2019年05月15日号
次回6月3日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

野村恵子「山霊の庭 Otari-Pristine Peaks」

会期:2019/03/16~2019/04/13

Kanzan Gallery[東京都]

このところ、女性写真家たちの質の高い仕事が目につくが、野村恵子もそのひとりである。1990年代にデビューした彼女と同世代の写真家たちが、それぞれ力をつけ、しっかりとした作品を発表しているのはとても嬉しいことだ。野村は昨年刊行した写真集、『Otari-Pristine Peaks 山霊の庭』(スーパーラボ)で第28回林忠彦賞を受賞した。今回の展示はそれを受けてのことだが、菊田樹子がキュレーションするKanzan Galleryでの連続展「Emotional Photography」の一環でもある。

雪深い長野県小谷村の人々の暮らし、祭礼、狩猟の様子などを「湧き上がる感覚や感情を静かに受け入れながら」撮影した本シリーズは、たしかに「感情」、「情動」をキーワードとする「Emotional Photography」のコンセプトにふさわしい。特に、妊娠し、子どもを産む若い女性の姿が、大きくフィーチャーされることで、ほかの山村の暮らしをテーマとするドキュメンタリーとは一線を画するものとなった。

野村と菊田による会場構成も、とてもよく練り上げられていた。壁には直貼りされた大判プリントとフレーム入りの写真が掲げられ、写真とテキストを上面に置いた白い柱状の什器が床に並ぶ。ほかに、3カ所のスクリーンで映像をプロジェクションしているのだが、その位置、内容、上映のタイミングもきちんと計算されている。写真集とはまた違った角度から、「山に生かされて」暮らしを営む人々の姿が重層的に浮かび上がってきていた。近年、ドキュメンタリー写真における展示の重要度はさらに上がってきているが、それによく応えたインスタレーションだった。

2019/03/27(水)(飯沢耕太郎)

宮本隆司『首くくり栲象』出版記念展覧会

会期:2019/03/18~2019/03/31

BankART SILK[神奈川県]

2018年3月から活動を休止していた横浜市の現代美術スペース、BankART Studio NYKが、同市内の3カ所で活動を再開した。BankART Home、BankART Stationに続いて、坂倉準三設計の歴史的建造物《シルクセンター》の1階にオープンしたのがBankART SILKである。そのオープニング第2弾として、宮本隆司の「首くくり栲象」展が開催された。

宮本は10年ほど前から、庭先に吊り下げた縄に首を入れてぶら下がる「首くくり栲象(たくぞう)」(本名:古澤守)のパフォーマンスを写真と映像で記録してきた。いまにも崩れ落ちそうな木造平屋の「庭劇場」でほぼ毎日、首をくくってきた1947年生まれのパフォーマーは、2018年3月に亡くなり、いまはもうその「死に触れず、死を作品化する」伝説的なパフォーマンスを見ることはできない。その意味では貴重な記録といえるのだが、それ以上に、その普通ではない行為をあえて普通に撮影している宮本の撮影の仕方に共感を覚える。宮本が「庭劇場」を撮影し始めた理由のひとつは「家が近かったこと」だったようだが、自然体の撮り方にもかかわらず、そこには建築写真で鍛え上げた細やかな観察力と、精確な画面構成の能力が充分に発揮されていた。

会場では写真作品のほかに、パフォーマンスの一部始終を記録した映像作品も上映していたのだが、こちらも興味深い内容だった。フレームを固定した画面に、「首くくり栲象」のパフォーマンスが淡々と記録されているだけなのだが、途中でその傍に、巨大な猫が絶妙な間合いで出現して消えていく。むろん仕組んだものではないだろうが、その展開には意表をつかれた。なお、宮本隆司の写真と演劇評論家の長井和博のエッセイ「午後八時発動」を掲載した作品集『首くくり栲象』(BankART1929)も刊行されている。

2019/03/26(火)(飯沢耕太郎)

VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2019/03/14~2019/03/30

上野の森美術館[東京都]

「絵画や写真など平面美術の領域で高い将来性のある40才以下の作家を奨励する」という目的で、全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリストなどが推薦したアーティストの作品を展示する「VOCA展」も、今回で26回目を迎えた。数年ぶりに会場に足を運んだのだが、写真・映像作品が多くなっていることにあらためて驚かされた。33名(組)の出品者のうち、じつに9名が写真を使っている。

とはいえ、「岩肌を撮影した写真を破いて貼り合わせ、ハンドスキャナーでスキャン」する滝沢広、「モノ自体に輪郭線を引いて」撮影する石場文子、高速道路での「小さな生物との衝突跡を望遠レンズと顕微鏡の対物レンズで接写」する岡本高幸、「自らの写真をコラージュ」して「現代のバベルの塔」のイメージを構築するクスミエリカなど、写真の使用法はじつに多様で、作品の見かけにもかなりの幅がある。写真撮影やプリントを制作のプロセスに取り込むことが、もはや現代美術家にとってごく当たり前な、自然体で実行できる行為になっていることがよくわかった。

特に注目したのは喜多村みかの《TOPOS》(大原美術館賞)と新井卓の《第五福竜丸〈乗組員の布団〉のモニュメンツ》である。喜多村は自宅と思しき室内の空間のモニターに映る画像を、時間を変えて定点観測的に撮影した2枚の写真を提示した。少女と群衆が映る画像の意味・内容は特定できないが、私的な空間に社会性を帯びたイメージが暴力的に侵入してくる状況が、的確なフレーミングと明暗処理で定着されていた。新井卓は第五福竜丸展示館の収蔵資料である「乗組員の布団」を280枚に分割撮影したダゲレオタイプ作品、乗組員だった大石又七氏が布団に寝た痕跡を定着したインスタレーション、大石氏へのインタビュー映像を組み合わせて展示している。ダゲレオタイプという古典技法へのこだわりを維持しながら、さらに表現の幅を拡張していこうとする意欲的な姿勢に共感を覚えた。

2019/03/18(月)(飯沢耕太郎)

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山岸剛『Tohoku Lost, Left, Found』

発行所:LIXIL出版

発行日:2019/03/01

「3・11」からちょうど8年が過ぎ、あらためて東日本大震災の意味を問い直す写真の仕事が立て続けに公開されている。建築写真を専門に撮影してきた山岸剛の『Tohoku Lost, Left, Found』もそんな一冊である。山岸は震災前の2010年から東北地方の沿岸部を撮影していたのだが、2011年5月に岩手県宮古市、山田町、大槌町、宮城県気仙沼市などを訪れ、それから3カ月に一度ほどのペースで被災地に通い詰めるようになった。本書には2017年9月までに撮影された199枚が、フルカラーで462ページにおさめられている。長期にわたって集中力を保って撮影し続けた労作といえるだろう。

ページを繰ると、山岸の関心が主に建造物に向けられていることがわかる。津波の恐るべきエネルギーが、どのように建物を破壊したのかが、克明に撮影されている。当然ながら、その破壊の状況は驚くほど多様であり、同時に津波から街が復興していく過程で建造されていった仮設住宅や防波堤などもさまざまな形態をとる。この写真集の最大の見所が、プロフェッショナルな建築写真家の視点で捉えられた東北地方の被災と復興のプロセスの、多層的かつ厚みのある記録にあることは間違いない。

ただ、写真に添えられたキャプションが、撮影の日付と撮影場所の地名だけというのはやや物足りない。できれば建築の専門家によるより詳細なレポートと、山岸自身のコメントがほしかった。多彩な写真群を、視覚的なリズムに配慮して構成した岡崎真理子によるデザイン・レイアウトが、よく練り上げられていることも付記しておきたい。

2019/03/18(月)(飯沢耕太郎)

奥山由之「白い光」

会期:2019/03/07~2019/04/15

キヤノンギャラリーS[東京都]

会場の入り口で小型のフラッシュライトを渡される。中に入ると真っ暗で、そのライトで照らし出しながら写真を見るというのが、今回の奥山由之の展示のコンセプトだ。入場制限があり、一度に3人しか会場に入れない。あまり人が多すぎると、ライトが交錯して写真を見る行為に集中できないからだという。

このような趣向を凝らした展示のやり方は、けっして嫌いではない。奥山が会場に掲げたコメントで述べているように、現代社会では「空間のみならず自己を取りまく全ての情報や環境を照らし出す」ような状況が蔓延しており、「視えることで見えなくなったもの」がたくさんあるからだ。今回のインスタレーションは、むしろ見えにくくすることで、作品をより注視することができるようになるのではないかという奥山の真摯な問いかけでもある。

ただ、本展に出品された「白い光」という作品についていえば、そういうトリッキーな見せ方がよかったかどうかはやや疑問がある。じつは、僕はこの作品を昨年12月の全国カレンダー展の審査の時に見ている。審査員たちから高い評価を受けたその「気仙沼漁師カレンダー2019」は、奥山が何度も漁船に乗り組んで撮影したもので、漁業に従事する男たちのエネルギッシュな作業の様子と、潮風の匂いを感じさせるような海上の雰囲気をストレートに捉えた写真で構成されていた。

今回のインスタレーションの意図として、「漆黒の闇を進む。聞こえるのは、波の呼吸とエンジン音」という撮影時の状況を、観客に追体験させるということがあったのではないかと思う。それには確かに成功しているのだが、「気仙沼漁師カレンダー」の時のようなオーソドックスな見せ方のほうが、伝わるものが多かったのではないだろうか。ライトで照らし出す展示は、やはりそのことに気をとられ過ぎてしまって、写真をしっかりと受けとめることができにくくなるからだ。この展示の仕方は、むしろ別の機会にとっておいてもよかったかもしれない。

2019/03/12(火)(飯沢耕太郎)

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