artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
松江泰治「世界・表層・時間」
会期:2012/08/05~2012/11/25
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
松江泰治が静岡県各地を空撮した「JP-22」(2005)で、初めてカラー作品を発表したときにはかなり驚いた。松江といえば、緻密なモノクローム作品というイメージが強かったからだ。さらに2007年、作品の一部に写り込んでいる人物を極端なクローズアップで浮かび上がらせた「cell」シリーズを発表したときにもびっくりした。そういうトリッキーな仕掛けをこらした作品を出してくる作家とは思っていなかったからだ。だが、それ以後の彼の仕事を見ていると、ひとつのコンセプトを厳密に追い求めるというよりも、制作のプロセスを愉しみつつ、写真表現のさまざまな可能性にチャレンジしていくというのが、彼の本来の資質なのではないかと思い始めた。
その姿勢は、今回のIZU PHOTO MUSEUMでの個展でも見事に貫かれていた。特に目立つのは、写真作品と映像作品とを組み合わせていくインスタレーションである。映像作品はすでに2010年のTARO NASUでの個展「Survey of Time」で見ることができたのだが、今回は質的にも量的にもより大きな位置を占めるようになってきている。つまり、従来の「世界」の「表層」を引き剥がすように収集していく静止画像に「時間」の要素が加わることで、より偶発性の強い、実に味わい深い作品に仕上がっているのだ。映像作品のなかをかなり速いスピードで走り過ぎていく自動車(「DXB 112294」)、ガラス窓をつたう雨滴(「MAN 12840」他3点)、不意に画面を横切る子どもたち(「JUTLAND 112361」)などからは、松江の世界を新たな角度から見つめ、驚きに溢れるイメージを発見することの歓びがストレートに伝わってくる。
静止画像の写真作品でも、これまでのような距離を置いた俯瞰的な構図だけではなく、より融通無碍に世界を見渡す姿勢が強まっていることに注目すべきだろう。展示の最初に掲げられていた「MCT 17451」は、貝殻や小石がちらばった海辺の地表をかなり近距離から撮影したものだし、『NORWAY 18243』「同18148」「同18149」には、フィヨルドに停泊する大きな客船が横向きに写っている。松江の作品世界はたしかに拡大しているが、それが散漫な拡張であるようには見えない。むしろ「地名の収集家」としてのテンションと集中力は、より高まっているのではないだろうか。
なお、東京・馬喰町のギャラリー、TARO NASUでは、カラー写真で青森県と秋田県を空撮した「jp0205」シリーズが展示された(8月31日~9月21日)。ここでも風景を観察し、切りとって提示することの歓びが、軽やかに発揮されている。
2012/08/11(土)(飯沢耕太郎)
池田みどり「I Love You, I Hate Youーすきよ、きらいよー」
会期:2012/07/20~2012/08/26
NADiff a/p/a/r/t[東京都]
アーティストの池田晶紀と三田村光土里によるユニット「池田みどり」。その新作の「I Love You, I Hate Youーすきよ、きらいよー」は、なかなか面白いパフォーマンス作品に仕上がっていた。
舞台になっているのは、東京・板橋区にある「50年以上、精密板金業を営む町工場」である。そのどこか既視感のある「映画のセット」のような空間で、男性と女性とが「揺れ動く男女の人生の悲喜こもごもが交差する」場面を演じる。「春のおとずれ」「つのる想い」「素直になれなくて」「心の嵐」「私は離れない」などと名づけられたシークエンスは、やや大仰な振付けのミュージカル調に仕立てられているが、その場面設定や二人の表情には切実なリアリティがある。彼らの巧みな演技力と的確なカメラワークが、パフォーマンスを単なる絵空事ではない、誰もが身に覚えがあるような場面として成立させているのではないかと思う。
この作品が演劇や映画ではなく、写真のかたちで発表されていることは、かなり重要なファクターなのではないだろうか。写真は前後の場面をカットして、ある特定の身振りを強調して提示することができる。そのことによって「すき」「きらい」という個人的なエモーションが、より普遍的な、抽象化されたイメージとして再構築されるのだ。「池田みどり」の活動が今後どのようなかたちで展開されていくかはわからないが、いろいろな可能性がありそうだ。この「Untitled Film Stills」のスタイルを、さらに推し進めていってほしいものだ。
2012/08/08(水)(飯沢耕太郎)
仙台コレクション写真展 vol.16
会期:2012/08/07~2012/08/12
SARP(仙台アーティストランプレイス)[宮城県]
仙台在住の写真家、伊藤トオルを中心にして大内四郎、松谷亘、小滝誠、斎藤等、片倉英一、安倍玲子、佐々木隆二の8人によって2001年から開始されたのが「仙台コレクション」。仙台市内の建物、橋、道路などの「日々失われていく無名の風景」を区域ごとに担当を決めて、できうる限り正確に撮影し、プリントに残そうというユニークなプロジェクトである。1万枚を目標に開始された「コレクション」の点数は6,000枚を超え、まだ道のりは遠いが、ようやくゴールがおぼろげに見えてきた。今回のSARPでの展示は、その16回目の中間報告ということになる。
会場には6切りサイズのプリントが22点、やや大きめのA3サイズのプリントが8点並んでいた。写真の選択も、プリントの質もきちんと整えられているので、「仙台コレクション」の全体像を知る者にとってはこれくらいの数でちょうどいいかもしれない。だが、そうではない観客にはその意図がややわかりにくいだろう。やはりもう少し展示の点数を増やすとともに、プロジェクトの概要についての丁寧な解説もほしかった。それと、どうやらこの種のタイポロジー的な作品の場合、プリントのサイズはあまり大きくない方がいいように思える。小さめのサイズの方が、視点が拡散せず、写真の細部まで把握しやすいからだ。
「仙台コレクション」の営みは、昨年の東日本大震災によってさらに重要度を増しつつある。すでに都市開発などによって、2000年代初頭に撮影された建物のうちかなりの数が失われてしまった。震災はまさにその状況を加速させていったのだ。むろんその進行に歯止めをかけることはできない。だが撮影しておくことで、記憶を喚起する手がかりを未来に向けて残すことは可能だ。目標の1万枚に達したとき、どんな眺めが見えてくるのかが今から楽しみだ。
2012/08/07(火)(飯沢耕太郎)
ラルフ・ギブソン「1960-」
会期:2012/07/20~2012/09/08
Gallery 916[東京都]
世界的に評価が高く、重要な仕事をしているにもかかわらず、日本ではほとんど紹介されたことのない写真家が何人かいるが、1939年アメリカ・ロサンゼルス生まれのラルフ・ギブソン(Ralph Gibson)もそのひとりだ。彼が自分で立ち上げた出版社、Lustrum Pressから刊行した『Somnambulist』(1970)、『DEJA-VU』(1973)、『DAYS AT SEA』(1975)の三部作は、写真家たちの関心が社会的、客観的なドキュメンタリーから、個人的、内面的なプラーヴェート・フォトへと転換していった時期の表現のあり方を代表するものと言える。
そういえば田村彰英の「BASE」もまた、ほぼ同時期の社会的視点から個人的視点への転換を体現している作品群だ。だが、その肌合いはかなり違っていて、即物的でメカニカルな田村の作品と比較すると、ギブソンの写真の世界はより文学的で、謎めいている。中心となる被写体をクローズアップする手法を多用した画面構成が、その印象をより強めているようだ。彼の発想の基本にシュルレアリスムの影響があるのは明らかであり、ヌードへのこだわりも含めてマン・レイの正統的な後継者と言えるのではないだろうか。
三部作を中心に代表作58点を展示した今回の個展は、おそらく日本で最初のギブソンの本格的な紹介だろう。1962年にドロシア・ラングの助手をつとめていた時代の、珍しいドキュメンタリー・スタイルのプリントや、1990年代以降のカラー作品まで含まれており、ギブソンの写真の世界を概観する貴重な機会になっている。ただ、会場には作品のタイトルや年代の表記がなく、やや素っ気ない印象を受ける。もう少し丁寧に噛み砕いた、キャプションやテキストがあってもよかったのではないだろうか。
2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)
田村彰英「夢の光」
会期:2011/07/21~2012/09/23
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
田村彰英は写真の旨味をよく知っている写真家だ。被写体を見つけだす鋭敏なアンテナを備え、それを的確な、だが時に思いがけない手法とテクニックで作品に落とし込んでいく。けっして派手な印象を与える作家ではないが、そのいぶし銀の作品は高度に練り上げられ、玄人筋を唸らせる魅力を発している。そんな田村の1960年代後半以来の代表作、115点を一堂に会する今回の展示を楽しみにしていた写真ファンも多いのではないだろうか。
1960~70年代前半にかけて、米軍基地をどこか抒情的なブレや揺らぎの効果を活かして撮影した「BASE」(1966~70)から始まり、初期の代表作と言える定点観測写真のシリーズ「家」(1967~68)と「道」(1976~81)、田村のスタイルを確立した「午後」(1969~81)、4×5インチ判のカメラでややズラして撮影した2枚の写真を組み合わせた意欲作「湾岸」(1983~92)、8×10インチ判カメラによる哀感のこもった東京の下町のシリーズ「赤陽」(1996~97)、折りに触れて撮影した非日常的な光景のコレクション「名もなき風景のために」(1977~2011)、そして再び新作の「BASE 2005-2012」に回帰する展示構成は見事というしかない。観客は会場を巡るうちに、田村とともにじっくりと写真の旨味を味わうことができるはずだ。
彼の意欲がまったく衰えていないことは、メカニックな米軍戦闘機をまるで少年のようなまなざしで見つめ返す「BASE 2005-2012」(映像作品も含む)だけでなく、「名もなき風景のために」のパートに展示された、東日本大震災後に撮影された陸前高田の風景にもよく表われている。「被災地に降り注ぐ光り」を前にして「困難と混乱のまま、何も解決出来ない苛立ちの感情」を覚えたと田村は書いている(「〈夢の光〉に寄せて」『eyes』2012 vol.74)。一見クールに見える田村の写真のたたずまいの奥に潜む、エモーショナルな熱気をあらためて感じとることができた。日本カメラ社から、カタログを兼ねた写真集も刊行されている。
2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)