artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
高橋宣之写真展 鳥の歌 El Cant dels Ocells
会期:2023/06/29~2023/09/27
写真歴史博物館[東京都]
嬉しい驚きを与えてくれた写真展だった。高知市出身の高橋宣之は、仁淀川流域を情感を込めて細やかに撮影した自然写真や風景写真でよく知られている。その彼が、1969〜72年にサラゴサなどスペイン各地に滞在し、当地で写真を撮影していたことを本展ではじめて知った。
スペインの風景だけでなく、フランコ独裁政権下の人々の暮らし、闘牛や牛追いの祭り、ロマの子供たちなどをいきいきととらえた写真は、6×6判の黒白フィルムで撮影されている。撮り方に衒いはなく、目に入ってくる人物や事物をストレートに受け止め、間髪を入れずにシャッターを切っている様子が伝わってくる。何よりも強く感じるのは、20歳代前半の若い彼が、はじめて身を置いた異国の地で、驚きと感動を覚えつつ撮影した心の弾みが、そのままみずみずしい画像として定着されていることだ。おそらく、一生のうちに何度も訪れることはない青春の一時期の輝きが、そのまま刻み込まれた稀有な写真群といえるのではないだろうか。
これらの写真のほとんどは、帰国後50年あまり、ネガの状態で小箱に保存されたままになっていた。2022年に高橋本人によって「再発見」され、デジタル化の作業が進められたのだという。彼に限らず、コロナ禍の時期の副産物として、かつて撮影した写真のネガやデータを見直すことで、新たな可能性が見えてきたという話をよく聞く。写真には、封印され、埋もれてしまった記憶を再び呼び起こす力が秘められているということだろう。
公式サイト:https://fujifilmsquare.jp/exhibition/230629_05.html
2023/07/26(水)(飯沢耕太郎)
挑発関係=中平卓馬×森山大道
会期:2023/07/15~2023/09/24
神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]
偶然がどうみても偶然と思えなくなることが時々あるが、森山大道と中平卓馬が1960年代後半の一時期、ともに神奈川県逗子に住んでいたというのもそのひとつだろう。近所同士だった二人は、ともに示し合わせて海に泳ぎに行ったり、喫茶店で長い時間をともに過ごしたりしていた。森山は細江英公のアシスタントを辞めてフリーになり、中平も『現代の眼』の編集部を離れて、写真家として再出発しようとしていた。いうまでもなく、当時はまだ無名だった二人は、その数年後には日本の写真シーンにフロント・ランナーとして躍り出ていくことになる。
今回、神奈川県立近代美術館 葉山で開催された本展は、その森山と中平の写真をめぐるせめぎ合い=「挑発関係」を1960年代から現在まであらためて辿り直そうとする企画である。展示の構成は「《無言劇》『来たるべき言葉のために』」「寺山修司と/の『現代の眼』『カメラ毎日』『にっぽん劇場写真帖』」「『路上』そして『プロヴォーク』」「『写真よさようなら』『なぜ、植物図鑑か』」「『Adieu á X』『光と影』」「『記録』『Documentary』」「Nへの手紙」の7部から成り、ヴィンテージ・プリントを含む写真作品・約100点、書籍・約50点のほかに、森山の写真誌『記録』全54冊などのヴィジュアル資料がスライド上映されていた。
盛り沢山の、充実した展示であることは間違いないが、それ以上に彼らのスリリングな「挑発関係」が、日本の写真表現の最も輝かしい一時代を作り上げ、その影響力が現在にまで及んでいることに思いを馳せざるをえない。森山も中平も、それぞれ微妙な角度の違いはあるものの、写真−私−世界の関係のあり方をぎりぎりまで問い詰め、写真家であり続けることのロールモデルを作り上げていったのではないだろうか。そこには同時に、20世紀後半から21世紀にかけて、とりわけ1960〜90年代の日本の現実が、直裁に、これ以上ないほどのなまなましい実感を伴って切りとられているようにも感じる。
公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-provocative-relationship
2023/07/25(火)(飯沢耕太郎)
新井卓「日日(にちにち)の鏡」
会期:2023/07/05~2023/08/23
PGI[東京都]
本作は、新井卓が拠点としている川崎を中心に、日本各地、さらにフィンランドなどで撮影した写真を集成したものである。いわば「写真日記」という体裁なのだが、それらがすべてダゲレオタイプで制作されているところに面白味がある。というのは、世界最古の実用的な写真技法であるダゲレオタイプは、銅板を研磨するところから、銀メッキ、露光、現像、定着処理まで、大変な手間と時間がかかる技法であり、おのずと作成できる画像の数は少なくなるからだ。例えば鷹野隆大の「毎日写真」シリーズのように、「写真日記」のスタイルを作品制作に取り入れている写真家はたくさんいるが、それらは日々、自由に、大量に写真を産出できることが前提になっている。そこに新井の作品との、質的な違いが生じてくるのではないだろうか。
つまり、何をどのように撮るのかを、新井はつねに吟味し、自問自答しつつ被写体に向き合っているわけであり、そのことが本作に静謐だが説得力のある緊張感を付与しているように感じた。とはいえ、全体としてみれば、好奇心と即興性とがうまくブレンドされた、のびやかなシリーズとして成立している。その、思いがけない飛躍を孕んだ視線の移ろいを、充分に楽しむことができた。会場には写真のほかに、新井の蔵書がサークル状に並んで展示されていた。それらと写真作品とを合わせて見ることで、考えながら行動する、彼の写真家としてのバックグラウンドが浮かび上がってくる。また逆に、福島、広島などで撮影されてきた彼の社会的な広がりを持つ作品が、このような日常に向けられた眼差しの延長線上にあることもよくわかった。
公式サイト:https://www.pgi.ac/exhibitions/8734
関連レビュー
鷹野隆大 毎日写真1999-2021|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年08月01日号)
2023/07/24(月)(飯沢耕太郎)
田中大輔「淵を歩いて」
会期:2023/07/22~2023/08/13
金柑画廊[東京都]
田中大輔の新作を見て、牛腸茂雄の「幼年の『時間(とき)』」を思い起こした。牛腸は生前の最後の写真集となった『見慣れた街の中で』(1981)を刊行後、以前から撮り続けてきた「子ども」の写真をまとめようとしていたが、未完に終わり、遺作として『日本カメラ』(1983年6月号)に6点の作品のみが掲載された。牛腸が「子どもの『時間』体験は、『いのち』そのものだから、その拡がりや脹らみや深さにおいて、目を見張るものがある」と書き残しているのと同じような感触を、田中の「子ども」の写真にも感じたのだ。
だが、牛腸の連作が「子ども」のポートレート(ほとんどがカメラと正対した)であるのに対して、田中は風景や事物の写真をそのあいだに挟み込んでいる。つまり、牛腸は自分と「子ども」たちとの一対一の関係を写真に刻みつけているが、田中の視線の幅はもっと大きく、彼自身を含む社会的現実をも写真に取り込もうとしているのだろう。
もうひとつ、注目すべきことは、本作が田中にとっては初めてのモノクローム作品であるということだ。田中は2016年に第15回写真「1_WALL」でグランプリを受賞しているが、受賞作も含めて、繊細に色味をコントロールしたカラー写真で作品を発表してきた。その田中がモノクロームを使い始めたのは、「子ども」と彼らを取り巻く環境をシンプルに、構造化して捉えるのには、そちらのほうがいいと判断したためではないだろうか。その試みは、とてもうまくいっていた。まさに「拡がりや脹らみや深さ」を備えた写真シリーズが、形をとりつつある。
公式サイト:https://kinkangallery.com/exhibitions/3091/
2023/07/23(日)(飯沢耕太郎)
大橋仁『はじめて あった』
発行所:青幻舎
発行日:2023/04/10
デビュー作の『目のまえのつづき』(青幻舎、1999)から24年、「奇書」というべき大作『そこにすわろうとおもう』(赤々舎、2012)から10年余り、大橋仁の新作写真集『はじめて あった』が出た。
冒頭の波と空のカットから、いかにも彼らしい息継ぎの長いシークエンスの写真が続く。女性との性愛の場面、「パンティの森」と昆虫のクローズアップ、やがて母親と義理の父(『目のまえのつづき』の主要登場人物)が現われ、その生と死が、過去作も含めて綴られていく。さらに、渋滞中の車の中のドライバーたちを執拗に写したカットが続き、打ち寄せる波の写真で締めくくられる。
こうしてみると、大橋がいつでも「私は自分の中のはじめてに会いにいく」という姿勢を貫いて、被写体と接してきたことがよくわかる。「目のまえ」に走馬灯のようにあらわれては消えていく「私という幻私という現実」は、カメラを向けることによって、はじめて手応えのある確固たる存在としてかたちを成し、それらを連ねていくことで、確信を持ってそれらが「はじめて あった」と言い切ることができるようになる。そのような、彼自身の写真家としての基本姿勢を、大橋は本作を編むなかであらためて確認していったのではないだろうか。この「母の死とパンティと昆虫」の写真集には、なにかを吹っ切ったような、突き抜けた明るさが感じられる写真が並んでいた。
関連レビュー
大橋仁『そこにすわろうとおもう』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年01月15日号)
2023/07/19(水)(飯沢耕太郎)