artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

大正から始まった日本のkawaii(カワイイ)展──ファンシーグッズを中心に

会期:2012/04/05~2012/07/01

弥生美術館[東京都]

日本独特の文化であるといわれる「かわいい」。そのの起源はどこにあるのだろうか。四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書、2006)によれば、「かわいい」の源流は11世紀初頭の『枕草子』にまで遡ることができるという。ただし、ここで主に論じられているのは受け手の完成から見た「かわいい」の歴史である。
 それでは、ファンシー・グッズやアニメに現われる「かわいい」キャラクターの起源はどこに求められるのであろうか。弥生美術館で開催されている本展はいわゆるファンシー・グッズに焦点を当てて、その系譜をたどる。ここでは、大正3年に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」をファンシー・グッズの元祖とする。夢二の店では、千代紙、封筒、半襟、うちわ、浴衣等々を扱い、若い女性であふれていたという。ファンシー・グッズにとってなによりも重要であったのは、西洋の様式や、異国情緒であった。千代紙などの女性向けの紙製品は以前から存在していたものの、そこには友禅模様や千鳥など日本古来の文様が用いられていた。それに対して、夢二は西洋のカードや書物からヒントを得て、紅天狗茸のようなモチーフ[図1]や、アール・ヌーヴォー様式のデザインを商品に取り入れたのである。小林かいちの絵葉書や絵封筒にはモダンな画風や薔薇の花といったモチーフが現われ、高畠華宵が描く少女の服にはハート模様や鈴蘭があしらわれた[図2]。戦後、女性向けの雑誌『それいゆ』『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』を主宰した中原淳一のひまわり社が開いた小物や雑貨を扱う店は少女たちで賑わったというが、扱われた商品も、そのデザインも非日本的、非日常的なものであった。内藤ルネはヨーロッパのモードを取り入れた少女を描き[図3]、パンダをいち早く日本に紹介している。ハワイに遊学した水森亜土は、フラダンスを踊る女の子など、明るくセクシーなイラストで少女たちを魅了した。ハローキティはロンドン生まれという設定である。ファンシー・グッズ、「かわいい」キャラクターの歴史は、この100年間の日本人にとっての異国イメージ変遷の歴史ととらえることもできよう。

1──竹久夢二《木版千代紙》、大正3~5年、港屋

2──高畠華宵《便箋表紙》、大正末~昭和初年代
3──内藤ルネ《マスコット・バッグ》(『少女ブック』昭和37年4月付録)

ファンシー・グッズをテーマにすることは、つくり手と同時に使い手に焦点を当てることでもある。本展では大正生まれから平成生まれまでの女性たちのファンシー・グッズについての証言をパネル展示することで、時代の感覚、空気を振りかえる。展覧会図録は書籍として出版されており、書店で入手可能である(『日本の「かわいい」図鑑』河出書房新社、2012[図4])。日本発の文化である「かわいい」が世界の注目を集め、「kawaii」が世界共通語となりつつある今、その起源と本質をていねいに探る好企画である。[新川徳彦]

4──『日本の「かわいい」図鑑』(河出書房新社、2012)

2012/05/14(月)(SYNK)

今和次郎 採集講義──考現学の今

会期:2012/04/26~2012/06/19

国立民族学博物館[大阪府]

建築家で、考現学の創始者として知られる、今和次郎(1888-1973)のユニークな活動を概観する展覧会。今が残したスケッチ、写真、建築やデザイン図面などが紹介されている。今は、昭和初期の急速に都市化していく東京の様子や人々を観察し記録する(考現学)一方、民家研究の分野においても重要な業績を残している。さらに、農村住宅改善案の設計や住宅・共同作業場の設計などにも携わった建築家でもあった。「私はつくづく、自分はいま現在のこと、人々が働き、楽しみ、いろいろくふうをこらしているさまに興味をもつ性格だったのだと思う。だからこそ震災後の焼け跡に、つぎつぎと仮小屋がたてられ、人々が焼け落ちた過去のなかから新しい生活をたてなおす姿をみて、ほんとうに感動できたのだし、考現─いまを考え、未来をつくることの必要を痛感したのであったと思う」と今はいう★1。彼の活動の本質を表わす言葉ではないかと思った。[金相美]
★1──本展カタログ『今和次郎 採集講義』(青幻舎、2011)。

2012/05/13(日)(SYNK)

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都築響一 presents「妄想芸術劇場・ぴんから体操」

会期:2012/04/30~2012/05/12

ヴァニラ画廊[東京都]

1990年代初めから現在まで、20年にわたって写真投稿雑誌のイラストページに自作を投稿し続けているアーチスト「ぴんから体操」氏。アイコラ、モノクロのペン画、色鉛筆によるカラーのイラストなど、長いあいだに表現のスタイルも、描かれるものも変化していますが、ジャンルとしては「春画」、テーマは「エロ」と「グロ」と「スカトロ」です。イラストばかりではなく、妄想の物語が付されているところは、ヘンリー・ダーガーを彷彿とさせます。どのような作品なのかは事前に知っていましたが、実物のインパクトは想像以上のもので、ヴァニラ画廊を出たあとクラクラと眩暈がしました。描かれたテーマのインパクトもありますが、作品から溢れ出る生々しいエネルギーにあてられた感じです。エロでもグロでもスカトロでも、数枚ならいいでしょう。しかし、すさまじいヴォリューム。編集部が保存していた膨大な作品が壁面いっぱいに貼りめぐらされ、両面にコラージュされた印刷物が天井から吊された透明なシートに展示されています。20年間、途中中断もあるものの、多いときには月産30点もの作品を投稿しているのだとか。趣味というレベルではありません。これらの作品、作品づくりはぴんから体操氏の日常生活そのものなのです。世間でアートといわれるものは、たとえ生理的な欲求が主題にあっても、それはなにか別のものの形をまとって表現され、それゆえに分析や批評が存在するのだと思うのですが、この空間ではまるでつくり手の脳みその中に飛び込んだかのよう。押し寄せてくる直接的なイメージの洪水に溺れそうになります。おどろいたことに、投稿雑誌界にはぴんから体操氏と同様に長期にわたって作品を送り続ける投稿者が他にも多数いるのだそうです。そうした「アーティスト」たちも「作品」も、「こちら側」に出てくることはなかなかありませんが、現実に社会を構成している文化のひとつであるという事実もまた無視することはできません。優れたアウトサイダーを掘り起こしてくる都築響一さんの情熱にも、いつもいつも驚嘆させられます。[新川徳彦]

2012/05/12(土)(SYNK)

東京ミッドタウン・デザインハブ5周年記念/第33回企画展「信じられるデザイン」展

会期:2012/03/30~2012/06/17

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

「信じられるデザインとはどのようなものでしょうか? そのデザインはなぜ信用できるのでしょうか?」という問いにデザイナー、建築家、写真家など51名のクリエーターたちが回答を寄せる。会場には回答が貼られたパネルが並ぶ、読むデザイン展である。クリエーターたちが挙げるデザイン、その理由はさまざまである。水銀の体温計にモノの実体を見る人もいれば、オムロンのデジタル体温計に信頼を感じる人もいる。めし茶碗のように、古くから人の生活とともに存在し、人の手足の延長のように用いられてきたデザインも挙げられていれば、ウォシュレットのようにモノの側から人々の生活に寄り添うことで徐々に信頼を獲得していったプロダクトもある。新幹線のシステムを挙げた人が二人いたが、これも安全運行の歴史の上に形成された信頼であろう。
「信じられるデザイン」を疑う回答者もいる。「「信じる」かどうかは、受け手の側(あるいは使う側)の主体的な問題です。デザインそのものに本質論的に「信じられる」ものがあるとは思いません」(田中正之)。「信用はあくまで結果であって、それを逆算しようとすれば何かを間違えることになる」(服部一成)。佐藤卓は「現代のデザインは、基本的に信用できない」としつつも、信頼できるものとしてトイレのサインを挙げる。男女のシルエットは「見つけた時には疑う余地なく身体が向かう」デザイン。「本当に信用できるデザインなんて、人が極限状態に至らないとわからないもの」なのである。会場の最後には空白のパネルが置かれている。「あなたにとって『信じられるデザイン』とは何ですか?」[新川徳彦]

2012/05/12(土)(SYNK)

ヨーロピアン・モード──ドレスに見るプリント・デザイン

会期:2012/04/12~2012/06/02

文化学園服飾博物館[東京都]

毎年この時期に開催されている学生向けの服飾史入門の企画。2階展示室では、18世紀ロココの時代から1970年代まで、200年にわたる欧米のモードの歴史をたどる。ドレス等の実物が展示されているばかりではなく、同時代の社会的背景が合わせて解説されており、様式や素材が変化した理由もわかりやすい。1階展示室では、ヨーロッパにおけるプリント・デザインの変遷が特集されている。ここでは、新しい技術が旧来の技術を置き換えるプロセスと、技術の変化が表現に与えた影響とを見ることができる。
 すなわち、インド製品の模倣から始まったヨーロッパのプリント技術は、当初の木版から銅版に変わり、それによってより細かい表現が可能になると同時に、一度により大きな面積をプリントできるようになった。細かい図柄がプリントできるようになったことで、文様にはインド更紗の模倣ばかりではなく、織物の文様表現を模したプリントも現われる。銅版はローラー・シリンダーによる連続プリントへと発展し、さらに生産性を高めた。初期のローラーでプリントできるのは単色のみで、木版との組み合わせによって多色印刷が行なわれていたが、19世紀後半にはローラーのみで多色印刷が可能になり、量産と同時に多彩な文様の表現も可能になる。20世紀に入ると、シルクスクリーンの発達により絵画的な表現も可能になり、モードの担い手が若者に移った1960年代以降は安価なプリントが多用され、ファッションの大量生産・大量消費をうながしてゆくことになる。
 技術が先にあるのか、はたまたモードのニーズが先にあるのか、「鶏と卵」のような関係ではあるが、いずれの段階でもプリント技術は外国からの輸入品や旧来の製品・技術を代替するかたちで発達してきた点に着目すれば、モードは技術革新を引き起こす原動力であり、他方で技術はモードの大衆化への推進力である、と言えようか。[新川徳彦]

2012/05/11(金)(SYNK)

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