artscapeレビュー
志賀理江子「螺旋海岸」
2012年12月15日号
会期:2012/11/07~2013/01/14
「年末回顧」を執筆しなければならないシーズンになり、『日本カメラ』(2012年12月号)に今年の写真展について書くように求められて、本展を「ベスト1」にあげた。実はその原稿の執筆時点では、まだこの展覧会を見ていなかったのだが、確信を持ってそう言い切ってしまったのだ。志賀理江子は、2012年7月に東川賞新人賞を受賞し、東川町フォトフェスタの展示に「螺旋海岸」のシリーズから数点を展示した。それを見て、会場に置いてあったせんだいメディアテークでの「連続レクチャー 考えるテーブル」(2011年6月〜12年3月)の草稿にも目を通していたので、彼女の今回の個展が「日本の現代写真の階梯を一段高めるものである」と自信を持って書くことができたのだ。
実際に仙台まで日帰りで往復し、展示を見て、その確信が決して間違いではなかったことがわかった。志賀が2008年以来、宮城県名取市北釜に住みついて、その地の住人たちとともに実践してきた写真行為の蓄積は、驚くべき強度と密度を備えたシリーズとして生長し、文字通り大地に根を張りつつある。せんだいメディアテーク6階の広いスペースに、木製パネルに直接貼り付けて、土嚢を重しにして立ち上がった243点の写真群は、あらゆる形容詞を吹き飛ばしかねない圧倒的なパワーを発していた。それらをどのように受け入れ、位置づけていくべきかについて思いを巡らすには、12月中に刊行予定のテキスト集『螺旋海岸ノート』と写真集『螺旋海岸アルバム』(いずれも赤々舎)を待つしかない。だが、会場の中心に置かれた「①遺影」の写真から、まさに螺旋状に円を描きながら「②私、私、私」「③微笑み(写真のなかの私)」「④ここはどこ(写真のなかの私)」「⑤さようなら(写真のなかの私)」「⑥眠り」「⑦皮」「⑧鏡」「⑨伝言」と広がっていく写真の間をさまよう体験は、忘れがたいものになった。「①遺影」以下の写真の分類はむろん志賀自身によるものであり、被写体となった人々の「まなざし」のあり方と、その行方を探り当てようとする独自の思考の軌跡が刻みつけられている。志賀が北釜で写真作品を制作しつつ、闇の中から手探りでつかみ取っていったこれらの思考の断片は、画像としてだけでなく言葉(詩的言語)としても比類ない高みに達しつつあるのではないだろうか。
2012/11/24(土)(飯沢耕太郎)