artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

うつゆみこ「ばらまど」

会期:2012/08/18~2012/09/30

G/P GALLERY[東京都]

カラフルかつ可愛らしい、だが時にグロテスクでエロティックなオブジェ+コラージュ作品で知られるうつゆみこの新作展は、期待にたがわぬ面白さだった。今回の個展には、代表作の「はこぶねのそと」シリーズの延長線上の作品に加えて、新作の「ばらまど」のシリーズも展示されていた。これまた、彼女の偏執狂的なこだわりが爆発した連作で、同心円上に並んださまざまな物体に、円形の切り紙が網状に掛けてある。使っている材料は野菜、果物、魚介類など、うつ好みの「食べ物」オンパレードだが、以前のシリーズと比較すると、より抽象度が増しているのに気がつく。
ただ細部に目を凝らすと、「グロとエロとカワイイ」が三位一体となった圧倒的な物質感は健在で、これはこれで彼女の本領が充分に発揮されたシリーズと言えるだろう。一見、コンピュータで画像合成したように見えるが、エビのひげの曲がり具合などをみると、やはり一個一個手で並べて形をつくっているようだ、超細かい編み目模様の切り紙も含めて、気が遠くなるようなエネルギーが費やされているわけで、そのあたりの手抜きのなさが彼女にしかできない世界の構築に結びついている。他にも自作のカラーコピーを、キッチュな布張りの額におさめた小さな作品が机の上に山のように並んでいて、見ているうちに目と頭がクラクラしてきた。この作家の無償のエネルギーの噴出は、いつの間にかとんでもないレベルにまで達しているのではないだろうか。

2012/08/23(木)(飯沢耕太郎)

ダニエル・マチャド/森山大道「TANGO」

会期:2012/08/18~2012/09/30

TRAUMARIS SPACE[東京都]

面白い組み合わせの写真展だった。ウルグアイ、モンテビデオ出身のダニエル・マチャドはタンゴ・ダンサーがカップルで踊る姿を画面上で増殖させるシリーズと、バンドネオンとダンサーとの脚を対比させて画面に配したシリーズの二作品を展示した。どちらもタンゴの官能性、音楽のうねりとともに変容していく身体のあり方を見事に捉え切っているが、個人的には後者の方が興味深かった。バンドネオンの本体のメカニズムが、そのまま女性の脚の曲線に接続しているあり方が、シュルレアリスティックと言えそうなほど意表をついた美しさなのだ。そういえば、今回のパートナーである森山大道にも網タイツの脚をクローズアップで撮影した作品があった。二人の作品世界が重なりあって見えてくるのがよかったと思う。
その森山は、2005年の写真集『ブエノスアイレス』(講談社)におさめたタンゴのイメージを再演していた。森山の数ある写真集のなかでも、『ブエノスアイレス』はねっとりと絡みつくような夜の空気感、そのエロティシズムを最も色濃く漂わせている。そのなかでも、特に夜の路上で踊る男女のタンゴ・ダンサーの場面は鮮やかに記憶に残っており、それをかなり大きく引き伸ばしたプリントのかたちで見ることができたのが嬉しかった。カラーとモノクローム、演出写真とスナップショットという二人の写真家の対比がうまくきいていて、展示として成功していたと思う。

2012/08/18(土)(飯沢耕太郎)

すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙

会期:2012/07/14~2012/09/02

世田谷美術館[東京都]

2012年2月から神奈川県立近代美術館 葉山、京都国立近代美術館、高松市美術館、世田谷美術館と巡回してきた「村山知義の宇宙」展は、期待に違わぬ面白さだった。画家、イラストレーター、舞踏家、建築家、演出家、小説家など、さまざまなジャンルを横断し、常に挑発的な作品を発表し続けた村山の全体像を、おそらく初めて概観できるこの展示の意味について語るにはいささか役不足なので、ここでは彼と写真とのかかわりについて、いくつかの角度から指摘するに留めたい。
村山が1922年にベルリンに約1年間滞在した時期は、まさに写真という表現メディアが大きくクローズアップされ始めた時期だった。モホイ=ナジがバウハウスに招聘されて、フォトモンタージュやフォトグラムなどを積極的に授業に取り入れ始めるのが1923年、画期的な小型カメラ、ライカA型がエルンスト・ライツ社から発売されるのが1925年である。当然ながら村山もまた、ドイツで写真の表現力を強く意識したに違いない。
だが1923年に帰国し、「マヴォ」の運動を精力的に展開するなかで、「コンストルクチオン」(1925)のようなコラージュ作品の一部に、フォトモンタージュが取り入れられていることを除いては、彼自身が写真作品を発現することはなかった。ただ彼自身のダンス・パフォーマンスが、写真として記録されることで広く知られるようになったのは確かだし、堀野正雄の写真をフィーチャーした「グラフ・モンタージュ」の「首都貫流──隅田川アルバム」(『犯罪化学』1931年12月号)で「監督・編集」を担当するなど、「芸術写真」から「新興写真」へと大きなうねりを見せていた当時の写真界においても、重要な役割を果たしたのではないかと思う。写真が村山の創作活動全般に、どのような影響を及ぼしたのかについては、今後きちんと検証していくべきテーマのひとつだと思う。日本の近代写真史にも、この異才の活動を組み込んでいくべきだろう。

2012/08/17(金)(飯沢耕太郎)

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秦雅則「人間にはつかえない言葉」

会期:2012/08/08~2012/09/02

artdish[東京都]

秦雅則の新作はやや意外なことに風景写真だった。彼はこれまで自分や身近な人たちのポートレート(ヌードを含む)や、雑誌のグラビアページなどの性的なイメージの再構成を中心に作品を発表してきた。ところが、今回の「人間にはつかえない言葉」では、被写体が彼の周囲の親密な空間から離脱して外部化している。これまでの作品世界を壊しかねない領域へと、思い切って踏み出しつつあると言えるのではないだろうか。
もっとも、「瞬間の定着を信仰せず、流動をそのまま写真にすることを選択」するという態度はそのまま引き継がれており、11×11インチのスクエアサイズに引き伸ばされた12点の風景写真(他に22×22インチの作品が3点ある)に写っている被写体には、固定した物質性はあまり感じられない。画像の一部に黒々と腐食したような空白が顔を覗かせているのが、その印象をより強めているとも言えるだろう。もうひとつ気になるのは、3本の蝋燭、屹立する棒杭、ピラミッド形のシルエット、不吉なたたずまいの水鳥など、どことなく宗教的な儀式性を感じさせる物が被写体に選ばれているということだ。これはむろん意識的に選択されているわけで、写真を「現在から未来への挽歌」として捉えていこうという秦の意志が、はっきりと表明されていると言えそうだ。
この「人間にはつかえない言葉」というタイトルは、「使えない」と「仕えない」のダブルミーニングになっており、「鏡と心中」というより大きなくくりの連作の一部となるのだという。こういったネーミングを見ても、秦は言葉を詩的言語として使いこなす才能にも恵まれている。それは展覧会と同時期に刊行された写真集『鏡と心中』(artdish g)におさめられた「記憶と記録」という夢日記風の文章を読んでもよくわかる。写真とテキストとの関係のあり方も、今後さらに研ぎ澄ましていくべきではないだろうか。

2012/08/14(火)(飯沢耕太郎)

辰野登恵子/柴田敏雄「与えられた形象」

会期:2012/08/08~2012/10/22

国立新美術館企画展示室2E[東京都]

取り合わせの妙というべき展覧会だ。辰野登恵子は油彩による抽象画、柴田敏雄は緻密かつスケール感のある風景写真で、それぞれすでに高い評価を受けているアーティストだが、この二人の作品を一緒に展示するということは、普通は思いつかないだろう。ところが、あまり知られていなかったことだが、辰野と柴田は東京藝術大学絵画科油画専攻の同級生(1968年入学)だったのだ。在学中には、同じく同級生の鎌田伸一を加えてコスモス・ファクトリーというグループを結成し、シルクスクリーン作品を中心に発表していた。卒業後はまったく違う道を歩むのだが、辰野と柴田のアーティストとしての活動は同じ母胎から出発したと言えるだろう。
実際に彼らの作品を見ると、意外なほどに共通性があることに気がつく。画面を大づかみな色面のパターンとして把握し、構築していくやり方は、メディウムの違いを超えてかなり似通っている。特に2006年以降、柴田がそれまでのモノクロームからカラーにフィルムを変えてからの作品は、基本的な世界の見方に同一性があるのではないかと思ってしまうほどだ。今回の展示を見てあらためて強く感じたのは、辰野が展覧会のカタログにおさめた対談(「偶然と必然、選択と創作~コスモス・ファクトリーから国立新美術館まで~」)で指摘しているように、柴田が「絵描きの目でカメラを扱っている」ということだった。柴田がもともと優れたデッサン力を持つ「絵描き」だったことは、難関の東京藝術大学絵画科に現役で入学したということからもわかる。たしかに彼の写真を見ていると、目の前の事物を二次元の平面に置き換えていくプロセスが、「絵描きの目」で、力強く、絶対的な確信を持って成し遂げられていることがわかる。辰野が言うように、柴田の写真作品を「絵がやり損なったというか、立ち往生しているポイントに光をあて、写真で絵になっている」という側面から見直す必要があるのではないだろうか。

2012/08/12(日)(飯沢耕太郎)

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