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artscapeレビュー

山中俊治『カーボン・アスリート──美しい義足に描く夢』

2012年09月01日号

発行日:2012年7月21日
発行:白水社
価格:1,680円(税込)
サイズ:四六判、243頁

本書はプロダクト・デザイナーで慶應義塾大学教授の山中俊治氏が、競技用義足のデザイン開発プロジェクトに臨んだ3年間の記録である。ロンドン・オリンピックでの活躍で話題を呼んだオスカー・ピストリウスの義足のように、カーボンファイバーの板バネを使用したスポーツ用義足は機能的にすでに高い水準が達成されている。日本でも同様の義足を使用するアスリートたちがいる。しかし、それらの義足の多くはデザインが不在であったと山中氏はいう。では、そこにデザインを持ち込むことの意義はなんだろうか。なぜ一般用の義足ではなく、スポーツ用義足なのだろうか。
 戦争、事故、病気、先天性……なんらかの理由で身体の一部が失われてしまった人々を補助する道具のひとつとして、義手や義足には欠損した部位がはたしていた機能の代替が求められると同時に、動きや見た目などの外観的な要素を補うことも求められる。なかでも見かけの再現を主眼にした義手・義足を装飾用(コスメチック)義肢と呼ぶという。残念なことに現在の技術では使用者が求める機能と外観とは十分に両立できない。機能に不自由があったとしても「健常者」のような見た目を求めるか、それとも見た目に「違和感」があったとしてもより機能的な補助具を求めるかという選択が必要になる。その点、スポーツ用義足に第一に求められるのは、速く走るための機能である。カーボンファイバーでつくられた義足の形状は人の足とはまったく異なる。使用者もそれを当然のこととして受けとめている。それゆえデザインに求められる課題は装飾用義肢とは異なる。「すぐれたデザインは、どんな場面でも、人の気持ちを少し明るくするものだ」と山中氏はデザインの意義を述べる。「素敵なデザインの義足は、きっと切断者たちを少し前向きにすることができる」(45頁)。
 デザインすることの意義はそればかりではない。アスリートたちの多くが日常用の義足とスポーツ用義足を履き分けているが、義足アスリートたちは日常的にも義足であることを隠さなくなる傾向にあるという(34頁)。機能的にも視覚的にも優れたデザインの義足を身につけたアスリートたちが、その実績によって自信を持ち、人々の好奇の目を気にしないで生活できるようになれば、義足であることを隠さずに済むばかりか、履き分ける必要がなくなるかもしれない。そのことは使用者の精神的ストレスや、もうひとつの義足を持つための費用負担をも軽減する可能性がある。さらに、アスリートたちの活躍がテレビや新聞でニュースが取り上げられることは製品にとっても、その使用者にとっても計り知れない効果を持つ。スポーツ用品メーカーがこぞって第一級の選手たちのためにコストを度外視し、逆にスポンサー料を払ってでも製品を開発するのは、莫大な宣伝効果が期待できるからである。一流選手が手にすることで、そのスポーツと関わりのない者までもが、必要もないのにバスケットシューズやランニングシューズを履くことになる。同様に、優れたデザインの義足を履いたアスリートたちが話題になり、その姿を目にする機会が増えれば、障碍やその補助具に対する人々の意識が変わる可能性がある。そしてその効果は選手にとどまらない。これこそが、なぜスポーツ用義足のデザインなのか、という疑問に対する答えであろう。このプロジェクトの最初の段階で、山中氏はすでにこのような価値観の変化の可能性と新しいノーマライゼーションの萌芽について記している(104頁)。山中氏が基本デザインを手がけたICカード改札機は、それまではなじみの薄かった非接触型ICカードという技術を人々の生活にとってあたりまえの存在に変えた。スポーツ用義足のデザインもきっと次の「あたりまえ」を生み出すに違いない。
 これから始まるパラリンピックとともに、本書はさらに話題となるだろう。しかし本書の主題は障碍とスポーツとデザインとの関わりににとどまらない。3年間余という長期にわたって技術者と使用者とデザイナーの協業によって展開され、いまだ発展の途上にあるプロジェクトを記録しているという点で本書は類を見ない。さらに本書はデザインの新たなフィールドが生まれる瞬間を目撃するドキュメンタリーであり、学生がデザインを学び巣立つまでの物語であり、ひとりの優れたデザイナーが優れた指導者になるまでを描いた自伝でもあるのだ。[新川徳彦]

2012/08/10(金)(SYNK)

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