artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

日本の70年代 1968-1982

会期:2012/09/15~2012/11/11

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

1970年代はたしかに面白い時代だった。むろん僕自身が個人的に10代~20代の感受性のアンテナが最も張りつめていた時代だったということもある。だが、高度経済成長が爛熟し、消費社会、情報社会が成立してくる過渡期におけるエネルギーの噴出は、やはりただ事ではなかったというべきだろう。埼玉県立近代美術館で開催された「日本の70年代 1968-1982」は、まさにその70年代前後の15年間の「時代の精神を、美術、デザイン、建築、写真、演劇、音楽、漫画などによって回顧」しようという、画期的かつ野心的な総合展覧会である。会場全体を埋め尽くす出品物は、よく集めたとしかいいようのない量で、それぞれが見所満載だ。展覧会の全体像については、おそらく他の方からの評価があると思うので、ここでは写真のジャンルに限って報告しておきたい。
1970年代は写真にとっても重要な時期である。中平卓馬、多木浩二、高梨豊、森山大道らの同人誌『プロヴォーク』(1968~69)に代表される写真表現の根本的な見直しを経て、荒木経惟、深瀬昌久らによる日本独特の「私写真」の成立、篠山紀信、立木義浩、沢渡朔、十文字美信ら、広告写真家たちの表現の活性化など、現代写真につながるさまざまな動きがいっせいにあらわれてきた。残念なことに、今回の展示では佐々木美智子の「日大全共闘」(1968)、山崎博の寺山修司、土方巽。山下洋輔らのポートレート(1970~72)、高松次郎、榎倉康二、北辻良央ら現代美術家の「コンセプチュアル・フォト」など、ごく限られた作品しか出品されていなかった。しかし、たとえば中平卓馬の写真が使われた「第10回日本国際美術展 人間と物質」(1970)のポスターのように、写真は印刷物として雑誌、ポスターの形で社会に浸透していた。今回の展示は単独のジャンルを深く掘り下げるのではなく、むしろその相互的な関連性を強調しており、その意図は充分に伝わってきた。
ただ、これだけの量の展示物を見終えても、まだ物足りなく感じるのは、僕自身が1970年代をリアルにくぐり抜けてきたひとりだからだろうか。会場の規模がもう少し大きければ、総花的な展示に加えて、もう少し各ジャンルの掘り下げも可能だったのではないかと思う。

2012/09/15(土)(飯沢耕太郎)

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トム・ハール「Karuizawa Dreamscape」

会期:2012/08/31~2012/09/28

PAST RAYS PHOTO GALLERY[神奈川県]

トム・ハールと会ったのは1980年代半ばで、彼は父親のフランシス・ハールが撮影した写真を何とか日本で展示しようとしていた。僕の記憶では、1985年に開館した「つくば写真美術館」の会場でその展覧会が開催されたはずだ。ハンガリー出身のフランシス・ハールは、国際文化振興会の招待で1940年に来日し、翌年東京でトムが生まれた。ところが太平洋戦争が激しくなった1943~46年に、ハール一家は軽井沢に強制疎開させられる。その「厳しい冬と食糧難に明け暮れた三年間」のことを、トムはほとんど覚えていないという。だが、そこで体験したことは自分の原風景として彼のなかに残り続けていたようだ。2008年になって失われた記憶を再構築するために、軽井沢で新たなシリーズを制作しはじめる。それが今回横浜のPAST RAYS PHOTO GALLERYで展示された「Karuizawa Dreamscape」である。
トムは軽井沢で撮影した風景写真の白黒を反転し、バラバラに切り離したりつなげたりしながら、淡い影の連なりのような綴れ織りのイメージを編み上げていく。その手つきは繊細だが、意表をついた画像の組み合わせや大胆な画面構成は、父譲りの1930年代アヴァンギャルド写真の手法を受け継いでいるようにも思える。もっと大きなプリントに引き伸ばして展示する場合もあるようだが、今回はキャビネ判くらいの小さな作品でまとめていた。それが夢の小宇宙にふさわしい雰囲気を醸し出していた。こうなると、フランシスとトムのハール父子の作品を一緒に見ることができる機会もほしくなってくる。

2012/09/13(木)(飯沢耕太郎)

津田直「Storm Last Night/ Earth Rain House」

会期:2012/08/20~2012/09/25

CANON GALLERY S[東京都]

津田直の二つのシリーズのカップリング展示である。すでに赤々舎から写真集としても刊行されている「Storm Last Night」(2009~)では、アイルランドのディングル半島やアラン島などを、6×17センチというかなり横長のフォーマットで撮影している。2012年から撮影が開始された「Earth Rain House」では、スコットランド北方のオークニー諸島、シェトランド諸島、アウター・ヘブリディーズ諸島などを船や小型飛行機で回って撮影した。どちらも中心的な主題となっているのは、キリスト教伝来以前の先住民族たちが残した古代遺跡とその周辺の景観である。
津田直の写真を見ていつも感じるのは、そこに写っている風景があたかも彼によって呼び込まれているように見えるということだ。光や影、靄や霧、気流なども含めて、彼がこう撮ろう、こう撮りたいと思っている方向へと、風景が移ろいつつ形をとっていく。優れた写真家の仕事には、いつでも偶然が必然へと転化していくということがつきまとうのだが、津田の写真ではその頻度が異常に高い。今回の二つのシリーズに共通しているのは「古代人は何を思想したか」というという問いかけだが、まぎれもなくその答えとなるような風景を確実に捉え切っている。触れる物すべてが黄金に変わってしまうマイダス王ではないが、津田のカメラの前の風景が、そのまま古代人の見た眺めへと変容していくように思えてくるのだ。
もうひとつ、津田は展示のインスタレーションが実にうまい。会場になった品川のCANON GALLERY Sには何度も行っているのだが、今回まったく別なギャラリーのように感じて驚いた。スポット照明を効果的に使って観客を誘導し、最後にパネルで区切られた小部屋へと導いていく。そこには古代人の住居の内部を撮影した写真が並んでいるのだ。会場のレイアウトや写真の配置も、津田の作品世界を味わう時の、重要なファクターになることは間違いないだろう。

2012/09/07(金)(飯沢耕太郎)

田村尚子『ソローニュの森』

発行所:医学書院

発行日:2012年8月1日

タイトルの「ソローニュの森」というのはパリから車で2時間あまりの場所にあり、そこにはラ・ボルド精神科病院がある。その道の専門家には有名な病院のようで、思想家のフェリックス・ガタリが精神科医として勤務していたことでも知られている。田村尚子は、2005年にこの病院の院長であるジャン・ウリと京都で出会ったのをきっかけにして、ラ・ボルドを自由に撮影することを許された。今回まとまったのは、その後の6回にわたったという滞在の記録である。
精神病者の写真というと、ある種のステロタイプな画像がすぐに頭に浮かぶ。だが、田村の写真は、患者たちの歪み、ねじれ、悲惨さなどを強調したそれらの写真とは、まったく一線を画するものだ。たしかに一見して「普通ではない」人たちの姿も写っているのだが、そのたたずまいは柔らかく、穏やかな雰囲気に包み込まれている。それはいうまでもなく、ラ・ボルドが他の精神病院とは違って、患者と病院のスタッフとの、そして外部の世界との境界線をなるべくなくすような、開放性の高いシステムを導入しているからだろう。田村はその空間を「もう一つの国」として受け容れ、パリに戻った時に逆に「社会の檻の中に戻ってしまった」と感じるようになる。
とはいえ、ラ・ボルドに日本人の女性がカメラを持って入り込み、撮影することは、田村にとっても患者たちにとっても、相当に負荷のかかることだったようだ。「カメラは凶器にもなる」ことに田村は思い悩み、一度はラ・ボルドから「脱走」するに至る。だが、もう一度戻ってきて、患者たちの前で自作の写真の「上映会」を行なうことで、ようやくその存在を認めてもらうことができるようになった。一見穏やかな写真群の裏に潜む、心の震え、感情の揺らぎ。それらもまた彼女の写真は鋭敏に写しとっているように見える。
本書は医学書院の「シリーズ ケアをひらく」の一冊として刊行された。同シリーズでは写真集は初めてである。だが、「医療と生活の境界を大胆に横断し、日常を再定義する」という「シリーズ ケアをひらく」の企画趣旨にふさわしい本といえるのではないだろうか。祖父江慎+小川あずさ(cozfish)による装丁・造本が素晴らしい。薄紙を重ね、折り畳んでいくような繊細なレイアウトが、すっと目に馴染んでいく。

2012/09/05(水)(飯沢耕太郎)

林ナツミ『本日の浮遊』

発行所:青幻舎

発行日:2012年6月1日

大ヒットの予感がする写真集だ。林ナツミは2011年1月1日から自分のブログ「よわよわカメラウーマン日記」(http://yowayowacamera.com/)に「本日の浮遊」シリーズをアップしはじめた。そこでは彼女自身がさまざまな場所で飛び上がり、空中を漂っているような瞬間を撮影した写真を見ることができる。最初の頃は、セルフタイマーを使っていたが、タイミングをとるのがむずかしく(最大で300回以上も飛び上がるのだそうだ)、彼女のパートナーで「バルテュス絵画への考察」シリーズで知られる写真家の原久路がシャッターを切るようになった。
このシリーズの魅力は、まずは意表をついた場面設定だろう。彼女の家の周辺や公園など日常的な場面もあるが、駅の改札口やホーム、レストランの中、バスルームなど、思いがけない場所でもジャンプしている。台湾で撮影したシリーズもあるし、最近はステレオカメラで撮影して、立体感を出すために2枚の写真を並べることもある。だがそれよりも、空中を漂っている彼女の姿がいつでも凛としていて美しく、見ていて解放感があるのが人気の秘密だと思う。鳥のように空を自由に飛ぶというのは、人間の見果てぬ夢だったわけだが、それがこのシリーズのなかで完璧に実現しているように感じるのだ。
誰でも疑問に思うのは、林がこの作品を制作するときに、コンピュータによる合成を使っているかどうかだろう。明るさやコントラストを調整する場合はあるが、基本的には画像の合成はしていない。つまり、彼女は100%自分の体を張って「浮遊」しているわけで、そのことが画像から生々しい恍惚と不安と緊張とが伝わってくる理由であることは間違いない。当初は1日1枚の「日記」の形式でアップしていた「本日の浮遊」は、あまりにも手間がかかり過ぎるのでペースが落ちて、現在はまだ6月までしか進んでいない(写真集では3月31日まで)。このシリーズが1年分たまったとき、どんな眺めが見えてくるのかがとても楽しみだ。

2012/09/05(水)(飯沢耕太郎)