artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

片桐飛鳥「Multiverse」

会期:2016/09/30~2016/11/05

KANA KAWANISHI GALLERY[東京都]

片桐飛鳥が、前回PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)で個展を開催したのが、2005年、つまり11年も前だということを聞いてびっくりした。いまも鮮やかに印象に残っている展示であり、つい最近の出来事であるように思えるからだ。それは、あっという間に賞味期限が切れてしまう作品と違って、片桐の仕事が、永くみずみずしい生命力を保つことができるということの証明とも言える。
東京・南麻布のKANA KAWANISHI GALLERYで開催された今回の展示の中心になっているのは、前回と同じく「Light Navigation」のシリーズ(12点)である。このシリーズは「宇宙空間を経てようやく地表に届いた太陽の光を直感を指標に、そのままフィルムに留める形」をとっている。微妙なグラデーションの同心円の姿で定着された光彩は、一点一点が異なっており。それらを眼で辿っていくうちに時空を超えた世界に引き込まれていくように感じる。作品に付された番号は、すでに240番台に達しており、片桐が粘り強く、緊張感を保ちながら作業を進めていることが伝わってきた。
さらに注目すべきなのは、会場にここ数年のあいだに撮影されたという新作も数点並んでいたことだ。そのうち「21_34」は花火を、「Light of the Light」は波をテーマに撮影している。これらを見ると、片桐の関心が太陽光だけでなく、遍在する光のさまざまな様相に向きつつあることがわかる。ミニマルで禁欲的なたたずまいの「Light Navigation」の連作に加えて、より多様でふくらみのある作品世界がかたちをとりかけているのは、とてもいいことだと思う。

2016/10/18(火)(飯沢耕太郎)

レイ・メツカー「Informed by Light 1957-1968」

会期:2016/08/24~2016/10/29

PGI[東京都]

レイ・K・メツカー(1931~2014)はアメリカ・ミルウォーキー生まれの写真家。1956~59年にシカゴ、インスティテュート・オブ・デザインで学んだ、いわゆる“シカゴ派”の代表作家の一人である。この学校の前身はラースロー・モホリ=ナジが1937年に設立したニュー・バウハウスであり、そのモダニズム的な造形写真の伝統は、戦後にハリー・キャラハンやアーロン・シスキンドによって受け継がれ、発展させられていった。
メツカーもまた、その流れを色濃く汲む写真家であることは、今回展示された1950~60年代の代表作37点(ほとんどがヴィンテージ・プリント)を見ればよくわかる。都市の眺めがカメラによって切り取られ、モノクロームの印画紙上に再現されているのだが、それらは単純化、抽象化されたハイコントラストの画像に処理され、ほとんど原形を留めていない。あるいは、2枚の写真を上下、左右に並置する「Couplet」(1968)のシリーズでは、相互の画像の時間的、空間的なズレを視覚化しようと試みている。
このような、写真という媒体を介して、現実世界を純粋なフォルムに還元して再構築する、造形的、実験的な写真のスタイルは、メツカーだけではなく、ケン・ジョセフソンや石元泰博などインスティテュート・オブ・デザイン出身の写真家に特徴的な傾向であり、1950年代以来多くの写真家たちに影響を及ぼしていった。だがその後、よりリアリスティックなアプローチが主流になるに連れて、やや古風なスタイルとして傍に追いやられていく。ところが、それから時代が一巡りした現在から見ると、それらが逆に新鮮に見えてくるのが面白い。デジタル化したカメラや画像処理のシステムを駆使することで、モダニズム写真を創造的に再解釈することが可能となるのではないだろうか。

2016/10/18(火)(飯沢耕太郎)

尾仲浩二/本山周平「熊本応援写真集展」

会期:2016/10/08~2016/10/09、2016/10/15~2016/10/16

ギャラリー街道[東京都]

尾仲浩二と本山周平は、2011年3月11日の東日本大震災の直後に、熊本県芦北町で開催された「あしきた写真フェスタ」に参加していた。この地域起こしの写真イベントには、たまたま僕もシンポジウムの講師として参加していたので、当時の雰囲気はよく覚えている。暗く、重苦しい雰囲気の東京とは違って、八代海に面した芦北には陽光が溢れ、開放的な気分が漂っていた。2人の写真家はイベントのあとに本山の実家がある八代市にも滞在し、熊本県内の風景を撮影した。
ところが、それから5年後の2016年4月14日と16日に、熊本一帯を震度7の地震が襲い、八代を含めた地域に大きな被害が発生した。当時展覧会のためにベルギーのブリュッセルに滞在していた尾仲は、「居ても立ってもいられずに」本山にメールを送り、それをきっかけに写真集を刊行し、売り上げを被災地に寄贈するというプロジェクトがスタートする。町口覚が造本を担当し、印刷会社のイニュニックの全面協力を得て、9月1日にその写真集『あの春 2011.3』が完成した。
本展はそのお披露目展であり、尾仲のカラー作品13点と本山のモノクローム作品14点(ほかに2001年に福岡県直方で撮影された尾仲の写真10点)が展示されていた。モノクロームとカラーによるそれぞれの表現の微妙な違いも興味深いが、より重要なのは彼らの写真が「撮れてしまったこの穏やかな風景」(本山周平)として成立していることだろう。そこには震災の予感などかけらもないのだが、逆にどんな日常的な眺めでも、失われた風景となってしまう可能性を秘めているということがありありと見えてくる。「写真にできること」、「写真だけにできること」という言葉が写真集の扉に掲げられているが、そのことをあらためて問い直す契機となる写真群ではないだろうか。

2016/10/15(土)(飯沢耕太郎)

甲斐啓二郎「手負いの熊」

会期:2016/10/04~2016/10/16

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

横田大輔とともに本年度の「写真の会賞」を受賞した甲斐啓二郎が、新作を含む19点で「手負いの熊」展を開催した。甲斐のメインテーマである、人類学的な視点で「スポーツ(ゲーム)の起源」を捉え直そうとする写真シリーズも、かなり厚みを増してきている。
今回の作品は長野県野沢温泉村で1月13日~15日に開催されている「道祖神祭り」のクライマックスとなる「火付け」の行事を、2013~15年の3回にわたって撮影したものだ。数え年で25歳になる若者たちが、社殿に火がついた松明を手に殺到する男たちを、体を張って守り続けるという行事である。例によって、甲斐は祭りの全体像を見渡すのではなく、男たちがぶつかり合う闘争の場面だけに焦点を絞って撮影している。特に今回は火という神話的な形象が効果的に使われているので、画面の緊張感がより高まり、「手負いの熊」と化した男たちの姿からは、なにか巨大な存在に立ち向かっている悲壮感すら漂ってくる。攻めよせる男衆が、荒ぶる自然そのものの象徴のようにも思えてくるのだ。
甲斐は日本だけでなく外国の祭礼も含めて、より大きなスケールのシリーズにまとめることを構想している。サッカーの発祥の地といわれるイングランドの村の行事を撮影した「Shrove Tuesday」(2013)に続いて、すでにジョージア(グルジア)での取材を済ませており、南米やアジアでの撮影も視野に入れているという。日本で撮影された写真群も含めて、それらをまとめて発表したり、写真集として刊行したりする目処をつけてほしいものだ。なお、展覧会に合わせて同名の写真集(デザイン・桝田健太郎)が刊行されている。

2016/10/14(金)(飯沢耕太郎)

芸術写真の時代─塩谷定好展

会期:2016/08/20~2016/10/23

三鷹市美術ギャラリー[東京都]

塩谷定好(1899~1988)は鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身の写真家。大正~昭和初期の「芸術写真」の黄金時代における中心的な担い手の一人であり、同じく鳥取県出身の植田正治が「神様」として敬愛していたという。1970~80年代にイタリア、ドイツ、アメリカなどで展覧会が開催され、あらためてその独特の作品世界に注目が集まった。昨年も「─知られざる日本芸術写真のパイオニア─塩谷定好作品展」(FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館)が開催されるなど、このところ再評価の機運が著しい。
本展では鳥取県立博物館所蔵の作品を中心に、100点の作品が展示されたのだが、これまでの展覧会とはやや異なったアプローチを見ることができた。ひとつは出品作に、これまで塩谷の写真のベースと考えられていた、故郷の赤碕の風土や暮らしに根ざした人物写真や風景写真だけではなく、ほぼ未発表の実験的な作品が多く含まれていたことである。《静物》(1928)はモノクロームのプリントに手彩色したカラー作品であり、《海》(1937)や《お堂》(1942)のような、ほとんど何が写っているのか判然としない、曖昧模糊としたピンぼけの写真もある。斬新な画面構成の《骸骨と鶴嘴》(1935)は、あたかもメキシコあたりの写真家の作品のようだ。もうひとつは、第二次世界大戦後の作品にもきちんと目配りがされていることである。《暮色群雀》(1957)や《砂丘》(1966)のようなスケールの大きな風景写真を見ると、塩谷の創作意欲がまったく衰えていなかったことがわかる。彼の「芸術写真」の時期を特徴づけていた、極端なソフトフォーカス描写や、墨や絵具での「描き起こし(雑巾がけ)」のような絵画的な技法は影を潜め、ストレートなプリントが試みられている。だが、被写体に向き合う姿勢には一貫したものがあったということだろう。
塩谷の仕事の写真史的な位置づけはまだ確定したわけではない。そのクオリティの高い作品世界には、さらなる未知の可能性が潜んでいそうだ。

2016/10/06(木)(飯沢耕太郎)

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