2019年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

志賀理江子「ヒューマン・スプリング」

会期:2019/03/05~2019/05/06

東京都写真美術館[東京都]

志賀理江子は東日本大震災の1年後の発表された「螺旋海岸」(せんだいメディアテーク、2012)の頃から、「春」をテーマにした作品を構想していたのだという。2008年に宮城県名取市に移住した彼女にとって、長く厳しい冬が終わって突然に訪れる東北の春は、恐るべきエネルギーを発散する特別な季節と感じられたはずだ。それとともに、春になると「全くの別人となる」人物との出会いもあったのだという。そこから育っていった「ヒューマン・スプリング」の構想は、「自分ですらコントロール不可能な内なる自然」の力を、生と死を往還する儀式めいたパフォーマンスを撮影した写真を中心として検証する試みとなった。タイトルは、どこか宮沢賢治の『春と修羅』(1922)を思わせるが、おそらく賢治の仕事も意識しているのではないかと思う。

志賀の展覧会は、いつでもインスタレーションに大変な精力を傾注して構築されている。今回は、等身大を超えるサイズの写真を4面+上面に貼り巡らせた20個の箱を、会場に不規則に配置していた。観客はその間を巡礼のように彷徨うことになる。箱の片側の面には、「人間の春・永遠の現在」と題された、顔を紅く塗った半裸の若い男性のまったく同じ写真がリピートされ、反対側、および側面にはここ1年ほどのあいだに集中して撮影されたという写真群が並ぶ。上面はほとんど見えないが、そこには「人間の春・彼が彼の体にある、ということだけが、かろうじて彼を彼たらしめている」と題した、寄せては返す波の写真が貼られている。展示自体は「螺旋海岸」や「ブラインドデート」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2017)の、あの観客を包み込み、巻き込むような圧倒的なインスタレーションと比較すると、やや素っ気ない印象すら受ける。だが「写真を見せる」という意図はこれまで以上にはっきりしているし、暗闇や音響の力を借りなくとも、観客を作品世界に引き入れることができるという自信がみなぎっているように感じた。

「ヒューマン・スプリング」に関しては、制作のプロセスもこれまでとはやや違ってきている。木村伊兵衛写真賞を受賞した『CANARY』(赤々舎、2007)、では、まず志賀自身のヴィジョンが明確にあり、それに沿ってパフォーマンスが展開される場合が多かったのではないかと思う。ところが、「螺旋海岸」「ブラインドデート」そして「ヒューマン・スプリング」と進むにつれて、被写体となる人物たちとの対話を重視し、撮影現場の偶発性を写真に取り込むようになってきた。特に今回は、若い男女の「チーム」が、志賀とともに制作のプロセスに大きくかかわり、彼らとのコラボレーションという側面がより強まってきている。何が出てくるかわからないような状況に身を委ねることで、作品自体の手触り感がより流動的なものになった。それにしても、一作一作新たな領域を模索し、実際に形にしていく志賀の底力にはあらためて感嘆するしかない。それがまだまだ未完成であり、伸びしろがあるのではないかと思ってしまうのも、考えてみれば凄いことだ。

2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)

写真の起源 英国

会期:2019/03/05~2019/05/06

東京都写真美術館[東京都]

志賀理江子「ヒューマン・スプリング」展と同時期に開催された「写真の起源 英国」展は、カロタイプや、湿板写真などの古典技法によって撮影・プリントされた小さめの古写真が並ぶ、どちらかといえば地味な印象の展覧会である。だが、それぞれの写真に込められた、世界をこのように見たい、このように定着したいという思いの熱量はただごとではない。志賀理江子展の巨大プリントとはまったく対照的だが、これはこれで写真という表現メディアのひとつの可能性を開示しているのではないだろうか。

フランスとともに、写真発祥の地のひとつであり、19世紀のピクトリアリズム(絵画主義)の流れをリードしたイギリスだが、それ以後は写真表現のメイン・ストリームからは外れてしまった。それでも世界最初の写真技法の発明者であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット、サイアノタイプ(青写真)で藻類のフォトグラムを制作し、女性写真家の草分けとなったアンナ・アトキンス、ガラスのネガを使用する湿板写真(湿式コロジオン法)を発明したフレデリック・スコット・アーチャーなど、1830~50年代のイギリス写真の輝きはほかの国を圧倒している。いうまでもなく、それは絶頂期を迎えつつあった大英帝国の威光に支えられたものであり、写真表現と政治・経済の状況との関係も面白いテーマになりそうだ。

展示の最終章にあたる「英国から世界へ」のパートで紹介された、1858年のエルギン伯爵、ジェイムズ・ブルース率いる外交使節団に同行したナソー・ジョンソンが撮影した『外国奉行たち』、エジンバラ出身の御雇外国人、ウィリアム・バートンが開催に協力した「外国写真展覧会」(1893)目録に掲載されたジュリア・マーガレット・キャメロンの《美しき乙女の庭》(1868)など、イギリスと日本との関係もとても興味深い。できれば19世紀だけでなく、それ以後のイギリス写真の展開もぜひフォローしてほしい。

2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)

齋藤陽道「感動、」

会期:2019/01/19~2019/03/30

東京都人権プラザ[東京都]

齋藤陽道は2010年に「キヤノン写真新世紀」で優秀賞(佐内正史選)を受賞し、翌年デビュー写真集の『感動』(赤々舎)を刊行した。今回の東京・浜松町の東京人権プラザでの個展は、その写真集におさめた作品全点を一堂に会するものである。タイトルに「、」がついているのは、そこから継続して歩み続けているという意思表示だろう。

まさに齋藤の写真行為の原点というべき写真群だが、こうしてあらためて見ると、それらがまったく色褪せないどころか、より輝きを増しているようにすら感じられる。聾唖の写真家である齋藤にとって、「障がい者プロレス」の仲間たちや、マイノリティと目される人たちの存在は、文字通り他人事ではなかったはずだ。写真に写り込んでいる彼らの姿は、ポジティブな視点で光とともに捉えられており、そこには「ポルノグラフィ的な消費される『感動』」ではなく、「絶句して、嗚咽して、なおおのれの存在が奮い立つような『感動』」を確かに捕まえたという強い思いが、ストレートに表明されている。齋藤の被写体に対する反応が、先入観にとらわれることなく、生きものが生きものに皮膚感覚で接するようなものであることがよくわかった。

このシリーズの「キヤノン写真新世紀」優秀賞受賞時のタイトルは「同類」だった。写真集出版の時期が東日本大震災の直後だったこともあり、あまりにも「自意識過剰なタイトル」だということで「感動」に変えたのだという。だが、この写真群にはむしろ「同類」というタイトルのほうがふさわしいのかもしれない。ひとりぼっちで世界に投げ出されて、か細く震えていた生きものが、「同類」に出会ったことの歓びが、どの写真にも溢れているからだ。

2019/03/01(金)(飯沢耕太郎)

清水裕貴「地の巣へ」

会期:2019/02/19~2019/03/04

ニコンプラザ新宿[東京都]

清水裕貴は2007年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、コンスタントに写真作品を発表し続けてきた。2011年には「ホワイトサンズ」で第5回写真「1_WALL」のグランプリを受賞、2016年には「熊を殺す」で第18回三木淳賞を受賞した。今回の個展はその三木淳賞の受賞新作展として開催されたものである。

最近は小説も発表している清水の展示は、いつでも言葉と写真とが絡み合い、結びついて展開される。今回の「地の巣へ」でも、最初のパートに「あれ」と称される生きものが登場する、かなり長い詩が掲げられていた。「夜の間に腹から伸びた無数の足が/泥を掻いて川を下りてくる/水路を駆け巡りあなたを探している」と書き出される詩の内容と、写真とのあいだに直接的な関連はない。大小のプリントが壁に直貼りされ、床にも広がってきている写真のほうは、水やシルエットになった人物が繰り返し登場するのだが、これまた詩と同様に謎めいた内容である。ただ、以前の作品と比べると、テキストと映像とのあいだの緊張感を孕んだ関係の構築の仕方に説得力が出てきた。もう一歩先まで進んでいけば、高度な言葉の使い手としての才能と、繊細な感受性を備えた写真家としての能力とが、よりダイナミックに融合してくるのではないだろうか。

今回の展示は、会場のスペースを二人で分割していたために、照明を落とすなどの工夫はあったものの、清水の作品世界を緊密に展開するには問題があった。インスタレーションの能力も高いので、どこか大きな会場での展示を実現したい。なお、本展は3月21日~3月27日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)

幸本紗奈「遠い部屋、見えない都市へ」

会期:2019/02/19~2019/03/09

ふげん社[東京都]

幸本紗奈は1990年、広島生まれ。2018年の写真「1_WALL」でファイナリストに選出されるなど、このところ急速に表現力を伸ばしている。東京・築地のふげん社で開催された「遠い部屋、見えない都市へ」が、最初の本格的な個展になる。

幸本はこれまで、「この場に居ながら異邦人であり続けることを目標のひとつとして」作品を制作してきた。それらは現実世界を一歩引いて眺め渡すような距離感を備えた、「もうひとつの世界」として成立していたが、あまりにも内向的であり、外に踏み出していけないもどかしさを感じさせるものだった。ところが、今回展示されたシリーズでは、「姉の住む遠い国に行き、さまよった体験」を基点にして作品を構築している。そのことによって、写真に浮遊と移動の感覚が備わり、彼女の目と心の動きにシンクロすることができるようになった。もともと、物語性を感じさせる写真の質だったが、その要素がさらに強まってきている。こうなると、写真とテキストを綯い交ぜにした展示や写真集も見たくなってくる。自分で書いてもいいし、誰かいい書き手とコラボレーションしてもいい。ぜひ実現してほしいものだ。

写真をあえて小さめにプリントして、壁にリズミカルに配置したインスタレーションもとてもうまくいっていた。写真相互のバランスをとって、気持ちのいいハーモニーを生み出していくセンスの良さはなかなかのものだ。さらなる飛躍を期待したい。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)

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