2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

真継不二夫「美の生態」

会期:2019/06/04~2019/06/30

JCIIフォトサロン[東京都]

真継不二夫(1903〜1984)はそれほど著名ではないが、戦前から戦後にかけてクオリティの高い作品を残した写真家である。大正末〜昭和初期の「芸術写真」の時代から作品を発表し始め、戦時中は『報道写真への道』(玄光社、1942)、『海軍兵学校』(番町書房、1943)などを刊行した。戦後は各写真雑誌の表紙や口絵ページなどを飾る人気作家となり、特にヌード写真が高く評価された。『美の生態』(大泉書店、1948)、『美の生態Ⅱ』(双芸社、1950)は、ヌード写真と女性ポートレートの代表作を集成した写真集である。今回のJCIIフォトサロンでの展示は、その2冊の写真集に掲載された写真を中心に構成されていた。

戦後すぐの時期には、戦中の抑圧への反動と性の解放の気運があわさって、ヌード写真が大流行していた。福田勝治、杉山吉良、中村立行といった写真家たちが、競って意欲的な作品を発表していたが、その中でも真継のヌードは画面構成の巧さ、完成度の高さでは群を抜いている。京都出身の彼は、おそらくモデルとのコミュニケーションの取り方に、独特の柔らかさと品のよさがあったのではないだろうか。それが作品にもあらわれているように感じる。「美の生態」というタイトルも印象深い。「美」を抽象概念としてではなく、生きもののように捉える考え方がよく出ている。

本展と直接の関連はないが、このところ写真集や写真展で、ヌードを取り上げることにかなり強いバイアスがかかるようになった。本展のDMやカタログの表紙に使われている《肉体丘陵》と題する作品も、SNSから削除される場合があったという。むろん、真継が活動していた時代とは社会環境がまったく違うので安易に比較することはできないが、ヌード写真の撮影や発表に有形無形の圧力がかかり始めていることが気になる。ヌードを題材とするエロス(生命力)の探求は、写真表現の大事なテーマのひとつだ。この展覧会は、そのことへの論議を深めるきっかけにもなるのではないだろうか。

©真継不二夫《肉体丘陵》(1950)

2019/06/09(日)(飯沢耕太郎)

平山達也「諏訪へ帰ろう」

会期:2019/06/03~2019/06/15

表参道画廊[東京都]

平林達也は写真プリント専門のフォトグラファーズ・ラボラトリーを運営しながら、写真家としての活動を続けている。昨年(2018年)も、銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで個展「白い花(Desire is cause of all thing)」を開催するなど、表現の幅が広がり、作品のクオリティも上がってきた。表参道画廊で「東京写真月間2019」の一環として、日本カメラ博物館の白山眞理の企画で開催された本展も、目の付け所がいい面白い展示だった。

平林は4年ほど前に、長野県諏訪出身の曾祖父の存在をはじめて知った。1873年生まれの平林放鶴(本名・鶴吉、のちに潔と改名)は、二松學舎で学び、1900年に東京・神田に家塾、勸學書院を設立した。その後、1904年には故郷に戻って上諏訪角間新田に湖畔學堂を創設し、多くの子弟に「国語漢文算術珠算作文習字」を学ばせた。1920年、当時大流行していたスペイン風邪で死去する。

平林は、この曾祖父の事蹟を丹念に追いかけ、彼が足跡を印した地を写真におさめていった。むろん資料も乏しく、平林放鶴が亡くなってからだいぶ時が経つので、その作業が完成したのかといえば疑問が残る。黒枠のフレームにおさめた写真に、テキストとともに古写真やデータなどの資料を組み合わせていくやり方も、まだまだ検討の余地がある。それでも、個人的なアーカイブを、写真を中心に構築していく試みは多くの可能性をはらんでいると思う。写真の喚起力のみに依拠するのではなく、テキストとの相互作用によって複雑なメッセージを伝達していく作業を粘り強く続けていけば、この作品もより厚みと説得力のあるドキュメントになっていくのではないだろうか。

2019/06/08(土)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「梅ヶ丘墓情」

会期:2019/05/25~2019/06/15

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

1994年のタカ・イシイギャラリーのオープン以来、同ギャラリーで開催されてきた荒木経惟の個展は今回で27回目になるという。彼の誕生日である5月25日からスタートする展示もすっかり恒例になった。

今年の展覧会のタイトルの「梅ヶ丘墓情」は、彼が現在住んでいる小田急線の駅名にちなむ。自らの生と写真とを縒り合わせるように作品を発表してきた荒木にとっては、ごく自然な発想と言えそうだ。だが、「東京」のような広がりのある地名をタイトルにすることが多かったことを考えると、より狭い地域に限定されていることが気になる。というのは、展示作品のうちほんの数点を除いては、ほとんどの写真がマンションの自室と屋上だけで撮影されているからだ。むろん荒木には、以前住んでいた豪徳寺のマンションの屋上を撮影し続けた『愛のバルコニー』(河出書房新社、2012)という名作があり、つい先日もJCIIフォトサロンで同名の展覧会が開催されたばかりだ。ビザールな人形たちをそこここに配置した今回のシリーズも、その延長上の作品と見ることができる。だが、以前の「バルコニー」シリーズに溢れていた、グロデスクで、ユーモラスで、悪戯っぽい「奇想」のオンパレードは、今回のシリーズではほとんど影を潜めている。むしろそこから感じられるのは、しんと静まりかえった、無味、無臭、無音の情景であり、じわじわと滲み出てくる寂寥感だ。

その肌合いの違いが「体力が日増しに衰え、外出を控えることが多くなった」(広報用リーフレット)という、現在の彼の生活の状況に由来しているのは間違いない。以前に比べて、タナトスの影が大きくせり出し、すべての写真を薄膜のように覆っている。それを創作意欲の衰えと見ることも、あながち間違いではないだろう。それでも、写真を一枚一枚見ていくうちに、この悲哀に満ちた眺めもまた、心揺さぶるものであることを受け容れざるを得なくなる。荒木がこれから先、どれだけ個展を開催できるのかはわからない。だが、最後まで見続けていこうと思う。

荒木経惟 「梅ヶ丘墓情」、2019、RP プロクリスタルプリント © Nobuyoshi Araki / Courtesy of Taka Ishii Gallery

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

「明治に生きた“写真大尽” 鹿島清兵衛 物語」

会期:2019/06/01~2019/08/31

写真歴史博物館[東京都]

日本の写真史を彩る人物たちの中で、最も心そそられるのが誰かといえば、もしかすると鹿島清兵衛かもしれない。清兵衛は東京・新川の酒問屋、鹿島屋の養子で、店の財産を写真の趣味に費やし、最後はとうとう離籍されて、若い頃に習い覚えた笛の囃子方にまで落ちぶれて生涯を終えた。ロシア公使と張り合って身請けしたという新橋の名妓、ぽん太とのロマンス、富士山の写真を巨大サイズに引き伸ばして宮内省に献上し、歌舞伎の名優、九代目市川団十郎の等身大の舞台写真を撮影するなど、“写真大尽”の華やかな前半生と零落後の後半生との鮮やかな対比は、小説や芝居の格好の題材となるだろう。実際に森鷗外が『百物語』(『中央公論』反省社、1911)で、また白洲正子が『遊鬼──わが師 わが友』(新潮社、1989)で、清兵衛を小説の中に登場させている。だが、肝心の鹿島清兵衛の写真がどんなものだったのかを確認する機会はそれほど多くない。古写真研究家の井桜直美が企画・監修した今回の展覧会は、その意味で貴重なものといえるだろう。

残念ながら、宮内庁所蔵の「富士山の図」(1894)をはじめとして、オリジナル写真の借用はむずかしく、出品作品のほとんどは複製である。だが、最近のデジタル複写の技術の進化によって、実際の作品にかなり近い印象を与えることができるようになった。そこから見えてくる清兵衛の写真家としての力量が、かなり高いものであったことは間違いない。技術的にしっかりしているだけでなく、被写体をゆったりとした構図におさめた、堂々たる風格を感じさせる作品が多い。残念なことに会場が狭いので、出品点数も限られるし、ほかの同時代の写真家たちと比較するような展示もむずかしい。できればもう少し広い会場で、明治後期の写真をまとめて見る機会があればいいと思う。鹿島清兵衛のような「素人写真家」の登場によって、日本の写真表現がどのように展開していったのかは、とても興味深い問題提起になるはずだ。

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

大橋愛「arche」

会期:2019/05/18~2019/06/29

POETIC SCAPE[東京都]

大橋愛は2013年に写真集『piece』(FOIL)を刊行後、次のテーマを模索するうちに、自身が小、中、高校の頃に通っていた箱根山中のカトリック系女子校、函嶺白百合学園を撮影することを思いついた。それから4年間、何度となく通い詰めて、小学生たちを周囲の環境も含めて撮り続けた写真を集成したのが、今回のPOETIC SCAPEの展覧会である。

戦時下に疎開学園として設立された同学園は、豊かな自然に包まれた環境で、のびのびと授業がおこなわれている。『piece』は身近な人の死を契機として、その鎮魂の意味を込めて編まれた写真集だった。大橋にとって、山中にひっそりと小さな王国をつくりあげている函嶺白百合学園を撮影することは、その痛手を癒す行為であり、そこは「守られること」の大切さを強く感じさせる場所だったのではないだろうか。

写真を撮影するにあたっては、学校側からかなり厳しい条件が出された。顔や個人が特定できるアングルから撮影しないこと、ひとりではなく複数が写っているようにすることなどである。やはり最初はもう少し一人ひとりの表情を見たいと思ったのだが、写真を見続けているうちに、これはこれでよかったのではないかと思えてきた。大橋が伝えたかったのは、40年前とほとんど変わらないという学校の佇まいであり、「守られること」の安らぎと、それがいつ壊れるかわからないというぎりぎりのバランスだったのではないだろうか。特定の個人が見えてくる写真を入れると、その緊密な構成が崩れてしまう。特に、同じカトリック系ミッションスクールでもあるカリタス学園の小学生たちが襲われた川崎の殺傷事件の直後だっただけに、その配慮が身に沁みたということもある。むしろ、DMにも使われた綾取りをする少女たちの手をクローズアップした写真のように、被写体の細部を、そっと距離を置いて読み解いていくことが大事になるのではないだろうか。

2019/06/01(土)(飯沢耕太郎)

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