2020年01月15日号
次回2月3日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

嶋田忠 野生の瞬間 華麗なる鳥の世界

会期:2019/07/23~2019/09/23

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

嶋田忠は鳥類の生態写真の第一人者である。1971年に日本大学農獣医学部を卒業後、本格的に野鳥の写真を撮影し始め、『カワセミ 清流に翔ぶ』(平凡社、1979)で太陽賞、日本写真協会新人賞を、『火の鳥 アカショウビン』(平凡社、1985)で日本写真協会年度賞を受賞するなど、その「華麗なる鳥の世界」を余すところなく捉えた写真群は高い評価を受けてきた。今回の東京都写真美術館での展示には、「初めてカメラで撮ったモズ」(1969)から最新作まで、180点あまりが出品されている。会場は大きく二つに分かれていて、前半は「ふるさと・武蔵野 思い出の鳥たち」(1971〜79)から、1980年に移住した北海道で撮影されたヤマセミ、シマエナガ、オオワシによる「白の世界」まで、代表作が並ぶ。そして後半には、2000年から10数回通っているというパプアニューギニアの写真が「緑の世界 熱帯雨林 精霊の舞う森へ」として展示されていた。

同じ野鳥の写真といっても、前半と後半ではその印象がかなり違う。嶋田は若い頃に宮本武蔵の水墨画に感動し、「間」を活かした構図を写真の中に取り入れるようになった。カワセミやアカショウビンの写真でも、ダイナミックな動きや姿態を強調するだけでなく、「野鳥のいる風景」としてしっかりと撮影しているものが多い。ところが、パプアニューギニアでは画面をコントロールする意識を働かせる余地がない。熱帯雨林のアナーキーな眺めは、東洋画の美意識からはみ出てしまうし、フウチョウ類の極彩色の羽毛は原色の絵具を塗りたくったようだ。だが、嶋田はあえて新たな領域にチャレンジしようとしているのではないだろうか。それは、デジタル化の進行によって瞬間撮影や色彩の表現の自由度が増して、ネイチャー・フォトの可能性が大きく広がったということでもある。フウチョウの求愛行動を連続写真で捉えたシリーズなどから、彼の創作意欲が伝わってきた。

2019/08/02(金)(飯沢耕太郎)

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LILY SHU「Dyed my Hair Blond, Burnt Dark at sea」

会期:2019/07/19~2019/08/09

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

田凱もそうなのだが、このところ日本で活動する中国出身の写真家たちがいい仕事をしている。LILY SHU(リリー・シュウ)もそのひとりで、1988年、哈爾濱(ハルビン)で生まれ、イギリスのエセックス大学、ケント大学で学んだあとに日本に来て、東京藝術大学大学院博士課程を今年修了した。いくつかのコンペで入賞を重ねており、今回の展示は今年2月の第8回エモンアワードのグランプリ受賞作品展として開催された。

以前は、コンセプトと表現がしっくりと融け合わず、乖離している印象を受けたのだが、その弱点がかなり解消されてきた。LILYが捕捉しようともくろんでいるのは、「人間とモノとの境界や、文化の相違を超える『自然』と『現代性』が交錯する複数の空間に行き来する圧力の存在と落差」である。平たくいえば、われわれを縛りつけている視線の権力ということだが、それらをさまざまな事物の連なりから嗅ぎ当てて、画像化する能力が格段に上がってきているのだ。特に今回はメキシコで撮影したことがうまくいったのではないかと思う。伝統とモダン、聖なるものと俗なるものとが入り混じり、衝突するメキシコの環境が触媒として有効に働き、スリリングな映像のタペストリーが織り上げられている。植物を囲い込むグリーンの檻、本物の右手と義手の左手、シロアリを防ぐために樹木に塗られた白いペイントと赤い帯、水の出ない噴水のある池など、表象のちりばめ方に説得力が出てきた。

LILYの問題意識は、多くの日本の写真家たちとは違った方向に向きつつある。とはいえ、日本在住というポジションをうまく活用すれば、これまでにないタイプの国際的な写真家が出現するのではないだろうか。赤々舎で、写真集出版の企画が進んでいると聞くが、そろそろ中国を含めた海外での展示や出版も視野に入れてほしいものだ。

2019/07/26(金)(飯沢耕太郎)

田凱「生きてそこにいて」

会期:2019/07/23~2019/08/24

ガーディアン・ガーデン[東京都]

田凱(Den Gai)は1984年、中国生まれの写真家。2014年に日本写真芸術専門学校を卒業し、2018年に第19回写真「1_WALL」でグランプリを受賞した。今回のガーディアン・ガーデンでの個展は、その受賞展として開催されたものである。

田が撮影したのは天津近郊のとある街である。彼の故郷でもあるその街には、油田があり、かつては石油産業とともに栄えていた。だが、その衰退とともに、どことなく荒廃の気配が漂い始めている。田は、街の佇まいと友人を多く含む住人たちを、4×5インチ判の大判カメラで5年間にわたって撮影し続けた。被写体との距離の取り方、画面へのおさめ方に細やかな配慮が感じられ、ゆったりとした、スケールの大きさを感じさせるプライヴェート・ドキュメンタリーとしてきちんと形になっている。写真を見ながら、台湾の侯孝賢の映画(『恋恋風塵』、『非情城市』など)の雰囲気を思い起こした。

田がこのシリーズをさらに撮り進めていくのか、それともこれで完結なのかはわからないが、ぜひ写真集にまとめてほしい。ただ、その場合には個々の写真のバックグラウンドを、もう少し丁寧に言語化する必要がある。写真集のチラシに、子どもの頃の石遊びの情景や、上海で再会した幼な馴染みがホモセクシュアルであることを告げたことなど、断片的な記憶が記されていた。興味深いエピソードが多いので、それらをもう少ししっかりと展開し、写真とうまく組み合わせていけば、より伝達力の強いフォト・ストーリーになっていくのではないだろうか。

2019/07/25(木)(飯沢耕太郎)

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第31回 写真の会賞 写真の会賞展

会期:2019/07/22~2019/07/28

Place M[東京都]

31回目を迎えた本年度の「写真の会賞」は、野村浩が著書『CAMERAer──カメラになった人々』(go passion、2018)、写真展「“NOIR” and “Selfie MANBU”」(POETIC SCAPE、2018)と「暗くて明るいカメラーの部屋」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2019)で、そして須田一政が写真集『日常の断片』(青幻舎、2018)が受賞した。誰にも真似のできない写真世界を構築してきた須田の、生前最後のカラー写真集『日常の断片』が選ばれたのは当然というべきだが、野村の受賞には意表を突かれた。受賞作の『CAMERAer──カメラになった人々』は、写真集ではなく4コマ漫画を集めたものだし、「暗くて明るいカメラーの部屋」は横浜市所蔵のネイラー・コレクションの写真機材を野村がキュレーションした展示だったからだ。

だが、「マンブくん」、「カメラドッグ」、「カメラバード」、「箱男」といったキャラクターが登場して、奇妙な会話や行為を展開する『CAMERAer──カメラになった人々』は、それ自体がしっかりとした写真論になっている。また、横浜市市民ギャラリーあざみ野の展示にも、彼の写真家としての経験が活かされていた。「写真の会賞」はこれまでも異色の写真家や写真関係者にスポットを当ててきたが、今回も同賞にふさわしい選考といえそうだ。

Place Mで開催された受賞作品展もかなりユニークな会場構成だった。フレームにきちんとおさまった須田の作品の合間に野村が介入して、会場全体を「カメラーの部屋」として再構築している。須田の写真を思わせる風景の中に「マンブくん」が入り込んだ「Selfie MANBU」シリーズのほかに、スワロフスキー製のクリスタルカメラのインスタレーション、スライド上映、コピー作品などもある。野村は「暗くて明るいカメラーの部屋」展でも、キュレーターとしての能力の高さを見せたが、今回の会場構成でもそれを充分に活かしている。極め付けは、今回の展示のために描き下ろしたという『CAMERAer──カメラになった人々』の番外編「すだ式」をおさめた小冊子で、いうまでもなく、つげ義春の名作「ねじ式」の秀逸なパロディになっている。野村の写真家の枠からはみ出した才能が、全面開花しそうな予感がある。

2019/07/23(火)(飯沢耕太郎)

笠井爾示 写真展「Lazy Afternoon」

会期:2019/07/12~2019/07/28

神保町画廊[東京都]

笠井爾示(ちかし)のデビュー写真集は『Tokyo Dance』(新潮社、1997)だから、それからもう20年以上経つわけだ。「若手」写真家の代表格だった笠井も、中堅からベテランの域に達してきた。そのあいだ、写真集の刊行や展覧会の開催がやや途絶えた時期もあったが、このところ『東京の恋人』(玄光社、2017)、『川上奈々美写真集 となりの川上さん』(同)、『七菜乃と湖』(リブロアルテ、2019)、『トーキョーダイアリー』(玄光社、2019)と立て続けに写真集を刊行し、新たな活動期に入ってきている。

女性モデルのポートレート40点による今回の神保町画廊での個展には、笠井の代名詞というべきヌード写真は1点も入っていない。それを期待して見にきた観客には肩すかしかもしれないが、むしろ彼の眼差しの素の部分が写真にしっかりと写り込んでいて、興味深い展示になった。笠井に限らず男性写真家が女性モデルを撮影する場合、どうしてもエロティックな表情、身振りを要求することになりがちだ。今回の写真の中にも、つい職業的なポーズを取ってしまったモデルを撮影した写真がないわけではない。だが大部分の写真は、慎み深さを感じさせつつ、平静な視点で、そのモデルの魅力を引き出している。特に、モデルとその背景となる環境との関係に、細やかに気を配っている写真が多い。写真の選択・構成にも手抜きがなく、会場には気持ちのいい空気感が漂っていた。

ただ、このところの笠井の写真集や展覧会が、どちらかといえば破綻のない、安定した表現の水準に留まっていることにはやや不満がある。そろそろ大作にチャレンジする時期がきているのではないだろうか。

2019/07/19(金)(飯沢耕太郎)

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