中心とするアートNPO)という顔ぶれによる展示は、絵画、CG作品、彫刻、写真、映像など多岐にわたるが、主に東北出身、あるいは東北を拠点として活動するアーティストたちが選ばれている。東日本大震災がもたらした衝撃が、彼らの作品制作の根本的な動機になっているのは確かであり、それをどのように受け止め、投げ返していくかという、真摯な問いかけがそれぞれの作品に結晶していた。
特に印象に残ったのは、平間至の「光景」(2011~16)である。震災直後から撮り続けられた、モノクローム写真の「心象風景」が淡々と並ぶ展示の反対側の壁面は、天井近くまで黒く塗られている。それは彼の故郷の宮城県塩竈市を襲った、4メートルを超える津波の高さだという。その黒い壁のさらに上に、平間が2012年から塩竈で開催している「GAMA ROCK」を訪れたミュージシャンたちのポートレートが並ぶ。苦い記憶と希望とが交錯する、よく練り上げられた展示だった。

2016/11/15(飯沢耕太郎)

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田中長徳「PRAHA Chotoku 1985・2016」

会期:2016/10/20~2016/11/26

gallery bauhaus[東京都]

田中長徳にとってプラハは特別な意味を持つ街だ。1989年から2014年にかけては6区にアトリエを構えて、たびたび行き来していた。プラハの屋根裏部屋に暮らしていたのは、アトリエができる数年前からで、今回のgallery bauhausの個展では、1985年に撮影した27点と、2016年1月に改めてプラハを訪ねて撮影した34点、計61点のプリントが展示されていた。
その2つのシリーズの肌合いの違いが興味深い。6×9判のプラウベルマキナで撮影された1985年の写真は、日本の風土とは異質の石造りの街並みに即して、きっちりとした画面構成を試みている。ちょうどその頃のプラハは、「未曾有の市内大改築」の最中で、あちこちで敷石が掘り返され、建物が壊されて「まるで内戦のような」光景だったという。数年後の社会主義政権の崩壊を予感させるそんな眺めを、田中はあくまでも冷静な距離をとって撮影していた。
ところが、ライカ、コンタックス、キエフの35ミリカメラを併用して撮影したという2016年のプラハの写真の画面には、ブレや揺らぎが目立つ。ガラスの映り込みがカオスのような眺めを生み出し、真っ黒いシルエットとなった道行く人たちは、まるで亡霊のように彷徨っている。プラハに向き合うときの何かが、彼のなかで大きく変わったのではないだろうか。 DMに寄せた文章には「今回の写真展はあたしの『プラハ三十年』の終了宣言でもある」と書いている。その理由は明確に述べられていないのだが、写真からは確かに断念の怒りと哀しみが伝わってくるように感じる。その激しさに、いささかたじろいでしまった。

2016/11/09(飯沢耕太郎)

シャルロット・デュマ「Stay」

会期:2016/10/07~2016/12/25

916[東京都]

シャルロット・デュマはオランダ出身の女性写真家。アムステルダムとニューヨークを拠点に「生存し繁栄するために寄り添う人間と動物、その間に存在する共存関係」をテーマに撮影を続けてきた。2014年にも同じくギャラリー916で、アメリカ・ワシントンのアーリントン墓地の軍用馬を撮影した作品を発表している。その時から彼女の作品には注目してきたのだが、今回の展覧会はより興味深い内容になっていた。
デュマは2012年から、日本国内の8カ所、8種の在来馬を撮影するプロジェクトを開始した。沖縄県与那国島(与那国馬)、同宮古島(宮古馬)、鹿児島県中之島(トカラ馬)、長野県木曽福島(木曽馬)、長崎県対馬(対州馬)、宮崎県都井岬(御崎馬)、愛媛県今治(野間馬)、北海道七重(道産子馬)である。これらの8種は、道産子馬を除いては数十頭から数百頭しか現存しておらず、絶滅の危機にあるという。デュマは6×7判のカメラを手に馬たちにそっと近づき、自分の存在を意識させつつ「ポートレート」として撮影している。親密だが、あくまでも客観的な観察の姿勢を崩さない適切な距離感こそ、彼女の写真の最も重要なポイントのひとつだろう。結果として、馬たちは神秘的かつ神話的な存在として讃えられるのでも、「可愛らしさ」を強調して擬人化されるのでもなく、まさに彼らのオリジナルの「存在」の形を、生々しく露呈した姿で捉えられている。真似できそうでできない、新鮮なアプローチといえる。
写真作品の展示だけでなく、別室では新作のヴィデオ映像作品「NANAE」も上映されていた。道産子馬のゆったりとした生のリズムに寄り添うように、彼らの姿を静かに捉えたこの作品の出来栄えも素晴らしい。なお、展覧会にあわせて、上田義彦の編集で916Pressから同名の写真集が刊行されている。

2016/11/08(飯沢耕太郎)

大西みつぐ「ニューコースト」

会期:2016/11/02~2016/12/22

PGI[東京都]

大西みつぐは1985年に「河口の町」で第22回太陽賞を受賞したあとに、荒川と江戸川が注ぐ東京湾岸(江戸川区臨海町)を、中判のネガカラーで集中的に撮影し始めた。ちょうどバブル経済がピークに達しつつあり、「ウォーターフロント」の再開発が急ピッチで進んでいた時期である。
今回、約30年という時を経て、PGIであらためて展示されたその「NEWCOAST」のシリーズ(32点、ほかに2015年に再撮影された4点も展示)を見ると、大西が明らかに同時代のアメリカの写真家たちの「ニュー・カラー」の仕事に強い共感を持ち、撮影を進めていたことがわかる。ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショア、ジョエル・スターンフェルドといった「ニュー・カラー」の写真家たちと同様に、大西もまた時代とともに大きく姿を変えていく「社会的風景」の細部の様相を、カラー写真の鮮やかな発色と細やかな描写力を活かして捉えようとしていた。
だが、むろん両者には違いもある。アメリカの乾いた風土やクリアーな空気感はそこにはなく、写真に写っているのは、「アメリカ西海岸あたりの土産物屋で売っていそうな安っぽいポスターイラストの絵柄」のぺらぺらの光景なのだ。人工干潟で束の間の休日を楽しむ家族や、サンオイルで体を焼く若者たちの姿には、確かに「切なげでちょっともの哀しい」気分が色濃く漂っている。30年後にそれらを見直すと、単にノスタルジアを誘うだけでなく、あの時代の深層の構造をあぶり出すさまざまな指標がしっかりと写り込んでいることが見えてくる。大西の写真を、東京の下町を定点観測的に撮影し続けてきた、質の高いドキュメンタリー作品として捉え直す視点が必要になってくるのではないだろうか。
なお、展覧会にあわせるように、大西の新作写真集『川の流れる町で』(ふげん社)が刊行された。荒川放水路の周辺を撮影した「放水路」、荒川の両岸の町の佇まいにカメラを向けた「眠る町」の2章から成る力作である。ドキュメンタリー写真家としての彼の視線は、明らかに東日本大震災以後の「社会的風景」の変貌に向かいつつあるようだ。

2016/11/07(飯沢耕太郎)

倉敷フォトミュラルf

会期:2016/10/21~2016/11/16

倉敷駅前アーケード、倉敷アイビースクエア内アイビー学館[岡山県]

2004年からスタートした「倉敷フォトミュラル」。商店街のアーケードのバナーに、大きく引き伸ばした布プリントの写真を飾る公募企画だが、2014年から「倉敷フォトミュラルf」と名前を変えて、美観地区の倉敷アイビースクエア内アイビー学館で開催される「個展部門展示」を併催するようになった。ほかに高校生が対象の写真ワークショップ「PHOTO STADIUM」や、親子で参加する「親子バトルだ!ワクワク写真展」の参加者の作品なども展示されており、倉敷の秋の観光シーズンの真っ只中ということもあって、多くの観客が訪れていた。実質的な運営を担当している岡山県立大学デザイン学部のSAKURA Projectの学生さんたちの献身的な努力もあり、参加型の写真イベントとしてすっかり定着したといえるだろう。
「旬」をテーマに公募された57点の商店街の展示もなかなか充実した内容だが、アイビー学館での個展部門のレベルが相当に上がってきている。今年の出品者は、伊藤雅浩、高木直之、坂本しの、新宅巧治郎、葛西亜理沙、関谷のびこ、菅泉亜沙子、早苗久美子、平井和穂(WAPO)、近藤優斗の10名。キャリアも作風もバラバラだが、若い写真家たちが次のステップに進んでいくきっかけになるといいと思う。モノクロームのスナップショットの新たな方向性を模索している坂本しの「speculum/反射鏡」や菅泉亜沙子「かつて、まなざしの先に」、日常の場面のズレや揺らぎを「モヤチッチ」という絶妙なネーミングで捉えた早苗久美子の作品など、今後の展開が大いに期待できそうだ。「PHOTO STADIUM」の参加作品からグランプリに選出された大原理奈「はばたけ!」も新鮮な切り口の力作だった。
今後の課題は、やはりほかの地域イベントとの連携を図ることではないだろうか。瀬戸内国際芸術祭などとのかかわりも深めていけるといいと思う。

2016/11/06(飯沢耕太郎)