artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

Gallery街道 オープニング展

会期:2016/08/20~21、27~28、09/03~04

Gallery街道[東京都]

尾仲浩二が東京・南新宿の青梅街道沿いのビルの3階にGallery街道をオープンしたのは1988年。壁を銀色のペンキで塗り、のちに写真集『背高あわだち草』(蒼穹舎、1991)にまとめられる「背高あわだち草」のシリーズを28回にわたって展示した。1992年にいったん閉廊するが、2007年に南阿佐ケ谷のアパートを改装して第一次Gallery街道をオープンする。こちらは中断期間を挟んで2014年まで続いた。
写真家たちが自分たちで運営する自主ギャラリーには、どうやら抗しがたい魅力があるようだ。一度メンバーになれば、仲間たちと苦労をともにしながら活動を続けていくなかで、さまざまな出会いと別れがあり、ギャラリーの生き死ににも立ち会うことができる。尾仲もまた、そんな自主ギャラリーの引力に引き寄せ取られてしまった1人と言えるだろう。
そのGallery街道が、今回、中野駅北口近くにリニューアル・オープンすることになった。メンバーは尾仲のほかに岡部文、佐藤春菜、鈴木郁子、中間麻衣、河合紳一、小松宗光、酒巻剛好、本庄佑馬、藤田進である。そのお披露目の展示は、とりあえずの顔見せ展という感じだったが、尾仲とともに第一次Gallery街道を立ち上げた藤田進や、第二次Gallery街道のメンバーだった佐藤春菜など、自主ギャラリーの展示空間を熟知しているメンバーがいるのが心強い。彼らと新人メンバーとがうまく噛み合って、活気のある意欲的な展示活動を展開していってほしい。
9月からは岡部文展(9月10~18日)を皮切りに、メンバーの写真展が次々に開催される。メンバーだけだとマンネリになりがちなので、ゲスト作家の展示もうまく挟み込んでいくといいと思う。

2016/08/28(飯沢耕太郎)

没後20年 星野道夫の旅

会期:2016/08/24~2016/09/05

松屋銀座8階イベントスクエア[東京都]

星野道夫がシベリア・カムチャッカ半島でヒグマに襲われて亡くなってから、早いもので20年が過ぎた。そのあいだに何度か大きな回顧展が開催され、写真集やエッセイ集も次々に編集・発行されている。彼がアラスカを拠点とする動物写真家という枠組みにはおさまりきれない、スケールの大きな思考力を備えた書き手であったことも、広く知られるようになってきた。今回の「没後20年 特別展」では、これまでの展示とは一線を画する、新たな星野道夫像を探求しようとしている。編集者の井出幸亮と写真家の石塚元太良が、星野の残した写真をネガから見返して、5部からなる会場を構成した。より若い世代による意欲的な展示である。
第1部の「マスターピース」には評価の高い名作が20点、大判のフレームに入れられて並んでいる。それらの出品作に向き合っていると、アラスカの大自然の大きな広がりを遠景として、動物たちの姿を捉えようという星野の意図がしっかりと伝わってくる。第2部の「生命のつながり」と第3部の「躍動する自然」も動物写真が中心だが、特に「躍動する自然」の章に展示された、カリブーの移動、ザトウクジラのジャンプ、天空のオーロラのうごめきなどを、シークエンス(連続場面)で見せるパートが目を引く。被写体を凝視する、星野の息づかいを感じることができるいい展示だった。
第4部の「神話の世界」は、図らずも遺作になってしまった『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』(世界文化社、1996)におさめられた写真群が中心に構成である。人類学や神話学の知見を取り入れつつ、ワタリガラスの創世神話を追ってアラスカからシベリアに渡った星野が、その先に何を見ようとしたのかを、トーテムポールや先住民族の長老たちの写真を含めて再構築している。そして第5章「星野道夫の部屋」では、残された映像やセルフポートレート、カヤック、ブーツ、アノラックなどの遺品によって、星野の魅力的な人間像を浮かび上がらせていた。
なお本展は松屋銀座の展示を皮切りに、大阪髙島屋(9月15日~9月26日)、京都髙島屋(9月28日~10月10日)、横浜髙島屋(10月19日~10月30日)に巡回する。その後も1~2年かけて全国を回る予定だという。星野道夫を直接知らない若い世代に、この不世出の写真家、エッセイストの記憶を受け継いでいきたいものだ。

2016/08/24(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00036740.json s 10127498

12 Rooms 12 Artists 12の部屋、12のアーティスト UBSアート・コレクションより

会期:2016/07/02~2016/09/04

東京ステーションギャラリー[東京都]

スイスのグローバルな金融グループ、UBSは現代美術作家を長年にわたって支援してきたことで知られている。本展は、その3万点に及ぶというUBSアート・コレクションから厳選して、東京ステーションギャラリーの展示スペースを「12の部屋の集合に見立て」、12人の作家の作品、約80点を展示するという試みである。荒木経惟、アンソニー・カロ、陳界仁、サンドロ・キア、ルシアン・フロイド、デイヴィッド・ホックニー、アイザック・ジュリアン、リヴァーニ・ノイエンシュヴァンダー、小沢剛、ミンモ・パラディーノ、スーザン・ローゼンバーグ、エド・ルーシェイという出品作家の顔ぶれは、まったくバラバラだし、何か統一したテーマがあるわけではない。たしかに現代美術の多面性をよく示しているといえそうだが、このままではあまりにも場当たり的、総花的といえるだろう。
だが、写真という表現メディアを、12人中5人(荒木、ホックニー、ジュリアン、ノイエンシュヴァンダー、小沢)が使用しているという点は注目してよいだろう。台湾の歴史と社会状況を繊維産業の女性労働者の視点から再構築しようとする、陳の映像作品《ファクトリー》(2003)を含めれば、じつに半数のアーティストが写真/映像を最終的な発表の媒体としている。絵画や彫刻などの伝統的表現が、20世紀後半以降、急速に写真/映像化の波に覆い尽くされていったことが、くっきりと見えてくる展示といえそうだ。
特に注目すべきなのは、「国内未発表」という荒木経惟の連作「切実」(1972)である。荒木はこの頃、広告代理店の電通に勤務しながらゲリラ的な作品制作・発表の活動を続けていたのだが、UBSの購入時は「The Days We Were Happy」と題されていたというこの7点組のシリーズも、その時期の彼の表現意欲の高まりをよく示している。広告写真として撮影されたと思しき、タレントが登場するカラーTV、電気毛布などの写真を、まっぷたつに切断し、セロハンテープでつなげるという行為には、高度消費社会のイメージ操作を逆手にとって、批評的な写真表現につなげていこうとする荒木の意図が明確に形をとっている。『ゼロックス写真帖』(1970)や『水着のヤングレディたち』(1971)とともに、荒木の初期作品として重要な意味を持つ仕事が、このような形で出現してきたことは、驚き以外の何物でもなかった。

2016/08/16(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00035936.json s 10127496

高倉大輔 作品展「monodramatic/loose polyhedron」

会期:2016/07/29~2016/08/18

Sony Imaging Gallery[東京都]

デジタル化によって画像合成が自由にできるようになると、1人の人物が多数のポーズをとった画像を、同一画面に合成するような作品が簡単に制作できるようになった。高倉大輔のように、もともと演劇に関わっていた写真家にとって、演出力が問われるこの種の写真は、自家薬籠中の物なのではないだろうか。漫画喫茶、映画館、コインランドリー、公園などの日常的な空間に、さまざまなポーズの若者たちをちりばめるように配置していく「monodramatic」のシリーズには、その才能がのびやかに発揮されており、清里フォトアートミュージアムが公募する2015年度ヤングポートフォリオに選出されるなど、評価が高まりつつある。
今回のSony Imaging Galleryでの個展では、その「monodramatic」に加えて新作の「loose polyhedron」のシリーズが展示されていた。モデルに自分自身の喜怒哀楽について「感情のバランスチャート」を書いてもらい、それにあわせて表情をつけ、「レンズからの距離感」を調整して撮影した写真を、モノクロームの画面にはめ込んでいくというポートレート作品である。こちらも、アイディアをそつなく形にしているのだが、そのバランス感覚のよさが逆に物足りなく思えてしまう。感情を喜怒哀楽という4種に固定したことで、そこからはみ出してしまうような部分がカットされ、どの写真も同じように見えてくるのだ。モデルが、若い男女(おそらくほとんどは日本人)に限定されていることも、全体にフラットな印象を与える要因になっているのだろう。
高倉に望みたいのは、あらかじめ結果が予想できてしまうような手際のよさを、一度捨て去ることだ。持ち前の演出能力を発揮する場を、より大胆に拡張していってほしい。例えば、海外で撮影するだけでも、画面のテンションは随分違ってくるのではないだろうか。

2016/08/15(飯沢耕太郎)

「山の日制定記念 遙かなる山─発見された風景美」

会期:2016/07/16~2016/09/04

松本市美術館[長野県]

自然写真の公募展である第5回田淵行男賞の表彰式のため、長野県松本市に行っていたので、松本市美術館の展示を見ることができた。松本市出身の草間彌生の常設展はむろん圧巻だったのだが、同時開催されていた企画展「遙かなる山 発見された風景美」もよく練り上げられたいい展覧会である(2016年5月26日~7月3日には山口県立美術館で開催)。国民の祝日として今年からスタートした「山の日」の制定記念として開催された同展には、大下藤次郎や丸山晩霞の水彩画をはじめとして、明治以降に山を描いた洋画、日本画、版画等の名作、約120点が並んでいた。
こうしてみると、山が単なる風景画のモチーフというだけではなく、画家たちの精神を強く揺さぶる異様なほどの力を発揮し続けてきたことがよくわかる。それは非日常的な“異界”であり、時には妖しい幻影を呼び起こすこともある。今回の展示ではむしろ異色作といえる石井鶴三の「やまのおばけ」(1916頃)の連作や、古賀春江の《夏山》(1927)が、むしろ強く心に残るのはそのためだろう。戦前の登山やスキーの様子を捉えた菊池華秋の《雪晴》(1938)や榎本千花俊の鉄道省観光ポスター《滑れ銀嶺 歓喜を乗せて》(1938)の、「風俗としての山」という新たな視点もなかなか興味深かった。
ただ、写真作品がまったく展示されていなかったことは残念だった。田淵行男の仕事はいうまでもないが、戦前の穂苅三寿雄や冠松次郎、戦後の白籏史朗や水越武の山岳写真は、絵画とは異なる「風景美」を定着してきたと思うからだ。版画やポスターにも目配りをしているのだから、写真作品をきちんと取り上げれば、より視野の広い、充実した展示になったのではないだろうか。

2016/08/12(飯沢耕太郎)