2020年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

佐藤華連「I 波と影」

会期:2020/07/02~2020/07/19

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

1983年、神奈川県生まれの佐藤華連は、2010年に「だっぴがら」で同年度のキヤノン「写真新世紀」グランプリを受賞した。その後の活躍が期待されたのだが、次の展開がうまく見つけられず、悩んでいた時期が長かったようだ。2016年のKanzan Galleryでの個展「I」(ワン)の頃から、ようやく手応えを感じるようになり、今回のふげん社での個展に結びついた。

佐藤も「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」展(埼玉県立近代美術館)の出品作家たちと同様に、現実世界をそのまま写しとるのではなく、写真をコピーして複写するという行程を重ねることによって、画像を改変していく。だが、Nerholや牧野貴や横田大輔の作品が、次第に「像」としての強度を失って拡散していくのに対して、佐藤の場合はむしろ写真に写っている個々の事物の存在感が増してくる。それは佐藤が、画像をあくまでも「自己のフィルターを通して変容」させようとしているからだろう。あらわれてくるのは、モノ、風景、絵画の一部など、断片的な表象なのだが、それらは彼女の「認識や記憶」にしっかりと錘を降ろしているように見えるのだ。

ただ、それぞれの「像」があまりにもバラバラで、相互のつながりがうまく見えてこない。そのあたりをもう少し思い切りよく整理して、「像」の組織化を進めていけば、より緊密に組み上げられたシリーズに成長していくのではないだろうか。「自己のフィルター」の精度を上げ、被写体の幅を狭めてみることも考えられそうだ。

2020/07/03(金)(飯沢耕太郎)

New Photographic Objects 写真と映像の物質性

会期:2020/06/02~2020/09/06

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

コロナ禍で開催が延期されていた埼玉県立近代美術館の「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」展を見て、『プロヴォーク』の写真を思い出した。『プロヴォーク』は中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦(2号から森山大道が加わる)によって1968年に創刊された写真同人誌である。彼らの写真のスタイルは「アレ・ブレ・ボケ」と称された。被写体を忠実に描写するのではなく、画像を荒らしたり、ブラしたり、ピントをぼかしたりして改変していく。それは、1960年代末の「政治の季節」を背景にして、彼らを取り巻く現実世界が確固たる手応えを感じられるものとは思えなくなっていたためだろう。「アレ・ブレ・ボケ」の写真こそが、彼らにとってはむしろリアルに思えたということだ。

本展の出品者である迫鉄平、滝沢広、Nerhol(田中義久/飯田竜太)、牧野貴、横田大輔にとっても、事態は同じであると思える。2020年代における彼らと現実との関係も、大きく揺らぎ、流動化しつつあるからだ。彼らもまた、とめどなく解体し、錯綜し、記号化していく現実世界を、写真というメディアによって何とかつなぎ止めようとしている。ただし、1960年代と違って、彼らの手元には従来の手法だけでなく、さまざまなデジタル・ツールがある。それらを使いこなすことで、写真による表現の可能性は大きく拡張していった。そのことが、今回の展示にもよくあらわれていた。

とはいえ、それらが展覧会のチラシに記されているような「ラディカルな再考と更新をめざす『新しい写真的なオブジェクト』」になりえているのかといえば、やや疑問が残る。写真を切り貼りしたり、ドローイングを加えたりしてシルクスクリーンで製版する(迫)、鏡に映った像を撮影した写真と、鏡の表面をハンドスキャナーでスキャンした画像を並置する(滝沢)、数百枚のインクジェットプリントを重ね貼りし、その表面をグラインダーで削りとっていく(Nerhol)、200回以上重ねた映像を、大きなスクリーンで上映する(牧野)、ラブホテルの部屋を撮影した写真の前に、抽象的な色彩の画像をプリントした大判シートを吊るす(横田)といった操作を経て出現してきた作品は、どれもクオリティが高いが、どこか似通って見えてくる。写真の描写性に疑いを差し挟み、それを注意深く避けることで、結果的に均質な見かけになってしまったということだ。

『プロヴォーク』の「アレ・ブレ・ボケ」は、激動の「政治の季節」の終焉とともに有効性を失い、ある種の「意匠」となってしまった。中平卓馬はそのことを自己批判し、「事物が事物であることを明確化することだけで成立する……植物図鑑」(『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』晶文社、1973)を提起するに至る。本展の出品者たちも、もしかすると同じ道を辿るのかもしれない。

2020/07/02(木)(飯沢耕太郎)

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操上和美『April』

発行所:スイッチ・パブリッシング

発行日:2020年4月10日

ロバート・フランクは2019年9月9日に94歳で亡くなった。1959年に刊行された『アメリカ人』(The Americans)をはじめとする彼の写真の仕事は、プライヴェートな眼差しを強調する現代写真の起点となるものであり、多くの写真家たちに強い影響を及ぼした。操上和美もそのひとりで、1960年代初めに東京綜合写真専門学校在学中に彼の『アメリカ人』を見て衝撃を受ける。以来、「どれだけじっくり見ても、奥が深くて飽きない」写真集として大事にしてきたという。その操上は、1992年6月に雑誌の仕事で、はじめてニューヨークでフランクを撮影した。そのときに、カナダのノヴァ・スコシアの仕事場にも足を運んだ。さらに1994年4月には、操上の故郷である北海道・富良野への旅にフランクが同行し、数日間をともに過ごした。その3回の撮影の時の写真を、再編集してまとめたのが本書『April』である。

操上はニューヨークやノヴァ・スコシアで、フランクのことを日本語で「お父さん」と呼ぶようになったという。ちょうど操上の父親と同世代であり、写真の先達でもあった彼のことを、親しみとリスペクトをこめてそう呼んだということだろう。普段は隅々まできっちりと組み上げられ、張りつめた緊張感さえ感じさせる写真を撮る操上には珍しく、どこか柔らかなトーンの、リラックスしたスナップ写真が多いのも、そんな二人の関係が作用しているのではないかと思う。知らず知らずのうちに、あの『アメリカ人』の、クライマックスをちょっとずらす写真の撮り方を取り入れているようでもある。とはいえ、写真集の帯に使われている、物陰から鋭い眼差しでこちらを見つめるフランクの顔のクローズアップのような、いかにも操上らしいフォルマリスティックな写真も含まれている。写真家が写真家を撮るという行為の面白さを、あらためて感じさせてくれた写真集だった。

なお、東京・六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで、出版に合わせた同名の展覧会が開催される予定だったが、コロナ禍で大幅に延期され、会期は2020年6月20日〜7月25日になった。

2020/06/22(月)(飯沢耕太郎)

New Zen Foto Book Series Launch Exhibition THREE CITIES Shanghai / Hong Kong / Tokyo

会期:2020/06/05~2020/06/27

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

東京・六本木のZen Foto Galleryでは、これまで展覧会を開催するごとに写真集も刊行してきた。内容・デザインともにクオリティの高いものが多いのだが、少部数のためどうしても価格は高くなってしまう。今回新たにスタートした写真集シリーズは、そのあたりに配慮したもので、20センチのスクエアサイズに大きさを統一し、4,500円(税込)という比較的安い値段におさえた。むろん、印刷や造本には以前と同じように気を配っており、より広がりのあるラインナップが期待できそうだ。

その「New Zen Foto Book Series」の第一弾として、須田一政の『現代東京図絵』、中田博之の『上海 四肢五体』、周生(Chow San)の『No Teacher But I Can Take Photos』の3冊が刊行され、東京、上海、香港の三都市をテーマとするお披露目の展覧会が開催された。須田の『東京現代図絵』は『アサヒカメラ』(1982年1月号〜83年3月号)に連載されたシリーズで、例によって東京のエアポケットのような光景を採集している。1999年から中国・上海に住む中田の『上海 四肢五体』は、2008年から撮り続けている勢いのあるストリート・スナップ写真である。1982年生まれの周生は、2010年頃から独学で写真を撮影し始め、肩の力が抜けた飄々とした撮影のスタイルを作りあげた。

三人の三都市の写真はまったくバラバラだが、こうして会場に展示され、写真集の形でまとめられると、それほど違和感なく目に飛び込んでくる。東アジアという風土的な共通性だけでなく、多層的、多面的な状況に分け入り、興味深いイメージをつかみ取ってくる「都市写真」の文法が、現代写真家たちに共有されていることのあらわれともいえるだろう。

2020/06/19(金)(飯沢耕太郎)

蜷川実花「東京 TOKYO / MIKA NINAGAWA」

会期:2020/06/12~2020/06/29

PARCO MUSEUM TOKYO[東京都]

リニューアルしたばかりで、コロナ禍によって休業していた渋谷PARCOも、非常事態宣言の解除を受けて再開した。その4FのPARCO MUSEUM TOKYOが、蜷川実花の「東京」展で再スタートしたのはとても肯ける選択だ。いま一番勢いのある写真家の作品で、沈滞している空気感を払拭したいという願いを込めてのことだろう。

その狙いは、うまくはまったと思う。蜷川も期待に応えて、撮り下ろしを含む力作を発表した。会場に掲げたテキストに、「いつか、東京にきっちり向き合って写真を撮らなくてはいけないとずっと思っていた」と書いているが、生まれ育った場所であるにもかかわらず、たしかにこれまで、正面からきちんと東京に対峙したシリーズはなかった。今回はほとんどの写真を「写ルンです」で撮影しているが、その彼女の眼差しや身体と一体化したカメラを使うことで、虚構と現実の境界線が曖昧な「半径2.3メートルの世界」がヴィヴィッドに浮かび上がってきている。

ただ、もう少し何とかできたのではないかという思いもないわけではない。このような、身近な人物や環境を無作為に取り込んでいくスタイルは、1990年代から蜷川の自家薬籠中のもので、それ自体に新鮮味はないからだ。東京オリンピックの延期、人影が消えたコロナの自粛期間、そしてふたたび日常化しつつある街と、めまぐるしく動いていく「東京」の意識と無意識の狭間をあぶり出すためには、撮影においても、展示においても、何かプラスアルファが必要になるのではないだろうか。なお、展覧会に合わせて、町口覚の編集・造本設計による同名の写真集も刊行された。写真に日付が添えてあることで、2018〜20年という、まさに「この時期」のリアリティが増している。

関連レビュー

蜷川実花「うつくしい日々」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年06月15日号)

蜷川実花「ファッション・エクスクルーシヴ」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年06月15日号)

蜷川実花:Self-image|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2015年02月15日号)

2020/06/17(水)(飯沢耕太郎)

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