artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

中村 趫「メランコリアの楽園」

会期:2011/03/19~2011/04/09

parabolica-bis[東京都]

中村 は1970年代にサイケデリック・ロックバンドに参加し、その後写真家に転身したという変わり種。フェティッシュな美意識に裏打ちされた、装飾過剰のゴシック・ロマン風のイメージに徹底してこだわり続ける姿勢も、日本ではかなり珍しい。主に『夜想』や『TH(トーキングヘッズ)』などの耽美系の雑誌で作品を発表してきたが、今回の東京・浅草橋parabolica-bisでの個展は、彼の作品世界の全貌を見渡すことができる貴重な機会となった。
1Fと2Fの3つの部屋を使って「interference 」「ruinous flowers」「elysian fields」の3部作が展示されていた。異形の人物たちの畸形的なポートレート「ruinous flowers」、寺島真理が監督した映画『アリスが落ちた穴の中』(中村が写真と照明デザインを担当)のスチル写真として制作された「elysian fields」もなかなか見応えがあったが、なんといっても圧巻なのはこれまでの彼の作品の集大成というべき「interference」のパートである。人体、物質、風景が有機的に絡みあい、全体に湿り気を帯びたイメージのタピストリーを織り上げている。その眺めは、たしかに日常世界の秩序から逸脱するものだが、どこか懐かしい見世物小屋を思わせるところもある。甲斐庄楠音とヤン・シュヴァンクマイエルを合体させたような幻想空間の強度の高まりを、しっかりと確認することができた。
なお、1Fのショー・ウィンドーには人形作家の清水真理とコラボレーションした作品が展示してあるのだが、そこに津波の写真が大きく使われていた。彼のイマジネーションを触媒として、何か予感のようなものがひらめいたのだろうか。

2011/03/23(水)(飯沢耕太郎)

東京綜合写真専門学校卒業制作展2011

会期:2011/03/16~2011/03/21

BankART Studio NYK 2B gallery[神奈川県]

1000年に一度という東日本大震災は、アートの世界にも大きな影響を及ぼしつつある。展覧会やイベント開催の延期、あるいは中止の知らせが各地から相次いで聞こえてくる。そんななかで横浜のBankART Studio NYKは、事情が許す限り平常通りの運営を続けていくことを決めた。津波が対岸の岸壁を洗うまで押し寄せたという状況において、これは英断だと思う。むしろ「こんな時だからこそ」、妙な自粛など考えずに普通に活動を続けていくことが大事なのではないだろうか。
そのBankARTの2Fでは、東京綜合写真専門学校の卒業制作展がスタートした。といっても卒業生全員ではなく、第一学科(昼間部)2名、第二学科(夜間部)6名によるグループ展だ。数は少ないが、それぞれしっかりと自己主張していて面白かった。この学校の特徴は、コンセプトを固めた作品作りをかなり強く打ち出していこうとしていることで、学生たちの展示に対する意識も高い。また会場に置かれているポートフォリオもよくまとまったものが多かった。藤田和美の雨や雷のようなサウンドと写真を組み合わせた「line/blank」、鈴木真理菜の身体と世界の関係を問い直すセルフポートレート「境界」、墨谷風香の批評的な視点を感じさせる「ポートレイト(知っている人と知らない人)」、佐藤佳祐の周囲を黒く落とした自動販売機のシリーズ「machine」など、「見せ方」をきちんと意識しつつ作品が構築されていた。さらなる展開を期待したい。
なおBankARTでは、「ポートフォリオをつくる」をテーマにワークショップを開催している。その「飯沢ゼミ」も平常通り開講され、約半分10名の受講者が集まった。そのうち2名が「3・11」の日記的なドキュメントを課題として出してきた。これもとても大事なことだと思う。写真家はどんな状況においてもまずは撮るしかない。いまこそ「写真の力」が必要になる時ではないだろうか。

2011/03/16(水)(飯沢耕太郎)

高橋万里子「Night Birds」

会期:2011/03/05~2011/04/22

photographers’ gallery[東京都]

photographers’ galleryのメンバーのひとりとして、高橋万里子は2002年以来コンスタントに作品を発表し続けてきた。2009年には同ギャラリーで4回にわたって「月光」シリーズを展示し、人物、人形、植物、剥製などを、室内灯だけでぼんやりと浮かび上がらせて撮影する独特な作品のスタイルを完成させた。
今回の「Night Birds」も、基本的にはその延長線上にある。被写体になっているのはさまざまな鳥の死骸で、フライフィッシングの毛針の材料としてその羽が用いられるのだという。極彩色の羽を持つ鳥たちは、宙吊りにされているようなやや不安定な構図で画面におさめられている。蛍光灯などのコントラストの強い光が、そのどことなく不吉なフォルムを照らし出し、ブレやボケが強調されることでより禍々しい印象が強まる。あたかも死のなかから強引に生の気配を引き出そうとするようなその手つきによって、鳥の死骸は宗教的な儀式で使用される呪物のようにも見えてくる。まだどうなるか予測はつかないが、「月光」シリーズの発展形として今後の展開が期待できそうだ。
なお、同ギャラリーの向いの部屋にリニューアル・オープンしたKULA PHOTO GALLERYでは、高橋のもうひとつのシリーズ「lonely sweet」が展示されていた。こちらはクリームソーダ、アイスクリーム、パフェ、果実類などの「sweet」が、やはり同じ手法で撮影されている。一見おいしそうだが、実はすべて食堂のショーケースなどで使われるサンプル食品だという。不安感よりは、どちらかといえば安らぎや懐かしさを感じさせるシリーズで、これを見ても高橋の表現力の幅が大きく広がってきていることがわかる。

2011/03/10(木)(飯沢耕太郎)

秦雅則「明るい部屋」

会期:2011/03/08~2011/03/13

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

企画ギャラリー・明るい部屋が最後の展覧会を迎えた。小野寺南、三木義一に続いて、実質的にギャラリーの活動を牽引してきた秦雅則による展示である(もうひとりのメンバーの遠矢美琴は既に1月に「保存」展を開催)。
ギャラリーの壁に大きなアクリル板にサンドイッチされて並んでいるのは、一見不定形のパターンの抽象画のように見える作品。「光(今回の場合は、太陽からの光ではなく室内で燈されていた科学的な光)と時間(2011/1月~3月の間の企画ギャラリー・明るい部屋に存在した時間)を、抽出し記録したもの」という説明がある。これだけでは何のことかよくわからないが、実はギャラリーの蛍光灯に晒し、天井裏のスペースに保存した現像済みのカラーフィルムからプリントした作品ということのようだ。つまり、「光と時間」の作用によって、フィルム上に発生したカビや染みのようなパターンを、そのままプリントしたのだ。
そんなことをやって何か意味があるのかということだが、秦としては「やってみたかった」ということに尽きるのではないか。予想不可能なパターンの変化をしっかりと確認することで、写真の生命力、生産力を祝福することが、ギャラリーの活動の締めくくりにふさわしいと判断したということだろう。2年間走り続けた企画ギャラリー・明るい部屋は、次の週から解体工事が開始され、間もなく姿を消す。だが、その果敢な冒険の軌跡は長く記憶に残っていくだろう。

2011/03/09(水)(飯沢耕太郎)

芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京都写真美術館 3F展示室[東京都]

いろいろな意味で感慨深い展覧会である。もう30年ほど前、筆者は筑波大学大学院芸術学研究科で日本の「芸術写真」の歴史を調査・研究していた。明治後期から昭和初期にかけて、主にアマチュア写真家たちによって担われていた絵画的な写真作品の追求(ピクトリアリズム)は、それまで写真史において「間違ったエピソード」という扱いを受けていた。草創期の素朴なドキュメントと、写真独自の表現可能性を模索した「近代写真」との間の混迷の時代の産物とみなされていたのだ。だが、「芸術写真」が確立した、写真を自立した一枚の「絵」としてとらえ、その枠内での表現の可能性を最大限に追求していく考え方は、現在に至るまで強い影響力を保ち続けている。何よりも、野島康三、福原信三、淵上白陽、山本牧彦、高山正隆といった「芸術写真」の時代を代表する写真家たちの、高度な技術と張りつめた表現意欲に裏打ちされた作品群は実に魅力的だった。これらを歴史に埋もれさせておくのはあまりにも惜しいという思いがあった。
その成果は、博士論文を書き直して刊行した『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986)にまとまる。ちょうど同じ頃、まだ在野の写真史研究家だった金子隆一も、独力で「芸術写真」の研究を進めていた。その後、金子は東京都写真美術館の専門調査員となり「日本のピクトリアリズム」の作品の収集・展示に力を注ぐことになる。その集大成として企画されたのが、今回の「芸術写真の精華」展である。120点の作品はまさに「精華」という言葉にふさわしい名品ぞろいだ。30年前、これらの作品の価値を正確に把握できていたのは、おそらく僕や金子を含めてごく限られた数の人だけだったに違いない。あの評判が悪かった「芸術写真」が、これだけの大きな規模の展覧会に堂々と展示されている。そのことに感慨を覚えずにはおれなかったのだ。
さて、今回の展示であらためて目を見張ったのは、関東大震災以後、中嶋謙吉を理論的な指導者として田村榮、高尾義朗、塩谷定好、佐藤信、本田仙花、小関庄太郎らによって追求された「表現派」とも称されるスタイルの作品である。彼らは「主観の命ずるまゝに自己の感激を、何の捉はるゝ事なしに思ひ切って表せばよいとの考で、自己を自然以上に尊重する」(中嶋謙吉「現在の写真芸術」『中央美術』1923年1月号)ことを主張し、さまざまな技巧を駆使して凝りに凝った作品を制作した。特に「雑巾がけ」と呼ばれる、画面にオイルを引いて鉛筆や絵具などでレタッチを施す技法は実に興味深い。小関庄太郎の1920年代後半から30年代にかけての作品(《古風な町》1928、《海辺》1931)など、ほとんど写真原画の跡を留めないほどに改変されている。この極端なほどに「主観」的な表現のあり方を、現代のフォトショップなどによる画像改変と比較したくなるのは僕だけではないだろう。「芸術写真」を、過去の一時期の特異な表現ということだけで終わらせるのは、あまりにももったいないのではないだろうか。

2011/03/08(火)(飯沢耕太郎)

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