artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ART PHOTO TOKYO edition zero

会期:2016/11/18~2016/11/20

茅場町共同ビルディング[東京都]

「ART PHOTO TOKYO」は吉井仁美(hiromiyoshii roppongi)をアートディレクターとして、今年からスタートした写真作品のアートフェア。東京・茅場町のもうすぐ取り壊しになるという古いビルの1~3階、8、9階を会場にするという意表をついたアイディアで、意外に面白い展示空間が成立していた。出品しているのは、G/P Gallery、Gallery Koyanagi、ShugoArts、Taka Ishii Gallery、小山登美夫ギャラリー、YUMIKO CHIBA ASSOCIATESなど、普段から写真作品の展示が多いギャラリーが中心だが、MIZUMA ART GALLERYや新宿眼科画廊などの現代美術系のギャラリーも写真を使う作家をラインナップしている。URANOの中島大輔、Gallery SIDE 2の田附勝、無人島プロダクションの朝海陽子など、総花的な展示ではなく1名~3名くらいの少人数に絞ったギャラリーが多かったのもよかった。廃ビルの小さな部屋を巡っていく視覚体験が、宝探しめいた喜びを与えてくれた。
もうひとつの特徴は、「ギャラリーが取り扱うファインアート」だけではなく「ファッションやコマーシャルフォトグラファーの作品も同じステージに」並んでいたことである。主に8、9階に集中して展示されていたレスリー・キー、宮本敬文、柿本ケンサク、桐島ローランド、若木信吾らの作品は、「ファインアート」の写真とそれほど違和感なく溶け込んで、会場全体を活気づける役目を果たしていた。
「edition zero」と銘打った今回の試みが、来年以降も継続されるかどうかはわからない。だが、思い切ったプランを実行できるという意味で、取り壊し前のビルをこうしたアートフェアの会場にするというアイデアは悪くない設定だ。次回もぜひ東京のどこかで実現してほしいものだ。

2016/11/20(飯沢耕太郎)

A-chan「Salt’n Vinegar」

会期:2016/11/18~2016/12/04

POST[東京都]

日本で生まれ育ったA-chanがニューヨークに渡ったのは2007年だから、もう10年近くが過ぎた。そのあいだにロバート・フランクのアシスタント兼プリンター/エディターを務めるようになり、Steidl社から写真集『VIBRANT HOME』(2012)、『OFF BEAT』(同)を刊行した。今回は、やはりSteidl社から出た新作写真集『Salt’n Vinegar』にあわせての展示で、じわじわと胸の奥に浸透してくるような写真群が並んでいた。彼女のニューヨークでの充実した日々の様子が伝わってくる。
写っているのは、主に「大きな公園」の近くに住んでいるという彼女の周辺の光景である。ベンチに置き忘れられた「Salt’n Vinegar」の表示のあるポテトチップの袋、浮遊しているようなストローハット、公園の水たまり、蛇口から流れ出る水など。モノクロームとカラーが併用されているが、その移行は滑らかで澱みがない。写真を見ているうちに、彼女が鋭敏に反応しているのがtinyなものであることに気づいた。単に見かけが小さいとか、可愛らしいというだけではなく、儚さや脆さを含み込みながら、凛とした存在感を発するtinyな事物を、積極的にコレクションしているように思えてきたのだ。
写真集には日本で撮影されたものも含まれているようだが、「アメリカ在住の日本人」という、不安定だが開放感もあるポジションをうまく活かしていくことで、さらに自分の世界を深めていけるのではないだろうか。日本でも、もう少し彼女の存在が知られてくるといいと思う。小規模だが、そのきっかけになりそうないい展示だった。

2016/11/19(飯沢耕太郎)

石川竜一写真集『okinawan portraits 2012-2016』

発行所:赤々舎

発行日:2016/09/02


石川竜一は、2015年に前作の『okinawan portraits 2010-2012』(赤々舎)で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞した。本作はのその続編にあたる写真集である。
一癖も二癖もあるウチナンチュー(沖縄人)と正面から対峙し、裂帛の気合いを込めて撮影するポートレートが中心であることには変わりはない。だが、被写体の背景となる沖縄の風景を丸ごと捉えた写真の数が増えているのが目につく。石川のなかで、人物たちを取り巻く環境をしっかりと捉えることで、この地域に特有の風土性を浮かび上がらせようという意図が強まっているのは間違いないだろう。写真集のボリューム自体も厚みを増している。前作とあわせて見直すと、まさに石川の「okinawan portraits」のスタイルが完全に確立したことがわかる。
このシリーズは、おそらく彼のライフワークとして続いていくのだろうが、石川にはむしろ沖縄をベースにした写真だけでなく、撮影の領域をさらに広げていくことを期待したい。被写体とのコミュニケーションをとりやすい沖縄で、ある水準以上のスナップやポートレートを撮影することは、彼の抜群の写真家としての身体能力を活かせば、それほどむずかしくはないと思えるからだ。むしろ、よりコンセプチュアルな方向に狙いを定めた作品、あるいは沖縄以外の場所に長期滞在して撮影した写真も見てみたい。異なった環境に身を置くことで、逆に沖縄という場所の特異性が、さらにくっきりと浮かび上がってくるはずだ。

2016/11/17(飯沢耕太郎)

村越としや「雷鳴が陽炎を断つ」

会期:2016/11/04~2016/11/26

ギャラリー冬青[東京都]

村越としやは東京・清澄白河のTAP Galleryのメンバーとして活動してきたが、1年半ほど前に脱退した。今後はギャラリー冬青とTaka Ishii Galleryを中心に展示活動を展開していくという。ギャラリー冬青での最初の展覧会として開催された本展には、2009年に6×6判のカメラで撮影された28点の作品が出品されていた。
2009年1月、村越を可愛がってくれた祖母が余命3カ月ということで入院した。それをきっかけに、故郷の福島県須賀川市に折にふれて帰郷し、「祖母との思い出を少しずつ集めるように」撮影し続けたのが本作である。撮影は祖母の死後も続けられ、同年12月31日で一応の区切りをつけた。例によって、山河や家々の佇まいを静かに写しとった作品が並ぶが、どこかレクイエム的な、沈み込むような気分に覆われている。村越の一連の風景写真の中でも、最もパセティックなシリーズといえるかもしれない。
なお、展覧会にあわせて刊行された『tuning and release 雷鳴が陽炎を断つ』(冬青社)は、「家族との思い出がリンク」した小ぶりな写真集シリーズの4作目になる。『雪を見ていた』(2010)、『土の匂いと』(2011)、『木立を抜けて』(2013)、そして本作と続くこの連作は、東日本大震災以後、より切迫感とスケール感を増した村越のほかの写真群とは、一線を画するものになりつつある。彼自身の個人的な記憶との関わりから、新たな世界が開けてきそうな予感がする。

2016/11/16(飯沢耕太郎)

リフレクション写真展2016

会期:2016/11/07~2016/11/19

表参道画廊+MUSEE F[東京都]

湊雅博のディレクションで、毎年秋に開催されているのが「リフレクション写真展」。「風景写真」の新たな胎動をフォローする企画だが、今回は寺崎珠真、丸山慶子、若山忠毅が出品していた。神奈川県海老名市在住の寺崎は、自宅の近くのアップダウンがある郊外の風景を押さえ、丸山は金属加工業者の多い新潟県燕市の錆に覆われた街並みを撮影している。若山は東北地方から北陸にかけての沿岸地域をバイクで移動しながら、目についた風景を切り取っていく。
3人ともしっかりと地に足をつけた撮り方で、シリーズとしてのまとまりもいい。風景の細部を見落とすことなく、的確に画面におさめていく手際も洗練されている。だが、全体を通してみると何を言いたいのか」がストレートに伝わってこないもどかしさが残る。文字情報がほとんどなく、各作品の背景があまり明確に提示されていないのもその一因だろう。「リフレクション写真展」の出品作をきちんと受け止めるには、かなり高度な写真読解力が必要になるのだが、そのようなリテラシーを備えた観客はそれほど多くはない。もう少し丁寧な解説をつけた展示の仕方も考えてもよいだろう。例えば若山の写真には、海上自衛隊の軍艦、原子力発電所、日の丸の旗などが写っており、明らかにこの時代の社会構造の指標となる眺めを取り込んでいこうとする視点が見られる。そのあたりを、もう少し積極的に文字情報で伝えることができれば、観客の理解も深まるのではないだろうか。
やや地味な企画だが、着実に日本の「風景写真」の裾野を広げつつある。どこかで区切りをつけて、もう少し大きな規模の展示も見てみたい。

2016/11/16(飯沢耕太郎)