artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
「Retrace our Steps -ある日人々が消えた街」 カルロス アイエスタ+ギョーム ブレッション 写真展
会期:2016/06/24~2016/07/24
CHANEL NEXUS HALL[東京都]
東京・銀座のCHANEL NEXUS HALLでは、いつもいい写真展が開催されるのだが、その情報が写真・美術関係者にはあまり浸透していないように感じる。広報活動に少し課題があるのかもしれない。今回の展示は、フランス・パリを拠点に活動する2人の写真家、カルロス・アイエスタ(1985年生まれ)とギョーム・ブレッション(1980年生まれ)が、福島県の原発事故の被災地を撮影した5つのシリーズから構成されている。アイエスタとブレッションは、震災直後の2011年3月に「幻覚を見るような思いで原子力発電所周辺の無人地帯を」撮影した。そしてその後、5年間をかけて、粘り強く撮影のプロジェクトを継続していった。
人気のない街の建物や街路を、フラッシュ光で浮かび上がらせる「光影」、透明プラスチックの球体とセロファン・ラップを配置した風景をバックに、住人たちがポーズをとる「悪夢」、次第に草や樹木に覆い尽くされていく街並をクールに撮影した「不穏な自然」、廃墟化したコンビニに残されていた食品を商品撮影の手法で映像化する「パックショット」、さらに住人たちのインタビューとポートレートによる「回顧」の5シリーズは、従来のドキュメンタリー写真とはかなり肌合いが違う。だが、このようなアート的な手法にあまり違和感を感じないのは、逆に福島の現場の状況があまりにも現実離れしているからなのだろう。5年という時を経て震災の記憶が急速に風化しつつある現在、フランス人写真家たちによる意欲的な試みを、このようなかたちで紹介するのは、とても意義深いことだと思う。
2016/07/21(木)(飯沢耕太郎)
浦芝眞史展 身体の森で
会期:2016/07/20~2016/08/05
ガーディアン・ガーデン[東京都]
1988年、大阪生まれの浦芝眞史は、昨年の第13回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。本展はその受賞記念展である。受賞作はゲイの男性たちを撮影したスナップ的なポートレートだったのだが、被写体や手法を固定することなく、さらに幅を広げていけるかが大きな課題だと感じていた。今回の展示を見ると、その答えが少しずつかたちをとりはじめているのがわかる。これまでと明らかに違っているのは、モデルのなかに性同一障害の女性が含まれていることで、彼女=彼の「身体の森」に分け入ることで、その揺らぎを写真のなかに取り込むことができるようになっていることだ。今回の「反する性を同時に感じながら」の撮影の経験は、これから先の浦芝の写真世界の展開に、大きな影響を及ぼしていくのではないだろうか。
もうひとつ注目したのは、展示会場のインスタレーションである。大小の写真をフレーミングしたり、壁に直貼りしたりした新作に加えて、「1_WALL」展の受賞対象になった旧作も、サービスサイズほどの小さなプリントに焼いて並べられている。そのことによって、彼の思考と実践がどのように展開してきたのかが、観客にも充分に伝わるつくりになっていた。かつては、ややわざとらしいポージングの写真が多かったのだが、それが新作になるにつれて自然体に変わっていったことも、はっきりと見てとることができた。
身体性のズレや揺らぎに着目して作品を発表してきた写真家といえば、何といっても鷹野隆大(「1_WALL」展の審査員の一人)だ。浦芝も鷹野に続いて、このテーマに新たな角度から取り組んでいってほしい。
2016/07/21(木)(飯沢耕太郎)
吉増剛造「瞬間のエクリチュール」
会期:2016/07/01~2016/08/07
NADiff Gallery[東京都]
吉増剛造の写真表現がもっとも精彩を放つのは、むしろポラロイド写真かもしれない。『アサヒグラフ』に2000年初頭から37回にわたって連載された「瞬間のエクリチュール─吉増剛造ポラロイド日記」は、彼が日記のように撮影したポラロイド写真の表面および裏面に、白、銀、金などの細いペンでびっしりと言葉を書き連ねた連作だった。この「詩作品としてのポラロイド写真」には、ほとんど推敲もなしに、即興的な「生の言葉」が記されている。その自動記述を思わせるスタイルは、画像をほぼコントロールすることができないポラロイド写真に似つかわしいものといえるだろう。元来、吉増の写真は多重露光などによって、何ものかを呼び込むことをもくろんでおり、この「瞬間のエクリチュール」はその志向をほぼ極限近くまで追求した作品群といえる。
この時期、吉増はアリゾナ、フランス各地、石狩、花巻、奄美大島、沖縄などに移動を重ねていた。その旅の途上の、浮遊感を伴う身体と精神のありようが、ポラロイドの画像にも文章にも浸透している。特徴的なのは、ネイティブ・アメリカンのホピ族が儀式に使うカチーナドールが頻繁に登場すること。このカチーナドールは、まさに偶然を必然に変換する護符、彼方へと差し出された依り代といえるのではないだろうか。
今回の展示は、1999~2000年に制作されたポラロイド作品74点を、ほぼそのままの質感で再現して箱におさめた写真集『瞬間のエクリチュール』(edition.nord)の出版記念展である。写真集のデザインも担当した秋山伸が会場を構成している。なお写真集は通常版(初版300部)のほかに、直筆カリグラフィー(透明板)付きの特別版(限定30部)も刊行された。
2016/07/18(月)(飯沢耕太郎)
新正卓「OROgraphy─ARAMASA Taku HORIZON」
会期:2016/07/06~2016/07/19
銀座ニコンサロン[東京都]
新正卓は、南米の日系移民を撮影した『遥かなる祖国』(朝日新聞社、1985、第5回土門拳賞受賞)や、日系人収容キャンプの記憶を辿った『約束の大地/アメリカ』(みすず書房、2000)など、ドキュメンタリーの秀作で知られる。だが、2007年に武蔵野美術大学教授を退官し、奈良に住み始めた頃から、外に向いていた眼差しを反転させ、内なる精神世界を探求し始めている。今回、銀座ニコンサロンで展示された「HORIZON」(20点)のシリーズは、2006年の退官記念展(武蔵野美術大学)で発表された「黙示」の延長上にある作品だが、その構想は「当初のプランを大きくはみ出し」て、より広がりと深みを増してきた。
写されているのは、植物(花)とその背後に広がる水平線だが、撮影場所は日本各地の海に面した崖である。つまり、その視線の先にあるのは見えない国境線ということになる。その茫漠とした眺めを強調するかのように、今回のシリーズは「OROgraphy」という特殊な技法で制作されている。19世紀から20世紀初頭に、滅びゆくネイティブ・アメリカンを撮影したエドワード・カーティスの「金泥を用いたガラス・プレート陽画」に倣って、画像の組成に金を加えてデジタル加工しているのだという。それだけではなく、一部の作品はピンホールカメラで撮影されている。つまり現実の風景を、さまざまな手法で魔術的に変換することがもくろまれているのだが、その狙いは成功と失敗が相半ばしているのではないだろうか。植物の猛々しい生命力はよく写り込んでいるのだが、それぞれの場所の固有の表情が、どれも均一なものに見えてくるのが、どうしても気になるのだ。
このシリーズは、まだこの先も変容し続けていきそうだ。その行方を見続けていきたい。
2016/07/15(金)(飯沢耕太郎)
石内都展 Frida is
会期:2016/06/28~2016/08/21
資生堂ギャラリー[東京都]
石内都の写真は、原爆の被災者の遺品を撮影した「ひろしま」(2008)を契機にして大きく脱皮を遂げる。被写体が人間からモノに移行し、鮮やかなカラー写真で撮影されるようになる。白バックで、衣服(布)がふわふわと宙に漂うような撮り方も特徴的で、人々の記憶が纏わりつく遺品を撮影しているにもかかわらず、軽やかで遊戯的な雰囲気が生じてくる。そのような作品のあり方は、今回の「Frida is」にもそのまま踏襲されている。
このシリーズは、2012年にフリーダ・カーロ美術館の依頼を受けてメキシコ・シティで撮影され、写真集『Frida by Ishiuchi』(RM、2013)が刊行された。その制作過程をドキュメントした『フリーダ・カーロの遺品─石内都、織るように』(監督=小谷忠典)も2015年に公開されている。あらかじめ、どんな作品なのか充分に承知しているつもりで出かけたのだが、会場で実際に展示を見て、とても新鮮な印象を受けることに逆に驚いた。石内の展示のインスタレーションのうまさには定評があるが、今回も大小の作品の配置の仕方が絶妙で、観客を写真の世界に引き込んでいく。写真の色味に合わせるように、壁を黄色、青、赤、藤色に塗り分けたのも素晴らしいアイディアだ。個々の作品がより膨らみを持って見えてくるように感じた。フリーダ・カーロのトレードマークというべき派手な色合いの民族衣装よりも、むしろ薬壜、洗面器、眼鏡、体温計といった小物をいとおしむように撮影した作品のパートに見所が多いのではないだろうか。
展覧会にあわせて写真集『フリーダ 愛と痛み』(岩波書店)とエッセイ集『写真関係』(筑摩書房)が刊行されている。また、同時期に開催されている「BEAUTY CROSSING GINZA」の企画の一環として、資生堂パーラー、資生堂銀座オフィス、SHISEIDO THE GINZAなどでも、石内の「NAKED ROSE」や「1・9・4・7」のシリーズが展示されていた。
2016/07/15(金)(飯沢耕太郎)