2022年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

小林紀晴展 縄文の庭

会期:2022/07/24~2022/09/04

茅野市美術館[長野県]

デビュー作の『アジアン・ジャパニーズ』(情報センター出版局、1995)がよく知られていることもあり、小林紀晴といえば世界各地を旅して撮影を続けてきた写真家というイメージが強い。だが彼は同時に1990年代後半から、出身地である長野県茅野市を含む諏訪盆地にもカメラを向けてきた。

諏訪盆地はかなり特異な地域といえる。約260万年前、中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)が交わる、その裂け目に諏訪湖が誕生した。諏訪湖の周辺や八ヶ岳山麓には、縄文時代から人が住み始め、黒曜石の矢尻や土偶、土器などが多数出土する。7年に一度の諏訪大社の式年造営御柱祭の時期には、諏訪の住人たちは「山岳民族」と化し、勇壮な木落としの行事に熱狂する。

今回、小林が茅野市美術館で開催した個展には、「遠くから来た舟」(2012) 、「kemonomichi」(2013)、「ring wondering」(2014)など、諏訪盆地の風土とそこに暮らす人々にカメラを向けた連作が並んでいた。だが、より注目すべきなのは、本展に合わせて制作された新作の方だろう。小林は東京工芸大学短期大学部在学中の1986年から御柱祭を撮影するようになった。それらの写真群をデジタル加工して重ね合わせ、さらに父や祖父の時代に撮影された写真も加えることで、時空を超えて複数の祭礼の場面が融合する大作「Onbashira Chronicle」シリーズが生み出されることになる。これまで封印してきたというデジタル技術を使うことで、小林の写真の世界がひと回りスケールの大きなものに変貌していた。

会場の一番奥のパートで上映されていた映像作品「KIYARI-SHU」も興味深い試みである。木遣り歌を伝承する男女が、祭りの衣装を身につけ、山や森や桜の樹を背景としてその一節を朗々と歌い上げる。その場面を繋いだだけの作品だが、彼らの生のあり方、諏訪盆地を包み込む空気感が生々しく、直接的に伝わってくる。小林の映像作家としての可能性を強く感じさせる作品だった。

2022/08/20(土)(飯沢耕太郎)

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野上眞宏「1978 アメリカーナの探求」

会期:2022/08/16~2022/08/28

ギャラリー・ルデコ[東京都]

立教大学卒業後、広告写真や高校・大学の同級生の細野晴臣が結成したロックバンド、はっぴいえんどのメンバーたちの撮影などをしていた野上眞宏は、1974年に以前から憧れていたアメリカに渡る。ロサンゼルスからワシントンD.C.に移り、最初のまとまったシリーズとして撮影し始めたのが、本作「1978 アメリカーナの探求」である。

渡米4年目でアメリカの生活にも慣れ、何をどう撮りたいのかも明確になってきていた。1975年にたまたまニューポートビーチの美術館で見たウィリアム・エグルストンのカラー作品や、ジョエル・マイエロヴィッツの仕事などにも刺激され、カラーポジフィルム(コダクローム)を使うことにした。そのクリアな、だがやや翳りのある発色(エドワード・ホッパーの絵を思い起こさせる)は、国道1号線沿いに点在していたスーパーマーケット、ガソリンスタンド、看板の群れ、アメ車など「アメリカーナ=アメリカ的なるもの」を撮影するのにぴったりであり、画面全体にピントを合わせ、なるべく情報量を多めに撮影するスタイルも固まっていった。こうして、今回ギャラリー・ルデコで個展を開催し、オシリスから同名の写真集を刊行した本シリーズが形をとっていった。

エグルストン、マイエロヴィッツ、スティーブン・ショアらが参加し、同時代の写真家たちに大きな影響を及ぼした「ニュー・カラー」のムーブメントがスタートするのが1981年であることを考えると、野上のカラー写真への取り組みはかなり早い。現時点で見ると、ほぼ同時発生的といえるだけでなく、その視覚的探究の純粋性は他の写真家たちよりもむしろ際立っている。「異邦人の眼」によって、逆にアメリカ人が見過ごしがちな被写体の魅力を、ヴィヴィットに捉えることができたともいえそうだ。なお、同時期に東京・青山のポピュラリティーギャラリーでは、1979年に移り住んだニューヨークで、路上に駐車した自動車たちを捉えた写真による「PARKING, NYC 1979-84」(8月9日~21日)が開催された。こちらも見応えのある展示だった。

2022/08/19(金)(飯沢耕太郎)

コウノジュンイチ「終わりのない街」

会期:2022/08/08~2022/08/21

ギャラリー蒼穹舎[東京都]

コウノジュンイチの写真展は本欄でも何度か取り上げたことがある。その度に同じようなことを書いているのだが、街の路上を彷徨い歩き、シャッターを切り、プリント(自家製のカラープリント)して展示するという彼の行為は、何ともとりとめがなく、砂粒が指の間をすり抜けていくようにも見える。彼が2009年から、蒼穹舎で年に一、二度ほどのペースで続けている写真展も、全部見ているわけではないが、それほど大きく変わってきているわけでもない。だが今回の、2014年に集中して撮影した写真群を、あらためて選び直したという展示を見ているうちに、これもまた、写真家の行為としてある種の必然性を帯びているのではないかという気持ちが強まってきた。

コウノはプロフェッショナルな写真家ではないから、これらの写真は金銭を代価とする仕事ではなく、あくまでも“愉しみ”として撮影されたものだ。街を歩き、その時の自分の気持ちにフィットする光景に出会った時に、その手応えを確かめるようにシャッターを切る。あまり人の姿がない、写っていてもかなり距離をおいた光景そのものに意味があるというものよりも、むしろそこに彼がいたということの存在証明になるような写真が選ばれていた。今回の展示では、雨上がりの路上にカメラを向けた写真が目についた。そのやや青味を帯びたウェットな空気感が、プリントに的確に写し込まれている。一点一点の写真は砂粒のようだが、それらを結びつけ、つなげていくと、コウノジュンイチの写真のなかにしか成立してこない、「終わりのない街」の姿が浮かび上がってくるようにも思えてきた。

関連レビュー

コウノジュンイチ写真展「遠ざかる風景」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年09月01日号)
コウノジュンイチ写真展 「境界」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年09月15日号)

2022/08/10(水)(飯沢耕太郎)

橋本貴雄「風をこぐ」

会期:2022/07/26~2022/08/08

ニコンサロン[東京都]

以前、本欄で橋本貴雄の写真集『風をこぐ』(モ*クシュラ、2021)を紹介したことがある。その時にも感じたのだが、12年間を共に過ごした愛犬のフウとの日々を綴ったこの写真シリーズは、ありそうでなかなかない作品なのではないかと思う。むろん飼い犬や飼い猫を撮影した写真はたくさんあるのだが、橋本のアプローチはそれらと微妙に、だが決定的に違っているのではないだろうか。写真集の掲載作を中心に46点を選んで出品した本展を見て、その思いがより強くなった。

ひとつには、被写体であるフウと橋本との距離感ということがある。フウを間近にとらえたカットはほとんどなく、広角気味のレンズでかなり距離を置いて撮影している。そのことによって、犬だけでなく、その周囲の光景、たまたま近くにいた人、ほかの犬などが写り込んでくる。今回の展示には、フウとともに移り住んだベルリンで撮られた写真が多い。それ以前の福岡、大阪、東京の写真と比較しても、橋本の関心が「フウのいる(いた)場面」をしっかりと写しとっておこうという方向に傾いているのではないかと感じた。

もともと交通事故で後ろ脚が不自由だったフウは、ベルリンで犬用の車椅子を装着して歩き回るようになる。おそらく、橋本は遠からぬフウとの別れを強く意識するようになったのではないだろうか。そのために、フウと過ごした日々の記憶、時間の厚みを、どのように写真のなかに取り込むかについて、より注意深い働きかけが必要になってきたことが、写真展の後半部の写真に強くあらわれてきていた。

最後のパートに、フウが亡くなった後、布に包んで車のバックシートに安置し、葬儀場に運ぶ場面の写真がある。フウの片耳と花束がちらりと見える。その後に、フウがまったく写っていないベルリンの光景の写真が5枚くる。これらの写真があることで、見る者にもフウの不在が共感できるように配慮されている。限られた点数しか展示できない写真展をどう構成するかという橋本の意識が、とてもうまく働いた締めくくりだと思う。

関連レビュー

橋本貴雄『風をこぐ』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年12月01日号)

2022/07/30(土)(飯沢耕太郎)

アレック・ソス Gathered Leaves

会期:2022/06/25~2022/10/10

神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]

もし、「アメリカ写真」というようなカテゴリーを想定することができるなら、アレック・ソスはその正統的な後継者といえるだろう。「アメリカ写真」というのは、あくまでも個人的な動機によって、未知の何ものかを探求してアメリカ各地を彷徨し、目にしたものを撮影して一束の写真として提示するような写真家のあり方で、ウォーカー・エヴァンズからロバート・フランクを経て、ゲイリー・ウィノグランド、スティーブン・ショア、ジョエル・スターンフェルドらに受け継がれていった。それぞれの写真のスタイルは異なっているが、現実世界の眺めを正確に描写することを心がけながらも、その背後(裏)に潜む見えないヴィジョンをこそ捉えようとしている。アレック・ソスは実質的なデビュー作といえる「Sleeping by the Mississippi」(2004)以来、まさにその「アメリカ写真」の典型ともいうべき作品を発表し続けてきた。

今回の、日本での最初の本格的な回顧展となる「Gathered Leaves」には、「Sleeping by the Mississippi」をはじめとして、「NAIAGARA」(2006)、「Broken Manual」(2010)、「Songbook」(2015)、「A Pound of Pictures」(2022)の5シリーズからピックアップされた、約80点が出品されていた。まだ初々しい眼差しを感じさせる「Sleeping by the Mississippi」から、洗練の度を増した近作に至る写真群を見ると、8×10インチ判の大判カメラによる、色彩や空気感をヴィヴィッドに定着したカラー・プリントという基本的なラインは維持しながらも、テキストと写真との関係、印刷媒体としての写真のあり方、音楽や詩と写真との結びつきなどに目配りしつつ、自らの作品世界をしっかりと構築していったソスの揺るぎない歩みが浮かび上がってくる。新作の「A Pound of Pictures」では、アメリカ各地で無名の人々によって撮影されたヴァナキュラー写真に着目することで、「写真による写真論」への関心を深めている。現在進行形の写真家としての彼の全体像を、的確な写真の選択・構成で見せたクオリティの高い展示だった。同時に刊行された小ぶりなカタログも、ソスへのインタビューを含めてとてもよくまとまっている。

2022/07/28(木)(飯沢耕太郎)

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