artscapeレビュー
深川雅文、湊雅博、山崎弘義編『Akira Yoshimura Works/吉村朗写真集』
2014年12月15日号
発行所:大隅書店
発行日:2014年9月30日
不意打ちのような衝撃を与える写真集が出現した。
吉村朗(本名は晃、朗は写真家としての名前)は1959年に福岡県門司市(現北九州市門司区)に生まれ、日本大学芸術学部写真学科を経て、1984年に東京綜合写真専門学校研究科を卒業した。その頃から、カラー写真による都市のスナップショットを発表して注目を集めるが、1995年の写真展「分水嶺」の頃から、日本近代の歴史を個人的な記憶と重ねあわせながら抉り出す作品を制作し始める。2012年に享年52歳で逝去。本書は、吉村の仕事をずっとフォローしてきた川崎市市民ミュージアム学芸員の深川雅文と、友人の写真家、湊雅博と山崎弘義によって、「分水嶺」以降の「闇の呼ぶ声」(1996年)、「新物語」(2000年)、「ジェノグラム」(2001年)の各シリーズと、吉村自身が生前に「1994-2001」、「Recent Works」と題してまとめていた作品群を再編集したものである。
これらの写真をあらためて見直しているうちに、しきりに「取り返しがつかない」という思いが涌き上がってきた。吉村の1990年代以降の作品は、彼自身を含む家族のルーツ(吉村家は朝鮮半島の植民地支配に深くかかわっていた)を、韓国・ソウルの西大門刑務所、中国撫順郊外の平頂山の民間人虐殺の跡、長崎県佐世保の旧日本海軍が建造した針生無線塔、さらに茨城県東海村の原発臨界事故現場の写真などを通じてあぶり出し、あくまでも個の視点から近代史を再構築しようとする、大きな構えを持つプロジェクトだった。残念なことに、僕自身を含めて、彼のメッセージをきちんと受け止めて評価する動きは乏しかったのではないだろうか。過去の出来事をやり直すことができないということとともに、吉村の仕事をフォローすることができなかったことが、「取り返しがつかない」という思いに繋がる。
本書は深川による詳細な作品論も含めて、吉村の孤独な作業を丁寧に跡づけている。だが、彼の仕事を世界の写真史の中にどのように位置づけ、受け継いでいくのかという新たな課題も出てきた。深川が指摘するドイツのミヒャエル・シュミットと吉村の作品との共通性はとても興味深い。また、写真を通じて歴史─政治─社会を問い直していく貴重な試みとして、より若い世代が吉村の作品に関心を持ってくれるといいと思う。
2014/11/05(水)(飯沢耕太郎)