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SYNKのレビュー/プレビュー

KATAGAMI Style

会期:2012/07/07~2012/08/19

京都国立近代美術館[京都府]

会期:2012/07/07~2012/08/19
会場:京都国立近代美術館
地域:京都府
サイト:http://katagami.exhn.jp/
「KATAGAMI=型紙」とは、小紋や型友禅などの型染めに用いる、模様を切り抜いた紙のことである。古くから使われていたが、とくに型染めが盛んだった江戸時代に優れた技術とデザインが生み出された。こうした型紙は高いデザイン性を誇りながらも、単なる道具、つまり消耗品として認識されてきたため、収集・保存されることはなかった。そして染色業者が廃業する折に、まとめて海外に売られるなどして流出したという。流出時期はおもにデザインの改革期であった19世紀半ばで、当時、新たな造形表現を求めていた、欧米のデザイナーや芸術家に大きな影響を与えた。本展は、この型紙がデザイン改革運動期の欧米で、つまりアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォー運動などにおいてどのような役割をはたし、それがいかに現代に受け継がれているかに焦点を当てている。出品作が充実しているうえ、「型紙(日本・歴史)」「アーツ・アンド・クラフツ(英米・英語圏)」「アール・ヌーヴォー(仏語圏)」「ユーゲント・シュティール(独語圏)」「現代」の五つのセクションに構成されており、親切でわかりやすい展示となっている。従来のジャポニスムに関わる展覧会が地域や作家、デザイン運動そのものに限定されたものが多かったのに比べ、本展は型紙というテーマを掲げ、より総合的なアプローチを試みている。三重県立美術館(2012年8月28日~10月14日)に巡回。[金相美]

2012/07/10(火)(SYNK)

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コドモノクニ展

会期:2012/06/30~2012/09/02

多摩美術大学美術館[東京都]

『コドモノクニ』は1922(大正11)年1月に創刊し、1944(昭和19)年3月の終刊までの23年間に287冊を刊行した月刊の絵雑誌である。同時代の子ども向け絵雑誌としては『子供の友』(1913年創刊)『キンダーブック』(1927年創刊)があるが、それらの中でも、『コドモノクニ』は、大判厚手紙、オフセット5色刷、オールカラーという、他の絵雑誌とは一線を画する体裁であった。『コドモノクニ』を舞台に活躍した童画家たちには、岡本帰一、武井武雄、本田庄太郎、初山滋、村山知義、東山新吉(魁夷)らがいる。これまでにこうした画家やその作品を取り上げた展覧会は幾度も開催されているが、今回の展覧会は主に『コドモノクニ』の編集者・鷹見久太郎(1875-1945)の仕事に焦点を当てる。
 鷹見久太郎は国木田独歩が創設した独歩社を引き継ぎ、1907(明治40)年に東京社を創業する。東京社では、独歩社から引き継いだ『婦人画報』とともに『少女画報』『皇族画報』などの出版を手掛けた。その鷹見の編集方針は極めて理想主義的なものであったようである。「氏は曰う……編輯の理想と販賣の現実とは曾て握手をしたことがない。理想を没した多賣主義の編集方針なら販賣に好都合だらうが、天下の婦人はそれがために堕落し、好奇と挑發にのみ打興するであらう、さらば操觚者の無責任を如何にすると」★1。「販売の現実」という点でいうと、残念ながら鷹見にはその才能はなかったようだ。1924(大正13)年にマネジメントを仕切っていた島田義三が没した後、東京社は経営難に陥り、1931(昭和6)年に事業を武侠社の柳沼沢介に譲渡する。東京社を離れた鷹見は1933(昭和8)年に子供之天地社を設立し、絵雑誌『コドモノテンチ』を創刊したが長くは続かず、1934年には休刊している。鷹見が離れたあとも『コドモノクニ』は同様の体裁で刊行を継続できたことを見れば、彼の思想が受け入れられなかった訳ではなく、鷹見を支える優れたマネージャーがいれば、彼の仕事もさらに広がりを見せたであろうと残念に思う。
 しかし、鷹見が播いた種は確実に育った。工業デザイナー秋岡芳夫(1920-1997)は、小学校を卒業したあとまでも『コドモノクニ』を愛読していたという。「とくに、初山滋はぼくの人生を左右した。後にぼくは、初山滋のような人間になりたくて、その門をたたき、三十代から四十代の半ばまでは、童画や子どもの本の挿絵を描くことになった」★2。エディトリアル・デザイナー堀内誠一(1932-1987)もまた、幼年時代に『コドモノクニ』に親しんだと述べている★3。彼らが直接的に影響を受けたのは作家や童画家の作品からである。しかしそれらの作品が成立した背景には、フルカラーの絵雑誌という媒体を用意し、画家たちに自由な表現の場を与え、他誌と比べて破格の稿料を支払った編集者・鷹見久太郎の仕事があってこそのものであったということは覚えておかなければならないだろう。[新川徳彦]

★1──『読売新聞』1926(大正15)年6月10日。
★2──秋岡芳夫(工業デザイナー)「思い出の一冊」(『朝日新聞』1989年6月28日)。
★3──堀内誠一『父の時代・私の時代──わがエディトリアルデザイン史』(マガジンハウス、2007)、20頁。

2012/07/09(月)(SYNK)

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初期伊万里展──日本磁器のはじまり

会期:2012/06/10~2012/09/23

戸栗美術館[東京都]

戸栗美術館が所蔵する古伊万里の優品のなかから、色絵磁器が登場する1640年代以前の「初期伊万里」と分類される作品を見る展覧会。日本で磁器が焼かれるようになったのは1610年代。文禄・慶長の役の際に連れ帰った朝鮮人陶工がその技術をもたらしたといわれている。技術的には完成途上にあり、器の形も絵付けも安定していないが、いびつな形にも美しさを見ることができるのは、陶磁器鑑賞の楽しみのひとつである。
 今回の展覧会で初期伊万里以上に印象に残ったのは、「波佐見焼の系譜と現在」と題した1階やきもの資料室の展示である。ここでは近年デザインに力を入れたものづくりを積極的に行なっている波佐見焼とその歴史を解説している。輸出港の名前から肥前磁器は「伊万里焼」と総称されるが、じっさいには、有田、波佐見、伊万里で、地域ごとに特徴ある製品が焼かれていた。たとえば初期伊万里の時代には、有田では染め付け、波佐見では青磁が主力製品であった。オランダ東インド会社を通じて海外に輸出されるようになると、有田では高級品、波佐見では下手といわれる日用の量産磁器の生産が行なわれる。18世紀、輸出が止まり需要が国内にシフトしたあとは、波佐見は「くらわんか手」と呼ばれる安価な磁器を大量に生産し、陶磁器の使用を庶民階級にまで普及させていった。そして明治以降、波佐見は銅版転写や石膏型の使用など、さらなる量産技術を積極的に導入していく。
 問題は波佐見焼のブランド・イメージである。江戸期には伊万里焼と呼ばれ、明治以降は有田駅から全国に出荷されたために有田焼と呼ばれるなど、産地である波佐見の知名度は低かったものの、量産技術を発達させたおかげで、1990年代初めには全国の日用食器の3分の1ものシェアを占めていた★1。ところがそれ以降、中国・東南アジア製品におされ、現在の国内シェアは13%程度にまで低落している。日用品であってもブランドを確立しなければ、品質が向上したアジアからの輸入品に対抗できない。知名度の低さを打開すべく、波佐見では2000年前後からデザイナーとコラボレーションを行なったり★2、新たな用途の製品を開発したり★3、複数の窯で共通のデザインを採用する★4など、デザインによる産地のブランド化に乗り出しており、今回の展示でも機能性を高めた新たなデザインの製品がいくつも紹介されている。そういえば、森正洋のデザインによる量産日用陶磁器を生産してきた白山陶器もまた波佐見の会社であった。なるほど、「作家もの」にいくのではなく、量産陶磁器にデザインが持ち込まれてきた背景には、伊万里焼のなかで波佐見がおかれてきた歴史的経緯があるのだ。古伊万里の歴史から現代の産地が抱える問題までを一本の糸で結ぶ今回の展示は、なかなか意欲的である。[新川徳彦]

★1──「求む ブランド名 長崎の波佐見」(『日本経済新聞』1999年10月26日)。
★2──「伝統品に新たなカタチ」(『日本経済新聞』2006年7月8日)。
★3──「電子レンジ調理陶器 量産」(『日本経済新聞』2010年8月27日、九州版)。
★4──「波佐見焼『エレガンス』宣言」(『朝日新聞』2007年2月3日、長崎版)。

2012/07/04(水)(SYNK)

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久保修 切り絵の世界展──紙のジャポニスム

会期:2012/06/21~2012/07/16

美術館「えき」KYOTO[京都府]

切り絵作家、久保修(1951-)の新作を含む個展。通常、切り紙とは、紙を切り抜いて形をつくり、それを台紙に張ったものを指すが、久保はパステルやアクリル絵の具、布、砂などといった素材を取り入れた独自の技法で切り絵表現の幅を広げてきた。大学在学中に切り絵を始めた久保は、新聞や雑誌の表紙絵などを担当する一方で、その叙情性溢れる作品がふるさと切手や年賀はがきに採用され注目を集めた。四季折々に移り変わる日本の自然の美しさや風物を、和紙を繊細に切り抜いて表現しながらも、迫力ある画面に仕上げている。この計算された構図は、おそらく久保が大学で建築を勉強したためではないか思う。それが旬の食材を切り取った作品では一変する。なんと可愛くてユーモラスだ。どちらもほのぼのして心温まる作品であることには違いない。2009年には文化庁文化交流使に指名され、切り絵を通じて日本文化を紹介する活動も行なっている。[金相美]

2012/07/03(火)(SYNK)

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プレビュー:パディントン ベア™展──イギリスで誕生した愛らしいクマの物語

会期:2012/07/07~2012/09/02

伊丹市立美術館[兵庫県]

帽子とダッフルコートを着た愛らしいクマのキャラクターとして知られる「パディントン」の原画展。2012年5月まで東京で開催された「パディントンベア原画展」(池袋西武本店)の関西巡回展だが、関西のみの出品作も加わり、内容をヴォリュームアップして開催される。とくに注目すべきは、1970年代にイギリスの新聞で連載された四コマ漫画の原画が今回、特別に展示されることだろう。同原画の作者であるアイバー・ウッドは、BBCで放映されたパペットアニメ版も手がけており、パディントンを描いた数多くのアーティストのなかでも、そのヴィジュアルイメージの確立に貢献した人物といえる。実際、このクマのキャラクターは、1958年刊行のマイケル・ボンドの児童小説の挿絵として初めて登場して以来、小説の絵本化や漫画化、アニメ化、キャラクターグッズとしての商品化等を経てきており、その間、異なるアーティストが制作にかかわることで、パディントンの描かれ方も徐々に変化してきた。本展では、ペギー・フォートナムが手がけた最初の挿絵の原画を初め、フレッド・バンベリーやデヴィッド・マッキーなど、さまざまなアーティストによる絵本等の原画も時代を追って展示される。そこに、イラストレーションのスタイルの変遷や、表現媒体の差異が生み出すキャラクター表現の変化の反映を見出すのも本展の楽しみのひとつだろう。さらには、ボンドゆかりの品やパペットアニメ化の資料、貴重なぬいぐるみも展示される。日本ではパディントンは、1980年代にソニープラザがそのグッズを扱ったことで一躍知られるようになったが、東京展は連日、そのノスタルジーに浸る声で溢れかえっていたらしい。つまり、パディントンは、キャラクタービジネスの元祖ともいうべき存在であり、そのメディアミックス的展開の側面をも概観する本展は、子どもはもちろん大人の美術愛好者も楽しめる内容だ。東京で好評を博した公式限定グッズも、今回、ミュージアムショップで販売されるそうで、それもまた楽しみだ。[橋本啓子]

左=Illustrated by R.W.Alley Illustrations ©R.W.Alley 2012
右=Illustrated by Peggy Fortnum ©P&Co Ltd 2012

2012/07/02(月)(SYNK)