artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

没後20年 孤高のモダニスト 福田勝治 写真展

会期:2011/01/15~2011/01/29

ときの忘れもの[東京都]

福田勝治は1899年生まれだから、木村伊兵衛より2歳、土門拳より10歳年長の写真家。戦前から戦後にかけての一時期は、『女の写し方』(アルス、1937)が当時としては異例の売行きを示すなど、その大衆的な人気は木村、土門を凌いでいたほどだった。ところが1970年代以降になると、ほぼ忘れられた存在になり、91年に没後はほとんどその業績を顧みられることもなくなった。その大きな理由は、彼の作風が極端な耽美主義であり、リアリズム、スナップショットといった日本の写真表現の主流からは相当に隔たっていたためだろう。
今回の福田勝治展は、彼の戦後の代表作である《光の貝殻(ヌード)》(1949)、《心の小窓(藤田泰子)》(同)、《Still Life(静物)》(1952)と、1955年のイタリア滞在時にポンペイ、オスティアなどで撮影された風景作品15点を展示するもので、規模は小さいがひさびさの彼の回顧展となるものである。むしろデジタル化以降の多様化し、拡散していこうとする写真の状況において、福田の練り上げられた美意識と深みのあるモノクロームのプリントの技術を味わうことは意義深いのではないだろうか。彼のような、自己の美的世界を純粋に探求していこうとする写真家たちが、どうしても片隅に追いやられてしまうことにも、日本の写真表現の歪み(それを必ずしも否定的に捉える必要はないが)が端的にあらわれているようにも思える。

2011/01/24(月)(飯沢耕太郎)

朝海陽子「sight」/「Conversations」

「sight」AKAAKA[東京都]2011年1月15日~2月19日
「Conversations」無人島プロダクション[東京都]2011年1月15日~2月26日

赤々舎から写真集としても刊行された朝海陽子の「sight」は、見ていてさまざまな楽しみを味わわせてくれるシリーズだ。写真に写っているのは、部屋の中で何かを熱心に見つめている人たち。年齢も人種もさまざまで、ひとりの場合もグループになっていることもある。いったい彼らは何を見ているのかという謎解きは、タイトル(キャプション)によって明らかにされる。『バンビ』『エデンの東』『勝手にしやがれ』『三丁目の夕日』……。要するに彼らはホームビデオでお気に入りの映画を鑑賞中なのだ。何ごとかに没入している人(なかにはそうでもない人もいるが)の姿をそっと覗き見るのは、なかなかスリリングな行為だ。それとともに,そこに写っている人たちの出自やライフスタイルを、インテリアや服装から想像していく楽しみもある。東京や横浜だけでなく、ベルリン、ウィーン、ロンドン、ソウル、ニューヨーク、ロサンゼルスなど6カ国9都市で撮影されているので、比較文化論的な分析の対象にもなりうるだろう。
この完成度の高いシリーズと比較すると、無人島プロダクションで展示されている新作「Conversations」は、まだ発展途上という印象を受けた。こちらはいろいろな研究にたずさわる若い科学者たちを、彼らのラボラトリーで撮影しているのだが、写真から見えてくる情報が均質なのでどうしても似通って見えてしまうのだ。そのことを踏まえて、朝海は自分自身の旅の経験と彼らとの会話から展開するイメージをつなげていく組写真も試みている。こちらはかなり面白くなりそうだが、まだ数が少なく試行錯誤中のようだ。「sight」のようにコンセプトと内容がしっかりと固まってくるまでには、もう少し時間がかかるのではないだろうか。

2011/01/21(金)(飯沢耕太郎)

牧野智晃「Daydream」

会期:2011/01/12~2011/02/02

B GALLERY[東京都]

牧野智晃のデビュー写真集『TOKYO SOAP OPERA』(フォイル、2005)は、彼の母親の世代の中年女性たちを、その居住空間でわざと大げさなポーズをとらせて撮影するというシリーズだった。彼女たちのどうしようもない自意識過剰ぶりを、やや皮肉を込めてスペクタクルなドラマに仕立て上げたこのシリーズを、今度はニューヨークで2008年に再演したのが「Daydream」である。
前作と比較すると、カメラが中判から4×5インチサイズになったことで、室内のディテールがよりくっきりと写り込んでいる。距離もやや引き気味の写真が多く、「観察する」という態度が強まっているように感じる。それよりも興味深かかったのは、日米の女性たちの「演じる」ことへの意識の差だった。どうしても顔が引きつってしまい、ぎこちなくなりがちな日本の女性たちと比較すると、アメリカの女性たちは堂々とふるまっているように見える。笑うに笑えなかった前作よりも、今回の方が安心して「SOAP OPERA」を楽しめる気がした。ただ、このアイディアをこれ以上いろいろな国で展開しても、バリエーションが増えるだけであまり発展性はないように思える。「中年女性」というテーマそのものは面白いので、何か別なやり方を考えてみてはどうだろうか。写真展にあわせて、瀟洒な装丁の写真集『Daydream』(4×5 SHI NO GO)も刊行されている。

2011/01/18(火)(飯沢耕太郎)

植田正治「写真とボク」

会期:2010/12/18~2011/01/23

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

没後十年ということで、美術館「えき」KYOTOを皮切りに5カ所を巡回中の植田正治展が、ようやく首都圏に回ってきた。いうまでもなく、幅広い人気を持つ写真家であり、回顧展も何度も開催されている。いかに新味を出すのかが課題だと思っていたのだが、むしろオーソドックスな構成に徹することでしっかりとその作品の魅力を伝えることができたのではないかと思う。
代表作約200点は「初期作品 1930─40年」「砂丘劇場」「風景、『かたち』・・・1950年代の作品より」「童暦」「風景の光景」「小さい伝記」「音のない記憶」「オブジェなど」「砂丘モード」の10パートに分けて展示され、途中に未発表ネガからプリントされた家族写真「僕のアルバム 1935年代─50年代未発表写真より」が挟み込まれている。この流れは自然で澱みがなく、観客もすんなりと植田の構成感覚と叙情性とが溶け合った作品世界に入り込むことができるように工夫されていた。今回あらためて注目したのは、1970~80年代の「風景の光景」のシリーズ。35ミリフィルムカメラで、日常の「風景」のなかの非日常的な「光景」を切り取った、どちらかといえば地味な作品だが、じっと見つめていると「モノがそこにそのようにあること」の不思議さと不気味さがじわじわと伝わってくるように感じる。海に波がまさに立ち上がろうとする瞬間を捉えた一枚など、哲学的といいたくなるような深みがある。ともすれば感覚的、遊戯的に見られがちな植田正治の写真だが、彼のなかには写真を通じて物事を認識していこうとする意志が貫かれていたのではないだろうか。

2011/01/16(日)(飯沢耕太郎)

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レオ・ルビンファイン展

会期:2010/12/25~2011/01/29

Taka Ishii Gallery[東京都]

レオ・ルビンファイン(Leo Rubinfien)は1953年シカゴ生まれのアメリカ人現代写真家。リー・フリードランダーやゲイリー・ウィノグランドの次の世代にあたり、1970年代から都市のスナップショットを中心に作品を発表してきた。父親の仕事の関係で幼少期を日本で過ごしたことがあり、アジア諸国にもよく足を運んでいる。それらの写真をまとめたのが、代表作でもある写真集『A Map of the East』(David R Godine、1992)だ。
今回の展示は彼が過去30年間に世界各地で撮影した31点のカラー、モノクローム写真によるもの。時間と空間は無秩序に錯綜しているのだが、そこにはスナップシューターの鍛え上げられた眼力によってあぶり出された、現代社会における「世界都市」の様相が見事に写り込んでいる。ルビンファインはある展覧会のためのステートメントで、その「世界都市」という概念について以下のように説明する。
「世界都市とは自分が現在どこにいるかが特定できない空間であり、例えば、ブエノス・アイレス、デュッセルドルフと香港が各自の個性を失い、区別がつかないような場所である。また、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、それぞれの地域が持つイメージが互いのイメージに影響を与え合うと同時に、生まれ育った田舎にはないある種の自由と爽快感を体感することができる場所でもある」
つまり、ルビンファインが試みてきたのは、高度に発達した資本主義社会のネットワークに覆い尽くされた都市の環境とそこに生きる人々の姿を、偶発的なスナップショットの手法によっていかに捕獲できるかという模索だった。それがかなりの説得力を備えたイメージ群として成立していることは、今回の展示からも確認することができた。
なお、台東区蔵前の空蓮房では、彼のニューヨークで撮影された新作(モノクローム作品)を展示する「The Ardbeg」展が同時開催されている。この秋には、「9・11」以降の都市のあり方を再考する意欲作「Wounded Cities」の展示が、東京国立近代美術館で実現する予定。その活動からしばらく目を離すことができなくなりそうだ。

2011/01/14(金)(飯沢耕太郎)