artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

北井一夫「流れ雲旅」

会期:2016/05/28~2016/06/08

ビリケンギャラリー[東京都]

北井一夫は1970年に『アサヒグラフ』に連載された「流れ雲旅」の写真撮影のために、漫画家のつげ義春に同行して下北半島、東北の湯治場(福島、秋田、山形、岩手)、国東半島、福岡県篠栗などを旅した。この連載は『つげ義春 流れ雲旅』(朝日ソノラマ、1971)として単行本化されているのだが、今回、北井の個人写真集としてワイズ出版から出版されることになった。本展では、それにあわせて印刷用にプリントされた北井の写真を展示している。
それらを見ていると、1960年代から70年代初頭にかけて『ガロ』に掲載されたつげ義春の「旅もの」の漫画が、同時代の表現者たちに共感を持って迎えられ、強い影響を及ぼしていったことがよくわかる。北井が写真集のあとがきとして書いた文章によれば、「その頃の私は、つげさんのマンガとそっくり同じような写真を撮っていた。つまり私の写真の被写体になった人たちは、いつも決まってカメラに向かって凝視しているという写真だった」ということだ。知らず知らずのうちに、個人的な「関係性」を起点とするような漫画が描かれ、写真が撮影されていく。高度経済成長下に解体していったムラの共同体のあり方を、ある種のノスタルジアを込めてふり返るような気分が、若い表現者たちに共有されていたということだろう。北井はやがて、1975年に第一回木村伊兵衛写真賞を受賞する「村へ」のシリーズを撮り進めていくのだが、まさにその起点というべき写真撮影のスタイルが、この時点ではっきりと芽生え始めていたことが分かる。
つげ義春の「旅もの」に共振する感性は北井一夫に留まらず、より若い世代にも引き継がれていった。猪瀬光が写真を撮り始めたきっかけが、つげの漫画だったという話を聞いたことがある。さらにその影響力は、尾仲浩二や本山周平や村上仁一にまで及んでいそうだ。そのあたりの系譜を辿ってみるのも面白そうだ。

2016/06/04(土)(飯沢耕太郎)

生きるアート 折元立身

会期:2016/04/29~2016/07/03

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

1980年代から新作まで、270点以上の作品を二つの企画展示室を使って一堂に会した折元立身展。彼のパフォーマー、アーティストとしての軌跡を総ざらいする、圧倒的な迫力の展示だった。
1990年代の代表作である「パン人間」、今年97歳になるという母親との介護の日々を、数々のアート・パフォーマンスとして展開した「アート・ママ」、その発展形といえる「500人のおばあさんとの昼食」(ポルトガル/アレンテージョ・トリエンナーレ、2014)をはじめとする食事のパフォーマンス、日々描き続けられている膨大な量のドローイング、「子ブタを背負う」(2012)など、ユニークな「アニマル・アート」──どの作品にも、生とアートとを直接結びつけようという強い意志がみなぎっており、彼のポジティブなエネルギーの噴出を受け止めることができた。
折元はごく初期から、写真や映像を使ってパフォーマンスを記録し続けてきた。一過性のパフォーマンスをアートとして定着、伝達していくための、不可欠な手段だったのだろう。だがそれ以上に、写真や映像を撮影すること自体が、アーティストとパフォーマンスの参加者とのあいだのコミュニケーションのツールとして、重要な役目を果たしていることに気がつく。カメラを向けられることで、その場に「参加している」という高揚感、一体感が生じてくるからだ。写真や映像を記録のメディアとして使いこなすことで、彼のパフォーマンスは秘儀的な、閉じられた時空間に封じ込められることなく、より風通しのよいオープンなものになっている。写真作品としての高度な完成度を求めるよりも、パフォーマンスの正確な記録に徹することで、はじめて見えてくるものがあるのではないだろうか。現代美術家の「写真使用法」の、ひとつの可能性がそこにあらわれている。

2016/06/03(金)(飯沢耕太郎)

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須崎祐次「Hole of Human」

会期:2016/05/13~2016/06/11

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

須崎祐次の個展「Hole of Human」を見て、あらためて写真展示における「パレルゴン」(額縁、マット、台紙、ピンなど)の意味について考えた。画像そのものを本質として考えれば、それらは余分な装飾的な要素にすぎない。写真の純粋性を究めるならば、なるべくシンプルでミニマムな展示のあり方がいいという考え方もあるだろう。だが、今回の須崎の作品でいえば、古いゴシック的な額縁を使ったり、画像の上に穴がたくさんあいたプラスチック板を重ねたりといった「パレルゴン」的な操作は、写真の内容と分ちがたく結びついており、一体化して、面白い視覚的な効果を生じさせている。凝りに凝った「コスプレ」のマスクや衣装(自分でデザインして特注したもの)を身につけた女性たちの身体の一部を、複数の穴から覗けるようになっているのだが、その仕掛けが無理なく、効果的に働いているのだ。
須崎は日本大学芸術学部写真学科卒業後、1988~92年にニューヨークで写真家として活動した。帰国後、92年に写真「ひとつぼ展」の前身にあたる、ガーディアン・ガーデンのコンペでグランプリを受賞して注目されるが、その後は模索の時期が続いていた。だが、前回のEMON PHOTO GALLERYでの個展「COSPLAY」(2013)のあたりから、自分のこだわりを形にしていく技術力の高さと、研ぎ澄まされたフェティッシュな嗜好とがうまく合体して、独自の写真の世界が生み出されつつある。視覚的なエンターテインメントとしてのレベルの高さも感じるので、日本の「コスプレ」文化に関心が深い、海外での本格的な展示も期待できそうだ。

2016/06/02(木)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「センチメンタルな旅─コンプリート・コンタクトシート」

会期:2016/05/25~2016/07/23

IMA gallery[東京都]

荒木経惟は1971年7月7日に、広告代理店・電通の同僚だった青木陽子と結婚式を挙げ、京都と福岡県柳川への4泊5日の新婚旅行に出発した。そのあいだに撮られた写真108枚を構成して、1000部限定の自費出版で刊行したのが『センチメンタルな旅』であり、荒木の実質的なデビュー作品集になる。日本の写真表現の歴史におけるこの写真集の重要性については、すでに語り尽くされているといってもよい。だが、今回東京・六本木のIMA galleryで開催された、「センチメンタルな旅」のコンタクトシート(ネガの密着プリント)の全点展示を見て、あらためてその凄みに震撼させられた。荒木は新婚旅行のあいだに35ミリのモノクロームフィルム17本を撮影し、さらに東京に帰ってから撮影した1本分のネガを合わせて写真集を構成しているのだが、その作業全体に神の手が及んでいるのかと思えるほどの奇跡的な出来栄えなのだ。
18本分のコンタクトシートを辿っていくと、荒木はあらかじめ周到に写真集全体の構成を考えてから撮影したように見えてくる。だがそうではないだろう。一見シナリオに沿って展開しているようだが、次に何が起こるのか、荒木がそして陽子がどう動くのかは、成り行きまかせだったのではないだろうか。とはいえ、全身全霊をアンテナとして次の展開に備えているような緊張感が全編に漂っており、写真家とモデルとのテンションの高さはただ事ではない。さらに、コンタクトシートによって、はじめて見えてきたこともある。例えば、あのよく知られた「死の舟」のカットの前後には、5カット分シャッターが切られており、舟の中に横たわっていた陽子は、その後身を起こして荒木のほうを見つめているのだ。そう考えると、どのカットを選択しどのカットを落とすのか、また、それらの写真の前後を微妙に入れ替えながらどう並べるのかで、そのシリーズ見え方がまったく違ってくることがよくわかる。そのデリケートな作業を、荒木がほぼ完璧に成し遂げていることが、コンタクトシートからありありと見えてくるのだ。
なお、ほぼ同時期に、1階下のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでは「写狂老人A 76齢」展(5月25日~6月29日)が開催された。恒例の荒木の誕生日記念展だが、こちらのテンションの高さも特筆に値する。2002年以来撮り続けているKaoRiを6×7判カメラで撮影したカラー作品「写狂老人A 76齢」から9点と、パリのギメ東洋美術館の個展のために撮り下ろされた「トンボー・トウキョー」シリーズから471点(スイッチ・パブリッシングから同名の写真集も刊行)。衰えを知らないエネルギーの噴出には、驚きを通り越して唖然としてしまうほどだ。

2016/06/01(水)(飯沢耕太郎)

武田陽介「Arise」

会期:2016/05/14~2016/06/11

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

武田陽介が2014年に開催した個展「Stay Gold」と同名の写真集は、確信を持って撮影された決定性の強い写真と、非決定的な揺らぎを含みこんだ写真とを対比的に共存させ、写真というメディウムを通して見えてくる世界像を再構築しようとする意欲的な試みだった。武田は1982年生まれで、同世代の写真家たちの旗手として、次の展開を期待していたのだが、タカ・イシイギャラリー東京の新作展を見て、ややはぐらかされたような思いを味わった。「悪くはない」のだが、表現意欲が停滞しているように感じられたからだ。
今回の展示作品は、3点の大判プリントを含めて8点。ほかにモニターで映像作品を上映している。前回の個展との大きな違いは、全作品が「Digital Flare」のシリーズに統一されていることである。「デジタルカメラを強い逆光に向けた際に生じるフレア、あるいはゴーストと呼ばれる現象を被写体として捉える」このシリーズでは、武田は植物にカメラを向けながら、それを媒介として生じてくる光の揺らぎを「レンズのテクスチュア」として定着する。その意図は明確であり、プリント自体も官能的な美しさに満ちあふれている。だが、このシリーズだけに世界の見え方を特化させることで、前作の多次元的な構造が解体し、どこか予定調和な枠組みのなかに収まってしまっているのではないかと思う。写真家としての申し分のない才能に恵まれ、表現力と技術とを兼ね備えた武田には、さらなる未知の世界の探求を期待したいものだ。

© Yosuke Takeda / Courtesy of Taka Ishii Gallery, Tokyo

2016/05/27(金)(飯沢耕太郎)