2020年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

高橋宗正「糸をつむぐ」

会期:2020/02/12~2020/03/23

PGI[東京都]

写真家にとって、撮影の機材を変えるということがとてもいい方向に働くことがある。高橋宗正の場合がまさにそうだった。高橋は、3年ほど前から8×10インチ判の大判カメラを使い始めた。友人から「水に浮くもの」を撮ったらいいのではないかと言われて、その言葉がずっと引っかかり、大判カメラを使えばいいのではないかと思いついたのだ。そんな矢先、たまたま8×10インチ判カメラを売りたいと思っていた人に出会い、話がつながった。何かが動くときは、偶然のように見えて、それを超えた力が働くのだろう。

今回の「糸をつむぐ」展には30点のモノクローム作品が出品されている。テーマはさまざまで、風景、オブジェ、「結婚、出産、子育て」など、かなり多様な写真が含まれている。「水」のイメージも多い。その「水」も流れる水、止まる水、震える水、染み出す水などいろいろだ。「何か」を撮ろうとしているのではなく、その「何か」に向かう心の動き、繊細なセンサーの反応に、むしろ素直に呼応してシャッターを切っているように見える。元々、高橋は撮り手としての能力が抜群に高い写真家だったが、そのセンスに頼り切らずに、慣れない機材のメカニズムをあいだに挟むことで、逆に写真の説得力が増した。それでいて持ち前の軽やかさは失われていない。彼にとっても、手応えのあるシリーズに仕上がったのではないだろうか。

「水に浮くもの」の探求は、もう少し続けてほしい。つむいだ糸が、何か大事な絵模様を織り上げていきそうな予感がする。

関連レビュー

高橋宗正「石をつむ」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年04月15日号)

高橋宗正『津波、写真、それから──LOST&FOUND PROJECT』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2014年05月15日号)

2020/03/11(水)(飯沢耕太郎)

平本成海展 narconearco

会期:2020/02/18~2020/03/14

ガーディアン・ガーデン[東京都]

平本成海は昨年の第20回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞者。受賞記念の個展として開催された本展には、平本の自宅に毎日届く新聞(地方紙)に掲載された写真をピックアップして加工、コラージュした作品が並んでいた。コラージュ作品は、その日のうちにSNSにアップされる。今回展示された「narconearco」に付された記事は、たとえば次のようなものだ。「このうち境内入り口に設置された一台に、17日23時50分ごろ、目出し帽を被った不審な人物が本殿に入っていく姿が映っていた。燃やされた発光如来が納められていた厨子には、ナルコネアルコのようなものでこじ開けた痕跡があったことが分かっている」。

つまり、地方新聞の写真と記事を基にしたフェイク・ニュースを作って、個人的な回路で流通させるというアイディアである。記事も写真も洗練された手つきで作られていて、視覚的なエンターテインメントとしても十分に楽しめる。ただ、「ナルコネアルコ」とは何かということを突き詰めようとすると、出口のない迷路に入り込んでしまう。

「1_WALL」展の審査員のひとりの増田玲は展覧会に寄せたコメントで「どうやら受信者として指定されているらしい私たちに期待されているのは、個々のイメージの謎を解くことではなく、それらを謎として受けとる私たちの思考そのものを観察することなのではないか」と書いている。それは確かにその通りなのだが、もし「ナルコネアルコ」をめぐる不条理な事件が、互いに結びついて、より大きな「謎」として提示されていけば、平本の作品世界はもう一回り広がりと深度を増すのではないかと思う。もうひとつ、会場にはコラージュ作品が並んでいるだけで、テキスト(記事)は省かれていた(リーフレットに一部掲載)。やはり画像とテキストが一体化したインスタレーションのほうがよかったのではないだろうか。

2020/03/09(月)(飯沢耕太郎)

兼子裕代『APPEARANCE』

発行所:青幻舎

発行日:2020年1月25日

1963年、青森県生まれで、アメリカ・カリフォルニア州オークランドで作家活動を続ける兼子裕代は、2009年に原因不明の脳症で体調を崩した。病気から回復後、「子どものエネルギーに憧れを抱いたのと同時に、その危なっかしさや脆弱さに共感を覚え」て、友人の音楽家が教えていた子どもたちが歌う姿を撮影し始めた。その後、子どもだけではなく大人が歌っている様子にも惹きつけられるようになって被写体の幅が広がり、2017年8月には、個展「APPEARANCE──歌う人」(銀座ニコンサロン)を開催した。今回、青幻舎から刊行された写真集は、同シリーズから62点を選んでまとめたものである。

「歌う人」はその行為に没入することによって、その人の無防備な魂のようなものを露わにする。兼子は、彼らを注意深く観察することによって、「被写体の顔に不意に現れる、感情の発露の瞬間」を捉えようとした。そのことによって、「歌う人」たちのキャラクターがくっきりと浮き彫りになっているように感じた。被写体の多くは、兼子が暮らすオークランドやサンフランシスコで撮影されており、巻末の「図版リスト」の解説をあわせて読むことで、彼女の交友関係の広がりを確かめることができる。つまり、この作品は兼子自身の生の見取り図にもなっているということだ。

最初のうちは、6×6判の真四角のフォーマットで撮影していたが、次第に横長の画面の写真が増えてくることも興味深い。「被写体の周辺をより取り入れるようになった」ということだが、そこにも兼子の意識が、「歌う人」本人だけでなく、彼らを取り巻く社会環境にまで拡大していったことが見えてくる。

関連レビュー

兼子裕代「APPEARANCE──歌う人」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年09月15日号)

2020/03/08(日)(飯沢耕太郎)

普後圴写真集「WATCHERS」刊行記念展

会期:2020/03/05~2020/03/29

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

普後圴は、見慣れたフライパンを宇宙的な広がりを持つ画像に見立てた『FLYING FRYING PAN』(写像工房、1997)以来、モノや人の日常性をはぎ取り、抽象性を帯びた関係項に還元する作品を制作・発表してきた。だが、今回ふげん社で展示された「WATCHERS」は、普後の仕事のなかではやや異質な作品に思える。何かを「見る人」の後ろ姿を撮影した本シリーズでは、彼らの頭部や衣服は、カラー写真で克明に描写されており、モノクローム作品のような抽象性、象徴性はあまり感じられない。それらはむしろリアルなドキュメントに見えるほどだ。だが、作品全体を見直すと、そこにやはり普後らしいコンセプチュアルな指向性を感じる。

このシリーズは1999年にPGIで、「見る人」というタイトルで発表されたことがある。その時には、今回「WATERFALL」としてくくられた、ナイアガラの滝と華厳の滝を「見る人」を撮影した写真による展示だった。エンパイア・ステート・ビルと東京タワーの展望台から「見る人」の写真を撮影し始めたのは、2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロがきっかけだったという。この「CITY」のパートが加わることで、アメリカと日本という対立項だけでなく、自然と都市という異なる環境に向き合う人たちの後ろ姿というファクターが、明確に提示されるようになった。

それにしても、人の背中の表情がいかに雄弁なのかが、この作品を見ているとよくわかる。見えない正面に対する想像力が喚起されるためでもあるのだろう。被写体になった一人ひとりの生のあり方が、画面の細部から鮮やかに浮かび上がってくる。それとともに、彼らを見ているもうひとりの「見る人」である写真家、さらにその写真を見る観客という具合に連想が広がっていく。見飽きることのない、奥行きのあるシリーズといえる。なお、本展にあわせてふげん社から同名の写真集が刊行された。「WATERFALL」と「CITY」の二つのパートを手際よく対比させた、すっきりとした造本の写真集である。

2020/03/07(土)(飯沢耕太郎)

田附勝『KAKERA』

発行所:T&M Projects

発行日:2020年2月

写真に限らず、どんなアート作品でも「思いつきを形にする」ところからスタートする。だが、それが単なる生煮えの「思いつき」だけに終わってしまうのか、それとも熟成して高度な作品にまで辿り着くかに、アーティストの力量があらわれてくるといえそうだ。

田附勝の『KAKERA』もその始まりは偶然の産物だった。2012年の夏、田附は新潟で縄文土器が発掘されたという知らせを聞き、現場に向かった。その破片を目にした時、そこに積み重なった「時間」の厚みを感じて、「重くて熱い血液が上昇してくる」ように感じる。田附は縄文土器を撮影するために新潟に通うようになり、ある博物館の資料室で新聞紙に包まれた縄文土器の破片を見せてもらった。土器片を整理するときに、保管状態をよくするために、その場にあった新聞紙を使うのだという。たまたま、その新聞の日付が「2011年3月13日」、東日本大震災から2日後のものだったことで、何かがスパークした。田附は震災前から東北地方に足を運び、写真集『東北』(リトルモア、2011)を刊行していた。その記憶が鮮やかに甦り、「いくつにも積み重なった地層。表層と深層を繋ぐ時間」がそこに顔を覗かせたのだ。

本作『KAKERA』は、田附がその後さまざまな博物館、資料室などを訪ね歩き、縄文土器の破片とそれらを包んでいた新聞紙を撮影した写真群によって構成されている。「時間」そのものの結晶というべき土器のたたずまいにも引きつけられるが、それ以上にそのバックの新聞記事が気になってしまう。1918年の「米の対露声明」から2015年の「戦後70年反省とおわび」まで、その間に太平洋戦争、戦後の復興、高度経済成長の時期、東日本大震災など、日本と世界の歴史が含み込まれている。縄文土器が土中で経てきた「時間」と比較すれば、わずかな光芒かもしれないが、それでもひとりの日本人の生涯を超えるほどの「時間」が過ぎ去っているのだ。

『KAKERA』は、2種類の時間を一気に結びつけるという卓抜なアイディアを、的確な構図とライティングによって完璧に実現した写真シリーズである。町口覚の造本設計、浅田農のデザインも、写真の内容にうまくフィットしている。なお、写真集の刊行にあわせて、あざみ野フォト・アニュアルの一環として田附の個展「KAKERA きこえてこなかった、私たちの声」(1月25日〜2月23日)が開催された。

関連レビュー

田附勝『魚人』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年03月15日号)

田附勝『東北』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2011年09月15日号)

2020/03/07(土)(飯沢耕太郎)

文字の大きさ