2021年12月01日号
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artscapeレビュー

懐かし うつくし 貝細工

2012年11月01日号

会期:2012/10/07~2012/11/25

大田区立郷土博物館[東京都]

JR京浜東北線大森駅(東京都大田区)のプラットホームには、「日本考古学発祥の地」と記された碑が建っている。これは明治10(1877)年、アメリカ人エドワード・モース博士が当地を汽車で通った際に車窓から貝塚を発見し、それを契機として日本の考古学が発展したことを記念するものである。貝塚は縄文人が食用のために採取した貝殻の廃棄場所であるが、貝は食用ばかりではなく、その殻は器や道具として用いられ、また縄文時代にはすでに貝輪と呼ばれるブレスレット型の装身具が交易品として流通していた。貝殻を用いた装飾品は、日本だけではなく、世界中でつくられてきた。
 おもに明治期以降を対象に、貝殻を素材として用いたさまざまな日本の工芸品を紹介する本展の展示は、調度類とお土産品とに大別できよう。漆地に文様を切り出した貝殻を沈める螺鈿細工の洋櫃や茶箪笥。螺鈿細工に似ているが、貝の裏に色を着けた青貝細工の盆、重箱、箪笥やライティング・ビューロー。貝殻で絵画的なレリーフ装飾を施した芝山細工の額や衝立など。明治期から昭和初期にかけてつくられた展示品の多くは輸出品として海外へと渡ったもので、その大ぶりな装飾は、美術館や博物館で日本人向けの繊細な工芸品を見慣れた眼には奇異に映るかもしれない。
観光土産としての貝細工が大量につくられたのは昭和30年代。高度成長期を迎えて人々が国内各地の観光地を訪れるようになった時代のお土産品である。貝殻を組み合わせて人形や動物、船などをつくりあげたものもあれば、他の産地でつくられた木地と組み合わせた人形もあった。貝殻を花びらに見立てた造花や、羽根に見立てた鷹や孔雀もメジャーなモチーフだったようだ。貝殻を用いた細工物の歴史は古く、江戸時代には貝細工による菊人形のような見世物もあったという。
 500点超出品されている展示品のほとんどは、輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏の蒐集品である。金子氏よれば、これまでに蒐集したさまざまな工芸品は大小合わせて100万点を超えるとか。その規模にも圧倒されるが、蒐集の特徴はものを取りまく歴史にまで関心が及んでいる点にある。いや、むしろそのような関心が金子氏の蒐集の根底にあるのだろう。工芸品ひとつにも、原材料の入手、職人の出自、製造工程、流通にまで調査が広がる。例えば江の島の観光貝細工の製造では、原材料となる貝殻は大阪の業者からトン単位で買い付けられ、製造の一部は千葉の下請けにだされていた。製品はアメリカに輸出されるほか、国内の米軍施設にも出荷されたという。ナイフやフォークのハンドル、ボタンなどに用いられる白蝶貝・黒蝶貝の採取はオーストラリアの小島で行なわれ、明治初めにはすでに多数の日本人ダイバーが貝の採取に従事していた。かつて人々の家の棚を飾っていたお土産品にも、小さなボタンにも、背後にはグローバルな歴史が存在するという金子氏の話には、工芸の歴史ではほとんど語られることがない、市井の職人たちの生き生きとした姿を見ることができる。ただ見るだけでも十分に楽しいオブジェの数々であるが、ぜひ図録(フルカラー、128頁が700円!)の解説とともに観賞して欲しい。[新川徳彦]

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2012/10/13(土)(SYNK)

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