2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

田口和奈「エウリュディケーの眼」

会期:2019/05/08~2019/06/01

void+[東京都]

田口和奈の展示を見るのはひさしぶりだ。void+では10年ぶりの個展だという。今回の展覧会は「五島記念文化賞美術新人賞研修帰国記念」として開催されたもので、展示されているのは、田口が現在制作中の本『エウリュディケー』から派生した近作である。

田口は雑誌の画像、ファウンドフォト、自分が撮影した写真などのパーツを組み合わせて架空の人物や場所を描き、それをカメラで撮影して印画紙にプリントするという手法で作品を制作する。どこか錬金術を思わせるそのプロセスによって出現してくるモノクロームの画像の精度、密度は驚くべきものだ。だが、今回展示されている作品は、その制作プロセスの途中経過をそのまま提示したもので、「仮の」状態が生々しく露呈しているものが多い。逆にそのことによって、制作中の田口の思考を覗き見ているような面白さが生じている。タイトルの「エウリュディケー」とは、ギリシア神話のオルフェウスの妻の名前である。オルフェウスは、冥界から彼女を連れ帰ろうとしたが、もう少しのところで果たせずに終わる。展示されている写真には、そのような手が届きそうで届かないもどかしさが、隠喩的に表現されているようにも感じた。

どうやら『エウリュディケー』の制作は難航しているようだが、どんなふうにでき上がるのかが楽しみだ。田口のことだから、おそらく一筋縄ではいかない書物になるのではないだろうか。

2019/05/16(木)(飯沢耕太郎)

北島敬三「UNTITLED RECORDS 2018」

会期:2019/05/07~2019/05/27

ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]

北島敬三は1990年代から各地の風景を厳密な画面構成で撮影していく「Places」のシリーズを制作・発表し始めた。その試みは2000年代に入っても続けられ、2012年、2013年に『日本カメラ』に発表されたときから「UNTITLED RECORDS」と命名されることになる。2014年からは、年4回ほどのペースで東京・新宿のphotographers’ galleryでの連続展が開催され、その度に同名の写真集が刊行されるようになった。その数はすでに15回を数える。今回のニコンプラザ新宿 THE GALLERYでの展示は、2018年に1年間かけて北海道から沖縄まで全国各地で撮り下ろした写真を集成したもので、あわせて写真集『UNTITLED RECORDS Vol.16』(KULA、2019)が刊行された。

一見すると、かなり恣意的に「無題の」風景や建物を切り取っているようだが、このシリーズには北島の周到な選択眼が隅々まで働いている。撮影しているのは必ず曇り、雨などの日で、風景にドラマチックな要素を付け加える光はできる限り排除される。被写体として選ばれるのは、あまり地域的な特徴を持たない建物で、テントや小屋などを含む「仮設」の印象を与えるものが多い。建物を単独でクローズアップすることはほとんどなく、空き地や道路のような周辺の環境がかなりのスペースをとって写り込んでくる。このような厳密な手続きを経て定着された眺めは、2011年の東日本大震災以後の日本各地の景観がどのように変貌しつつあるかを、まざまざと指し示している。画面を覆い尽くす「鈍色の輝き」(倉石信乃)は、まさにこの時代の空気感そのものだ。

このプロジェクトは2021年まで、全20回にわたって続けられる予定だが、これら名もなき風景の記録が、50年先には「未来の視覚資料」としての重要な意味を持つことは間違いない。今回の個展はその中間報告的な意味合いを持つものであり、プロジェクトが完結したときには、より大規模な展示を実現してほしいものだ。

2019/05/14(火)(飯沢耕太郎)

永坂嘉光「空海 永坂嘉光の世界」

会期:2019/04/18~2019/06/03

キヤノンギャラリーS[東京都]

永坂嘉光は1948年に和歌山県高野山に生まれ、大阪芸術大学に在学していた20歳の頃から、生まれ育った高野山一帯を撮影し始めた。以来50年にわたって、ライフワークとして撮り続けてきた写真を集成したのが、今回の「空海 永坂嘉光の世界」展である。

永坂の写真を見ると、やはり子どもの頃から慣れ親しんできた高野山を、そのまま自然体で撮影し始めたことが大きかったのではないかと思う。高野山はいうまでもなく、空海(弘法大師)を開祖とする真言宗の聖地であり、一大宗教都市でもある。だが、永坂の写真には、ともすれば古寺や仏像を撮影する写真家が陥りがちな、エキセントリックで神懸かり的な雰囲気はほとんど見られない。むろん朝霧に包まれた根本大塔の遠景や、吹雪の日の壇上伽藍、夏の台風が通り過ぎたあとに水平にかかる虹の眺めなど、奇跡とも思えるような瞬間を写しとめた写真はたくさんある。だが、それらを含めて、永坂は画面構成や露光時間を厳密に設定し、こう写るはずだという予測のもとにシャッターを切っている。時に予測を超えた光景が「写ってしまう」こともあるが、それも含めて「写っている」ものを受け容れていこうという姿勢は一貫している。別な見方をすれば、彼の写真は、あらゆる観客、読者に向けて開かれた普遍性と奥行きの深さを備えているともいえるだろう。

今回の展示では、高野山だけでなく、空海が修行した四国や中国で撮影した写真を含めて、その足跡を「地、水、火、風、空」の「五大」の集合体として捉え直そうとしている。東寺の五大明王像や両界曼荼羅図の写真を含む、内陣のような空間を会場の中央に置いた展示構成も、とてもよく練り上げられていた。永坂の写真の世界は、空海や高野山に留まることなく、より拡張していく可能性を秘めているのではないだろうか。なお展覧会にあわせて、代表作147点をおさめた写真集『空海 五大の響き』(小学館、2019)が刊行された。

2019/05/11(土)(飯沢耕太郎)

浜昇『斯ク、昭和ハ去レリ』

発行所:ソリレス書店

発行日:2019/04/29

荒木経惟は、1989年1月8日に、滞在先の山口から東京に戻って昭和天皇の崩御の翌日に皇居前広場に集まった群集を撮影している。同年2月24日の大喪の礼のときも、車列を見送る人々にカメラを向けた。これらの写真は、その年に日付入りコンパクトカメラで撮影した写真群を集成した写真集『平成元年』(アイピーシー、1990)におさめられている。

浜昇もまた、1989年2月24日の大喪の礼の日を中心に、その前後の日々を撮影していた。葬列を見るために集ってきた人々の傘、傘、傘の群れ、閉じられたシャッター、紙や布で目張りをされたショーウィンドー、日の丸の旗などが、「その人」の不在を生々しく浮かび上がらせる。やや黒めのプリントのトーンの選択が実に的確だ。ただ、浜は荒木と違って、これらの写真をすぐには発表しなかった。30年の時を経て、彼がいま写真集をまとめた意図は明らかだろう。平成から令和へと年号が変わろうとするこの時期に、あえてその前の昭和を振り返り、あわせて「天皇」という存在を問い直したかったからだ。

日本人の天皇制に対する思考停止の状態は、1989年の時点と比較してより強まっているように感じる。浜の写真群は、30年前の記憶の再検証を通じて、あらためてそのことに意識を向けさせるように編集されている。30年前の「記録」が、強いメッセージを含む「表現」に転化するまでにはそれだけの時間が必要だったということだろう。なお、浜昇は1975年にワークショップ写真学校の東松照明教室で学んだことから、写真家としての経歴をスタートさせた。もし東松が生きていたら、この作品をどのように評価しただろうか。戦後の写真史に新たな一石を投じる写真集といえるだろう。

2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)

青木陽「should, it suits, pleasant」

会期:2019/04/18~2019/04/30

Alt_ Medium[東京都]

青木陽は今回の個展「should, it suits, pleasant」に寄せたテキストに以下のように記している。

「世界は私たちの接する物事はほぼ全てが人為的なものです。それらの含む人の作為から逃れることはできない。そしてそれゆえ同じ用途に供するものであってもある部分に関して何故A’ではなくAなのかという事柄は無数に存在する。何かとても形容しがたいものを感じる。」

このような、「何かとても形容しがたい」という感慨を抱くことは、僕にもよくある。現実世界に目をやると、そこに溢れかえっている「人為的」な事物の連なりが、「何故A’ではなくAなのか」ということがわからなくなってしまうのだ。青木が写真撮影を通じて探り当てようとしているのは、日々の出来事のなかから不意に浮上してくるそのような些細な違和感、見慣れたものが見慣れないものに変容してしまう瞬間に形を与えようとすることだ。一見地味で、とりとめなくさえ見える彼の写真に目を凝らすと、青木がそのような場面に向けてシャッターを切っているときの歓びと手応えを、共有できそうに思えてくる。

彼が2013年に東川町国際写真フェスティバルの赤レンガ公開ポートフォリオオーディションでグランプリを受賞したときの作品は、モノクロームでプリントされていた。その後、引越しなどで暗室を維持するのがむずかしくなり、今回の作品はデジタルカメラで撮影してレーザープリンタで出力している。だが、そのややチープな、ノイズが入ったような色づかいのプリントの感触は、逆にいまの現実の有り様をそのまま正確に写し取っているように見える。そこには「世界がこんなふうに見えてきた」という切実なリアリティがある。2015年に第12回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞するなど、青木の評価は一部では高まっているが、一般的な知名度はまだ低い。力のある作家なので、そろそろ写真集をまとめてほしいものだ。

2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)

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