artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

タイポロジック2012

会期:2012/07/06~2012/08/10

竹尾 見本帖本店[東京都]

文字を素材になにができるのか。どのような表現が可能なのか。「タイポロジック2012」展は、タイポグラフィの現在をデザインとアートの両面から紹介する展覧会。2009年に大手町のSPACE NIOで開催された第1回の展覧会から3年ぶり、2回目の開催である。前回からずいぶんと間が開いたが、実験的な試みが中心ということを考えれば、このぐらいの頻度が妥当なのかもしれない。学生作品も含めて、30点ほどの作品が展示されている。欧文をモチーフにした作品と、和文をモチーフにした作品とが半々ぐらいであろうか。
 大日本タイポ組合「ア°クリル(アクリルアニマル)」は、動物の名前を英語で綴ったアクリル板を上下逆さにするとその動物の形になっている。表音文字であるアルファベットが単語になったときに、その形が意味を持つという仕掛けが面白い。インタラクションな試みとしては、三戸美奈子+清水裕子「Inter-Action」。カリグラフィでアルファベットが書かれた板紙を、来場者が自由に並べ替え、そのなかから言葉が浮かび上がってくる。小さな会場ではその面白さが十分に発揮されていなかったのが残念である。安永紗也子「有機タイポ」は、文字を組み合わせていくと文字と文字のあいだに木漏れ日のような空間が生まれるもの。ポジとネガとそれぞれが異なる意味を持つ点で「ルビンの壺」のようであるが、選んだ文字の組み合わせによって現われる形が変わる点が秀逸。松田マイケ直穂「Across the Univers」はアドリアン・フルティガーの書体ユニバースをダンスのステップの軌跡で表現する。身体全体を使って表現するアルファベットはよくあるが、ステップのみというのは新しいのではないか。
 鹿又亘平「いろは」は、日本語がもともと横書きの言語であったら、という発想でつくられたひらがなの「筆記体」。同じコンセプトで漢字をつくることもできるだろうか。ヨアヒム・ミュラー=ランセイ「東西文字遊び」は、アルファベットと日本語との融合させた文字や、複数の仮名を組み合わせて「漢字のようなもの」を作りだした楽しい作品である。伊東友子「タイピングによるギャル文字(枕草子)」はタイトルの通り、一部の「ゎヵゝм○σt=ち(わかものたち)」のあいだで用いられる例の文字表現を素材に枕草子を綴る。いっそ原典ではなく桃尻語訳を素材にしてもよかったかもしれない。仮名文字は漢字から音だけを取り出し、漢字の形を解体していって出来上がったものということを考えれば、ギャル文字は日本語の正統的な進化の線上にあるのではないか、と(少しばかり)思った。[新川徳彦]

2012/07/20(金)(SYNK)

アン・グットマンとゲオルグ・ハレンスレーベンの世界──リサとガスパール&ペネロペ展

会期:2012/07/14~2012/08/26

明石市立文化博物館[兵庫県]

フランス在住の絵本作家アン・グットマンとゲオルグ・ハンスレーベンが生み出した絵本『リサとガスパール』と『ペネロペ』の原画展。油彩による原画は、鮮やかな色彩と繊細な筆づかいをあますところなく伝える。観ているうちに、絵本の原画というより絵画作品を鑑賞しているような感覚を覚えた。不思議なのは、キャラクターたちがぬいぐるみのように図式化されて、その表情が意図的に排除された造形でありながら、どこか人間くささを感じさせることだ。展覧会チラシによれば、『リサとガスパール』は「犬でもうさぎでもない不思議ないきもの」とあり、そうしたなににも分類しがたい曖昧さは、作者自身の意図するところであるのかもしれない。不思議なキャラクターたちは、印象派風のスタイルとフォーヴィスムの絵画を想わせる色彩に溢れたパリの日常風景にすんなり溶け込んでいる。その風景もまた、実際のリアルな風景と絵本のヴァーチャル世界のあいだを行き来するものであるかに思える。本展には絵本原画のほかに、作家が使用したパレットや絵具、仕掛けのある絵本のための指示書なども出品されており、絵本の発想やプロセスの一端がわかって面白い。[橋本啓子]


『リサとガスパール デパートのいちにち』
Hachette Livre � 2003 Anne Gutman and Georg Hallensleben

2012/07/19(木)(SYNK)

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奇っ怪紳士!怪獣博士! 大伴昌司の大図解 展

会期:2012/07/06~2012/09/30

弥生美術館[東京都]

大伴昌司とは何者であったのか。さまざまな分野で才能を発揮したこと。自分について多くを語らなかったこと。そのうえ、彼は「何者か」になる前に、36歳の若さで逝ってしまった。知人、友人、仕事を共にした人々の証言にも、いったい彼は何者だったのかという疑問が繰り返されている★1。膨大な知識を収集、蓄積し、仕事に応じてそれらの新しい組み合わせを提案する。すなわち編集者、プランナーといえば彼の仕事のイメージがつかめようか。この展覧会では、子ども時代から学生時代の姿、そして亡くなるまでに手がけた数々の仕事を丹念に追うことで、大伴昌司という人間の全貌をさぐる。
 多彩な仕事のなかでも人々に大きなインパクトを与えたのは、昭和40年代の『少年マガジン』誌で展開された大図解シリーズであろう。端緒は怪獣だった。テレビ番組「ウルトラマン」に登場する怪獣たちが、どのような能力を持っているのか、なぜ火を噴いたり超音波を発したりできるのか。大伴は空想上の存在である怪獣を、あたかも実在の生物や機械であるかように徹底的な図解を試みた。怪獣のほかにも、特撮映画に登場する基地や乗り物なども解剖されたが、それらが必ずしも公式の設定ではなく、大伴とイラストレーターたちによって生み出されたオリジナルな世界であるという点には驚嘆させられる。ただし、大伴にとっては空想の世界も現実の世界も、たいして区別はなかったようだ。大伴が『少年マガジン』の巻頭で展開したテーマにはSF的な未来像も描かれれば、地方の伝説も取り上げられている。また、「大空港」や「深夜ラジオ」といったテーマは、現実社会の裏方を豊富な写真で紹介する企画である。こうした彼の仕事のなかに一貫性を見出すとすれば、第一に二次創作が挙げられる。すなわち、彼はすでに存在するものの周辺に独自のストーリーを付け加え、オリジナルの世界をいわば勝手に拡張していった。大伴昌司が元祖オタクとも呼ばれる所以である。もうひとつはビジュアル・ジャーナリズムである。『マガジン』で展開した手法を大伴は「テレビの印刷媒体化されたもの」と語っている。彼にとってイラストや写真はブラウン管の映像であり、テキストは音声、ナレーションであった。大図解とはテレビ的表現を雑誌メディアに置き換えるという実験的手法であった。
 大伴昌司の新しさはどこにあったのだろうか。SF作家たちは空想の世界にリアリティを持たせるため、さまざまな事象が合理的に見えるように説明しようと腐心してきた。現実の生物や機械などを図解する手法は古くから存在した。怪獣は大伴の創造物ではない。大伴は多数のスケッチを残したが、誌面で使用する絵を描いたわけではない。大伴が写真を撮ったわけでもない。となれば、大伴はさまざまな人々の仕事を結びつけたに過ぎないという言いかたもできるかもしれない。しかし、大伴が取り上げたようなテーマを、大伴が行なったような手法で展開した者はそれまでにはいなかった。雑誌メディアに途を切りひらき、のちの人々のために新たな表現手法を残したという点において、大伴昌司は天才的な編集者、プランナーであったのだ。
 大伴昌司による多数のスケッチのほか、横尾忠則、みうらじゅんらが寄稿している図録★2は同時代の文化を知る資料としても貴重である。[新川徳彦]

★1──竹内博編『証言構成〈OH〉の肖像──大伴昌司とその時代』(飛鳥新社、1988)。
★2──堀江あき子編『怪獣博士! 大伴昌司──「大図解」画報』(河出書房新社、2012)。



左=「2大怪獣強さのひみつ」(『少年マガジン』昭和41年7月10日号、講談社)、遠藤昭吾/画、©円谷プロ
右=「バルタン星人」ウルトラ怪獣内部図解(昭和41年)、大伴昌司/画、©円谷プロ

2012/07/18(水)(SYNK)

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バーン=ジョーンズ展──装飾と象徴

会期:2012/06/23~2012/08/19

三菱一号館美術館[東京都]

エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)は聖職者を目指してオクスフォード大学に入学したものの、そこでウィリアム・モリス(1834-96)と出会い、芸術家の道を歩むことになった。1861年にはモリスらと共同でモリス・マーシャル・フォークナー商会を発足させ、ステンドグラス、タイル、タペストリーなどの工芸品のデザインを多数手がけている。このような経緯もあり、これまでバーン=ジョーンズの仕事はモリスやラファエロ前派との関わりで紹介されることが多かったが、この展覧会は絵画作品を中心にバーン=ジョーンズの全貌に迫る企画である。
 展示はおもに描かれた主題別に構成されている。バーン=ジョーンズは生涯のうちに同じ主題を幾度も取り上げている。たとえば今回の展示の目玉のひとつである《眠り姫》は、1860年代初めから30年にわたって繰り返し描かれたテーマであった。またひとつの作品を完成させるまでに時間がかかり、古代ローマの花の女神を描いた《フローラ》は着手から完成までに16年もの歳月を要している。そのために、時系列に作品を紹介するよりも、関心の所在に焦点を当てた今回の構成は彼の創作活動の特徴を明らかにしているといえよう。
 表現手法という点では、バーン=ジョーンズの作品は様式的、平面的である点に特徴がある。また主題は静的で、画家の恣意によって四角い画面のなかにきっちりと収められ、カンバスの外側の世界を想像させない。たとえば、《大海蛇を退治するペルセウス》の海蛇の長い身体の扱いにそれを見ることができる。また作品は一枚で完結するのではなく、連作の形で物語を構成している。こうした表現様式は、彼が装飾芸術に深くかかわっていたことからもたらされたといわれる。モリスのもとで手がけたタイルやステンドグラス、タペストリーなどの平面的な装飾作品と、絵画作品とは彼のなかで明確に区別されるものではなかった。そして絵画作品もまた、多くはパトロンの邸宅を飾る室内装飾の一部として描かれたものであった。このような条件が彼の作品をロセッティやミレイとは異なる独特のものにしている。
 バーン=ジョーンズが描いた主題の多くは、中世の騎士物語などの文学作品や古代ギリシャ・ローマの神話から着想を得たものである。過去の世界への傾倒は、都市の貧困や環境の悪化など、ヴィクトリア朝時代の物質的繁栄がもたらした負の側面に対する批判であり、抵抗であり、そこからの逃避であった。画家たちが19世紀の現実に対抗するものとして中世の物語にユートピアを見出す一方で、社会の変化によってもっとも利益を得たであろう商人や実業家たちが画家たちのパトロンになった。「このパトロンたちは、長時間金勘定をしたり、機械の騒音を聞きながら過ごしたあとで、家に帰ると極めて想像力にあふれて色彩に富む絵画に出迎えられ、それによって商業の抑圧から解放されるというわけだった」★1。パトロンたちもまた自分たちがつくりだした現実からの逃避を望んでいたというのはなんとも皮肉なことである。[新川徳彦]

★1──ビル・ウォーターズ、マーティン・ハリスン『バーン=ジョーンズの芸術』(川端康雄訳、晶文社、1997)、136頁。

2012/07/18(水)(SYNK)

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アール・デコ 光のエレガンス

会期:2012/07/07~2012/09/23

汐留ミュージアム[東京都]

19世紀のさまざまな技術革新は同時代の生活に大きな変化をもたらした。鉄道や通信、蒸気船の発達は人や物の移動と、情報交換のスピードを大きく改善した。ガスや電気の普及は都市の風景を変え、人々の生活スタイルを変え、人々が日常生活で必要とするものも変えた。そうした変化も19世紀の終わりにはまだ産業界や特定の階層のものであったが、20世紀に入りより幅広い階層へと拡大してゆく。家庭における室内照明も同様であった。19世紀の終わりに発明された白熱電球は、炭素フィラメントを使用していたために明るさが十分ではなく、またインフラ整備の問題からすぐにロウソク、石油ランプ、ガス白熱灯に取って代わるものではなかった。しかし金属フィラメントによって電球はより明るくなり、新たな照明器具が生まれ、人々の生活を変えはじめた。それが生じたのが両大戦間期、アール・デコの時代だった。
 「アール・デコ 光のエレガンス」展は、このような技術や社会生活の変化が新たなモノの誕生やデザインの様式の変化に与えた影響を考察する展覧会である。ヴォルフガング・シヴェルブシュは「アール・インディレクト」という言葉でこの時代に現われた間接照明と建築や装飾との関係に焦点を当てているが★1、石油ランプやガス灯とは異なり、直視することが困難なほど明るい人工的な光をいかにして生活のなかに取り入れていくかは、同時代の工芸家やデザイナーたちに共通する課題であった。展覧会第1章ではパート・ド・ヴェール技法による色彩豊かなガラスのランプが紹介される。第2章はサロンを飾った作品。磨りガラスや磁器製の照明器具[図1]は電球の強い光を和らげるために生まれてきたことや、明るい照明が室内の装飾品に与えた影響が示される。ローゼンタールやドームの照明器具、装飾品で構成された再現コーナーは、汐留ミュージアムおなじみの企画である。第3章では都市エリートに好まれたモノトーンの食卓がルネ・ラリックのガラス製品を中心に再現されている。貴金属ではなく工業的に生産されるガラスを素材とし、色彩ではなくカッティングや型を用いたラリックの食器や装飾品が、新しい光の使用を前提としていたことがとてもよくわかる[図2]。アール・デコの幾何学的な様式が工業的生産と調和的であったことはよく指摘されるが、この展覧会で特筆すべきは、技術の普及が人々の生活スタイルを変化させ、その変化が新しい装飾様式を求めたことを指摘している点にある。[新川徳彦]

★1──ヴォルフガング・シヴェルブシュ『光と影のドラマトゥルギー──20世紀における電気照明の登場』(小川さくえ訳、法政大学出版局、1997)。



1──国立セーヴル製陶所(デザイン:ジャン=バティスト・ゴーヴネ)《鉢型照明器具「ゴーヴネNo. 14A」》1937年、東京都庭園美術館
2──ルネ・ラリック《常夜灯「インコ」》、1920年、北澤美術館

2012/07/12(木)(SYNK)

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