artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

中山岩太 展

会期:2011/10/08~2011/11/20

MEM[東京都]

1930年代の輝かしい「新興写真」の時代を駆け抜けた中山岩太の作品展が、恵比寿・NADiff a/p/a/r/t階上のギャラリーMEMで開催された。中山が他の写真家たちと決定的に違っていたのは、20歳代から30歳代にかけてニューヨークやパリで過ごしていることだ。日本の写真家たちの多くが雑誌や写真集からの知識としてしか身につけることができなかった、欧米の写真モダニズムの息吹を、文字通り浴びるように吸収できたわけで、それが彼の作品に日本ともヨーロッパともつかない不思議なオーラを生じさせている。
今回の展示は10部限定で制作されたモダン・プリントによる『中山岩太ポートフォリオ』(中山岩太の会、2010)をもとにしている。全12点には、第一回国際広告写真展に出品して1等賞を受賞した《福助足袋》(1930年)から遺作となった《デモンの祭典》(1948年)まで、代表作がきちんとフォローされており、行き届いた構成といえるだろう。写真家のネガからの再制作にはいろいろな問題がつきまとう。だが、それが完璧に為される場合は、美術館での展覧会以外は見ることができない作品を身近に置くいい機会になるわけで、今後は他の「新興写真」の写真家の場合も大いに可能性があるのではないだろうか(たとえば安井仲治、小石清、坂田稔、山本悍右など)。むろんその制作においては、今回の比田井一良(銀遊堂)のように、高度な技術を備えたプリンターの能力が一番重要な鍵になることはいうまでもない。

2011/10/16(日)(飯沢耕太郎)

オ・ソックン「教科書(チョルスとヨンヒ)」

会期:2011/09/21~2011/10/22

BASE GALLERY[東京都]

オ・ソックンは1979年、仁川生まれの韓国の写真家。イギリスのノッティンガムで写真を学び、韓国に帰国後本格的に写真家として活動しはじめた。今回BASE GALLERYで展示されたのは、代表作である「教科書(チョルスとヨンヒ)」(2006~08年)のシリーズで、少年と少女の顔をした被りものを身につけたモデルたちにポーズをつけて、さまざまな場所で撮影している。彼らは物置小屋のような場所で密かな性的な遊戯にふけったり、橋の下で身を寄せあったり、自宅の部屋で所在なげにたたずんだりしている。その状況設定に、作者自身の幼年期の記憶が投影されているのはいうまでもない。
実はこのはかなげな少年と少女のキャラクターは、朴正煕政権時代の1970年代から90年代まで、韓国の小学校の教科書のなかに登場していて、この時代に小学生だった韓国人なら誰でも知っているのだという。とすれば、軍事独裁政権から民主化、経済成長を経て、大きく変転していく韓国社会がもたらした歪みや軋みが、彼らのややエキセントリックなふるまいによって象徴的に表現されているともいえる。つまり、あえて頭部を大きくして子どもらしいプロポーションを強調した彼らの姿は、個人的な記憶と歴史との間に宙吊りにされているわけだ。とはいえこのシリーズは、韓国人だけではなく、かつて少年や少女だったすべての大人たちにとって痛みをともなう懐かしさを喚起することができるように仕組まれている。それはオ・ソックンの巧みな演出力の為せる業であり、日本人の多くも、彼らの姿を自分の記憶と重ねあわせることができるのではないだろうか。

2011/10/14(金)(飯沢耕太郎)

マリオ・デ・ビアージ「CHANGING JAPAN 1950-1980」

会期:2011/09/27~2011/10/30

JCII PHOTO SALON[東京都]

マリオ・デ・ビアージは1923年生まれのイタリアの写真家。1953年にグラフ雑誌『Epoca』のスタッフ・カメラマンになり、世界中を駆け回って同誌に写真を寄稿してきた。1956年のハンガリー動乱の生々しい記録写真が代表作として知られている。日本には1950年代から11回も訪れ、さまざまなテーマの写真を撮影した。特に1970年代の高度経済成長期の人々とその暮らしを撮影した写真群は、貴重な記録といえるだろう。
デ・ビアージの写真を見ていると、腕利きのフォト・ジャーナリストの仕事ぶりがどのようなものであるかがよくわかる。目についたもの、撮りたいものにカメラを向け、シャッターを切っていることは確かだが、そこにはいつでも読者の眼を意識する姿勢がある。彼らがどんな写真を見たいのか、何を求めているのかを敏感に察知して、そのような被写体にアンテナを向けているのだ。
その結果として、カプセルホテルの女性客、地下鉄のホームでゴルフの練習をする会社員、客にお酌をする宴たけなわの芸者といった、イタリア人にとってエキゾチックな日本の風俗が的確に押さえられている。ヌードスタジオで、全裸で笑顔を見せる女性のポートレートなど、こんな写真がよく撮れたものだと驚いてしまう。それらの多くは、現在のわれわれから見ても充分にエキゾチックな魅力を発している。ということは、既に30年もの時が過ぎてしまったことで、1970年代の記憶、そこにまつわりつく匂いや手触りのようなものは、写真を通じてしか喚起されなくなっているということだ。イタリア人の眼差しを介して、あらためて過去の日本を知るというのも奇妙な体験ではあるが、写真が開かれたメディアであることを証明しているともいえそうだ。

2011/10/12(水)(飯沢耕太郎)

中野愛子「Season’s Greetings」

会期:2011/09/30~2011/10/12

GALLERY SPEAK FOR[東京都]

中野愛子は多摩美術大学絵画科卒業後、1996年の第8回写真「ひとつぼ」展でグランプリを受賞し、写真家として本格的に活動しはじめた。いわゆる「女の子写真ブーム」の代表的な作家のひとりだが、それから15年あまりが過ぎ、同世代の写真家たちの多くが写真家として仕事を続けられなくなってきているなかで、粘り強く、コンスタントに作品を発表し続けてきた。今回の「Season’s Greetings」展を見ても、被写体を軽やかに捕獲していく、弾むようなカメラワークが健在であるだけでなく、モデルとのコミュニケーションのとり方がスムーズになり、写真家としての経験に裏づけられた安定した水準の作品を生み出せるようになってきている。
今回のシリーズは、ヘアメイクアップアーティストの貴島タカヤとの共作で、有名・無名のモデルたちを「月に一回のペースでその月のイメージや記念日をテーマに撮影」したものだ。歌手、女優、タレントから、貴島本人やその祖母まで、それぞれが、かなり演劇的な役割をこなすように場面設定されているし、実際に過剰なメイクアップや大げさな表情の写真も多い。だが、これは中野の写真家としての持ち味といえそうだが、非日常的な状況でもどこか当たり前に見せてしまうような平静さがある。演出的な要素が強調されている写真より、むしろさりげない(あるいは、さりげなさを装った)スナップに可能性がありそうな気もする。

2011/10/08(土)(飯沢耕太郎)

畠山直哉「ナチュラル・ストーリーズ」

会期:2011/10/01~2011/12/04

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

この展覧会はすぐに見なければと思っていたのだが、大阪、沖縄と移動していたのでオープニングには間に合わなかった。だが、慌ただしいなかで見るよりもじっくりと写真の前で過ごすことができてよかった。畠山の作品は、写真から発するメッセージをじっくりと受けとめ、咀嚼し、思考し、行動することを要求しているからだ。
たしかに実質的なデビュー作である、石灰岩採掘場を撮影した「ライム・ヒルズ」以来、畠山の関心は「自然と人間との関わり」に向けられてきた。今回の展示を見ると、それが、即物的な描写からゆるやかな「ストーリー」を持ち、見る者の記憶や感情の奥底を揺さぶるものへと、少しずつ生成・変化していったことがわかる。「タイトルなし(もうひとつの山)」(2005年)、「テリル」(2009~10年)、「アトモス」(2003年)、「シエル・トンベ」(2006~08年)、「ヴェストファーレン炭鉱I/IIアーレン」(2003~04年)、「ライム・ヒルズ」(1986~90年)、「陸前高田」(2011年)、「気仙川」(2002~10年)、「ブラスト」(1995年~)、「ア・バード/ブラスト#130」(2006年)の10部構成、100点を超える作品の展示は、文字通りこのテーマの集大成といってよいだろう。
個々のシリーズについて、特に1990年代の「UNDERGROUND」の発展形というべきパリ郊外、ヴァンセンヌの森の天井が落下した石灰岩採掘場を撮影した「シエル・トンベ」などについては詳しく論じたい誘惑に駆られるのだが、あまり紙数の余裕がない。そこで今回の展示において、畠山にとっても観客にとっても大きな意味を持つであろう「陸前高田」と「気仙川」についてだけ書いておきたい。
畠山が岩手県陸前高田市の出身であり、今回の震災後の津波によって母上を亡くされたということを知る者は、あえてこの時期に震災後に撮影された風景写真60点あまりを展示したことの意味について、自問自答しないわけにはいかなくなる。このことについては彼自身が、『読売新聞』2011年6月10日付けの記事や『アサヒカメラ』2011年9月号に寄せたエッセイで「誰かに見てもらいたいということよりも、誰かを超えた何者かに、この出来事の全体を報告したくて撮っている」と、これ以上ないほど明確に述べている。それに何か付け加える必要もないのではないか。「陸前高田」の写真を実際に目にして、この言葉の揺るぎのないリアリティがひしひしと伝わってきた。
驚き、かつ感動したのは、「陸前高田」と隣り合うスペースに、スライドショーのかたちで上映されていた「気仙川」のシリーズである。畠山の実家は市内を流れるこの川の畔にあった。写真に写っているのは2002~10年に折りに触れて撮影された、何気ない街の光景、夏祭り、花火、河辺にたたずむ人々の姿などだ。いうまでもなく、永遠にゆったりと流れ、そこに留まっていくはずの故郷の時間と空間は、震災によってずたずたに寸断され、その多くは文字通り消失した。そのことを、畠山は二つのシリーズを対置することで、静かに、だがこれ以上ないほどの説得力で語りかけてくる。あらわれては消えていく画像のなかに、海に向けて小さなカメラを構える老婦人を、横向きで撮影した一枚があった。その時、何の根拠もないのだが、この人は畠山の母上ではないかと思った。

2011/10/07(金)(飯沢耕太郎)

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