artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s

会期:2012/05/14~2012/08/18

武蔵野美術大学 美術館[東京都]

武蔵野美術大学美術館・図書館のリニューアル開館を記念して開催された昨年夏の「ムサビのデザイン」★1は、同大学のコレクションにより約100年間のデザイン史の歩みをたどる大規模な展示であった。今回はその第2弾として、戦後日本のグラフィック・デザインが隆盛した1950年代から70年代に焦点を当てる。おもな展示品は「日本宣伝美術会」(日宣美)関連資料・作品と、1965年に開催された「ペルソナ」展の作品で、いずれもムサビが所蔵する資料。日宣美関連資料は解散後にムサビに寄贈された資料の初公開、またペルソナ展作品は1972年に開催された展覧会以来40年ぶりの公開である。また、このほかに、同時代のエディトリアルデザインと椅子のコレクションも展示されている。
 1951年に第1回展が開催された日宣美展は1970年に解散するまで、20年にわたり新人の登竜門としてグラフィック・デザイン界に人材を輩出し続けた。その歴史のなかでは、停滞やマンネリ化、技術偏重が指摘されもしたが、展覧会や受賞作はデザイン誌ばかりではなく新聞でも取り上げられ、社会的な注目を集めた。1965年、戦後第2世代のグラフィック・デザイナー、粟津潔、福田繁雄、宇野亜喜良、永井一正、和田誠ら11人が集まって開催したグループ展「ペルソナ」は、これまで匿名性が強かったデザインの世界で、デザイナーがペルソナ=人格を持った存在であることを人々に認識させる画期的な試みであった。このほかに、1950年代から70年代にかけては、「グラフィック'55」(1955)、「世界デザイン会議」(1960)、「東京オリンピック」(1964)、「万国博覧会」(1970)と、デザイン史に残るさまざまな出来事があった。
 6月23日(土)には関連シンポジウムが開催され、田名網敬一氏が日宣美について、勝井三雄氏がペルソナ展についての思い出、当時の熱気について語った。解決すべき問題が多様化している一方で、闘うべき相手の姿がよく見えない現在、デザインの持つ力、批評性を再確認するうえでもぜひ足を運びたい展覧会である。[新川徳彦]
★1──ムサビのデザイン──コレクションと教育でたどるデザイン史(2011/06/24~2011/07/30)

2012/06/23(土)(SYNK)

テマヒマ展〈東北の食と住〉

会期:2012/04/27~2012/08/26

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

東北地方には現在でも手間と暇をかけたものづくり、手仕事の伝統が残っている。本展はそのなかでも特に食と住に焦点を当てて、東北のものづくりの本質を探ろうという企画である。展示前半では、きりたんぽや油麩、笹巻などの伝統的な食品づくりと、会津木綿やマタタビ細工、りんご剪定鋏、りんご箱などのものづくりが映像で紹介される。展示後半では、写真と実物で東北の食と住にかかわる「もの」と、ものづくりのための「道具」とが展示されている。
 都会よりもずっとゆっくりとした時間が流れているとはいえ、あらゆる場所に確実に変化は訪れる。伝統的なものづくりもそのままではない。映像作品に取り上げられたものづくりの現場でも、古くからの道具ばかりではなく、プラスチック製品も用いられている。手作業ばかりではなく、食品には電動の練り機が、繊維業には自動織機が導入されている。そもそも東北地方でリンゴが栽培されるようになったのは明治以降で、りんご剪定鋏、りんご箱づくりもリンゴ栽培に附随して現われた「新しい」産業なのである。そうはいっても、これらのものづくりは都会の消費文化を支えている産業とは明らかに異なっている。それでは、このようなものづくりの本質、失われつつある伝統はどのようなものなのか。企画者のひとり佐藤卓は、伝統的なものづくりのキーワードとして身体を挙げている。道具と素材に手で触れる。人間の身体と道具とが一体となって素材にぶつかり、ものを形づくってゆく。「『便利』とは、身体を使わないということ」なのだ。もうひとりの企画者、深澤直人が指摘するのは生活に刻まれたリズムである。「手間ひまをかけるものづくりは常に『準備』である。その営みに終わりはないし完成もない」。採る、つくる、使う、食べる。そうした人間の行為が途切れることなく循環している。東北の自然と人間の身体とがつくりだすリズムが、そこに住む人々の生活とものづくりの姿を規定している。りんご剪定鋏、りんご箱づくりでいえば、それはリンゴ栽培とともに100年余をかけて形成されてきたサイクルの一部なのである。
 こうした展覧会のコンセプトは、トム・ヴィンセントと山中有によるショートフィルム、西部裕介による写真には明確に反映されている。しかし、実物展示はどうだろう。透明なガラスの展示台に均等に並べられた麩、凍み餅、駄菓子類。真空パックされた食品。いずれも整然としていて、とても美しい。しかし、すべてのものがフラットに、等価な状態にある。匂いも手触りも取り除かれ、意味や価値は解体され、かたち、大きさ、色彩に純化された姿は、古い博物館の標本展示を想起させる。デザインの展覧会と考えればこれもひとつの方法であると思うが、「テマヒマ」という文脈からすると違和感を禁じえない。[新川徳彦]

2012/06/22(金)(SYNK)

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縄文人展──芸術と科学の融合

会期:2012/04/24~2012/07/01

国立科学博物館[東京都]

「有珠モシリ人」(女性)と「若海貝塚人」(男性)の2体の縄文人骨。これを上田義彦による写真、国立科学博物館の篠田謙一による解説テキスト、グラフィックデザイナー佐藤卓による会場構成で見せる。会場中央のガラスケースには、ほぼ実際の身体の構成にしたがって骨が並べられている。周囲に配された写真とテキストは縄文人骨の個々の部位を再構成し、いくつもの角度からクローズアップする。虫歯の痕や抜歯の風習、骨折の痕、等々から明らかになるのは、縄文人の特徴、生活のスタイルである。一般的に博物館の展示は研究の成果として再構成された縄文人の姿を伝えることが多いが、細部に焦点を当てた本展は、残された骨から人類学者たちがどのような情報を読み取ってきたのかを明らかにする点で異色であり、とても興味深い試みである。ただ、「芸術と科学の融合」というサブタイトルは大仰で、「科学」の側による「芸術」に対する畏怖を感じさせる。「写真は芸術作品ですので、決してお手を触れないようお願い致します」という注意書きを見るとなおさらそのように思う。「芸術」や「デザイン」をあえて謳わなくてもよい関係をどのように結んで行くのかが、「科学」にとっての次なる課題であろう。[新川徳彦]

2012/06/17(日)(SYNK)

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東洋+西洋=伊東忠太──よみがえった西本願寺「伝道院」

会期:2012/06/09~2012/07/08

大阪くらしの今昔館[大阪府]

19世紀ヴィクトリア朝的なレンガと石造りの外装、イスラム風のドーム屋根とアーチ型の窓、そして洋館風の木造階段が印象的な内装。とても不思議な建物だ。しかもその建物があるのは京都市下京区。京都の町にイスラム風ヴィクトリア朝建築とは、おかしいといえばおかしいし、大胆といえば大胆だ。それは西本願寺伝道院で、設計者は伊東忠太(1867-1954)である。東京帝国大学教授で建築家だった伊東は「建築進化論」をもとに、「新しい日本の様式建築」を探し求め、東洋と西洋を折衷した独特な様式の建築を残している。彼のいう「建築進化論」とは、建築も生物のように進化していくのが自然で、伝統的な建築に新たな造形を加え、独自の様式へと「進化」させることのようだ。伝道院を中心に伊東忠太が手がけた建築作品や関連資料を紹介し、その建築思想を再考する展覧会である。[金相美]

2012/06/14(木)(SYNK)

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ザ・タワー──都市と塔のものがたり

会期:2012/05/23~2012/07/16

大阪歴史博物館[大阪府]

先日、電波塔として世界一の高さを誇る「東京スカイツリー」が開業し注目を集めた。7月には大阪のシンボルタワー「通天閣」が開業100周年を迎えるという。同展は、このふたつのビックイベントにあわせて企画されたもの。エッフェル塔、東京タワー、通天閣など、19~20世紀にパリ、東京、大阪の3都市に建設された、近代を代表する塔が展示の中心となっている。予想通り、会場には塔の模型、設計図、関連資料、絵葉書などの記念品が紹介されていたが、なかでも目を引いたのは、塔を画題にした錦絵と、昭和30、40年代に発行された通天閣の観光葉書や東京タワーの案内パンフレット。時代を感じさせるどこか懐かしいデザインが多いが、高級車の前でポーズをとる若い女性をローアングルで撮った写真を表紙で大きく使用するなど、いま見ても斬新な構図の写真やレイアウトもあって興味深い(極端なローアングルは、東京タワーを写し入れるために必要だったかもしれないが)。また、二科展で入選暦のあるプロの画家が表紙や挿絵を手がけたものもあるようだ。企画者は「塔が街の中に建つことで、人は上から見下ろすという視点を得て、街全体を把握できるようになった。塔は人と街を結びつけるメディアである」という。塔は街の風景や生活を変えるだけでなく、人々の知覚パターンまでも変えてしまうのだ。同展は、塔と街と人との関わりを問いかけるものである。[金相美]

2012/06/07(木)(SYNK)

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