artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

大久保潤「ちょっと訪ねたカンボジア」

会期:2011/04/01~2011/04/30

Green Caf[東京都]

珍しい展覧会を見た。大久保潤は1970年生まれ。1997年より横浜市港北区の社会福祉法人かれんに属して、主に絵画作品を発表してきた。ところが彼は写真にも強い興味をもち、18年もの間24枚取りのフィルムを週に1本のペースで撮影し続けてきたという。概算すると900本以上、2万2千カット余りの写真というわけで、この量だけでも尋常ではない。それに加えて彼のスナップ写真はのびやかさと集中力をあわせ持っており、被写体の配置もうまく決まっていてなかなか魅力的だ。普通は知的障害者のアート作品(アウトサイダー・アート、あるいはアール・ブリュット)というと、絵画を思い浮かべることが多いので、写真というのは意外な盲点なのではないだろうか。おそらく、絵画や版画と同じように、写真においても優れた才能を持つ者がたくさんいるはずだ。今回の展示を見てそんなふうに強く思った。
今回は1998年に家族とともに訪れたカンボジアへの旅を題材としている。写真の特徴としては、自分の反射像や影を取り込んだ作品が多いこと、被写体を画面全体にバランスよく散りばめていること、日付を必ず入れていることなどが挙げられる。ともかく、気持ちのよいエネルギーの波動が伝わってくるチャーミングな写真が多い。今回は14点とやや数が少なかったが、もっとたくさんの写真を一度に展示できるような機会があればとても面白いと思う。ただし、古い写真はネガごと捨てられてしまったそうだ。残っているものだけでも、もっと彼の写真を見てみたいと感じさせる展覧会だった。

2011/04/06(水)(飯沢耕太郎)

高桑常寿「唄者の肖像」

会期:2011/03/31~2011/05/16

キヤノンギャラリーS[東京都]

「唄者(うたしゃ)」とは沖縄、八重山、宮古の島々で「三線を引きながら唄い踊る芸能者」たちのこと。高桑常寿は1998年から彼らのポートレートを4×5インチの大判カメラで撮影してきた。今回のキヤノンギャラリーSでの個展では、登川誠仁、大城美佐子、照屋林助(2005年逝去)らの長老格から、若手のミュージシャンまで110余名を撮影したなかから、60点の作品がB0サイズに大きく引き伸ばされて展示されていた。
沖縄人は顔、とりわけ眼から発するパワーが強いように思う。その「眼力」をがっしりと受けとめ、正面から投げ返す力業のポートレートが並ぶ。4×5判カメラの克明な描写力は、彼らの姿かたちだけでなく、体全体から放射されるエネルギーを捉えるためにこそ必要だったということだろう。室内よりも、屋外で「太陽の力を借りて」撮影されたポートレートの方に、その生命力の波動がいきいきと刻みつけられているように感じた。こういう展覧会を見ると、ここ数年のデジタル・プリンターの進化に驚いてしまう。4×5インチカメラの大容量のデータをプリントとして定着する技術は、アナログのプリントに匹敵するか、それを超えるところまで達したのではないかと思う。逆に、写真家も言い訳がきかなくなってきているわけで、デジタル・プリントのコントロールは大きな課題になるだろう。
展覧会にあわせて、同名の写真集も東京キララ社(発売:河出書房新社)から刊行された。写真の枚数が2倍近くに増え、「人生を唄と踊りに捧げた」芸能者たちの栄光と哀感が、より細やかに伝わってくる。

2011/04/04(月)(飯沢耕太郎)

湯沢英治『BAROCCO 骨の造形美』

発行所:新潮社

発行日:2011年2月25日

『BONES 動物の骨格と機能美』(早川書房、2008)に続く湯沢英治の2冊目の写真集である。前作と同様に黒バックで動物、鳥類、魚類などの骨を克明に撮影しているのだが、印象はだいぶ違う。骨のシンメトリックな構造や「機能美」を中心に撮影していた前作と比較すると、この写真集では「われわれ人間には思いもよらない、歪んだ曲線の組み合わせ」が強調されている。そこにはたしかに「不規則・風変わり・不均等」を特徴とするバロック的な美意識に通じるものがありそうだ。実際に、おそらく非常に小さなものと想像される骨の断片が、われわれの常識をくつがえす液体的とでもいえそうな流動的、有機的なフォルムを備えている様が、湯沢の丁寧な撮影によって浮かび上がってきていた。
骨というテーマに新たな一石を投じるいい仕事だが、これをもう一歩先に進めたらどうなるのかとも思う。写真集全体の造りは、あくまでも学術的な研究をベースにしており、生物学的な「正しい骨の配置」の規範を踏み越えることはない。さらに「BAROCCO」的な要素を強めて、複数の骨を組み合わせてオブジェ化し、ありえない生物の骨格をつくり出すようなところまでいけないのかとつい夢想してしまうのだ。以前、湯沢に話を聞いたところ、彼のなかにもアートと生物学との境界線を引き直すことへの葛藤があるようだ。僕はもっと思い切って、アート寄りの作品に向かってもいいのではないかと思うのだが。

2011/04/02(土)(飯沢耕太郎)

永瀬沙世「WATER TOWER」

会期:2011/03/25~2011/04/14

Nidi gallery[東京都]

永瀬沙世はファッションや音楽関係の雑誌で主に仕事をしている写真家だが、このところギャラリーでも意欲的に作品を発表するようになってきた。青山から渋谷に移転してきたNidi galleryで開催された今回の個展でも、面白い切り口の作品を見ることができた。
「WATER TOWER」といえば、すぐに思い出すのはドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャーの同名の作品である。いわゆる「ベッヒャー派」の典型というべきこのシリーズでは、ドイツ各地で撮影された給水塔が整然と、あたかも標本のように並んでいる。カメラアングル、撮影条件を同じにすることで、それらのフォルムの微妙な「差異と反覆」が浮かび上がってくるのだ。このベッヒャー夫妻の作品を知っているかどうかで、永瀬の「WATER TOWER」の見え方も違ってくるのではないだろうか。こちらは大判カメラによってきっちりと撮影されたベッヒャー夫妻の「WATER TOWER」とはまったく正反対で、ブレや揺らぎを含んだカラーのスナップショットである。中央がくびれている、ちょっとユーモラスな形の給水塔は、なんだかお伽の国の建築物のようだ。そのメルヘンティックな佇まいの風景に、さりげなく女の子の後ろ姿や足の一部を配するセンスが心憎い。永瀬流のランドスケープとして、きちんと成立しているのではないかと思う。
なお、スウェーデンの出版社LIBRARYMANから刊行されたばかりの写真集『Asphalt & Chalk』も、会場で特別販売していた。こちらは、チョークで道や壁に落書きしている女の子の童話風のスナップ。作品の幅が、いい感じに広がりつつあるのがわかる。

2011/03/25(金)(飯沢耕太郎)

黒田光一「峠」

会期:2011/03/15~2011/03/27

AKAAKA[東京都]

黒田光一の『弾道学』(赤々舎、2008)は、スケールの大きな写真作家の誕生を告げるいい写真集だった。ただ、静岡県御殿場市の北富士演習場で撮影された凄絶な美しさを持つ夜間演習の弾道の光跡のイメージと、どちらかと言えば雑駁な街頭スナップとを、うまく関係づけるのが難しかったと思う。それから3年ぶりの新作の発表になる今回の「峠」では、あえて被写体の幅と距離感を狭めることによって、緊張感と集中力を感じさせる展示となった。
被写体になっているのは、彼が日々撮影し続けている、これといって特徴のない街の眺めである。鷹野隆大の『カスババ』を、よりクローズアップで展開したようにも見えなくもない。縦位置に切り取られ、壁にピンで止められたり、机の上にテープで貼付けられたりした40点あまりの作品では、都市を表層のつらなりとして見る視点が貫かれている。そこから浮かび上がってくるのは「もっともらしく整った景色」に刻みつけられた、「生き物と、やはり生き物の自分とのおびただしいクラッシュの痕跡」だ。それらの手触りを、傷口を指先で確かめるように写しとるというのが、黒田の今回のもくろみと言えるだろう。その試みは展覧会の会期中も続けられており、震災以後の東京を撮影した画像を上映して見せるコーナーも設けられていた。まだ途中経過という感じではあるが、その作業の全体が見渡せるようになれば、見所の多い作品として成長していくのではないだろうか。

2011/03/24(木)(飯沢耕太郎)