artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ジョセフ・クーデルカ「プラハ 1968」

会期:2011/05/14~2011/07/18

東京都写真美術館 2F展示室[東京都]

1968年8月21日、ソビエト連邦を中心としたワルシャワ条約機構軍が、民主化を推し進めようとしていたチェコスロヴァキアの首都、プラハに侵攻した。プロの写真家としての経歴をスタートしたばかりだった30歳のジョセフ・クーデルカは、それから一週間にわたって戦車部隊に対する民衆の抵抗の様子を記録し続けた。もともと圧倒的な戦力の差があることで、チェコスロヴァキア政府は「武力による防御はもはや不可能」と判断していた。抵抗はもっぱら「言葉と振る舞い」によって行なわれ、多くの市民がソ連軍兵士に近づいて話しかけ、ビラやポスターや落書きで意思表示を続けた。
だが、時には激しい衝突が起こり、車両に火が放たれたり、銃撃によって死者が出たりもする。その次第にエスカレートしていく状況に対して、クーデルカは冷静かつ的確にカメラを向けている。今回東京都写真美術館に展示された100枚ほどの写真を見ると、彼の写真家としての状況判断力と身体的な反応のよさにあらためて驚かされる。かといって、混沌とした現場から離れて安全地帯に身を置いているわけでなく、あくまでも民衆に寄り添いながらシャッターを切り続けているのがすごい。この「プラハ 1968」のシリーズは、1969年、ソ連軍撤退後にひそかにアメリカに持ち出され、「匿名、プラハの写真家」撮影ということでマグナム・フォトスを通じて世界中に配信された。それが「匿名」のままでその年のロバート・キャパ賞を受賞したということにも、このシリーズのクオリティの高さがあらわれているといえるだろう。
クーデルカ本人は1970年にイギリスに亡命し、その後マグナム・フォトスの正会員となって、世界有数のドキュメンタリー写真家としての名声を確立した。この実質的なデビュー作は、彼にとっても特別な意味を持つ作品であるとともに、大きな出来事が身近な場所で起こったときの写真家の立ち位置がどうあるべきかをさし示す、素晴らしい作例となっている。あらためてじっくり見直すべき価値のある展示といえるのではないだろうか。なお、本展のカタログを兼ねて平凡社からジョセフ・クーデルカ『プラハ侵攻 1968』が刊行された。資料的な価値の高い、丁寧な造りの写真集である。

2011/05/14(土)(飯沢耕太郎)

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今井智己「遠近」

会期:2011/05/10~2011/05/21

Broiler Space[東京都]

東京・下高井戸で榎本千賀子、小松浩子によって運営されてきたギャラリーBroiler Space。最寄り駅が京王線の桜上水という微妙な立地条件もあって、なかなか足を運べずにいたら、いつのまにか一年間という当初から予告されていた期限が迫ってきていた。次回の金村修展で活動終了というぎりぎりの時期に、なんとか間に合ったのはよかった。どこか養鶏場を思わせる細長い2階建ての建物は、たしかに写真展の会場としてユニークな造りだった。
今井智己の展示は1Fに新作7点、2Fには昨年刊行された写真集『A TREE OF NIGHT』(MATCH and Company)のシリーズから抜粋された作品が並んでいる。大判カメラによる新作は風景、室内の場面が混在しているが、全体にどこか張りつめた緊張感が感じられる。入口近くの作品の遠景に福島第一原子力発電所が写っていると聞いて納得するものがあった。水面とも地面ともつかない薄緑の苔(海藻?)に覆われた場所に、木片やペットボトルが散乱している写真も、見方によっては津波の後の光景に見えなくもない。今井のような、一般的な「報道写真」から距離を置いている写真家が、「震災後の写真」にきちんと目を向けているのはとてもいいことだと思う。
2Fの展示もよかった。白い紙に刻印された点字のクローズアップ(トルーマン・カポーティの短編集『夜の樹』だそうだ)と、街のスナップの組み合わせである。盲人以外には「読めない」点字が付されると、「読めそうな」風景やオブジェも謎めいたものに見えてしまうのが面白い、こちらは今井には珍しく小型カメラによる撮影なので、偶発的な出会いのひらめきがより強調されている。新境地といえるのではないだろうか。

2011/05/13(金)(飯沢耕太郎)

秦雅則「秦雅則+端間沙織」

会期:2011/04/29~2011/06/04

artdish[東京都]

企画ギャラリー・明るい部屋の2年間の活動を終えた秦雅則が、東京・神楽坂のカフェ・ギャラリーでの個展で再始動した。
女の子の顔や体のパーツ(男の子らしき部分もある)をくっつけたり削ったりして、架空の「端間沙織」という人造美少女を作り上げていく。眼や口元や髪の毛が微妙に変化しながら、闇の中で次第に形をとっていくプロセスが、枝分かれしていく複数の写真群の形で提示されている。見ているうちに、吐き気をともなうような気持ち悪さがこみ上げてくる。青柳龍太によるテキストが、そのなんとも怪しげな、「居心地が悪い」感覚をうまく表現していると思う。
「離れないかわりに、近づけない。傷つけないし、傷つかない。そこは、多分居心地が悪い。そこは、きっと居心地が悪い。」
若者たちを取り巻いている、うっとうしい閉塞感を引きずった“性”の状況を、秦ほどリアルかつ的確に掬いあげているアーティストはほかにあまりいないのではないだろうか。企画ギャラリー・明るい部屋での経験を活かしつつ、次のステップに踏み出していこうとする意欲がよくあらわれた展示だった。なお、会場の近くのスペースでは「松本力+秦雅則in 青柳龍太=手書きアニメーション+写真=インスタレーション」の展示も行なわれていた。こちらは古い寮の建物の雰囲気をうまく取り込んだインスタレーション作品である。

2011/05/10(火)(飯沢耕太郎)

吉野英理香『ラジオのように』

発行所:オシリス

発行日:2011年3月10日

ブリジット・フォンテーヌの名曲をタイトルにした吉野英理香の新作写真集の巻末には、2009年1月から2010年7月までの日記の抜粋がおさめられている。それがめっぽう面白くて、つい読みふけってしまった。かったるいような、妙に冷めたような文体がなかなか魅力的だ。
その2010年1月3日(日)に、次のような記述がある。
「本庄に帰る高崎線の二つ手前の深谷あたりで、車窓に流れる景色を見ながら、写真をカラーにしてみようと思いつく。暗室もいらないし、現像液をつくったり、使用後の液を捨てたり、あの煩わしい作業がなくなることを考えたら、なんて身軽なことか。」
写真家が何かを変えていくきっかけは、こんなふうに何気なくやってくるということだろう。吉野はそれまでのモノクロームフィルムをカラーに変えて撮影しはじめる。日々出会った雑多な場面を積み上げていくやり方に変わりはないが、そこにはどことなく「身軽な」雰囲気があらわれてきている。調子っぱずれの色や形が散乱する画面は、以前のモノクロームのスナップよりも風通しがよく、軽快なビートで貫かれているように見える。
日記と写真を照らし合わせてみると、吉野の、独特の角度を持つ観察眼も浮かび上がってくる。2010年5月29日(土)の記述。豆腐屋で自分の前に並んでいた「白いノースリーブのブラウスを着た女性の、内側に着ているキャミソールの白と黒の紐がどこまでも延々とねじれていく」。この通りの場面が写っているのだが、たしかにそのねじれたキャミソールの紐から眼を離せなくなってしまう。写真と文章をもっと積極的に併置してみるのも面白そうだ。

2011/05/09(月)(飯沢耕太郎)

中村紋子「Silence」

会期:2011/05/07~2011/06/05

B GALLERY[東京都]

中村紋子から届いたDMに「マジメな写真展します」と添え書きしてあったので、どういう展示なのかと思って見に行った。というのは、中村は以前『週刊あやこ』というイラスト、写真入りの小冊子を発行したり、ピンク色の長い耳をつけたサラリーマンたちの演出的なポートレート「ウサリーマン」のシリーズを発表したりしていて、どちらかといえば「マジメ」にはほど遠い作風だったからだ。
「Silence」はたしかに張りつめた緊張感が漂う、「マジメ」な作品群だった。雲、花、魚群、水面の波紋、空を行く鳥の影など、自然を写している写真が多いのだが、動物の剥製、遊覧船の老夫婦、眠る女性の横顔なども含まれている。生まれたばかりの赤ん坊の写真もあるが、そこにも産声や身じろぎの気配はなく、どこか標本めいた沈黙が画面を支配している。楽しくて、元気いっぱいの印象が強かった中村にこんな一面があったことはたしかに意外であり、本人もそれを「二面性」という言い方で認めている。写真家としての表現力の高さは、このシリーズにも充分に発揮されているのだが、やはり違和感が残る。おそらく何かきっかけがあれば、その極端に引き裂かれたふたつの世界が融和し、溶け合うことがあるはずだ。中村自身は、その時期はかなり先のことと思っているようだが、そうともいえないのではないだろうか。それこそ「マジメ」にふたつの世界の線引きなどせずに、時々気軽にひょいと越境してみるといいと思う。中村の「笑えない」作品をずっと見せられるのは少し辛い。
展覧会と同時に『Silence』(リブロアルテ、発売=メディアパル)も刊行された。小ぶりだが、しっかりと編集された写真集だ。

2011/05/08(日)(飯沢耕太郎)