2023年03月15日号
次回4月3日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

金サジ『物語』

発行所:赤々舎

発行日:2022/12/22

在日コリアン三世という自らの出自を踏まえて、独自の神話的世界を構築し、写真作品として提示する仕事を続けている金サジが、最初の写真集をまとめあげた。ジェンダー、植民地主義、戦争、自然破壊、文化的軋轢など、さまざまな問題を抱え込んだ老若男女が展開する壮大なスケールの「物語」は、複雑に絡み合いつつ枝分かれしていく。それだけでなく、大地、樹木、岩、さらに火や水などの神話的形象が随所にちりばめられ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの西洋絵画のイコノロジーまでが取り入れられている。野心的なプロジェクトの成果といえるだろう。

ただし、それぞれのヴィジョンに対する思いが強すぎて、それが金の神話世界においてどのような位置にあるのか、どう展開していくのかが伝わりきれていないように感じた。彼女自身の短いテキストが写真の間に挟み込まれ、巻末には早稲田大学教授の歴史学者、グレッグ・ドボルザークによる解説「トリックスターとトラウマ」が付されているのだが、それでもなかなかうまく全体像が形をとらない。もしかすると、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のような、長大なテキストが必要になるのかもしれない。また、主人公にあたるようなキャラクターが成立していれば、「物語」としての流れを掴みやすかったのではないだろうか。

とはいえ、金の写真家としてのキャリアを考えると、これだけ豊かなイマジネーションの広がりをもち、しかもそれらを説得力のある場面として定着できる能力の高さは驚くべきものだ。日本の写真界の枠を超えて、国際的なレベルでも大きな評価が期待できそうだ。

関連レビュー

金サジ「物語」シリーズより「山に歩む舟」|高嶋慈:artscapeレビュー(2022年12月15日号)

2023/02/05(日)(飯沢耕太郎)

渡邊耕一「毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー」

会期:2022/12/20~2023/02/05

Kanzan Gallery[東京都]

渡邊耕一は前作『Moving Plants』(青幻舎、2015)で、日本原産の植物、イタドリ(虎杖)が、ヨーロッパ各地で繁茂している状況を追ったシリーズを発表した。やはり植物をテーマとした今回の「毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー」では、江戸末期の本草学者、馬場大助が、自著に「コンタラエルハ(昆答刺越兒發)」という不思議な名前で記している植物を求めて世界各地に足を運んだ。その足跡は香港、インドネシア、オランダ、日本(和歌山)、メキシコにまで及び、その謎の植物の姿が、少しずつ明らかになっていった。

風景写真、図鑑等の複写、映像などを使って、その旅の過程を示した展示もしっかりと組み上げられている。同時期に青幻舎から刊行された同名の写真集とあわせて見ると、体内の毒を消すデトックスの効果があるというこの薬草の分布の状況が、立体的に浮かび上がってくる。渡邊の写真家としての視点の確かさと、知的な探求力とが、とてもうまく結びついた写真シリーズといえるだろう。

イタドリや「コンタラエルハ」は、植物学者ではない限り、単なる雑草として見過ごされてしまいがちな植物である。だが、それらを別な角度から眺めると、歴史学、人類学、経済学などとも関連づけられるユニークな存在のあり方が見えてくる。渡邊が次にどんなテーマを見出すのかが興味深い。彼のアプローチは、植物以外の対象でも充分に通用するのではないかと思う。


公式サイト:http://www.kanzan-g.jp/watanabe_koichi.html

関連レビュー

渡邊耕一「Moving Plants」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年04月15日号)
渡邊耕一「Moving Plants」|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年01月15日号)

2023/01/31(火)(飯沢耕太郎)

古屋誠一写真展 第二章 母 1981.11-1985.10

会期:2022/11/11~2023/02/01

写大ギャラリー[東京都]

本展は、昨年6月~8月に写大ギャラリーで開催された「古屋誠一写真展 第一章 妻 1978.2-1981.11」の続編にあたる。東京工芸大学がコレクションした古屋誠一のプリント、364点から、今回は古屋の妻のクリスティーネと、1981年に生まれた息子の光明クラウスを撮影した写真を中心に展示していた。

古屋一家はこの時期に、クリスティーネの演劇の勉強や古屋の仕事の関係もあって、オーストリア・グラーツ、ウィーン、東ドイツ・ドレスデン、ベルリンと移転を繰り返した。展示されている写真を辿っていくと、1981年には第一子誕生の輝きにあふれていたクリスティーネの表情が、次第に翳りや険しさを帯びていくことに気がつく。泣き顔や坊主頭になった写真もある。クリスティーネの精神状態はこの時期に次第に悪化し、ついに1985年10月、東ベルリンのアパートからの投身に至った。だが、その最後の時期になると、逆に安らぎにも似た放心の表情があらわれてくる。

あらためて、これらの写真群を見ると、写真家がある人物をモデルとして撮影したポートレート作品として稀有なものなのではないかという思いが強まってくる。古屋がクリスティーネに投げかけ、逆に彼女が古屋を見返す眼差しの強さが尋常ではないのだ。写真を撮り、撮られること(ときにはクリスティーネもまた古屋にカメラを向けることがあった)が、彼らの生の焦点となっていたことが、痛々しいほどの切実さで伝わってきた。おそらく、世界の写真史における名作として語り継がれていくに違いない作品が、東京工芸大学のコレクションとなったのはとても意義深いことだ。これで終わりではなく、その全体像を一望できる展示も、ぜひ企画していただきたい。


公式サイト:http://www.shadai.t-kougei.ac.jp/overview.html

関連レビュー

古屋誠一写真展 第一章 妻 1978.2-1981.11|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年08月01日号)

2023/01/27(金)(飯沢耕太郎)

松江泰治「ギャゼティアCC」

会期:2023/01/20~2023/03/07

キヤノンギャラリーS[東京都]

松江泰治は1990年代から写真を通じての「地名収集」の作業を続けている。近年は銀塩フィルムの大判カメラから高精細のデジタルカメラへと撮影機材を切り替え、より鮮鋭かつ広がりをもつ作品を発表するようになった。今回、東京・品川のキヤノンギャラリーSで開催された個展では、主に自然の景観を撮影した「gazetteer」(地名事典)シリーズと、都市にカメラを向けた「CC」(シティ・コード)シリーズから、大判プリンターで大画面に引き伸ばした26点が展示されていた。

以前の松江の作品は、高い場所からかなり距離を置いて俯瞰撮影し、全面にピントを合わせたものがほとんどだった。そのことによって、土地の起伏や建物や街路が織りなすモザイク状の空間が、ありえないほどの精度で見えてくる。ところが、今回展示された作品でいえば、ヒマワリ畑を撮影した《LOMBARDY 32827》、砂浜のペンギンの群れを捉えた《SOUTH AFRICA 27747》、会場の船舶群にカメラを向けた《CAMPANIA 28133》のように、被写体の幅が大きく広がり、その距離感もフレキシブルになってきている。エルサレムの嘆きの壁で祈る人々の姿を撮影した「CC」シリーズの《JRS 53845》など、これまではとても考えられないような作品といえるだろう。

つまり「地名」という抽象的な概念に加えて、現実の世界のあり方と人々の生の営みを捉えることへの関心が、彼のなかでより強まっているということではないだろうか。その成果が作品の選択・構成にしっかりと形をとっていた。なお、写真展に合わせて、作品262点をおさめた作品集『gazetteerCC』が赤々舎から刊行されている。


公式サイト:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/matsue-gazetteer

2023/01/27(金)(飯沢耕太郎)

雑誌『写真』vol.3「スペル/SPELL」刊行記念展 川田喜久治「ロス・カプリチョス 遠近」

会期:2023/01/24~2023/02/19

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

川田喜久治の「ロス・カプリチョス 遠近」展は2022年6月~8月にPGIで開催されている。今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での展示は、年2回刊行の『写真』誌の第3号の巻頭に、同シリーズが30ページ以上にわたって掲載されたことを受けて企画されたもので、前回の個展の再編集版といえる。だが、単に会場の違いというだけでなく、写真の見え方そのものが大きく変わったという印象を受けた。

それは、『写真』3号の特集テーマが「スペル」(綴り字という意味のほかに呪文、魔力という意味もある)であり、それにあわせて川田の作品世界のバックグラウンドとしての「言葉」にあらためて注目したからではないだろうか。実際に展示の始まりの部分には、川田自身が選んで並べた、まさに「呪文」のような言葉の群れが掲げてあった。「カフカと赤い馬」「Kafka and Red Horse」「赤い滝」「黄金時代」「湯浴みの足」「スフィンクスの乳房」といった文字列と写真とが、一対一の整合性を保って配置されているわけではない。だが、むしろ反発しつつ触発し合うような関係を保ちつつ、写真と言葉とが見る者に一斉に襲いかかってくるように感じる。そのことが、個々の写真が発する緊張感をより高めているようにも思えた。

1933年1月1日生まれの川田は、今年90歳を迎えた。だが、矢継ぎ早の個展の開催、写真集『Vortex』(赤々舎、2022)の刊行など、その疾走はさらに加速しつつある。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/230124kawada/

関連レビュー

川田喜久治「ロス・カプリチョス 遠近」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年08月01日号)

2023/01/24(火)(飯沢耕太郎)

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