artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

中島宏章「黄昏ドラマチック」

会期:2012/09/28~2012/10/04

富士フイルムフォトサロン 東京[東京都]

札幌在住の中島宏章は、2010年の第3回田淵行男賞の受賞作家。そのとき、山岳写真と昆虫写真の偉大な先達の業績を讃えるこの賞の審査にはじめて参加したのだが、ネーチャー・フォトの世界にも確実に新たな胎動が芽生えはじめていることを感じた。1990年代以来のデジタル化の進行によって、まず技術的なレベルが格段に上がっている。中島のコウモリの写真も、シャープなピント、鮮やかな色彩と明快な構図、見事な連続瞬間撮影など、以前には難しかった表現のレベルをいとも簡単にクリアーしていた。さらに単なるコウモリの生態記録というだけでなく、それをより大きな人間や自然との関係のなかでとらえた「物語」として見せようとする視点が新鮮だった。
今回の富士フイルムフォトサロンの展示は、その田淵行男賞受賞作をベースとして、野生化した犬、猫、エゾシカ、シマヘビ、カラスアゲハ、ハエトリグモなど、個性的な脇役を配して北海道の自然環境を総合的に捉えようとする意欲作である。そのことで、逆に主役であるコテングコウモリやヤマコウモリの影がやや薄くなってしまったということがある。だが、その多彩で魅力的な写真の広がりを充分に愉しむことができた。中島には『BAT TRIP~ぼくはコウモリ』(北海道新聞社、2011)、『コテングコウモリを紹介します』(『たくさんのふしぎ』2012年3月号、福音館書店)といった著書もある。岩合光昭、星野道夫、今森光彦らの自然写真の成果を受け継ぎつつ発展させていく、次世代の表現領域の開拓を期待したいものだ。

2012/09/04(火)(飯沢耕太郎)

田代一倫「はまゆりの頃に 2012年夏」

会期:2012/08/23~2012/09/09

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

田代一倫は東日本大震災直後の2011年4月から、被災地とその周辺の地域の人たちのポートレートを撮影しはじめた。「はまゆりの咲く頃に」と名づけられたそのシリーズは、春、夏、秋、冬と季節を追って撮影が続けられ、そのたびに手づくりのポートフォリオブックとして編集され、写真展が開催されてきた。今回の「はまゆりの頃に 2012年夏」で、ポートフォリオブックは6冊目になり、延べ800人以上の人を撮影してきたという。
田代はとりたてて特別な撮り方をしているわけではない。被写体になってくれそうな人に声をかけ、カメラに正対してもらって、周囲の環境がよくわかるような距離を保ってシャッターを切る。最初の頃は、その難の変哲もないアプローチの仕方がやや中途半端に思えた。だが、これだけの量を見続けていると、むしろ中間距離を保つことの持つ意味が、じわじわと効果を発揮しているように思えてくる。ポートフォリオブックの写真一枚一枚に記載された丁寧なコメントも含めて、田代のジャーナリスティックでもアーティスティックでもない視点の取り方が、被災地の人々の状況とその微妙な変質をしっかりと捉え切っているのがわかってくるのだ。
今回、田代は今まで撮影するのをためらっていった仙台市の歓楽街、国分町の人々のポートレートを撮影し、 KULA PHOTO GALLERYでまとめて展示した。震災直後には「復興バブル」でにぎわっているという報道もあって、「遠い場所」と感じていたのだが、「被災者の気持ちが少しずつ変化」してきているのを感じて、あえて国分町にカメラを向けることにしたのだ。結果として、被災地の「いま」がよりクリアーに浮かび上がってくるいい展示になったと思う。たしかに、東日本大震災をきっかけにして始まった仕事だが、それ以上にこの時代の日本人のポートレートとしての厚みを持ちはじめているのではないだろうか。撮影は「2013年春」、つまり震災から2年後まで続けられる予定だという。ぜひ、やり遂げてほしいものだ。

2012/09/02(日)(飯沢耕太郎)

山村雅昭「ワシントンハイツの子供たち」

会期:2012/08/27~2012/09/09

Place M[東京都]

山村雅昭は1939年、大阪生まれ。1962年に日本大学芸術学部写真学科卒業後、フリーの写真家として活動した。1976年に第一回伊奈信男賞を受賞した「植物に」のシリーズなどで知られている。だが、1987年に急逝してからは、あまりその作品が取りあげられることはなかった。地味だがいい仕事をしていた写真家が、こんなふうに再評価され、写真展が開催されるというのはとてもいいことだと思う(同時に写真集『ワシントンハイツの子供たち』山羊舎も刊行)。
今回展示されているのは、山村が日本大学在学中の1959~62年に撮影していた「ワシントンハイツの子供たち」のシリーズ。ワシントンハイツは終戦直後から1960年代にかけて、現在に代々木公園、NHK放送センターのあたりにあった広大なアメリカ軍居住施設である。いわば「日本の中のアメリカ」がそこにはあったわけで、山村は特にそこに住む子供たちにカメラを向けていった。会場には六切り~四切りサイズのプリントが70点あまり並んでいたが、それを見ると若い山村が単なるエキゾチシズムを越えて、「子供」という存在のなかに潜む未知の領域に触手を伸ばそうとしていることがわかる。ハロウィーンの仮面をかぶった子供の写真が多いこともあって、石元泰博がシカゴで撮影した同じような写真を連想してしまう。だが、山村のアプローチは石元のそれとも違っている。わざとハイコントラストにプリントしたり、構図を不安定にしたり、極端なクローズアップを試みたりして、紋切り型の「子供写真」に陥るのを避けているのだ。スナップというよりポートレートというべき山村の写真は、石元より揺れ幅が大きく、彼自身の身体性がより強調されているともいえる。

2012/09/02(日)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「センチメンタルな空」

会期:2012/08/24~2012/10/07

RAT HOLE GALLERY[東京都]

荒木経惟の写真展はまずその量で圧倒するものが多いが、今回もその例に洩れない。といっても、展示そのものはいたってシンプルで、会場の壁にスライドが淡々と上映されているだけだ。写っているのは、荒木が1982~2011年に暮らしていた東京・豪徳寺のマンションのバルコニーから眺めた空である。彼が30年近く見続けていた風景が、取り壊しのために失われてしまったわけで、先頃河出書房新社から出版された写真集『愛のバルコニー』の姉妹編と言えるだろう。驚くべきことはその上映点数で、約3,000枚、上映時間は3~4時間になるのだという。
オープニングのややざわついた会場で、それらを全部見ることはできなかったのだが、さわりだけでもその凄みは充分に伝わってきた。といっても、決して威圧的な作品ではなく、むしろ見ているうちに心が鎮まり、安らいでくるのを感じる。空、空、空のオンパレード。だが千変万化するその表情は見飽きるということがない。いつもの「アラキネマ」と違って、今回の上映には一切音楽や効果音がついていないのだが、そのこともよかったのではないかと思う。空の青い色が少しずつ体の奥の方に沈殿し、気持ちの全体が静かに染め上げられていくような気がした。
荒木が空を撮り始めたきっかけは、1990年の最愛の妻、陽子さんの死去だった。彼女への万感の思いを込めて、自宅のバルコニーから見える空に向けてシャッターを切り続けたのだ。死から生へ、そして再び死へと、ごく自然に思いが巡っていく。そのうちいつのまにかうとうととして、ふっと目を覚ますとスクリーンにはまだ空が写っている。その夢と現実の境目のような眺めがとてもよかった。

2012/08/24(金)(飯沢耕太郎)

鷹野隆大「立ち上がれキクオ」

会期:2012/08/24~2012/09/28

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

ツァイト・フォト・サロンで発表された鷹野隆大の新作も、いかにも彼らしいアプローチの作品だった。撮影は2002~03年で、「キクオ」と称する中年の男性を撮影したシークエンス(連続場面)の2作品(115×115�Bが5点、48×48�Bが4点)が並んでいる。実は「キクオ」は、鷹野が1990年代末にミニコミ紙で「中年以上の男性ヌードモデル募集」という広告を出したときに、すぐに応募してきたのだそうだ(応募者は結局「キクオ」ひとりだけだった)。鷹野の「ヨコたわるラフ」シリーズ(2000)のなかにも、彼をモデルにした写真が入っている。
「キクオ」をすっかり気に入ってしまった鷹野は、その後も折りに触れて撮影を続けた。今回の出品作もそのなかのもので、太った「キクオ」が床や椅子から立ち上がろうとしている様子に、連続的にシャッターを切っている。特に心がけていたのは、モデルがフレームからはみ出してもカメラをほぼ動かさず、アングルを固定していたことだという。そのことで、顔や身体の一部が断ち切られているのだが、それが逆に面白い効果をあげている。全体に彼の体の「肉の塊」のような量感=物質性が強調されているわけだが、そのことに蔑視的な雰囲気があまり感じられないのが、鷹野の写真術の巧さと言える。むしろ、「キクオ」本人の微笑ましいような可愛らしさがほんのりと漂っていて、見ていて肯定的な気分になる。人間に常につきまとう、奇妙としか言いようのない存在のあり方を、思いがけない角度から照らし出すのが鷹野の作品の特徴だが、それが今回もよく発揮されているということだろう。

2012/08/24(金)(飯沢耕太郎)